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翼竜の翼が、街と垂直に風を切る。
ふらふらと揺れている木箱を追い抜く。
気付いたか。
やはり翼の生えた象は不自然だ、シイカ。
象には二人乗っていた。
銃声。
小さく、連続していた。当たるわけがない。
自分は、真下に向かって落ちているのだ。
もう、確実にやれる。
翼竜が翼を広げ、大気を斜めに切り裂く。手をついて、ミラモは体を支えた。もう、象ははるか後方である。そして、東が前。星老の軍の方に飛んでいる。
指をかけ、輪を二つ引き抜く。手の平の付け根のところで出っ張った部分を、押し上げる。
ただ、手を離した。下は街。二つの手榴弾が後方へ流れていった。この高さだ。どこにぶつかろうと、必ず爆発するはずだ。
もう一つは、集まっている防衛陣地に向かって放ってやる。
五万もの兵をわざわざこちらへ集めたのだ。士気は十分あるだろう。
とりあえず、あまり姿を見せない方がいいな。後から塑山にごちゃごちゃと文句を言われるだろうし。
一度、速度を上げた。そして、高度も上げた。
さっきの象の気配は、もう遠すぎてわからない。手榴弾がどうなったのかも。だが、さすがにのんびりはしていられない。
山が近かった。
街の外れ。まだ速度は落とさない。
少し、横に長い円陣。
獣が猛るように、翼竜は体を起こした。翼は風を巻き、急激に速度は落ちる。
再び羽ばたき、浮力を生み出す。
真下ではなく少し前寄りに羽ばたいている。翼竜もミラモも、まだ傾いていた。
翼竜の背に片膝をつくような格好で、ミラモは輪に手をかけた。そして、引き抜く。
円陣の上空だった。
同じように、出っ張った部分を押し上げた。
指先から腕へ何かが伝わった。
秒すら、またいでいない。
爆発。
左手。まず、手首から先が散った。
それから、風の塊がミラモの脇腹に突き刺さる。
肌に密着した鎧を抜け、単純な力が肋骨を割る。
そして、爆発は内臓へと達した。
瞬間が訪れた。
そこで、初めてミラモの眼球がそちらへ向いた。全てが速すぎて、まだミラモはそれらを認識できていない。
空が、遠くなっていく。翼竜の姿も遠くなる。自分が、落下している。
何かしくじった。その時と同じ、嫌な感じがする。
ついでに空が汚い。そして、せまい。
左側がねえ。
ほぼ無意識に、ミラモは新たな翼竜を呼び出した。
真下。翼竜がミラモをすくい上げる。
なんだってんだ、一体。見上げた空には灰色の煙が漂っていた。
左。動かそうとした、手、足、それら全てがない。いや、感じないだけで、本当はあるのかもしれない。
起き上がろうとするも、意識が体をすり抜けるような感じがするだけだ。鎧を着ていても、駄目だったか。
塑山が、俺を殺そうとしたのか。それか他の国がそう見せかけたか。
練成はあまり得意ではないが、今回はしょうがない。
どこも痛くないのだ。死ぬに決まっている。
天を仰いだままの状態で、ミラモは翼竜に体を固定した。
翼竜の全身に線のようなものが現れ、表面に隆起した。
ミラモによる、渾身の練成であった。根島国まで多分、もつだろう。
死体が見つからないと、後々、めんどうなことがたくさん起こる。
いつかは死ぬと思っていたが、まさか、今日だとは思わなかった。
本当に思わなかったんだ、シイカ。
なんとかならないのか、一広高士。
俺が死んでも、あんたはそっちで生き続けているんだろう。一番長い付き合いじゃないか。わかるだろ、あんたなら。
俺はまだ死ねないんだよ。
見えるのは、新世界。建物。
小さな庭。長椅子に腰を降ろした、一広。
数人の老人。
すがるような想いで、ミラモはそれを見ていた。
翼竜は飛び続ける。方向は変わっていた。
シイカ。
翼竜は、飛び続ける。方向は南東。
ミラモ・アキシアル。
通り名は、大翼竜仕。
戦場は、いつも一つ余計にあった。
自分と戦い続けた。戦って、戦って、戦い続けた。
本当は抗い続けていたんだ、シイカ。
俺は負けてない。
負けてなんかいない。
なあ。
そうだろ。
ミラモは、もう目を閉じていた。
今まで、誰かに問うことなんか一度もなかった。
ごめんな、シイカ。
それから最後に、ミラモは一つだけ願った。
海上。
一つの夜が明け、歴史が変わった。
陽が乾いた血と、冷たくなったミラモを照らす。
翼竜は飛び続ける。
羽ばたきをやめる気配はない。




