帳尻合わせの夢
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
禍福はあざなえる縄のごとし。
不幸と幸運は交互にやってくるものであって、いっときのそれらにこだわり過ぎてはならない……という教訓を示した語として、知られているね。
正直、達観した言葉だと思う。あまりに広く物事を見ているような気がするんだ。
不幸と幸運が交互に来るのが、すごろくのマス目を見るように理解している。それを当人たちは見ることができないから、今の状態が永遠に続くように感じ、そこへ心も全力投球した結果、妙な方向へねじ曲がってしまう。
かといって、先のことが見えてしまったら、それはそれで怠けたり暴れたりするだろうなあ……と想像してしまうのも人間。
言葉と、先の見えない将来の性質でもって、個々人は突き動かされていく。でも、踊らされるのはごめんだから、自分の意思で行っている実感も欲しい。
禍福をみずから、手繰り寄せることはできるのか……。
これに関して、古今東西に不思議な話が残っているけれど、僕自身も最近にちょっと妙な話を聞くことができてね。
耳に入れてみないかい?
むかしむかし。
あるところに住んでいた男の子が、はじめて蚊を殺した日の晩だったそうだ。
文字通り、虫も殺さないおとなしい子であったけれど、これから寝ようというときに耳元でぷんぷん飛ばれていたら、我慢も限界が来るだろう。
親の真似をして、ぱちんとやったその一打ちは、見事に蚊の身体をとらえた。
血が付き、身体であったものが散る。
親がこれまで何匹もつぶしているのを見ているから、衝撃を受けはしない。それでも、自らが手を下すとなると、また違う心持ちがしてきてしまうものだ。
手をしっかり洗ったものの、男の子がどこか悶々としたまま、布団代わりの藁の中でしきりに寝返りを打っていた。
気が付くと、男の子は自分が板敷きの広い空間に置かれていた。
家の近くにある道場が、一番それに近いつくりだったけれど、違うのが上座の天井近くに掲げられた神棚だ。
道場にはひとつのみだったけど、ここではみっつも同じ高さに並んでいる。
別々の神様をまつるとして、それらを一緒に三柱も並べるというのは、大丈夫なのだろうかと、男の子は思う。
招き猫も、右手をあげるものと左手をあげるものがあり、それぞれ求めるものが違った。
そしてこれらを二つとも並べると、かえってその双方を失うとも伝わっているんだ。
その手のものが三つ……仲たがいなど、しないのだろうか?
「……うぬが、今回のものか。ぞうきんがけ、はじめい」
しゃがれたその声は、父やそのほかの大人のものとも違う。
男の子はそうと意識しないうちに、さっと床の前へかがんでぞうきんがけの姿勢をとってしまった。
見ると、いつの間に持ったか、ぞうきんを握っていた。水の一滴も垂れず、かといって乾いてしまっているわけでもない。絶妙な絞り具合だった。
身体は引き続き、勝手に動く。
つつっと、板敷きの端から端へ。ぞうきんをかけたかと思うと、すぐに身をひるがえし、少しずれた板をまた両手で拭っていく。
自分はこの道場らしきところの、掃除をさせられているんだと、男の子は分かる。
しかし、考えることができても、身体のいうことはきかない。試しにぞうきんがけ以外のことをしようとしても、手足はまったくその指示を受け付けず、ひたすらに与えられたであろう仕事をこなすのみ。
男の子は、自分がさほど体力があるほうではないと、自覚していた。
この広い空間を半分もかけたのであれば、すでに息があがっているくらいなのに、いまはそれがない。
いや、他にもおかしい。
確かに自分の手に触れる、濡れたぞうきんの感覚はあるが、それだけなんだ。
見るに自分は素足だが、この板敷きの感触をつかめずにいた。
熱い、冷たい、臭い、心地よい……いずれもがない。無なんだ。
身体はまるで虚空に足をついているかのように、ただただ無機質な何かを踏み、先へと進んでいる。
その奇妙な心地から、男の子はここが夢の中でないかと思いあたったのだそうだ。
「ぞうきんがけ、おわりい」
男の子が隅から隅まで拭き終わったのを、見ていたかのような時機でもって、またあの声がかかる。
男の子がぞうきんを手に、立ち上がって姿勢をただした。これもまた、己の意に反してだ。
「神棚に礼!」
男の子は、三つ並んだ神棚へ向けて、深々と頭を下げる。やはり、自分の気持ちとは裏腹の、自動的なもの。
それから何拍かの間をおいて顔があがったとき、男の子は正面の神棚に変化を見る。
中央の神棚の前、左右を固める酒の入るべき小さな器の上を、蚊が飛び回っているんだ。
先ほど男の子がやっていた通り、右から左、左から右へ、器と器の間を行ったり来たりする。
ぞうきんがけし始めたときには、いなかったはずだ。あの間に紛れ込んできたのだろうか。
身体はやはり動かない。視線は神棚に固定されたまま、蚊の飛翔を静かに見守ることしかできなかった。
蚊はもはや数え切れないほどの往復をしていたものの、その動きを緩めないまま、ふっとその数を増やす。
はじめは確かに一匹だったはずだ。
それが間隔をあけての二匹目がいつの間にか現れ、一匹目に追従している。
見落としていたのか、と男の子が思ううちに、もう一匹、また一匹……。
合わせて六匹にまで増えた蚊は、しばらくはそれぞれに連なるようなかっこうで飛び回っていたものの、やがてだし抜けに、ぱっと彼らは散った。
三つの神棚。その酒を入れる器の中へ、一匹ずつが真っすぐ突っ込んでいったんだ。
中身は入っていないのか、それとも水はねがあるほど、蚊たちが大きくないからか。彼らはすぽっと入り込んだきり、音沙汰がないままだった。
男の子の身体は、それでもなお神棚をしばし見つめ続けて、これもまたふとした拍子に、寝入っていたわらの中で目を覚ましたそうなんだ。
しばらくは、立ち上がることさえできないほどの、疲労感に包まれてね。
それからも、男の子は生涯のうちで、たびたび例のぞうきんがけの夢を見たらしい。
それは決まって、何かしらの殺生をしてしまったときで、故意と過失を問わなかった。
命を失った生き物の、数や大きさが増すたび、かの空間の広さも、そこにまつられる神棚の数も増す。
そして延々とぞうきんがけを行い、礼を行った後でかの生き物たちが神棚の酒の器たちへ、飛び込んでいくのを見たんだ。
それが犬や猫、もっと大きいものであっても同じ。生前とは異なる、神棚相当の大きさでもって羽もなく飛び回り、やがては何匹にも分かれて隠れ、それっきり。
そして目覚めると、ひどく疲れ切った自分の体調をひしひしと感じた。
一連の流れは、男の子が生涯、抗うことのできなかったものだったんだ。
その代わり、男の子はその生涯で重い病気を患うことも、深いケガを負ってしまうこともなく、天寿をまっとうしたという。
おそらく、殺生が原因で自分が負うべきであった不幸は、あの夢で立ちどころに埋め合わせてしまったがために、現実には起きずに済んだのだろうと彼は考えていたそうな。