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すぐに乾くが、一日に一回は雨が降る。
月の半分はずっと降っているのではないだろうか。
久光は濡れてもあまり気にならないようだが、真結は嫌だった。
特に、靴の中が水っぽくなるのが嫌いなのである。かと言って、久光のように草履も使いたくはない。
つまりまだ、生活様式に慣れていないということだ。街の人間は、ほとんどが草履を履いていた。
小さな座卓の上には、昨日久光が買ってきたあんこ玉が置かれ、上には薄い布が被せられている。蚊は滅多に見ないが、蝿はそれなりにいた。
あいつが来てから、部屋がせまくて仕方がない。追加した布団はたたんで隅に寄せているが、久光が食べもしないのに米やら麦やらを大きな袋で買ってきて積んでいるのだ。あと、鍋なども。それらがひどく邪魔だった。
「どうも」
見上げながら、真結は言った。塀の外で会うのは初めてだ。
トルストの翼竜が消える。
「お二人だとわかったので、降りてきました」
場所は、竜廓の街から北へ出たところにある長い砂浜だった。鉈欧だと、角ばった岩が崖のようになっていて、海を見下ろす感じになるので、真結にとっては珍しいものであった。北風島の向こうには、グルー大陸が見える。その真北には塑山がある。
近い将来を予感させる。あれが、宿敵。そのように、はっきりと見えるゆえだろう。海の上に来るような感じでたたずむ、薄い霧の向こうだ。
真結とトルストは、砂の上に腰を下ろしてそれを見ていた。
話しているのはトルストである。真結は合鎚も打たず、海の方を見ているが、トルストは真結が耳を傾けていることを疑わず、話し続ける。
話は真結が問うたものである。
ミラモ・アキシアルとはどんな人物だったのか。大して深い意図はなかった。通り名に、自国の神の名を持つ男である。どれほどの男だったのか。単純な興味であった。
「あまり詳しいことは知らないと言ったわりに、ずいぶん知っていることが多いのですね」
大きな、そして厚みのある雲がいくつか流れた。久しぶりに、真結は口を開いた。
「そうらしい。自分でもおかしく思う。いや、思います」
「私は人質です。そんな言葉にまで気を使わないでください」
「人質でも捕虜でも構いませんが、我々は長い付き合いにはなるでしょうな」
いきなり、トルストがそう言った。どういうつもりでそう言ったのか。真結は言葉に詰まった。
「これからも、塑山と鉈欧の対立は続きます。俺はそれを終わらせたいんです」
わずかに感情を込め、真結は言った。
「どうやってです」
「塑山という国を滅ぼす。それ以外に何があります?」
「王の元に体を成す国ですから、本家を滅ぼすということになりますな」
「当然です」
「鉈欧もそうでしょう」
「そうです。父では駄目なんですよ」
力を、借りたい。言うべきか真結は考えた。金はある。鉈欧からも、これから壬海を通じてそれなりの金が流れてくる。
もっと、具体的なつながりがないものだろうか。目的を共有したい。この男の欲しいもの。
まだ、早いか。他にどんな人間がいるのか。それもまだ知らない。
国の代表同士の話し合いは、今のところ自分の知らないところで進んでいく。先に、そちらをなんとかするか。
この辺りがどうなっているのか少し調べてこいと言って、遠くにやっていた久光が戻ってきた。両の手に、片方ずつ草履をぶらさげて、水の中を歩いている。
残された弟がどうなったのか。聞きそびれた。
真結は立ち上がり、尻の砂を払った。
「では、私はこれで」
トルストは翼竜を呼び出し、背に乗った。
「私たちも乗せてってくれたらいいのに。どうせ城に行くんじゃないですか」
久光が歩いて来て、空を見上げながら不満そうに言った。
「俺たちが乗ると、色々とめんどうなことになるだろ」
「そんなもんですかね?」
久光の服が濡れ、肌が透けていることに真結は気付いた。
「ああ、さっき転びまして」
「絞って、さっさと乾かせ」
後ろを向きながら、真結は言う。
「別に歩いていればすぐ乾きますよ」
こういう無神経なところが真結は苦手だった。
「むしろ、飛んじゃえばいいのに」
文句を言いながら、久光は服を脱ぎ、絞って水を出した。




