10
「どこにいたんだ、ミラモ」
部屋には首相一人であった。
「警護の課長に怒られていました。俺が手に草履を持ってたもんで」
「ああ、私も向こうの大臣も気になっていた。次から気を付けろ」
「はい、すいません」
「とりあえず、座れ」
向かい合って置かれている革張りで脚の短いソファーを指差し、首相が言った。
エレベーターを降りてからは、また靴を履いていたが、ミラモは踵を踏んづけていた。
扉を叩く軽い音がして、いつもの男が部屋に入ってきた。手に持った盆には茶が乗っていた。ガラスの器で氷も入っている。茶の色は薄い緑色。
男は首相の秘書である。長身で、痩せている。
どういう人間なのかはよく知らないが、朗読者で腕が立つのは間違いない。流れるような動作に不自然なほど無駄がなく、ミラモはいちいちそれが気になるのであった。
秘書は自分の前の低い卓に二つの茶を置くと、盆を持ったまま扉の辺りに立った。
「塑山に貸し出す朗読者の中にお前を入れる。塑山と星老の国境は、険しい山岳地帯だからな」
ミラモたちは首相たちの席から離れて立っていたため、話している内容がところどころ聞こえなかった。
「俺は高く売れましたか?」
「ああ、いつも通りだ。助かっているよ」
「で、いつです」
「あと三週間ぐらいかな。まだ、決まっていない。先に言っておくが、今回のはいつもと少し違う。
お前が星老とやり合っている間に反対の国境沿いから人が来る。だから、派手に暴れてほしい。暴れるだけで、別に星老の人間を殺す必要はないがな」
「人は、壬海からですか?」
氷が涼しい音を立てる。ミラモは、冷たい茶を飲み干した。
「いや、鉈欧からだ」
「鉈欧って、俺が星老とやり合ってる間に塑山の連中が攻撃するって言ってたじゃないですか」
「そうだ。あくまで塑山の味方をした、と思わせるんだ」
「なるほど、わかりました。徹底的にやってやります」
「じゃあ、またなミラモ。近いうちにこちらから連絡を入れる」
「はい」
ミラモが部屋を出ると、半歩ほど遅れて秘書がついてきた。
ミラモを追い抜いて二歩ほど前を歩き始める。
その動作は、ほとんど一瞬であった。
「この服、どうしたらいいですかね。秘書さん」
「一着は必要ですな、ミラモ様。すぐにまた必要な時が来ますので」
「なんか、騒がしいことになります?」
「はい」
「じゃあ、これもらっていきますね。ここに来る時、またこれで来ます」
ミラモは一人、エレベーターに乗った。
秘書は閉まる扉の向こうに消えた。