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上に住むもの

作者: ハマノアキ

妖怪や超能力も一切ない、現代ホラーです。グロいシーンもありません(気持ち悪いシーンはありますが)

分かりやすい性的な描写もありませんが、嫌悪を感じるような描写はあります。

 私は、貴方様の上に住むものでございます。この度私の不始末で、貴方様に多大なるご迷惑をおかけしましたことを、どうしてもお詫び申し上げたく、かような謝罪文をしたためました次第にございます。思い立ったが吉、と申しますように、私の気持ちが冷めやらぬうちに、私の罪悪感が薄れまた臆病風に吹かれてしまわぬように、との思いで書き立てたものですから、乱文悪文、悪筆はご容赦のことを切にお願い申し上げます。

何分、炊事場も手洗いも何も共用でございますし、粗相があってはならないと常に気持ちを張り詰めさせていたのではございますが、一時の気の緩みから、不作法をしてしまいました。このことについて、一重に謝罪と経緯のご説明をさせていただければと存じます。

 とはいえいきなり核心を書き立てるのも味気のないものと存じます。はなはなだ勝手ではございますが、私の身の上話などからお付き合いいただけますでしょうか。ごく平凡な取るに足らないものと一笑されるかも存じませんが、最後までお読みいただければ幸いです。



 さてまずはどこからお話をいたしましょう。貴方様はこの村をいかがお思いでしょうか。田畑が広がる土地に、飛び地のように、家々が群生している。庭に点々と転がった鶏の餌の食べこぼしに群がる蟻のようなたたずまいとでもいうのでしょうか。隣町は国鉄か通るようになってからというもの、随分とあか抜けて便利になったというのに、この村は日用品の一つを手に入れるのにも苦労する、相変わらずの様子でございます。それでも昔と比べれば、随分と住まいも増え、発展の波は着実に押し寄せてくるものと推察しております。私は、この村の田舎農夫の四男坊として生まれました。

 いたずら好きの意地悪な兄と、いつも何を考えているか分からない双子の姉二人、そしてそこからやや離れて私が末の子として、暮らしをしておりました。両親と祖父母は代々続く小作農の家計で、暮らしぶりは決して楽ではございませんでしたが、貧農なりにそこそこに暮らしておりました。先祖から受け継いだ土地を祖父母と両親は黙々と耕し、種をまき、水と肥やしを与え、命を刈り、生活の糧に変える。我々の暮らしも、四季と同じ輪廻を繰り返すかの如くのようでした。

 しかし、私が物心つく頃には、私という存在はこの小さな箱庭おいて、祝福されぬものであったと気がつかされました。五つにもなるころでしょうか。私は母屋からすこし離れたところで一人部屋を与えられました。一人部屋と言えば聞こえがよいですが、物置を慌てて片付けたようなもので、壁も天井も埃が残り、かび臭い臭いが鼻につき、すきま風も酷いものでした。幼い子にとって、頼りない灯りの下ぼんやりと浮き上がるすすけた壁は、それはもう怖いものでした。母屋には、兄と二人の姉のそれぞれの、ささやかながらもしっかりとした個室がありました。大人になってから両親に話を聞くと、もともと子供は三人まで、と考えていたそうで、父が酔いに身を委ねて母を弄んだ結果生まれたのが私なのだ、ということを冗談めかすように言ったものでした。それでも、昔も今も不思議と、親に怒りを覚えたことはありませんでした。私にあったのはただ漠然とした淋しさでした。

