花畑の夢➀
「あああああああァァァァッッ!!!!」
落ちている!! 何故かわからないけど俺は空から落ちている!!
ただただその様を、風景を凝視していることしかできない。
この空の中では満足に四肢を動かすことすらままならない。
そこで異変に気づく。
……なんで地上が遠ざかってるんだ?
遠くの建物や丘や町が山がだんだん、だんだん小さくなっていき、さらに視界は広がり、遥か遠くの地平線すら目にする。
やがて視界が雲で遮られ始める。晴れた日なのに体温はますます寒くなる。
これは地上に落ちているんじゃない。
……空に落ちているのか!?
猛烈な勢いで風が全身をたたきつけ、心臓が猛烈な勢いで鼓動する。もはや声にならない叫び声をあげるだけ。
一体どこまで地上から遠かったのか、どこまでこの降下が続くのかわからず、しかし遠ざかる速度はますます速くなる。
吸った息はまるで体をそのまま通り抜けていくかのように、呼吸もままならない。
絶え間ない強風が眼球を乾かせ、開けることすらままならずぎゅっと瞼を閉じる。
恐怖と暗闇が心を、強風と厳寒が全身を激しく萎縮させ、絶望しか頭には浮かばなかった。
と――。
急に風が止んでいる。四肢に痺れはあるけど叩きつけられているような感覚が消える。
沈み込むような感覚はない。
呼吸ができる……。
「ちょーっと!! いきなり何するんだ!!」
ユーテルの怒った声が突然聞こえてきて、驚いて目を開ける。
落ちていたはずの体は地上にあって、俺はなぜか空を見上げている。
……地面を背にして大の字で寝そべってる?
俺を庇うようにユーテルが先ほどの紫の髪を束ねた女性の前に立っている。
俺が背負っていた少女のサリエスちゃんはといえば、母親と思しき女性にぴったりとしがみついていて、さきほどまでのすやすや顔とは打って変わって今にも泣きそうな表情になっている。
「……ぇ?」
漏れ出した声にもならないような声。全く状況の整理がつかない。
立ちあがろうにも全身に力が入らず、片膝をついて体をなんとか支えるだけで精一杯だ。
「……この子はまだ力がないのね。アナタは?」
冷ややかに、棘のある女性の話し方が嫌に耳に入る。
こんなにもマイナスの印象のある声で誰かから話しかけられたのは初めてだ。
「お生憎様! 力があるのはボクだよ!!」
ユーテルはかなり怒った様子で女性を睨みつけている。
そんなユーテルに女性はより一層色のない淡い目でユーテルに睨み返している。
「じゃあこれもアナタの仕業ってことよね?」
女性は背後の丘の上に広がっていたはずの花畑だったものを指差す。
「そう! それに関しては本当にボクが悪いから謝るけど、仕方がなかったんだよ!」
女性の怒りの理由に合点がいく。この人が花畑を育てていたとすれば、それを無惨に吹き飛ばしたユーテルに無条件に怒りの矛先がいくのも無理はない。
それにしたってなんで俺はあんなありえない体験を……?
「キミ、魔法使いだね?」
ユーテルが聴き馴染みのない言葉を口にする。
まただ、マホウ。
何度かユーテルからその言葉を聞いているがいまだにそれが何を指しているのか俺は知らない。
「えぇ、そう。よく知ってるわね、アナタ」
「……ボクも直接会うのは初めてだよ。話には聞いてたけど、信じられない力だね、ソレ」
「さっきから何の話してるんだ……?」
全く理解のできない二人の会話に少し苛立ちを覚えながら横槍を入れる。
少しずつ力が入ってきた身体を何とかして起こしてよろよろになりながらも立ち上がる。
「テンペスト君、どんな体験をした?」
「え? 見てなかったのか?」
ユーテルからの質問に一瞬戸惑う。だって、さっきのあの状況……おそらく俺はこの地上から真上に飛んでいったようにユーテルには見えていたはずだ。
「いいから。それが大事なんだ」
珍しくしつこく聞いてくるユーテルにどこか違和感を覚えはするが、素直に答えることにする。
「…………空を飛んでた。どんどん地上が遠ざかっていってて、まるで重力が逆さまになったみたいに。空を飛んでるっていうよりも、地上から空に落ちていくような」
そう言うとユーテルの表情はみるみる険しくなっていく。
「テンペスト君、それはね。『夢』だよ」
「……夢?」
あれが夢なはずがない。
俺は確かに、この目で遥か先までを見て、この肌で空気の冷たさを感じて、この耳で吹き荒ぶ風を聞いた。呼吸だってままならないくらい苦しくなったのに……。
「いや、だって見たんじゃないのか! 俺が空に飛んでく瞬間をさ、ユーテルは!」
「キミはね、突然地面に倒れこんだかと思えばその場で訳も分からずジタバタしてたんだよ」
「え……」
ユーテルのその言葉に絶句する。本当に俺は、夢を見ていた? いや、そんなはずはない。でも、どうして——
「この人の魔法はね、人に『夢を見せる』ものなんだよ。ね、そうでしょ」
ユーテルは鋭い眼差しで女性に視線を送る。女性の表情は不気味なほどさっきから全く変わる気配もなく、ただただ冷たいまま、ユーテルの質問に答える。
「現実と区別のつかない夢、素敵でしょ?」
「素敵なもんか! いきなりボクの相棒にそんな危険な魔法を使うだなんて、どうかしてるよ」
「どうかしてるもなにも、そもそもアナタがその力を徒に行使して町を滅茶苦茶にしてくれたんでしょ。あんな強い風、もう少しで町の人達にもけが人を大勢出していたかもしれないのよ」
空気はより険悪な雰囲気に包まれていく。
お互いがお互いを軽蔑した目で睨みあっていて、俺が今この瞬間声をかけることすら憚られる。
少しずつ、風が強くなるのを感じる。緊張の糸が途切れないから、五感が敏感になっている、とかではない。明確に風が強くなり、晴れていた太陽に雲が陰り始める。
まずい。
明確に、ユーテルが力を使おうとしているのが俺でもわかった。
「あの!」
そんな空気を切り裂くように、少女の、サリエスちゃんの声が響く。
「ごめんなさいお母さん! この人たち、私を助けようとしてくれて、それで、あの……!」
お母さんと呼びかける女性の足元から離れ、サリエスちゃんは女性とユーテルの間を割って立つ。
「サリエス……」
女性はサリエスちゃんを前に先ほどの険しい顔つきはどこ吹く風か、厳しめの影を潜めてはいるが優しい母親の顔つきになった。その天と地との差もある表情の変化に腰を抜かしそうになる。
サリエスちゃんは今にも泣きそうなのを必死に我慢しているような悶絶とも似た顔で女性の前に立つ。その姿にさすがに堪えたのか、女性は「はぁ~……」と長い溜息をつき、こちらへ顔を向ける。
「ユーテルさんと、テンペスト君といったね。話は聞いてあげる、ついておいで」
鋭い眼差しに変わりはないが、しかし攻撃的ではなくなったようにも見えて胸をなでおろす。
「はあ~~~、怖かった~~~……」
ユーテルも安堵したのか脱力してへなへなになってしまっている。
とりあえず俺とユーテルは女性に連れられて、彼女の家に向かうことになった。