#005 一石三鳥
「中々頑張るじゃねえか! 昼にはぶっ倒れるかと思ったが、まさかやり抜くとは思わなかったなあ!」
「ありがとうございます」
黄金色の発泡酒をジョッキで煽り、四角い顏を真っ赤に染めてオヤジさんが言う。
距離が近いし上気した顏は風貌と相まってさながら赤鬼のようである。
俺は気付かれぬように少~しだけ椅子を引き、当たり障りのないほがらかスマイルで迎えうった。
働きを褒められて悪い気はしなかったが、現実問題として俺の体は肝心な部分のネジが十本単位で抜け落ちたロボットさながらにガクついており、今ベッドに潜り込めるのならコンマ一秒で寝つけそうなほどであった。
しかしシャーリー父とその娘は喜色満面の笑顔を俺へと向けており、それを無視して「じゃああっしはお先に寝かしていただきやす」なんて言えるわけがない。
「ハム、頑張ったね。お疲れさま! やるじゃん!」
笑顔を花と咲かせてシャーリーが言い、その可憐かつ柔らかな表情は俺の疲れを軽減させるに十分な威力を秘めていた。
モザイク必須の料理も慣れてしまえば何てこともなく、むしろ労働後の食事の幸福を思えばガンガンがっつける代物だ。ふつーにうまい。
オヤジさんは酒の肴として、彼ら的に異邦人であるところの俺の話をやたらに聞きたがった。
ここで適当な話をでっちあげればやがてボロが出て信頼を損なうだろうと直感した賢しい俺は、地球は日本の話をちこっとだけ異世界にありがちな風にアレンジして聞かせてみせた。
都会の高層ビル群だとか、日本に古来より伝わる童話だとか、人々の暮らしっぷりをまあ、期待を裏切らず、嘘をつきすぎないぐらいにさ。
「……ほう! すげえな、その『しんじゅく』ってのは!」
「鳥みたいな船が空を飛んでるの!? すっごーい、そんな形の飛行船があったんだ!」
大ウケだった。
二人の食いつきようときたら物凄いもので、矢継ぎ早の質問に答えるのは親戚のチビの相手をしているようでなんだか懐かしい。
そんなこんなで時間感覚を喪失していた俺は口が渇くまで喋りつづけ、ようやく一息をつくころになり、対価というわけではないがシャーリー父へとあることを尋ねた。
「もし良ければ俺が行き倒れてから目覚めるまでのことをお聞きしたいのですが」
「ん? おお、構わんさ。第一発見者は村の若い衆でな。森の奥で倒れていたハムはそいつに担がれて、とりあえずと一番近かったオレの家で預かることになったんだ」
「薬を飲まされたような気がするのですが、あれはその時に……?」
「そうだ。お前が大事に握っていたガラス瓶、そう、それだよ! そいつでも飲ませば気付けになるんじゃないかと思ってな」
気付け、というか一周回って気絶しちまったが今更言うことでもないな。
「娘さんが言うには大きな箱もあったそうですが……」
「あったなあ。丁度村に来ていた行商が目を付けて、酒樽三つと交換で持っていっちまったよ。もしやありゃハムの大事なもんだったのか?」
大事なもの、と言えばそうとも言えるしそうでないとも言える。
俺は実物を見ておらず、所有者になっていたわけではないからな。ただプレゼントされただけ。
ここは何と言うべきか。うーむ。
「まあ、そうとも言えます。貰い物です」
「そりゃ悪いことをしたな、交渉に出たやつは何しろ酒に目がなくってな……」
「いえ、気にしないでください。村の人に助けられただけで御の字です」
などと言いつつ腹の中では行商に対する恩讐の念が秒単位で募っていた。
いずれ力ずくでもこの手に取り戻すぞ。
となれば、行商の情報を出来るだけ得ておかねばなるまい。
「行商について何か分かりますか? 良ければ教えてくれると嬉しいです」
「お安い御用さ。連中は<ミリシア商会>って名前の団体だ。うちに来るのは三ヶ月に一度程度。街道を通って山を五つ越えた先の街からやってくるんだ」
「<ミリシア商会>……ありがとうございます」
忘れんうちにメモをしとかねばな。
何か書き物はないもんかと料理皿の敷き詰められた机を視線で舐め、ナプキンをちょいと手に取ると、前世界から何故だか持ち込めたボールペンで三種の神器を持ち出した連中の名をさらりと記した。
絶対に逃がさんぞ。
「ハム、字を書けるの?」
声の方を向くとシャーリーが耳をぴんと立てて目を丸くしている。
「まあそりゃ一応。読み書きは出来る」
筆記に関しては日本語限定だけどな。二人からすればまるで意味の分からん文字だろう。
シャーリー親子は大いに驚いた様子であった。
「そりゃ大したもんだ! 都会から来ただけあるなあ! <トーキョー>だっけか?」
「すごい! この村には学校がなくってさ。字を覚える機会が無いんだ。隣街に出れば学校があるんだけど、毎日山越えしてたら家のことが出来なくなっちゃうから、あたしは行ってないの」
「なるほどなあ……」
桃色の後ろ髪に指を突っ込み、なはは、と笑うシャーリーであったが、そんな娘の横顔を見るオヤジさんはどうにも寂しいやら悲しいやらの微妙な面持ちだった。
何となくだが気持ちは察した。
血を分けた娘には不自由ない暮らしをさせてやりたかったのだろう。
学校へ行き、字を覚え、知識を得れば出来ることの幅はグンと広がる。
それに何よりシャーリーはまだ若い。
村に引っ込ませておくよりかは外に出した方がいいとも父は考えているが、どうにも現状がそれを許さない。
眉間にしわを寄せたオヤジさんの面はそんな風に語っているように思えてならなかった。
注釈として、これらは俺の想像に過ぎないことをここに言い加えておくとする。
教育。教育ねえ。
俺に出来ることは何かあるかな、と考え、閃きが脳裏に瞬いたのはわずか一瞬後のことだった。
「字なら俺が教えようか?」
「えっ、いいの!?」
「衣食住で世話になってるんだから、ただ労働に従事するだけじゃ割に合わないと思ってたんだ。俺もこっちの字を覚えたいしな。シャーリーに字を教えつつ勉強したら両方得する」
ついでにオヤジさんの信頼度も上がる。一石三鳥である。
そう思いつつ父親の方をちらりと見ると、彼はなんだか懐かしいものを見るような慈愛の眼差しをこちらに注いでおり、
「……よろしく頼む」
と、酒気を帯びた顏を伏せて静かに言った。