しりとり鬼は優しい子
僕は買い物を頼まれた。
寺田聡9歳。
お母さんは産まれたばかりの赤ちゃんお世話をしなければならない。
お婆ちゃんがお夕飯の支度をするけれど、昨日、足をくじいちゃって外出は出来ない。
料理や洗濯をするのも大変そうだったので、僕も洗濯干しやお皿を拭いたり、テーブルのセットをしたりした。
だから僕は夕方になって家に帰ってきてからでも、お使いに行かなきゃいけないんだ。
お母さんが、「ひとりで行けるの?」って聞いてくれたけれど、
お醤油とサラダ油を買って帰る。
お店のおばちゃんに「あら、さとしくん。家のおつかい偉いね」って褒められた。
そうだ。
僕はお兄ちゃんになるんだから、これくらい出来るさ。
帰り道。
もう真っ暗で夕日の名残りの赤色もない。
早く帰らなきゃ。お母さんが待っている。
車のほとんど通らない細い道。昼間は通る人も少ないから一人で大声で歌を歌ったり、前の日に見たアニメのセリフを言ったりできるから好きな道だけれど、今は怖い。
なんで、電灯があんなに向こうにあるんだろう。
なんで、家の明かりが見えないんだろう。高い塀に囲まれた道。塀から覗くのも、家じゃなくて竹林とか、木々がわさっと上から道に覆いかぶさろうとしているみたい。それが、もっと道を暗くさせる。
大きい道を行けば明るいけれど、遠回りになる。
お婆ちゃんが待っている。よし。行こう。
気合を入れて足早になった。
たったった。
妙に自分の足音が大きく感じる。
たったったったった。
たったったったった。
僕の足音。あともう一つは?
たったった。
たったったったったった。
僕を追いかけているの?音はまだ遠い。
背筋がぞくっとした。
気味が悪くて走り出した。
たったったった。
僕の足音。
だっだっだっだっだ。
僕の足音よりも重い。そして、近づいている。
後ろを見ても誰も居ないのに、重い足音は追いかけてくる。
どすっどすっどす。
重い。絶対に大きな奴だ。なのに、見えない。
なんで?
いったい何が僕を追っているの?
一生懸命に走る。
走っている。
なのに、なんだろう。この足の下の何もない感じは。
僕はどこを走っているの?ここはどこなの?
道は真っ暗。足元も真っ暗。
ここは。
ここは?
「ねえ」
いきなり声を掛けられた。
心臓はキュッと縮んだ。
ドキドキしながら見上げると、暗い中にぼんやりと塀が見えた。その上に僕より少し年上な男の子が座って裸足の足をぶらぶらさせていた。
「ねえ。しりとりをしようよ」
「え?な、何?誰?」
「誰だって良いじゃん。しりとりしよう。僕からね!」
男の子は夏祭りに着る甚平みたいな白い服を着ていた。
着物だ。着物は、今の時代じゃないんだ。昔の服なんだ。
じゃあ、この子は?
もしかして幽霊なの?
「はじめるよー。僕の好きなもからね。りんご!はい次を言って!」
高い塀の上からぽんと飛び降りて、僕の方に走ってくる。
え?なんでこっちに来るの?一生懸命に逃げようとする。
「ねえ。しりとりをしなきゃいけないんだよ。りんご。りんご。りんご!次を言うの!」
走りながら僕についてくる。なんでだよ。怖いよ。やめてよ。口が勝手に動いた。
「ご、ごりら!」
「うふふふ。良かった!らっきょ」
「きょ?きょ?」
なんで「きょ」なの?こんな時は「よ」なの?「き」なの?
