プロローグ②
真っ白な雪景色の中にさらに色を重ねるような呼吸をする。
ちょうど膝あたりまで降り積もる雪を掻き分けるように歩みを進める。
少しく吹く風が首元に入り込み、ぞわっと身震いする。
そのたびに足を止め、両手で口元を覆ってちょっとの暖を取る。
「ひどい雪だな……」
足元に突き刺したスコップが思いのほか深く刺さってしまい、持ち手の部分だけが雪の表面から顔を出している。
家の周りを雪かきしようと外に出た。ある程度までスコップで雪かきしたまではいい。
どうして戻ってきたらもう玄関の前にこんなにも雪が積もってるのか、今までの自分の苦労は何だったのかと呆れてしまう。
明日は15歳の誕生日だというのに、つくづく自分は運がない。だって、今は9月だ。
昔は9月はまだ夏だったらしい。というか一年中こうやって雪が降る季節が続いている。
なんでも俺が生まれる前に起きた戦争のせいで、世界中の天候がおかしくなったとか、そんな事を授業で習った。
疲れと眼前の雪にうなだれていると、背後の家の窓ががらりと開く音がした。
「おーいテント、さぼってねえで早くその雪どかしてくれよ!」
家の中から女性の声が飛んでくる。姉のテオだ。
暖かい家の中でぬくぬくしてるくせによくもそんな事を言えるな!
「だってすごい雪なんだよ! ちょっとは手伝ってくれよ!」
家の方を見ると二階の窓から酒瓶を片手にこちらを見下ろすテオの姿が見えた。
「なーに言ってんだ、今日の当番はお前だろ? 当番のお前がしっかりやってるか姉としてしっかり見張ってやってんだよ」
そう言ってテオは酒瓶をぐびっと飲んでいる。まさかのラッパ飲み……品性のかけらもない!
「こんな真昼間からなに酒飲んでんだよ! 後で母さんに言いつけとくからな!」
「いいんだよこれは、お前の誕生日の前祝だからな、エヒヒヒ」
テオは更にもう一杯といわんばかりに豪快に酒を飲んでいる。酔ってる時のテオは決まってこのちょっと気持ち悪い笑い方をするんだが、弟して恥ずかしいからやめてほしい。てか絶対後で母さんに言いつけてやるからな。
テオはここらでも有名な女番長として恐れられている。学生時代の武勇伝は、クラスの運動神経抜群な男子とタイマンで喧嘩して圧倒して勝っただとか、友達と連つるんでチームを作って別の学校のチームと抗争しただとか、かなりドン引きするような話ばかりだ。そのうち組でも立てるのかと思ったくらいだ。
とはいえ学校を卒業してからはそういった暴力性も影を薄め、大学に入って随分と身なりに気を遣うようになったように思う。
ちなみに今日は大雪の影響で休校だったので、こうして昼間から酒を飲んでいる、という訳だ。いや、どういう訳なんだ。
「あれー、全然雪かきできてないじゃないのー?」
後ろから声が聞こえてきた。テオが「やべっ」とそろりと窓を閉めて顔を引っ込めていったのが見えて、声の主が誰だかすぐに察し振り向くと母さんがいた。ちょうどいま帰ってきたのだろう。
「この雪の量、どんだけ雪かきしても無理だよ、テオも全く手伝ってくれないし!」
「なんだってぇ…?」
そう母さんに訴えると、みるみる表情が曇っていき二階のテオのいる部屋を睨みつけた。
「おいテオ!! こんなに雪いっぱい降ってんのに、弟一人に片付けさせようとするなんて随分できた姉だことね!! さすが、女番長は偉いってわけ!?」
途端に母さんが大声で怒鳴り始めた。今すぐにでもこの場から離れないとこっちにまで飛び火しかねない。
と、すぐに二階の窓が開き焦った表情のテオが顔を出した。おや、酒瓶は持っていないようだ。
「いや、違うよ母さん! 今日はテントが雪はね当番だからちゃんとやるか見張ってたんだって! ていうか、その呼び方やめて!!」
「見張りぃ~~~? じゃあ降りてきて一緒にやったらいいじゃないか!」
テオの弁明は母さんには全く通じそうにない。へへ、雪かきを俺一人にやらせるからそうなるんだ。
ちなみにテオは女番長と呼ばれることが大学に入ってから嫌になったらしい。今更だけど。
「てかあんた……また酒飲んでんじゃないだろうね! 冷蔵庫に入れておいたお酒は明日のテントの誕生日祝いと、お父さんの分だったんだけど、ま・さ・か、飲んでないよね!!?」
酒瓶を手に持っていなかったからバレないと思っていたのかテオは鋭いその指摘にうぐっと明確に表情を濁らせた。さすが、母さんはこういう時勘がとても鋭い。
はぁ~~~と母さんが深くため息をつく。これこの後絶対説教あるなーと感じつつ、雪かきを再開する。
「あ、テント、雪かきもういいよ。こんだけ降られちゃまた積もるだけだし、もう疲れたろ? お菓子買ってきてるから食べよ」
つい先ほどとは一変して母さんが買い物袋を揺らして上機嫌にこちらへ笑いかける。
母さんも母さんで結構男勝りなところがあるので、姉はきっと母さんによく似たんだと弟ながら思う。
さてはて、そんな母の気まぐれにも感謝して雪かきも終え家の中に入る。
いや暖かすぎてもう全身が痒い。つくづくこんな環境でぬくぬくしてたテオがムカつく。
というわけで予想通りテオは母さんにしっかりと怒られましたとさ。ざまあみろ。
「いやー今年は寒いね~。こんな時期に雪も降るし、ほんとに困るよ」
部屋の真ん中の円柱の暖炉の前で母さんは上着を干しながらそんな事を呟く。