 そんな調子ですから、私は子供時代を一人寂しく過ごしていました。兄も姉も年の離れた私と行動を共にするのはつまらなかったのでしょう。私は風呂と食事以外は母屋にはあまり顔を出さずにいました。祖父母も両親も、常に畑仕事やら様々な雑事に追われておりましたから、かえって手がかからなくて助かるといった程に考えていたのではないでしょうか。小柄で身体の弱い私は、畑仕事の役に立つ機会も少なく、長い時間をかけて登下校した学校の図書館から借りた本を読んだり、わざと遠回りして、刈り入れが終わって荒涼とした田園地帯を駆け回ったり、小川で釣りに興じたものでした。この家の向かいのずっと先にある小川です。数は随分と少なくなりましたが、あの川には鮎もいるのです。貴方様に今度捕ってきて差し上げましょう。ともかくにも、私は一人で過ごす時間が当たり前になり、徐々に徐々に人を避けることが身の常となりました。ですからもう、小学生の早いみぎりから、私には友という友もおりませんでしたし、次第にその寂しさも消え、むしろ行事等で無理矢理に行動を共にされるのを酷く迷惑に思った覚えがあります。陳腐な表現ですが、私は停滞した空気のようでした。木の葉の一枚も揺らすことのできない、凪いだ風。それが私でした。

 ところで、貴方様はお野菜はお好きですか。いいえ、きっとお好きでいらっしゃることには疑いもございません。日々の買い物のご様子をみれば、きっと健康志向でいらっしゃるのか、非常に堅実な食生活を送っていらっしゃるはずです。私も農家の端くれですから、野菜は好きですし、その点に関しては口が肥えていると自負いたします。今の時分ですと、茄子を甘辛く煮付けたものですとか、茗荷を天ぷらにして粗塩でうっすらと化粧をさせたものですとか、椎茸を炭火で炙ったものなど、堪えられぬ味わいでございます。この辺りでとれる冬瓜の炊き合わせ等、貴方様もよくお作りになられるのではないでしょうか。

 十になるくらいの頃から、私は一人部屋のすぐ裏の庭を耕して、植物を育てることを趣味としていました。切欠は、学校から課せられた朝顔の育成記録でした。同級生たちはしきりに面倒臭がっていましたが、持て余すほどに一人の時間があった私には、水をやり、絵日記を書くという毎日の儀式が楽しくもありました。性に合っていた、ということなのでしょうか。私は、たった一日の、いえ、数刻の成長の兆しですら明瞭に見分けることができ、その僅かな違いを鮮明にノートに書き綴りました。その細かさに驚いていた担任の顔を、今でも精緻に思い出すことができます。

 私は、見る、という行為にとりつかれていました。今度は自ら進んで野菜や花の種をまき、その変わりゆく姿をつぶさに眺めていました。葉脈の繊維すら見透かしていたのではないかと思います。私は毎日熱心に、自らが育てたものたちの観察を続けました。そして、私は気がついたのです。私の空気のような性質は、人間の観察に役立つものであるということに。

 人に指摘されて、初めて自分の特徴的な仕草や癖に気がついたという経験はありませんでしょうか。大概、人は無意識のなかにこそ本性があるようで、人目を憚らずに鼻の穴に指をいれて周囲を気持ち悪がらせる……などというものは一つの例えかと存じます。もちろん、貴方様はそのような仕草からは程遠いお方と理解しております。

 ある休み時間に、私は教室の隅の方から、騒ぎ声で一杯の同級生たちをじっと観察いたしました。すると、私の意識はすっと身体から離れ、目の前の景色がまるで別世界のように見えました。自分の頭の後ろから、一つスクリーンで隔てられた映画を見ている、そのような感覚でしょうか。

 スクリーンの上の彼らは、私とは無関係に動き回ります。机の上に腰かけて楽しげに語らうA君は、短いズボンから剥き出しになった太ももしきりに掻いています。彼はどうやら興奮すると身体を掻き回す癖があるようで、話の興が高まる程に、ばりばりと太ももを掻きます。余りに掻きすぎて気づいた頃には、うっすらと血が滲んでいて、中々に痛そうでした。また、普段は高飛車で上品ぶっていたリーダー格の女の子が、取り巻きの子達と話しながら、スカートの裾に手を突っ込んで股を弄くっている下品な仕草には、彼女の醜悪な性根が垣間見れた気がして、愉快なものでした。穴が開くほど真剣に彼らを眼差す私に、誰一人して気がつくものはいませんでした。見るもの見られるものは、常に不干渉でなくてはなりません。私の視線が気付かれれば、彼らは怒りを露にして向かってくる等してしまいます。しかし、この空気のような性質がゆえに、役者の批評会をするかのように皆を鑑賞していても、誰も気がつくことはありませんでした。私はそうして、皆を眺め、無意識の仕草や癖に楽しみを見出だし、時には面白おかしく彼らに渾名をつけました。まさぐりめ、ひょんはち、ほじりむし、きばみわらい、ゆびなめ。こうしてみるとまるで彼らは妖怪のようでした。