えーとえーと。きょ。きょ。きょ。
「共同施設」
一生懸命にひねり出した。僕の渾身の答えだ。
「へぇ。難しい言葉知っているんだね」
「そうだよ。図書館とかをそう呼ぶんだ」
男の子が目を丸くしているから、僕は教えてあげた。
「次は「つ」だね。えーっと、ツグミ」
「み。みー。みか…」
だ、ダメだ。「みかん」じゃあ「ん」が付いて終わっちゃう。
「じゃあ、三日月!」
「き。きつね」
「ね、ねこ」
「こいぬ」
「ぬいぐるみ」
「うーん。こんどは僕が「み」か。みの!」
「え?「みの」ってなに?」
「知らないの?お米を振るってゴミを取る竹で編んだのだよ」
へぇ~。そんなのがあるんだ。でも、僕も共同施設って言って、彼が知らなくても進んだから、ここは繋げなきゃいけないんだ。
「じゃあ、「の」だね」
「そうだよ」
「うーんとねー。のり!」
「リス」
「すいか」
「かんづめ」
「め。め。めー。めー。メガネグマ」
「あはははっ。変なの。クマが眼鏡をかけているの?」
「違うよ。目の周りが眼鏡かけているみたいに白くなっている外国のクマだよ」
「へぇーそんなのがいるんだ。おっかしい」
「うん。面白いよね」
「動物たくさん知っているんだね」
「うん。動物図鑑を見るのが好き。外国の見に行けない動物を知るのが好き」
「へぇー。外国の動物は知らない。ゾウは凄く大きいんだってね。ライオンは本当にガオーって吠えるの?トラは掛け軸で見たよ。大きなトラ猫よりもすごい爪なんでしょ?」」
「そうだよ。ゾウは凄く大きくて、うんちも大きいのをボトボト落とすんだ。
ライオンのオスはたてがみが凄く濃くて長いんだ。それで、ガラスと金網で覆われたバスに乗って、すぐそばからライオンが肉を食べるのを見たんだ。グルグルって唸って、ガーーって吠えていた。
でも、実はアフリカの野生で生きているときには、たてがみのないメスがグループ作ってシマウマを捕まえるんだけれど、捕まえたら雄が横取りしちゃうんだって。
トラはすごく大きかったけれど、ずうっと寝ていた。柵の中にプールがあったから、水にも入るそうだよ。やっぱり、そこは猫じゃないんだね」
並んで早歩きで話している。
男の子が言った。
「じゃあ、生き物でしりとりの続きをしようよ」
「うん。じゃあ、君からだね。メガネグマのま!」
「マンボウ」
うー。うしって言いたいけれど、ここはもう少し頑張って、
「ウグイス!」
「す。すー。スルメイカ」
「か。か。うーんと、カミキリムシ」
「し。だね」
なぜか隣の少年が歩きながら黙り込んだ。しりとりの途中から話が盛り上がって走っていたのが早歩きになり、今は普通の速度で歩いていた。
その少年は、よく見ると綺麗な顔立ちだった。よく顔も見ずにお互いにしりとりで迷って笑って楽しんでいたのだ。
さっきまで笑いあっていたのに、彼は今、静かな笑みを浮かべている。
言葉が出た。
「しぬる こどもに おやはいん」
「え?」
「ん。だよ。負けちゃった!でも大丈夫。もうそこの道から帰れるよ」
すぐそこに、いつもの大通りがあった。明るい道だ。
同時に、初めてジャリっていう足の裏から地面の音がした。今まで全く音がしなかった。
さっきまで道じゃない暗闇の中を彼と歩いていたのだと気付き今更ゾッとした。
振り向くと、彼が笑顔で笑っていた。
「じゃあね!」
片手を上げて、彼は元来た場所に走り出した。
暗闇の中に入ろうとしている。
僕は行って欲しくなかった。
なんていうか、あんな暗くて怖くて淋しい場所に、楽しい時間を一緒に過ごした彼に行って欲しくなかった。
「ねえ!」
走り去ろうとする彼を呼び止めた。
まだ近いのに、暗闇に飲み込まれようとしている彼が振り向いた。
やっぱり、あの暗闇は変だ。それって異常っていうんだ。そんな場所に。そんな寂しい場所に。
「ねえ。一緒に帰ろう。僕んちに来てよ。一緒に暮らそう。一緒に学校に行こう。動物園だって行こう。水族館だって行こう。ねえ」
