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花の町②



 どれくらいの時間だったかはわからない。


 長くはなかった……と思う。


 少女を庇う事に必死で、自分も顔を伏せて、風に飛ばされないように踏ん張っていたから森の様子を見ている暇はなかった。


 気付けば風は弱まり、太陽が空から顔を出し、天気は元に戻っていた。


「大丈夫? どこか怪我してない?」


 腕の中でうずくまる少女に声をかけると、僅かに頷いて返事が返ってくる。

 まだ震えが止まっていない様子だ。


 さっきの獣はきっとユーテルがなんとかしたんだろうと察して森を見つめる。


 整っていた木々は折れた枝がそこかしこに散乱し、美しく咲いていた花は跡形もなく散って花弁があちこちに落ちている。

 先ほどまで絵本の中のように見えていた森は、たったの数十秒間――いやもっと短い時間で――見る影もないほど荒れてしまっている。


 甘い花の香りはどこへやら、今はただひたすら埃と泥と潰れた樹木の匂いが鼻につく。


 惨状……というほどではないにしろ、綺麗だなと思っていた風景がここまで変わるとさすがに言葉にならない。

 

「ユーテル!」


 少女を抱えたままその場で森の中に声をかけた。

 陽が差しはじめ、明るくなった森の中で白髪が眩しく反射しているユーテルが目に映る。


「やあやあ、大丈夫だった?」


 森から出てきたユーテルは先ほどとなんら変わらずその姿を見せる。

 とはいえ、服のあちこちに泥だったり葉っぱの切れ端だったりが付着してはするが、その程度だ。


「大丈夫なもんかよ! それで、さっきの獣は?」


「遠くに飛ばしたからもう大丈夫だと思うよ」


 飛ばした、ということはさっきの暴風で吹き飛ばした、ということなんだろうか。めちゃくちゃでかい獣だったと思うのだが……。


「とりあえずこの子を町に連れて行こう」


 ユーテルに少女の姿を見せる。さっきよりは落ち着きを取り戻したのか、恐る恐る少女は顔を上げてユーテルを見つめた。


「怖くないよ~! さっきのおっきい獣はもういないから!」


 ユーテルはしゃがんで少女の目線まで腰を下ろし、砂ぼこりの付いた頭を優しく撫でる。少女は少し安心したのか表情が柔らかくなったようだ。


 7歳くらいの女の子だろうか、よくぞあの巨大な獣から走って逃げれたものだ。

 もし俺とユーテルが遭遇していなかったら……と思うと背筋が凍る。


「……ありがとう……」


 弱々しい震え交じりの少女の小さな声。

 しかしやっとまともに聞くことのできた少女の声に安堵もする。


 力が抜けてしまっている少女を支えるように背中に担いで町へ行くことにする。

 どうやら脚を怪我してしまったようだし、怪我も診てもらわなくちゃならない。ぱっと見た感じ擦り傷程度ではあるが用心に越したことはないだろう。


 ここからでもはっきりと色が分かれて綺麗に見えていた『花の町』は、今はまばらに花畑が見えるのみで先ほどのユーテルの風で相当な数が吹き飛ばされてしまったことを窺わせる。


「風の力かなり強くなかったか? 随分森が大変なことになってたようだけど」


 おんぶ状態の少女の顔を覗くように歩みを同じくするユーテルに皮肉交じりに声をかけた。


「んーそうかな? でもあれくらいしなきゃあのでっかいの追い払えなかったんだよ」


「もっとこう町に気を遣うとか……」


 町を指さしてユーテルに訴えるが「まっ、大丈夫大丈夫」と言ってまともに取り合ってくれる様子はなさそうだ。

 ただ事実として、俺とこの少女はユーテルがいなければ間違いなくあの獣の餌食になっていただろう。

 図体だけでもかなりの大きさだったし、ユーテルが風を操る力で吹っ飛ばしたんだろしたら、相当の強風が必要だろうし、まあ仕方ない……か? そう文句ばかりも言ってはいられないだろう。

 