「昔は9月って夏だったんだよね? なんでこんな天気になったの?」
俺も自分の上着に乗っかった雪を払いながら母さんへ尋ねる。
「……授業では戦争でこうなったって、習ったんだろ?」
上着を干し終えた母さんの口調は何かを躊躇うような重さを感じ、違和感を覚える。
「まあね。でも、どんな戦争したらこんな無茶苦茶な天候になるのさ」
「そうだねー、テオはどんな風に習った?」
母さんはテーブルの上で反省の意を表し縮こまる女番長テオへ話を振る。なんだか随分と落ち込んでる様子だ。
「えっ? いや、わたしもテントと同じだよ」
急に話しかけられてびくっとするも、母さんの口調が怒っていなかったからか少し安堵したように答える。
「まあ結局は戦争のせいもあるんだけどね、『天候を操る女神さま』のことは聞いたことない?」
「『天候を操る女神さま』? 女神じゃなくて、そういうことができる人が昔いたって話なら歴史の授業で習ったよ」
女神さまなんて言い出す母さんに驚きつつも、学校で聞いた話をそのまま答える。テオも同様に頷く。
「そっか、そうだね。あんたたちは今そういうふうに習うんだもんね」
母さんはどこか寂し気であまり見せたことのない表情をみせた。今までもこの話はしたことがあったが、一体急にどうしたんだろうか。
「まあ、あたしら世代の人間にとっちゃ、その天候を操れる人は文字通り神様みたいなもんだったのさ」
母さんはそう言ってさっき買ってきたお菓子を皿に乗せて食卓に並べてくれた。
出てきたのはチョコレートがたっぷりかけられているクッキーだ。そう簡単に買える代物ではない。
「でも、戦争でその女神さまが亡くなっちゃってね。それからさ、おかしな天気が一年中続くようになったのは。こんなに変な天気が続くのは、『女神さまの呪い』だって、みんなが騒いでね」
学校の先生からは習ったことのない話を半信半疑で聞く。普段から冗談を言ったりする母親だが、こんな神妙な面持ちで話されたことなど今まで一度もなかった。
「呪い……? でも戦争が原因なんじゃ」
「まあ、たぶんそうなんだと思うよ。でもね、おかしいとは思わない?一年中寒い天気がずっとだよ? 一年間だけそういう天気が続くならまだしも、もうかれこれ15年間続いてるんだよ」
マグカップにココアを淹れてくれている母さんのその表情はどこか異様に……なんだか少し怖く感じた。こんな母さんの姿を見たのは、初めてで……。
「へえ~、明日がテントの誕生日だからって奮発してくれの? ありがたいね~」
話を割るようにテオがクッキーに手を伸ばそうとすると、次の瞬間にはパチィン! と勢いよく母さんによって弾かれていた。
「っ痛ぇー!」
「雪かきもしないやつが食べれる権利あると思うなよ~? お前は2個だけだ!」
先ほどまでの母さんが幻だったかのように、気付けばいつも通りの母さんが戻ってきている。なんだかほっとした気分だ。
「ていうかあんたさっき飲んでたお酒どうしたんだい! 部屋に隠してんじゃないだろうね!」
「ゲッ! いや、それはその…!」
言い訳がもはや苦しすぎてみてられないレベルのテオは随分と焦った様子で、これならさっきまでの酔いもすっかり醒めてくれたことだろうから今からでも雪かきに行ってきてほしいものだと思う。
そんな二人の(ほぼ一方的な)言い争いを他所に、目の前の美味しいクッキーと暖かいココアを頂く。う~ん、冷えた体に染み渡る。
「てかテント、明日から酒飲めるな! 一緒に酒飲もうぜ!」
母さんから怒られているところから話題を変えようとしたのか、テオがこっちへ話を振ってきた。
「んなこといって、あんなラッパ飲みしてた酒注がれたくないよ俺」
「ラッパ飲み~~~!? テオお前……ッ!!」
俺の一言で母さんは怒髪天といった具合でテオを睨みつける。テオはまたしてもうげっと表情を変えてあれこれ言い訳をし始めた。へへへ。
「ちゃんと新品の酒買ってあんだよウチだって! てかお前いちいちチクってんじゃねえよ!」
「うわ! 急に俺に怒ってくるな! 母さんどうにかしてよこいつ!」
しめしめと思ってたらテオがこっちに怒りをぶつけて蹴りをお見舞いしてきやがった。元々自分が悪い癖になんで俺がそんな理不尽なことされなくちゃならないんだよ!
ていうか、誕生日? だからなのかお酒買ってくれたんだなこの姉。
「テオお前ェ~…あんまりテントのこといじめんなら明日のケーキ無しだかんな? あ、勿論酒も飲まさんからな」
母さんにそういわれてテオはすぐに蹴りの矛を納める。全く痛くないが、そんなすぐに引っ込めるなら最初から蹴ってくんなっつうの。
そんな母さんとテオの会話を耳にクッキーを齧る。
そうか、俺も明日で酒が飲める。成人になれるわけか。
15歳になるまで結構長かったな、今年で学校も卒業か。
そう思うとなんだか感慨深い。一年中雪かきと寒さとの戦いだったが、晴れて暖を取るための酒を飲んでもいい年齢になるわけだ。
いや、別に前から姉に酒を飲まされていたとか、自分でもこっそり飲んでいたとか、そんなことはない。決して、ない。母上の前でそんなこと言える訳ない。
そうえば、さっき天候を操る女神さま? の話が途中だったが母さんはすっかりテオとのお菓子防衛線を実行するのに夢中で、たぶん本人もテオもそんな話をしてたことも忘れてそうな雰囲気だ。
まあ、今は美味いお菓子とココアがあるから別にいっか。