 中でも一番のお気に入りは、私のすぐ隣の席の、はる、という女の子でした。はるは色白で丸顔の、髪の長いおとなしい少女でした。はるはどちらかというと私と似て大人しい気質で、休み時間にも本を読むことが大半で、時折数人の女友達と談笑したり、高飛車なリーダー格とその取り巻きのからかいの種にされたり、といった具合でした。はるは普段、表情に乏しい女でしたが、笑うときは両の目尻をきゅっと細めて、整った歯を慎ましやかに見せながら口角をあげました。また、驚いたときや困ったときなどは、小粒な目を一杯に開いて、口をわかりやすく、への字、にして、まるで飼い主とはぐれた犬のような様子でした。はるの一挙一動は、高飛車なあの女とは比べるべくもないほどの素朴な美しさにあふれていました。 彼女の斜視がかった笑顔に私は例えようもない魅力を感じていました。だから、私は、どうしても正面から、はるの全てを見たくてあらゆる策を講じたものでございました。業とらしく教科書を落としてみたり、誰と気付かれずに大音を立ててみたり、彼女の机の上にものを投げてみたり、それはもういじらしいものでした。その甲斐があってか、私は誰よりも彼女の本質を分かっていたつもりでいます。小学生の最後の学年で、私は幸運にもまたはると同じ組になることかできました。その年は、私の全てがはるに注がれていたと思いました。はるのうなじに、はるの黒くて長い髪に、 はるのあの眼差しに。私は恐らく彼女を狂おしいほどに求めていました。しかし、私は観察者であり続けました。あの年齢にしては驚く程に肉付きの良い彼女の肉体に情欲を感じたことは一度ではありません。体育の時間に覗いた、彼女の必要以上に白い素肌や、柔らかな二の腕や、白い爪の伸びた爪先に、私は熱中しました。私は彼女の愛くるしい仕草にこそ、本質を感じていました。それが故に、私は彼女に指一つ触れることなく、眼差されることもなく、唯唯、見るものでありました。卒業式を迎えたときですら、私は彼女と話すこともなく、彼女は遠くにいってしまいました。彼女は、親の仕事の都合で、二度とこの村は戻らぬ旅に出ていったのでした。私は残念でたまりませんでしたが、これもまた運命だと思いました。代わりに、私は記憶と手先を最大限に使って、はるの美しい姿をノートに描き続けました。お陰様で私はよろず絵師として、今に至るまで、ひっそりと食い扶持を稼いでいます。はるへの熱意が、私に絵描きの素養を身に付けさせたのです。私はそれからというもの、美しい女性を見つけては、ひたすらに観察を続けました。学校という制度は、そんな私にとってひたすらに都合が良いものでした。それでも、はるに敵うものはいませんでした。もしかすると、初恋の魔法なのかもしれせん。

 貴方様は果たして私のことをどうお思いになるのでしょうか。きっと私に共感をしてもらえるものと、信じております。何せ貴方様の仕草は美しい。あのはるに負けず劣らず、いえ、上回ってさえいるかもしれません。貴方様の髪をかきあげる仕草ですとか、木漏れ日の下で庭を眺めながらうたた寝をする姿に、やはりあのはるの気品を感じえずにはいられません。その色白素肌にも、はるの面影を感じています。貴方様に幾度声をかけようかとおもったことか。貴方は、はるですか、と。貴方様のお姿を描き採った鉛筆の素描写と、はるの絵を並べて見ますと、やはり、はるがそのまま大きくなった、そんな感慨を抱かずにはいられないのです。

