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久光は首を傾げながら、覗き込む。
男が死んだ。目は開いている。
久光は、トルストの胸に置いた指輪をつまみ上げた。血がついていたので、着物の内側で拭った。
右を見る。犬が川から上がってきた。忘れていた。ひどくゆったりとした動きだ。顔がない。えぐれてしまっている。
久光は、ほとんど胴体と足だけになって寄ってきた犬の背中に手を置く。
練成と解放を交互に行う。
犬がしぼんでいく。
元の大きさにまでなった。
首、そして顔が現れる。
さらに小さくなる。来た時と同じぐらいの大きさだ。
久光は肩に乗せてみたくなった。
「落ちないでね」
そう言いながら、犬を指でつまみ上げ、肩へ乗せる。
きれいになった指輪が月の光を返す。やわらかくて丸っこい光。
久光が、指輪を月にかざす。
さっきのは、かなり痛かった。
そう思いながら、少し見上げる、ただの黒い輪。
それから犬は、仰向けに倒れた男を見下ろした。
「了」




