花の町➀
目の前に立ちはだかる5~6メートルはあろうかという巨大な獣が視界を遮らんばかりに両脚を広げ、怒号を上げてこちらに向かってくる。
……大丈夫。ボクならできる。
緊張と興奮で高まる鼓動に言い聞かせるように、深呼吸しながら心の中で呟く。
後ろにはテンペスト君と、このでっかい獣から追われていた女の子がいる。
コイツをどうにかしなくちゃ、二人はおろか、森を出てすぐの町の人たちだって危ない。
こんな日のために、ボクはこの力を磨いてきたんだから……!
全身に力を込めて、風を頭の中でイメージする。
イメージするといっても、漠然と、じゃない。
細かな一つ一つの風の流れを肌で、耳で、目で感じながら、受け取りながら、こういうふうに動いてね、と頭で念じてあげるのだ。
念じる力が強すぎると、葉っぱとか石とかじゃなくて、大きな枝とかものによってはそこそこの木そのものまで飛んできちゃうからそこは気を付けないといけない。
今はただ、周囲の風を引き込んで、引き込んで……!
コイツにぶち当てることだけを考える!
辺りの風が強くなる。ボクを中心に風が吹き込んでくる。森の中、外、空、全方向からボク目掛けて風が一緒くたに集まってくる。
目の前の獣は急に激しくなった風に動揺して、あたりをきょろきょろし始めてる。いいぞいいぞ、ボクへの集中が途切れた。
ならボクは風をもっと集めるために集中するだけ…!
目を瞑る。
こんなに大きい獣を吹っ飛ばすためには、まだまだ風を集めなきゃいけない。
もっと、もっと、もっと、もっと……。
あたりが暗くなるのを感じる。風の勢いはさらに増す。
雷の音が聞こえてくる。雨も降り始めて、すぐに辺り一面雨でいっぱいになる。
「そろそろかな……!」
呟いて目を見開く。
案の定、図体の割に動揺している目の前の獣は、視線に気付いたのかこちらへ顔を向ける。
うっわー! でっかい牙!
気持ち悪い顔! 毛むくじゃらめ!
心の中でいっぱいの罵詈雑言を浴びせてやってから、改めて深呼吸をする。
「きみ、悪いけど飛んでってもらうよ!」
大きく吹き荒れる風を抱き込めるように、体をちょっと丸めて全身に更に力を籠める。
風がボクの中に流れてくるのを感じる。
腕に、胸に、お腹に、脚に…。全身の隅々まで風を行き渡らせる。
「グオオオ……!!」
何かを察したのか、獣がこっちへ勢いをつけて突っ込んでくる!
前の両脚から伸びる鋭利な五本の爪が今まさに襲いかかろうとしてくる!
でも、ごめんね……!
「ちょっと遅いよ!」
全身の力を開放するように、籠めた風を解き放つように、丸まった身体を大きく広げて……!
「飛んでけ!!」
吹き荒れる雨と、枝やらなにやら、もうとにかくもみくちゃになった一つの大きな風の塊を獣に向かってぶつけてやる!
瞬間、ボクに向けて吹いていた風はすべて獣に突進していく。
その巨躯はいとも簡単に宙に浮かび上がり、あっという間に木々の隙間を抜けて、空高く吹きあがっていく!
雨も、草木も、花弁も、石やらなにやら一杯! 空高く!
降っていたはずの雨は空へ、やさしく吹いていた風は嵐に、地を駆る巨大な獣も一緒に…!
「ふう~! これで良し!」
獣が視界から消えるのを見届けてから、すぐに天気を元に戻す。
風を弱め、雲を広げ、太陽の光が地面を照らす。
ちょっとの間だけとはいえ、大雨が降ってきたし小さな石ころだったり枝だったりが自分目掛けて吹き込んできたおかげで自慢の髪の毛がぐしゃぐしゃになってしまっている。
「テンペスト君のところに戻るまでに直さないとな~」
ちょうど太陽の光も戻ってきたことだし、空のぽかぽかした風を舞い下ろしてきて頭に吹きかける。
それにしても疑問が残る。
さっきの獣、このあたりにも生息してるのは知っているが5~6メートルもある個体は見たことも聞いたこともない。
少なくとも、ボクがこの地方を初めて訪れたときにはそんな獣がいるなんて話は聞いたことがなかった。
なんとか調べないとな~、と考えて、すぐにピンとくる。
「テンペスト君への最初の課題、かな!」
乾いた髪に更に風を当てて整えて……っと。
後ろを振り返ると森を出た先の道でテンペスト君と少女が身を寄り添ってこちらの様子を伺っているのがなんとなく見えた。