彼は驚いていたが、少し困ったような、泣きそうな、それでいて微笑んでいるような顔をして、
「ありがとう」
彼はにっこり笑った。
同時に暗闇が彼を飲み込んだ。
「ああっ!」
彼のいた場所に走って行ったのに、そこには、ただ固い砂利道があるだけだった。
周りを見ても高い塀の怖い道は向こうにあって、そこから5メートルくらい離れた場所だ。
街灯が煌々とついている。
暗闇もなくなっていた。
涙が流れていた。鼻水も出ていた。
怖かった。でも、楽しかったんだ。もっと、一緒に居たかったんだ。
哀しいのかな。なんでこんなに哀しいんだろう。あの変な真っ暗は絶対に悪いのだ。
なんだか、胸が辛いよ。
でも、彼はそこに戻ってしまった。
それまで気にならなかった、醤油とサラダ油の入ったビニール袋が重くて、ぽとぽと涙を落としながら、もう灯りで明るい道を歩いた。
いつの間にか家の近くに来ていた。涙を拭く。
玄関を開ける。
お婆ちゃんが、おどろいた顔をした。
「おや、こんなに早く帰ってこれたのかい?誰かに送ってもらったの?」
「え?」
意味が分からない。
「聡が家を出て5分くらいしか経っていないよ。あそこまで歩いて7分くらいだろう。誰かが送ってくれたのなら、お礼を言わないとね」
お婆ちゃんが、玄関に向かおうとする。
まだ足をぴょこぴょこさせている。痛いんだ。
「もういない」
「え?」
お婆ちゃんが振り向く。
「もう、いないんだ」
時間がなんで、こんなに早くなったのか知らない。
行って、買い物をした時には10分は経っていた。
きっと、あの暗闇の中が時間を縮めたんだ。
その闇の中に、あの子はいる。きっと、ずっとずっといるんだ。
一度止まった涙が再び流れ出す。
「おや、どうしたんだい?」
「お婆ちゃん。帰りに、向こうの、高い塀の道で、大きな足音がして、なんか怖くなって、そうしたら、男の子が来て、一緒にしりとりしながら帰って来たんだ。道から出たところで、その子、真っ暗の中に消えちゃったんだ。一緒に動物園に行きたかったのに。水族館とか、いろんな場所に一緒にぃ…」
ぐしゃぐしゃになって泣いた。
たくさん言いたいことがあった。
お婆ちゃんは、ずっと抱っこをして背中をとんとんしてくれていた。
あの子には、背中をとんとんしてくれる人も、抱っこしてくれる人もいないんだ。
来ればよかったのに。
一緒に来ればよかったのに。
結局泣きすぎて、気持ちが悪くなってリビングの横のお婆ちゃんの和室にお母さんが布団を引いてくれて横になった。
お婆ちゃんが、熱っぽい僕のお布団をとんとんしてくれている。
「その子と、ずっとしりとりをしていたのかい?」
「うん」
僕の声はかすれていた。
お婆ちゃんは立ち上がってキッチンに行った。何枚かの布巾を持って戻って来た。
「この模様は「やがすり」というんだ。弓矢の矢の羽根がずっと繋がっているでしょう」
「うん」
紫色の矢の羽根、薄い色の羽根とずれて列になっている。
「この模様は、電波ってお母さんは言っていたわ。これはね。「せいがいは」って言って、海の波がずっと続くさまを描いているの」
「うん」
4本の大中小の曲線が重なっている。四重の丸をケーキの切り方したやつだ。
「これは、「うろこもんよう」三角が整列しているね。みんなお行儀よく並んでいるから、間の白いのも三角になっているね」
「うん…」
お婆ちゃんは何を言いたいんだろう。
「テレビで見た鬼と戦っている子たちのアニメも、皆、こんな模様あったわよね」
「うん」
「主人公の男の子は、緑色の「いちまつもんよう」。その妹は「あさのは」。
どの模様も、終わりも始まりもないでしょう?布の終わりと始まりはあっても、布さえあれば、どこまでも続く文様だよね」
「うん」