 少ししてすぐに町にたどり着いた。町の入り口には花で彩られていたであろう丸みを帯びた門があって、訪問者を暖かく迎えてくれそうな雰囲気がある。


 門を抜けると奥の小高い丘の花畑が目に入る。きっと花の色でなんらかの文字か絵を表していたのであろうが、今はすっかりその形を見ることができず、ところどころ花が咲いているだけでほとんどが散ってしまっている。


 町の両脇には花を催した家々が立ち並び、多くが花屋……? のようで店によって売っている花の種類や色が違っているみたいだ。商店街……というには花屋ばかりである。


 ただ、みんな何やら慌ただしく多くの人が聞いたこともない花の名前やら専門用語を口々に話し何やら土? かなにかが入った大きな袋とか花を持って丘の方に運んでいく。


 ユーテルが(少女を助けるためやむを得ず)花畑を滅茶苦茶にしてしまったので、町の人が焦っているのに間違いないだろう。


「なんか慌ただしいね~」


 そんな町の様子を見てユーテルはまるで他人事かのように言い放つ。「なにその顔」とユーテルから遠い目で見られるが「なんでも……」と返す。


 商店街を進んでいると、ふと店主と思しき中年の女性がこっちに手を振っているのが目に入った。ユーテルがすぐに反応して「あ! こんにちは!」と元気よく手を振り返している。


「ユーちゃんじゃない! 久しぶりね~」


 小太りでエプロンをしたおばさんが小走りで駆け寄ってくるユーテルに親しげに話しかけ、ユーテルも笑顔で返す。

 

「やっほーおばさん! 元気だった?」


「おばさんはやめてってば! まあアタシは元気だけどちょうど今町が大変でね~」


「あー、みんな大変そうだね。なにかあったの?」


「ついさっき急に天気が荒れてねぇ、すっごい風が吹いて丘の花がみんな飛んでっちゃったのさ。かと思ったらもうこんなにいい天気。やっぱりまだ天気も戻ってないのかもね~」


 おばさんが困り顔で丘を見上げて話すとユーテルが「やべえ!!!」と言わんばかりの険しい表情になり、こちらへザザっと距離を詰めておばさんには聞こえないよう小声で、しかし勢いよく聞いてきた。


「もしかしてボクの所為!?」


「今更!?」


 さすがにユーテルも事の大きさに気付いたらしく、出会ってから初めて見る焦りの表情に失笑する。


「あらその子、サリエスちゃんじゃない。町の外で会ったの?」


 俺が背中に背負っている少女に気付いたおばさんが少し不審げに俺の顔と少女とを交互に見て聞いてきた。


「そう! 脚怪我しちゃっててさ、今この子の家探してるんだけどどこにあるか知らない? あ、この男の子はボクの友達だから心配いらないよ」


 ユーテルはおばさんに振り向く時には焦りの色も綺麗になくしてうまく話してくれた。おかげでここに初めて来るよそ者のもが不審がられずに済んだかもしれない。


「こんにちは」


 軽く会釈するとおばさんの表情はぱっと明るくなって笑顔で返してくれる。

 

「サリエスちゃんの家ならあの丘に登ってく途中にあるよ。でも、気を付けてね」


 おばさんから親切に教えてもらい、ユーテルはお礼に店の花をいくつか買うことにして商店街を後にする。


 商店街を抜けると広々とした広場に出た。中央には花壇があって、俺とそう背丈の変わらないくらいの高さの木が大きな一輪の花をつけており、その周りを森の中で見たような小さな花が咲いている。

 広場は円形になっていて、この花壇を中心に建物がぐるりと囲んでいる。ここもどうやら店のようだが先ほどの商店街と違って花屋ではなく、日用品や雑貨などが売っているようだ。

 

 店は俺の故郷の町にも色々とあったが、雪国というのもあって作物が育たず食料品はどれもこれも非常に高価だった。しかしここではどうだろう、なかなか手の届かない野菜でも店先にたくさん売られていて多くの人達で賑わっている。非常に新鮮な光景だ。


 俺が背負っている少女……サリエスちゃんはいつの間にかすやすやと寝息を立てていた。あんなことがった後で疲れていたのと、無事に町にたどり着けて安心したのだろう。


「とりあえずこの子のお(うち)に行こうか。買い物はそのあとにしよう」


 店先に並べられている様々な品物を眺めているうちにユーテルに声をかけられる。両腕はサリエスちゃんを背負っていて塞がっているし、ユーテルもおばさんの店で買った花束を抱えているので今は何か買うというのは厳しいだろう。

