天候を操る力➀
北方の国。
夏はその涼しさから大陸南部の国々の人たちが避暑地として訪れるバカンスの名所。
冬は美しいまでの白銀の雪景色へと姿を変え、多くの観光客が訪れる。
しかし、それも今や遠く過去のものと変わり果てた。
一年を通して続く厳しい寒さは作物の不作を招き、多くの人たちが飢えに倒れた。
年々強さを増す激しい吹雪は弱った人たちがか細く暮らす家々を吹き飛ばし、死に至らしめる。
かつて、人々に美しさをもたらしていたはずの白銀の空は、いつからか人々を苦しめるようになってしまった。
それもこれも、全て15年前の戦争のせいで……。
「これが君の知っている北方の国の現状だね。歴史の授業かなにかでもうやったよね」
ここは北方の国から海を渡った先にある東の大地。
緑豊かな山々の中にはところどころ花畑があり、独特の甘みある香りは生き物をリラックスさせる効果がある。
ユーテルから急に世界の天気を取り戻すために強制的に連れてこられた訳だが、いまだに釈然とせずこうしてユーテルの話を聞いている。
かっこつけかなんだか知らないが、先ほどユーテルは花弁をばーっと巻き上げてぱらぱらと降らせる凝った演出をして「一緒に旅をしてほしいんだ!」的なノリで手を伸ばしてきたわけだが、それが握手だとユーテルから教えてもらったのでその通りに握手し返したら「ちがう!握手じゃないよこれは!」と怒られた。訳がわからない。
「今この土地の天気はだいたい元通りになったところでね。ようは、世界中の天気を元に戻したいのさ」
今は9月。ほんのり暖かい風が肌に気持ちいい訳だが、これが本来の9月の気候なのであればとてもありがたい。
俺の故郷は時期に関係なく雪嵐が続ているので、外に出て暖かいと感じたのは本当に久しぶりだ。
「話は分かるけど、それと俺がどう関係あるんだ? 母さん達にもなんにも言わず連れてきてたよな」
「君の名前だよ」
「俺の名前?」
「そ、テンペスト君。君はね、ボクと同じくこれから天気を操る力が目覚める運命にあるのさ」
ユーテルは俺の方を指さしてそんなことを言い放つ。
言ってる言葉の意味がまるでおとぎ話の絵本の中のことのようで、ふふっと笑ってしまう。
「だからこそ、ボクと一緒に旅をして、世界の天気を元に戻しながら君本来の力を目覚めさせなくちゃならないんだ」
「ははは、冗談はよしてくれ、そんな力俺が持ってるわけない」
そういって笑いながらユーテルを見る。
天候を操る力なんて、おとぎ話の中だけの話だと思っていた。
事実として、ユーテルにはその力が宿っているのだろう。
しかしその力が俺にもあると言い出すなんて、いくらなんでも話が飛躍しすぎだ。
ユーテルの白い前髪の隙間から見える青い瞳が真っすぐにこちらを見据えている。
口元は笑っているがその両目に笑みはないように見える。
「テンペスト君、君はさっきこの土地の景色を見て、どう思った?」
「この景色を見て……?」
そう聞かれ、ここで目を覚ました時のことを思い出す。
初めて見る樹木と小鳥。色とりどりの花畑。どれもこれも今まで15年生きてきて見たことがない、そう……絵本の中でしか見たことのない景色だと、そう思った。
「君はきっとこの景色を見て驚いたはずだ。絵本の中みたい! とか思ったんじゃないかな」
「…………まあ、そうだけど……」
心の中を見透かされたかのようにユーテルに図星を突かれる。
「目の前で天気を操っても見せたね。これはね、ボクが旅の末に身に付けた力なんだよ」
ユーテルのその発言は一見すれば信憑性のない事かもしれない。
しかし、たった今見せつけられた風を操る力は何よりもこれを裏付けているし、それに……。
ユーテルの青い瞳が真っ直ぐにこちらを見据えてくる。
数秒の間、それだけの時間。であるのにも関わらずこの瞳に見られていると妙に長く感じる。
不気味なほど瞬きのしないユーテルに恐怖に似た何かを感じずにはいられない。
「……それで、俺はどうしたらいいんだよ」
いつまでも見られていることに少し怖くなって、思わず承諾するような返事をする。
こちらが目を背ければそれで良いのだが、あの青い瞳に見られている、というだけで鳥肌が立ちそうになる。
「さっきも言ったけど、ボクと一緒に旅をしてくれればいいよ。そうすればいずれ君の中にある力が目覚めるはずだから」
ユーテルは先ほど渡そうとしてきた『パン』を再度俺の前に差し出してきて「さ、これ食べたら町にいくよ」と食べるように催促される。
見たことのない食べ物だが、ユーテルが食べていたから毒物ではないだろうし、現に空腹感を覚えているのだしここは貰うことにする。
ユーテルから受け取った『パン』らしきものを食べて食事を済ますとしばらく歩くことになった。森を抜けた先にある『花の町』を目指すという。
いつぶりかに見る晴天の下、燦々と照らす太陽の光が緑茂る樹木を美しく彩る。
森の中とはいえ普段からここは人が往来しているのであろう、生い茂る草々の中を道を通すように地面が顔を出し、町へのルートになっているようだ。
