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 海。

 

 とても強い、潮風。


 匂い。


 シイカは目線を上げる。空が高い。ここはどこなのか。


 砂浜だった。左へずっと続いている。右を見ると、終わりは山の麓へと続いている。


 本当に来たのか。軽いはずだ。シイカは上に跳ねてみた。


 軽い。そこまで高く飛んだようには思えないが、間違いなく軽い。


 シイカは、真後ろから聞こえる音に気付いた。何か、走っている。移動している。


 これは人工的に作られたのだろうか。どこか登る場所はあるか。太い枝が何本か突き出たような岩がたくさん積まれている。


 早く、向こうを見たい。そう思い、シイカはその岩を登り始める。四つほど、上にしっかりと組み合っている。蹴っても手をかけても、まったく動く気配はない。


 最も高く積まれた岩に手を伸ばし、体を持ち上げる。軽くて、簡単に持ち上げることができた。


 左から右へ駆け抜けていく。シイカは確信した。ここは、新世界なのだと。


 僕は来たんだ。やっぱり、行くことはできたんだ。朗読者の頭の中じゃない。あるんだ。ここに。


 そして、これは自動車だ。


 目を見開いたまま、去っていく自動車を見続ける。これだけ速く動けたら、本当に移動が楽だろうな。


 シイカは岩の上に立った。道が灰色であることに気付く。知っている。アスファルトを薄く伸ばしたものを、貼りつけているんだ。


 興奮していた。脈が、内側から激しく胸を叩いている。


 落ち着け。シイカは自分にそう言った。


 そう、あとは場所。日本に、一広高士の近くに来られたか。


 目的を忘れるな。僕は一広高士という人に会いに来たんだろ。そう思うのだが、嬉しくてたまらない。顔だけが熱を持っている。


 一人が立てるほどの岩の突起の上で、シイカはまだ動けないでいた。道は左右に長く伸びている。どこの国の建物なのか。家ではないように思う。それが前にある。


 窓は見あたらず、そばには木が生えている。それをはさむように家らしい建物があるのだが、やはり判別できない。車がまったく見えなくなった。人もいない。


 どこか遠くでは音がしているのだが、シイカの周りでは何も動くものはなくなっていた。


 一歩。


 シイカは、道の方へ飛び降りた。やはり、体は軽い。


 ここは、田舎の方なのだろうか。田舎だったか。いや、ミラモの話では地方都市という、それなりに発達した街だと聞いていた。


 歩き出す。少し、不安になってきた。


 シイカは文字を探していた。


 言葉は知らないが、文字なら本でも見たことがある。


 ミラモから聞いたこともあったが、めんどくさがりのミラモはほとんど教えてはくれなかったのだった。今思うと、朗読者なのだからそれぐらい、簡単なことじゃないかとシイカは思うのだ。やっぱり、ミラモは駄目なやつだ。生きていたら、文句を言ってやりたい。


 灯かりか。

 地面から、棒が生えていた。


 少し遠い。歩を進める。


 先端は真横に曲り、そこに板のようなものがぶら下がっている。


 記号と文字。数字も書かれている。シイカは見上げていた。

 だが、わからない。


 複雑な文字ばかり。数字はわかる。

 

 そばに建物がある。道案内の類じゃないとすれば、看板か。


 シイカは建物に近づき、様子をうかがう。


 人はいないようだし、扉にも鍵がかかっている。また車が通った。一瞬だけ、乗っている人の顔を見ることができた。根島国の人と、似ていたような気がする。


 再び、シイカは通りへ出る。ここを人が通り、車の類は真ん中を通る。ずっと右手の方に青い光がいくつか。あれが信号というやつか。字の書かれた板のところまで戻った。


 中国か、日本か。


 でも、海岸で目を覚ます前には、見たような気がしたんだ。ミラモが遺した本に書かれていた、老人が生活するための施設。自分が行きたいところへ体は動いている気がした。意志でなんとかなるものではなかったのだろうか。


 とりあえず、ここがどこなのか知りたい。


 砂浜の果ては、横に長い山に続いていた。その右の方から太陽が出ている。寒い。


 内陸の建物も見てみよう。


 シイカは道を渡った。その時、左手の太陽がとても強く光った。気付き、海の方を見る。


 赤い。


 感覚が少し変になっている。でも、この光景は知っている。日の出じゃない。あれは西日で、日は沈もうとしているんだ。


 シイカは、急に怖くなった。夜が来ると思ったからだ。


 建物の側部へ回り込む。壁の一部が、異なる物質に変わったところがある。さっきの店と同じ。扉だ。だが、閉まっている。


 六十億人がいるんだろう? 


 こんなに人がいない場所があるのか。しかも、かつては住んでいたような感じじゃないか。それとも、もっと一ヶ所に集中して住んでいるのか。もう、廃れたということかもしれない。


 まだ、あきらめてはいなかった。


 海野市、炭岡町。一広が住んでいる場所だ。本には読み方が書いていた。だが、言語について詳しく書かれた本は、ミラモでも手に入れられないほど厳しく国で管理されていた。だから、ミラモに教えてくれと頼んだのに。


 シイカは閉じた扉の前を通り越し、さらに内陸部へと入っていく。


 ここが、新世界だからか?


 とても近くにミラモを感じる。笑ってばかりいる。左手には、一段高くなっている部分に腰高ぐらいの木が並んで生えていて、その向こうの道とこちらを隔てている。


 泣いていた。今は、それどころじゃないだろう。そう思い、シイカは足を止めないように、無理に動かす。涙を拭う。


 左手の木々の間に何かを見つけた。地図。そう思い、駆け寄る。走りながら、もう一度涙を拭った。


 海野市。地図の上に、そう大きく書かれていた。


 ここは、そのどこにあたるのか。


 左下の方に突き出た島のような部分がある。


 湾曲した砂浜。


 山の絵。


 あの山だ。


 地図の端に方位を示す記号があった。


 旧世界のものと同じ。あっちが西か。この地図だとかなり南側ということになる。


 シイカは炭岡町という文字を探し始めた。半島のように、海に突き出た山。陸は孤を描き、北へと伸びている。こっちは違うようだ。山から、今自分がいる方へ目線を移していく。少し内陸のところに、星のような形をしたおかしな地形を見つけたが、炭岡町ではないらしい。指先もはわせていた。顔をかなり近づけている。文字が小さいこともあるが、シイカはまた、別の興奮を抑え切れないのである。


 海野市。新世界であることは確信した。もう、近くまで来ているんだ、僕は。


 北部から、自分がいる海沿いまで見た。まだ見つからない。逆に、海沿いに東へ探っていく。ここは、東へ長い区切りのようだ。地図のほぼ右側まで来てしまった。二つ区切りがあったが、違った。そして山があり、ここから東は別の市になっている。


 右端の山に沿うように上へ移っていく。


 読めない。でも炭岡町でないことはわかる。真ん中辺り。北から南へ流れている川の幅が、急にせまくなった。


 あった。二本の川に挟まれた細い街。少し上のところに書かれていた。


 炭岡町。


 低い爆発音が後ろで鳴った。


 驚き、シイカは看板に手をつきながら、振り返る。

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