 そろそろお気づきかと思います。私は上に住むものでございます。私は貴方様がこの家に越して来る前から、この家の上で空気のような暮らしを続けておりました。そして、はるのように美しい貴方様がいらっしゃった。私はこの上もなく喜んだものでした。貴方様は美しく、そして、お一人でいらっしゃった。お勤めもそこそこにあるようで、この平屋を留守にされることもあった。私にとっては、神のお目こぼしにも思えました。

 そう、この家は元々私ども家族が住んでおった家なのです。祖父母が死に、両親が死に、兄姉兄弟がこの地を離れることとなり、私は唯一この家だけをもらい、私が特別に手直しをしたのが、今の貴方様の住まいなのです。貴方様もお使いになられている、あの物置こそ、私が子供時代を過ごした、あの淋しい部屋であり、すぐそばの花壇は、私が真夏の日差しに汗だくになっても根気よく観察を続けた場所なのです。この平屋を外から見て、天井の高さの割に妙に屋根が高いと思ったことはございませんか。天井と屋根の隙間に、少年の背程の高さがあるように思いませんか。そう、この家には屋根裏部屋があるのです。これは、不動産のものにも伝えていない、隠し事でございます。そして、屋根裏部屋から下に降りるための隠し階段と、それぞれの部屋を観察するための透かし穴がいくつもあるのです。

 貴方は、私にとって美し過ぎました。ああ、愛しのはる。貴方は、はるなのでしょうか。私は見るだけでは飽きたらず、貴方が入浴した残り湯を密かに温めて行水したり、貴方の干した洗濯物に、貴方の素肌を感じたりいたしました。貴方が用を足した後の手洗い場で過ごす時間は至福ですらありました。

 しかし、私は見るものの作法から逸脱をしてしまったのです。

 ある夜に、貴方が寝静まった寝室にそっと降りて、貴方の美しい寝顔を眺めておりました。月明かりに照らされた、青みすら感じさせるほの白い素肌。ふっくらとした唇に、穏やかな曲線を描いた瞼の双丘。浴衣から除く、柔らかな手足。私はその一つ一つをつぶさに観察して、絵に描き起こそうとしました。しかしながら、魔が差す、というと言い訳がましくありますが、一歩一歩、少しずつ貴方に近づきたいという欲望が沸きました。私は、空気。貴方の眠りを妨げる心配など微塵にないはずでした。私は心の中からの甘言に従って、じわじわと貴方に近づきました。気が付けば、貴方の首筋に私の鼻がくっつかんばかりでした。うっすらと蒸気した貴方の汗と石鹸の香りが混ざり、豊穣な日本酒のように感じました。私はそっと貴方の手に触れ首に触れ、匂いを嗅いで、その指をしゃぶりました。その刹那に貴方は寝返りを打ちました。私の心臓が止まり、その痛みが永遠に続くようでした。けれども、貴方は目覚ますことなく、微かな寝息を立てていました。私は慌てて、しかし静かに、この屋根裏部屋に身を隠しました。

 私はそれ以来、あの時の自分の行いを恥じております。映画のスクリーンに手を触れる鑑賞者がどこにいるのでしょう。あるいは、舞台の上の役者に近づいて欲望のままに接触する観客など、つまみ出されて当然であります。それからというもの、私は自罰として、貴方様を見ることを今まで禁じておりました。しかしながら、あの夜の貴方の寝姿を思い出しては煩悶を続けることに限界も感じております。そういった次第ですから、こうして謝罪をし、許しを乞おうという訳にございます。

 もう二度と、このような不始末はいたしません。私のことは、空気のように思っていただけましたら幸いです。お詫びに、もし、何か不自由なことなどありましたら、置き手紙等残して頂ければ、都合をつけさせて頂きます。

 果たして、あなたは、はるなのでしょうか。


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