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目覚め



 透き通るような風が肌を撫でる。

 

 枝葉の揺れる音、小鳥の囀り、花の甘い香りが五感をやさしく刺激する。


 さんさんと降る雪はなく、白い息も出ず、凍てつくような厳しい寒さが、ここにはない。 


 目を覚ますとそこは絵本の世界でしか見たことのないような、緑豊かな森が広がっていた。

 ちょうど俺が寝ているところに陽の光がさして柔らかな温かみを感じる。


「どこだ……ここ……」


 俺は夢でも見ているのか、自分の姿をまじまじと眺めてみる。

 なんともない、普通の状態だ。

 どう考えたって異常事態。だけれども、それに真っ向から反対して身体は隅々までリラックスしているのがわかる。


 でも、どうしてこんなところに? 一体俺は今まで何をしていたんだっけ……。


「おや、起きたのかい?」


 急に声を掛けられ本気でびくっと肩を揺らす。声のほうへ目を向けると、そこには少女が立っていた。


 息をのむほど美しい白銀の髪をなびかせ、前髪の隙間から覗かせる吸い込まれるような深く青い瞳に俺は一瞬、目を奪われた。


「っ……。あなたは、誰ですか……?」


「そっか、あの時はドタバタしてたからまだ名乗ってなかったね」


 少女はそう言って右手をこちらへ差し出してきた。

 歳は俺よりもいくらか上な印象をその姿から受ける。


「ボクの名前はユーテル、よろしくね」


 彼女のその行動の意図が理解できず、なんとなく差し出された右手を凝視する。

 ……綺麗な手だなーと思う。爪もみんな晴れた空の日みたいな色をしていてとても良い色合いだ。


「あー、北方は握手の文化がないんだっけ」


 ユーテルがなにかつぶやいたかと思った途端、グイっと右手を引っ張られ、「はい握手!」とユピールの右手と俺の右手を互いに握らせた。

 行為の意図はよくわからなかったが、柔らかな手を掴んだ瞬間心臓がバクッ! と動いて気が動転する。なんだったんだ今のは……。


「あははは、面白い反応だね。これは握手っていう世界中で使われている挨拶の仕方だよ。ちゃんと覚えておいてね」


 ユーテルはそんな俺を他所にクスっと笑う。

 その一つ一つの動きが鮮明に視界に刻まれる。


 ……どうして、こんなにも鼓動がうるさいのだろう。


 ……そんな時ふと思い出す。母さんとテオのこと、家のこと。

 意識を失って、目を覚ますととっても暖かなところにいて、目の前には息をのむほど目を奪われる少女がいて…………。


 ということは、目の前にいるこの人は俺をあの時連れて行った人……!?

 

 その思考が過った瞬間、半分朧気だった意識はすぐに覚醒し身体を無理やり起き上がらせる。

 付近に武器になりそうなものは落ちていない。が、とりあえず身を守るような姿勢でユーテルと相対する。


「俺をどうするつもりなんだ」


 困惑した思想を一旦まとめて、ユーテルに威嚇を込めて問う。

 つい先ほどまでクスクスと笑顔を見せていたユーテルの表情は、俺の声を聞いてすぐに元に戻る。


「家族のことなら心配しないで。これからゆっくりと説明するから」


 ユーテルはそう言ってどこから取り出したのか木の籠を地面に置いた。


「まずはご飯、食べてからね。お腹が空いてちゃ力も出ないよ」


 籠の中からは見たことがない茶色いボソッとした四角い何かを取り出して、そいつの表面にワインのような濃い赤色のドロドロとした液体を塗りたくってユーテルは俺に渡してきた。


「…………毒?」


「そんな訳ないじゃん!パンだよ、パン! これはイチゴジャム!」


「パン? イチゴ? なにそれ……食べれるの?」


 聞いたこともない食べ物を俺に渡してきたユーテルに疑いの眼差しを向ける。

 だって目の前にいるこの人は、突然うちに来て窓ガラスを叩き割り、俺を気絶させ、母さんとテオを傷つけたかもしれない人なんだ。少しも油断してなるものか。


「さすがにパンとイチゴジャムは世界広しといえどもどこにでもあると思ってたけど、今の北方にはそれもないのかな? う~ん、思った以上にやばいんだねぇ」


 ユーテルは一人でごにょごにょ訳の分からないことを言って悩んでいる。きっと俺がその毒物をすっと食べてくれないことに焦っているに違いない。


「とりあえずその変な毒物はいいからさ、俺を家に帰してよ。普通にこれ拉致じゃないの」


 何が何だかよくわからない状況だが、とにかくこのユーテルから逃げなければいけない。

 ここがどこだか見当はつかないが、たぶん俺が住んでいた北方の国ではないんだろう。

 なら、どうにかして戻る手段を考えないと……。


「拉致、ね。確かに君から見たらボクは不審者なんだろうけど、今は帰ることはできないよ」


 ユーテルは今までのお茶らけた雰囲気から一転して頑とした態度で俺に向き返す。

 急な態度の変化に戸惑うが、こちらも負けじと意見をぶつける。


「理由もまともに説明せず連れてきて、戻るのもダメってどういうつもりなんだよ!」


「君が目を覚ましてからゆっくりと説明しようと思っていたからね。まったく事情も説明せず連れてきてしまったのは本当にごめんよ。でもこうでもしないとあの国から連れてくるのは難しかったんだ」


