#004 郷に入ればなんとやら
異世界ですることと言えば何が浮かぶだろうか。
魔法の習得?
剣の修行?
冒険者生活?
それとも世界制覇?
ちらと考えるだけでいくつも思い浮かぶあたり、これらはポピュラーだし、夢に満ちていて実に良いよな。
だが実際は違った。現実は非情である。
何かをするにあたって代価が必要となるのはどの世界にも共通のルールであり、上記の夢を追い掛けるために必要なものはごまんとあった。
それは例えば教養だったり技術だったり経験だったり知識などなどでいて、どれも俺にはいまいち欠けているものばかり。
何の下準備も無いままに「いっちょ一旗あげるぜ!」なんて言いながらにフィールドへ飛び出しでもしようもんなら、つぶらな瞳をした青色スライムに腹パンならぬ腹ヘッドバットをもらって即死すること請け合いだった。
草葉に描く血文字のダイイングメッセージは下手人ではなく、愚かにも野生の世界に一歩を踏み出した『おれ』でどうだろう。
繰り返すことになって恐縮だが、この異世界にも常識というものは存在していて、それに則って生きることが良しとされていた。
アウトローは許容されず、郷に入れば郷に従え、だ。
嫌なら出ていくしかないのだが、俺という男に他に行く当ては、無い。
と、そんなわけで俺は冒険に出るでもなく、タンクトップに麻を編んだ長ズボンを履いて眩い日光の下に居た。
手にクワを持ち、頭に麦わらを装備した俺が立つのは地平まで広がる大農地である。
腰に手をあて、もやし小僧のこの身にはさぞしんどかろう作業に顏をしかめていると、俺の薄い背中を大声がせっついた。
「おい! サボってる暇はねえぞ! 飯食いたかったら働け!」
「すんません! 頑張ります!」
俺はトーンだけは良い返事を風にのせて桃毛のオッサンへと返し、豊かそうな土へと振りかぶったクワの先を叩き込みつつ、昨晩のことを脳裏に思い描いた。
………………
…………
……
ありゃ夕方の頃だった。
「帰ったぞ」
よくよく見ればシルバニアファミリー的なテイストの木造家屋が、その男の低音ボイスによって静かに震えた。
ずしん、ずしん、と一歩を踏む音が視界外から耳に聞こえ、俺は音の主がただならぬ男であるだろうことを瞬時に直感した次第である。
俺の枕元で俺のアホトークを聞いていたシャーリーは脳天をつままれたようにササッと立ち上がり、「お父さーん!」とこの家における男の役どころを声高に叫んで玄関へと駆けて行った。
「おお、起きたか」
シャーリーに手を引かれて現われた男は――、筋肉だった。
たくましい両腕は丸太のようであり、筋骨隆々とした胸板は鉄板でも仕込んでるんじゃないかってぐらいに形を主張していた。
四角いパーツを組み合わせたような、いかにもカタブツっぽい面構えの男は適当な椅子を引き出すとドカッと腰を下ろし、腕組みをしたままで「父です」とまたも重低音で名乗りをあげた。
嘘だろ? と思わずにいられなかった。
なにせシャーリーは桃の毛色に天真爛漫な掛け値なしの美少女であり、どこぞの天界からこぼれ落ちたんだと思わざるをえない可憐さの持ち主。
その遺伝子の元になった片割れがこのオーガよろしくの巨体のオッサンだと言われて、そーなんですか、などと即座には信じられなかった。
しかし現実とは無情と非情のタッグチームであり、二人には共通の狐耳とふさふさ尻尾が体にくっついていた。動かぬ証拠ってやつだな。彼らは紛れもなく血縁であるらしい。
にこにこ笑顔のシャーリーもいずれこうなっちまうのか?
何でもするからそれだけは勘弁してくれ。
俺の動揺などいざ知らず、父に続いてシャーリーもまた自分も名乗らねばなるまいと感じたらしく、
「シャーリー・オーディンファイアです」
と可愛い声で言う。
そりゃもう聞いたよ。
「こんばんは。俺は――」
随分と遅れたがこの辺りで俺の名を紹介しておくとしよう。
親から頂戴したにも関わらず、あんまり嬉しかねえなと思いながらに日本を生き続けた俺の名前は<木下公太郎>。
公の字を崩して通称、ハム。
俺を指してハムと太郎をくっつけて呼ぶやつは少なからずおり、毎度の誕生日にはヒマワリの種をよこす輩も居た。
そんな人間語を解するネズミ(俺より遥かに人気者なのがシャクだ)に思われていた日本での思い出をずるずる引きずりたくはなかったので、この世界での名乗りは<ハム>とする。今決めた、俺が決めた。
想像力が乏しいのは気にしないでほしい。
「ハムです。よろしくお願いします」
「ハムゥ? 面白い名前だな。ハッハッハ」
オヤジ殿にウケたようで嬉しいね。
これを機に中二の頃のノートに書いていた名前でも名乗ろうかと思ったが、『黒炎皇子……ディラガン三世だ。よろしく頼む』とでも名乗れば不審がられることは間違いなく、円滑なコミュニケーションをしたいのならば口が滑っても言っちゃいけねえ。
と、これは脳裏をふとよぎったただのよもやま話だが、俺の本名がたった今のこっ恥ずかしい名だとして、そんな大仰な野郎が何故に森で気絶したのかと問われると答えられなかっただろうな。
「そうなんです。面白いが覚えやすい名前だと周りにはよく言われます」
「だろうなあ。いや、しかし目覚めてくれて良かったよ。ずっと眠ったまんまだから心配してたんだ」