木々の隙間から漏れ差す陽の光はまるで光の線のように地上に刺さっていて、初めて見るこの現象がなんだか不思議で、でもなんだかそれが当然のように思える。
時折少しだけ強く吹き抜けていく風が心地よく、じんわりと暑さも感じほんのりと背中が汗ばんていることに気が付いた。
暑くて汗が出るなんて、一体どれくらいぶりなのかと勝手に感動する。
小鳥の囀りと草木を揺らす風が運んでくるほのかな甘い香りはどこまでいっても心を和らげてくれる。
ユーテルに付いていくのはどうしても躊躇してしまうところだが、今のこの環境はとても良い。初めて見て、聞いて、感じているから余計そうなんだろう。
「テンペスト君は花とかまともに見たことないんだったよね。町に着いたらきっと驚くよ!」
周りを興味津々にきょろきょろと見渡していると、数歩先を歩くユーテルが微笑みながらこっちを振り向いた。
「へえ~、そんなに花あるの?」
「そ! 花の町っていうくらいだからね、それはもう一杯咲いてるよ!」
随分上機嫌そうなユーテルはそのうちルンルン、と鼻歌交じりに歩いている。
花は今までほとんど見たことがなかった。
まともに見たのはさっき目が覚めてからが初めてで、今も森のあちこちに色んな花が咲いている。風が運ぶ甘い香りもきっとこの花たちからなんだろう。
すると、風が運んできていた甘い香りが次第に強くなっていることに気付く。
甘いだけでなく、果実のような、とても透き通ったような香りといえばいいのか。心地よい香りではあるが、初めて感じる香りに戸惑う。
きっと町が近いのであろう、先ほどまで鬱蒼と茂っていた道の周りの草花は整地され、道の両脇には丸い石が並べられていてこの先に目的地があることを感じ取らせた。
森を抜けてすぐ、あまりの太陽の光が眩しくて視線を覆う。先ほどまで涼しかった森の中と打って変わって熱い光が素肌を激しく刺激し、額から汗が流れていくのを感じる。
道が続く先に町があるのが見える。ここからでもはっきりとわかるくらい白や黄色や赤とくっきりと色が分かれていて、それに沿って建物が建てられているようだった。
「この町も5年くらい前までずっと雨が降り続けていて洪水とかがひどかったんだけどね、ボクの力で元に戻った、って感じさ」
だんだんと近付いてくる町を眺めているとユーテルが自慢げに声をかけてきた。
ボクの力で、という言葉でふと思い出す。そういえばさっき、ユーテルが俺の名前がどうも力と関係があるような言い方をしていた。
「そうえばさ」
「ん?」
「俺の名前が関係あるみたいな言い方してたけど、それってどういうことなんだ?」
「ん、直感」
ユーテルが即答する。あまりにも時間を置かない即答だったために虚を突かれるようにこちらも反応が遅れて「直感!?」と聞き返す。
「ははは、ウソウソ! 魔法ってわかる?」
こちらの驚く反応を楽しむようにユーテルが意地悪な笑い方をする。
それはそうと、マホウ……か。
そうえば、俺を連れて行こうとしてきたときも、ユーテルはマホウという言葉を口にしていた。
そんな言葉は聞いたことがないので首を横に振ってユーテルに返事をする。
「正直なところ説明が面倒だからすっごく省くんだけど、魔法を使って君を見つけたんだよ」
「……全くわからんが」
「今はそれでいいよ。それに、ボクが今口で説明して理解できるような事じゃないんだよね。旅を通して君自身でわかっていってほしいんだ」
釈然としない回答に不完全燃焼感が拭えないが、まあ実際マホウがなんなのかを説明されたところでさっぱり理解できそうにないのはなんとなく予想がつく。というよりも――
「もしかして、何かを説明するの……下手?」
「そんなことないよ!」
これまた即答で返事をしてきたが、ユーテル自身にも心当たりがあるような気がする。
ユーテルがこれまで俺に教えてくれたいくつかの事柄だが、何かを聞いてもなんだかんだいって芯まで教えてくれないというか、はぐらかされているというか、そんな気がしてもしかして単純に人に何かを教えるのが苦手なんじゃなかろうか。
「じゃあちゃんと教えてほしいんだけど……」
「時間はたっぷりあるから! 旅を通してゆっくり知っていけばいいんだよ!」
とかそんなこといってユーテルは無理やり話を終わらせると、ぷんぷんとわかりやすく怒って足早に歩み始める。
旅を通してゆっくりって……俺をどれだけの期間連れまわすつもりなのかわかったものではない。
それに、故郷に帰らなくちゃいけないし、無理やり連れてこられたというのが正しいのだから早めに帰らせてもらわなければ困る。
ため息をついて少し離れたユーテルの後を追って足を踏み出そうとしたその時、背後の林の中からガサゴソ慌ただしい音が聞こえてきた。
後ろを振り向くと森の中、道ではない草花の林の中をこちらへ向かって走ってくる人の姿が見えた。
その人物はかなり焦っている様子で「ぎゃ~!」と甲高い叫び声をあげながらこっちへ向かってきているようだった。