 ユーテルは申し訳なさそうな表情をして、こっちに渡そうと置いていたパン(らしきもの)を自分で食べていた。俺が手を付ける素振りもなかったため、自分で食べることにしたのだろう。


「……なんで俺の名前、知ってるんだ」


 ずっと気になっていたことを問う。

 あの時、ユーテルはなぜか俺の本名を知っていた。

 急に家に不法侵入して、どこの誰かもわからない人物から本名を呼ばれる。今までの人生でこんな経験はなかった。

 俺の国ではそれが当たり前だ。家族以外で誰かを本名で呼ぶような事はよっぽどの事情がない限りしない。いや、してはならない。本来忌避されるようなものだ。


 ……どうして本名を呼んではいけないのかは誰にも聞いたことがないし、教えてもらったこともないから今改めてそのことに考えを巡らせると、なんともいえないが。


 ユーテルはこの問いにすぐに返事をせず、少し俯いてなにかを考えた後に口を開いた。


「この事はまだ話さないでおくよ。ごめんね」


 また申し訳なさそうな、どこか悲しげな表情を見せるユーテル。

 何も教えてくれないことに、さすがに苛立ちが募る。


「とりあえずなんで君を連れてきたか、だけどさ」


 俺の苛立ちを察したのか、ユーテルは早々と話し始めた。


「今の世の中、めちゃくちゃな天気だと思わない?」


 ユーテルは空を指さして俺に聞く。


「天気……?」


 指を指された空をそのまま見上げる。


 ただの青空だ。雲ひとつなく、暖かく穏やかな空。どこもおかしいところはないように見える。


「ここはね、君の北方の国から東の方向へ向かってそのまま海を渡ってきた国なんだけどさ」


 頭の中で地図を思い描く。


 俺の国は大陸でも北に位置し、単純に『北方の国』と呼ばれている。

 東の方へ海を渡って、ということは東の大海を跨いでいることになる。


「昔はボクたちが今いるこの場所も、君の故郷の国も季節はほとんど変わっていなかった。でも、君のところは真冬の天気で、逆にこっちはぽかぽか暖かい天気。おかしいんだよ」


 確かに、昔は俺の国も今の時期は夏だったと聞く。一年中雪が降るようになったのは、15年前の戦争が終結してかららしいが……。


「ボクはね、このおかしな天気を元に戻すために旅をしているんだ」


「天気を……戻す?」


 俺の問いに対して、ユーテルはニコリと笑みを見せて片手を空へ広げる。

 すると、みるみるうちに頭上の空に花弁が集まり、あたりはすぐに甘い香りに包まれた。

 集まった花弁は群れを成すように右へ左へ空を舞い、まるで一つの大きな生き物のように錯覚させられる。


 目の前の信じられない光景に目を奪われる。


「これは…一体……!?」


「ボクはね、こうやって風を操ったり、ちょっと天気をコントロールできるんだ! すごいでしょ!」


 ユーテルは自慢げに両腕を振ると、花弁の群れもその通りに空中を舞っている。

 花弁は柔らかく吹き上がり、暖かな風があたりを覆い、甘い香りが優しく体を包んでくれているようだ。


「天気を操れるの!? それって、昔いたっていう……あの!?」


 天気を操れる人なんていえば、15年前の戦争で亡くなったまさにその人としか思えない。

 母さんが話していた、天気を操る女神さまのことじゃないのか。


 ユーテルは両腕を大きく広げ風を舞い上がらせ花弁を動かしてみせる。まるで劇団の指揮者みたいで、俺よりも年上に見えるその姿からはあまり連想しにくいはしゃぎ様だ。


「改めて、ボクの自己紹介! するね!」


 風が少し弱まる。空高く舞い上がった花弁の群れは、風が弱まったことでひらひらと地面に舞い降りてきた。

 その景色はまるで降り積もる雪のように、しかし色とりどり鮮やかな花弁たちがあたりを美しく装飾する。


「ボクは、”風車”のユーテル」


 涼しくもあり、暖かくもあるとても心地の良い風があたりを吹き抜ける。

 舞い散る花弁は羽毛のように静かに地面を撫で、足元の高さほどの緑の草原は一面まるで花畑のように彩られる。


「ボクと一緒に、世界を取り戻す旅をしてほしいんだ!」


 花弁は気付けば全て舞い落ち、視界が晴れる。

 風になびく彼女の白銀の髪は日の光を反射して、少し眩しい。

 こちらへ伸びる腕は白く、細く、どこか和らげで。

 真っすぐにこちらを見据えるその瞳の青さはどこまでも深く、しかし青空のように広く、優しく……。


 

 差し出された手を、気付けば俺は自分の意志で掴んでいた。



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