 

 個人的には色々と店を見て回りたかったが……。


 とりあえずサリエスちゃんの家へ急ぐ。

 丘へ登っていく途中にあると聞いても詳しい場所がわからない不安があったが、いざ丘の麓までくるとおばさんの言葉通り、丘へ登る途中にぽつんと一つだけ家が建っている。


「丘全体が花畑になってるけど、麓のここらへんもお花がほぼ全滅だね……。さすがにやりすぎたかな……」


 丘を登りながら、ユーテルが懺悔をぶつぶつと告げている。あたりは花弁があちこちに落ちていて、ボロボロの花も多く花畑の面影がなくなってしまっている。


「俺んちの窓ガラスぶち破って入ってきたときといい、かなり大雑把だよな」


「そ、そんなことないよ! ていうか君も大概失礼だからね!!」


「人んちぶっ壊して誘拐したくせによく言うよ! 花畑もこんなにしてるしな!」


「仕方なかったからね! それに過ぎた事だしもういいじゃん!」


 こいつ……一向に自分の非を認めようとはしないんだな。

 この子も俺もユーテルがいなければ獣にやられていたのは事実だが、それはそれ。器物損壊と不法侵入に誘拐。罪状を重ねようと思えばいくらでも重ねられることをしでかしているのだ。

 

「……ううん?」


 俺とユーテルがそんな言い合いをしていると、背負っていたサリエスちゃんが目を覚ましたようだ。いや、起こしてしまったの間違いだろう。


「あ、サリエスちゃんもうすぐお家着くよ。誰か家の人、いるかな?」


 ユーテルは気付くとすぐにサリエスちゃんに駆け寄って優しく声をかける。


「あなた達」


 と、ふと丘の上側から話しかけられる。

 見上げるとそこには紫色の髪を後ろで束ねた女性が立っていた。


「あ、おかあさん!」


 背中のサリエスちゃんがその人の顔を見るなり元気よく声を上げた。


 なるほどこの女性はサリエスちゃんの母親か、と納得していると……どうやら表情は明るくならず、むしろ段々険しくなっているような――。


「その傷……うちの子に何かしたんですか!」


 途端、女性は声を荒げてこちらに早足で近づいてくる。


「えっと違います! 森で会って、その時に怪我をしちゃったみたいで!」


 なんとか弁明しようとするが女性はお構いなしにこちらへ歩みを進める。距離はだんだん縮まって止まってくれそうな雰囲気がない。


「あなたには聞いていません。ねえ、ユーテルさん!」


 女性はこちらではなく、横にいたユーテルに鋭い視線を向けている。


「え、え? なに、なんなの?」


 言い寄られているユーテルは非常に困った様子で上手く言葉を返せない。

 女性はユーテルに今にもぶつかりそうな勢いで来ている。


「ちょっと待ってください! 一旦話を聞いてください!」

 

 このままではさすがにまずいと思い間に割って道を塞ぐ。

 女性の形相はかなり怒っていて、相対したくない。というか今すぐ逃げたい! 母さんにもこんな顔してよく叱られていた記憶が蘇ってきそうだ!


「……そこをどいてください。私はユーテルさんとお話がありますから」


「なら俺の話も聞いてもらわないと困ります。いいですか、森の中でこの子がどんな目に遭っていたか――」


 と話を続けていた途端。


 スッと、視界が切り替わる。


 方向感覚も、平衡感覚も、音の聞こえる方向も、向いている方向も、何もかもがあべこべになっている。


 地についていたはずの両足は空を見上げ、

 

 見上げていたはずの丘は遥か下に、


 背中にいた少女の姿はなく、


 身体の芯に入っていたものが口から全部出そうになるような。


「え――」


 なんだ、何が起こった!?


 状況が全く理解できない!

 

 瞬間、グンっと全身が沈み込む。


 いやこれは……!


「空!!?」


 丘が、町が、森が、遠くの山が遥か遠くに目に映る。


 ついさっき地面にいたのにも関わらず、ありえない景色が今、目の前に広がっている!?


 俺は今、空から落ちているのか……!?



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