「ありがとうございます。ご迷惑をおかけしました」
「いいってことよ。ハム、お前はどっから来たんだ? 見慣れない格好だが冒険者か?」
しまったな。当然聞かれるだろう質問だったというのに回答を用意していない。
あまり考え込むそぶりを見せてはならず、また待たせてもいかんと考えた俺は脳みそをあまり使わずにほとんど反射でこう答えた。
「実はそうなんです」、と。
せめてもう半回転ばかり頭を捻っとけば良かったと今更に思う。
翌日のことを思えばこいつは墓穴以外の何者でもなかったからな。
シャーリー父は、ふうむと唸り、俺の顏と首、それからポロシャツを着たまんまの上半身をじっと見つめ。
「ひょろっちいな」
と言った。
「ひょろいとは」
「言葉のままだ。今時の若者が冒険者に憧れてるってのは田舎者のオレでも知ってるが、体力も無しに外に飛び出しちゃあ、どこぞの荒野で人知れず仏さんになっちまうのが関の山よ。特にハム、あんたみたいな奴だ」
指紋の渦巻き模様がよく見えそうなぐらいに指を突きつけてオッサンは言う。
「丸い肩に細い腕! それでまた冒険に出てみろ。どっかで行き倒れちまうに違いねえ。今回はオレたちが見つけて助けたから良かったものの、幸運は二度も続かないぞ、ハムよ」
「それは、まあ……そうですが」
一理あるな、とは俺もその辺りはうすうす分かっていた。
筋トレとは無縁の生活を送ってきた中肉中背の俺と、目の前に居る筋肉ダルマみたいなシャーリー父のどちらが冒険者っぽいか、あるいは荒野で生き残りそうかと街中アンケートで尋ねたら十人中十人がせーのでシャーリー父に赤丸シールを貼るだろうともよ。
「準備と筋肉は大事よねえ」
横に座るシャーリーもまた父のマネをして腕を組み、さも神妙な顔でうんうん頷いている。
その二つは同列かい。
「折角だからここで体を鍛えていくといい」
「えっ」
「筋肉はいいぞ。ハム、お前、畑仕事は好きか?」
農業経験が皆無の俺には好きか嫌いもなかった。
しいていえば興味はあったが。
「興味はあるか! ガッハッハ、なら十分だ! 一月も働けばオレのようなガタイになるだろ、そうなりゃ大概の魔物なんざ怖かねえぞ!」
「良かったね。お父さんみたいになったら敵無しだよ」
そりゃそうだろうよ。
このオッサンは物理であらゆる難題を突破していきそうな外見をしているからな。
俺がシーンごとに体高の変わる世紀末覇者的ボディを獲得出来るとは思えなかったが、いざこの世界――ええと、なんて言ったっけ。そう、ルヴェリアだ――で行動を起こすにあたり、予備知識と体力をつけるのは必須のものであるのは確かだった。
であれば、シャーリー父のせっかくの誘いに乗り、鍛えておくのは願ったりかなったりなわけで。
「じゃあ、すみませんがよろしくお願いします」
「おう! 衣食住は心配すんなよ。うちで面倒を見てやる」
「いいんですか? 俺は一文無しですよ」
「ふっ、対価は労働だ。働かざるもの食うべからず、ってな」
白い歯をニカリと見せて彼は言う。
働かざる、のくだりの文句は万国どころか次元を飛び越えて、三千世界に共通なんだな、と優しさに触れながらにしみじみ思った。
………………
…………
……
つーわけで異世界ルヴェリアでの生活二日目は農耕地で幕をあけた。
オヤジさんが若いころに着ていたという、不思議なことに俺の体にぴったりの古い作業着を着込み、クワを片手に畑へ繰り出した。
今がいったい、何年の何月何日でそもそもルヴェリアなる世界のカレンダーがどんな仕様なのかは依然ようとして知れなかったが、唯一確かなのは今がどうやら夏らしいということだった。
頭上の空は見事なシンフォニー・ブルーの一色に染まっており、雲ひとつない空のど真ん中では異世界のお日様がさんさんと輝き、太陽系の中心に据わる太陽と同じようにギラギラと熱波を放ち、地表をじりじりあぶっている。
「し、しんどい……水をくれ……」
顏に汗の膜が張ってんじゃないかってぐらいに大いに汗をかきながらも、俺はオヤジさんの背中にくっついて農作業に従事をし続ける。
腰を入れてクワを振り、三十キロはありそうな藁袋を担いで荷車へ運び、シャーリーのお手製の飯を目をつぶって腹にかっ込み、金色の毛色をしたヒツジ共が原っぱでゴロ寝しているあいだに半ばヤケクソ気味に獣舎を清掃しまくった。
初日からこれって。
脳裏をよぎるのはシャーリー父の『オレみたいなガタイになれるぜ!』の言葉である。あながち冗談じゃないかもな……。
以上の理由で一日はあっという間だった。
他の地域はともかく、この村にはデジタルな道具は皆無であり、すなわち俺がぱっとイメージ出来るような時計は存在しない。
であるからして、村民は己の肌感覚で時間管理をするのだという。
ようやっと陽が暮れはじめた時、オヤジさんの相変わらずの重い声が本日の作業終了を声高に告げた。
聞き届けた途端に俺の脚から力が抜け、崩れ落ちたのは言うまでもないな。
女神ガフは人生の尊さを学び、善行を積めと言った。
尊さ、ね。今日という日は良いセン行ってたんじゃないかと思うがどうだろうか。
少なくとも部屋で日がな一日コントローラーを握っているよりは、はるかに有意義だったように思う。