「しりとりも一緒。始まりも終わりもどこでも良いのよね。そういった始まりと終わりが決まってないものはね、結界になって、悪いものから守ってもらえるの。お婆ちゃんがキッチンで使っている布巾は、古くなった手ぬぐいを使っているのよ。昔は、こういった柄の着物がたくさんあったのよ。ぜんぶ、悪いものから守ってくださいっていう祈りの形だったの」
「じゃあ、あの子は、僕と一緒にしりとりをしたのは、僕を結界で守ってくれていたの?」
「そうよ。本当は、ただずっとおしゃべりをしているだけでも良いの。でも、ちょっとした話の途切れる事とかはあるよね。でも、しりとりは、ずっと誰かが何かを言っている。考えているときだって、「えーっと」とか「んーっと」って口に出しているでしょう」
そうだ。僕たちはずっとしりとりをしていて、そしてたくさん話していた。
やっぱり、彼は僕を守ってくれていたんだ。
「お婆ちゃん」
彼のやっていたことの意味を知った。
彼は話すのを、しりとりを止めないで僕を守っていた。
多分、僕を追って来た足音の主から。
「お婆ちゃん。僕、あの子と一緒に帰りたかった。もし、一緒に帰っていたら、うちの子にしてくれた?僕を守ってくれたから、あの子を助けてくれたよね」
「そうだね。うちの大事な聡の命を守ってくれたんだから、時間がかかっても我が家の子にお迎えしないといけないね」
「うん。僕、一緒に帰ろうって言ったのに、あの子、また真っ暗の中に戻っちゃったんだ。あんなに暗くて怖い場所になのに」
また涙が出てきた。
息がひゅっひゅと苦しくなる。泣くといつも息が苦しくなる。
僕はお兄ちゃんになるのに、弱いままだ。
それも悔しくて、彼が寂しくて涙が出てくる。
「あそこの暗い道を近道しくれたんだね。ありがとう。聡は勇気があるね。良い子だ。良いお兄ちゃんだ。それに、優しい子だ」
「おばあちゃん」
「なんだい?」
「あの子が最後に言ったの。「しぬるこどもに おやはいん」って。どういう意味?」
お婆ちゃんは少し黙った。
難しい言葉なのかな。古い言葉みたいに感じたけれど。
「子供が死ぬときに親はいない。親が居ないから子供は死ななければならなかったのかしら」
「それは、どんな時?」
「そうねぇ。守ってくれる人が居ないって事よね。そうなると、村で困ったことがあった時に、その子を守ってくれなくなるんじゃないかしら」
「困った時って?」
「食べる物が無くなった時や、自然災害とか、後は何かしらね。悪い人が力を持ってしまった時とかは、弱い人が被害に遭うわよね。親が子供を守れないときに、何かその子に悪いことが起こってしまったのかも知れないね」
「どんなことだろう」
「さあ、どんな事だったんでしょうね」
お婆ちゃんは分からないと言ったけれど、なんだか分かっている感じだった。だって、苦いものを噛んでしまった時のような顔をしていたから。
「じゃあ、あの道はなんで、怖いことがあったのかな」
「この辺りは川沿いで、洪水が良くあったから川を真っすぐにする工事の時に埋め立てられたと聞くよ。そういった場所には悪い気が澱みやすいとも聞く。本当かどうかわからないけれどね。悪いものが居るから、それを抑える者もいるのかも知れないね」
良く分からない。熱が出たせいかな。頭が痛い。ズキズキどんどんする。
ここは昔、川だった。
だから、川の澱みのように汚いものが溜まるのか。じゃあ、彼は、その悪いものから人を守るために居るの?
そんなの、なんで彼じゃなきゃいけなかったんだろう。
お婆ちゃんの言った「悪いことが起こった時に、親が居ない子供は守ってもらえないだろう」って、彼は親が居ない子だったから、悪いものと一緒に閉じ込められたの?
なら、やっぱり彼はあそこから出て僕と一緒に帰れば、うちの子になって親のいる子になるんだ。一緒に帰らなくちゃいけなかったのに。
僕は泣きながらいつの間にか眠ってしまったようだった。
僕は夢を見た。
それは、彼の心だった。