#003 刺激的な朝
意味がまるで分からない言語を話す集団に囲まれ、あからさまに苛立った声色かつ早口でまくし立てられてビクとも動じない人間が居るのならばここに来てほしい。そしてビビりまくっている俺と代わってくれ。
「ララーダナ! ダッバルーダ! ダッ! ダッ! バラッ!」
「まずい何言ってるかさっぱり分からん」
俺を指差し周りを指差し。
手に持つクワらしい農具の底で地面をガンガン殴りつけて原住民が何事かを申し立てているが俺にはとんと伝わらないし、意思伝達方法も浮かばない。
暴徒と化した集団の攻撃を一身に受け止める治安維持係の気分を一瞬で獲得する俺。
あっけにとられて大口を開け、動作を停止したハムスターのように完全にフリーズをしていた。
「デラバルッ! ナ! ナッ!」
「おおぃおい、や、やややめろお!? だめだ言葉が通じん! 何がしたいんだ!?」
「オマエ! ノム! ノム! コレ、オマエ!」
「あれっ今言葉通じた!?」
「デンデラーシャ……シャッ! ダ、ダ!」
「今『のむ』とか『おまえ』って言ってましたよね!?」
日焼けした男(男Aとしよう)がおもむろに腕を伸ばすと俺の口を力技で開かせ、続くちょびヒゲの似合う男Bがアルコール臭のする小瓶を取り出して俺へと近付けた。
ちらっと嗅いだだけで鼻孔から脳みそまでをバーナーで焼かれたような激痛というか不快感というか名状しがたい感覚がほとばしる。
出来ることなら一生遠ざけておきたい刺激物であることは疑いない。
これには慢性的にサボり気味な俺の本能までもが目を覚まし、目前の危機を察知、推考、即座に白旗をあげた。
判定終わり。
コイツは飲んだら絶対にまずい。
抵抗を試みんとしたが、俺の両手両足はいつの間にやらに大勢で抑えつけられており、いざとなれば発動するものだと巷で噂になっている火事場の馬鹿力が出そうな気配もどうやらない。
手持ち無沙汰な外野の現地人たちが何をしているかと言えば、連中は高々とかかげた両手で平手を打ち、パンパンパンとリズム良く音頭をとっていた。
「イッキ、イッキ、イッキ」
こいつら、絶対に日本語知ってますよね!?
一言かましてやろうかと思った瞬間、酩酊間違いなしのどギツいアルコール臭が臭い立つガラス瓶の飲み口が俺の唇に触れ――、
「んん~~~~~! やめっ、あ、あ゛ぁ゛ァ゛!」
マグマが流し込まれたかと思った。
許容ラインを一瞬で振り切る不快感に三度目の意識の暗転。
またあのこたつに戻されでもしたら笑えないな。
………………
…………
……
とんとんとんとん。
包丁がまな板を等間隔で叩く音が夢の隅っこから聞こえてきて、俺はゆっくりと現実へと引き戻された。
喉元の不快感があんまりにひどくて、さっぱりとした寝覚めというには程遠い。
例えるんなら嵐に沈みゆく船からほっぽり出されて荒波に揉まれた挙句に無人島の白浜へ流れ着いたような。
そんな感じ。
便座に頭を打ちつけて死亡し、知らん世界へと移動させられた俺の状況がまさにそんなもんだったので我ながらにマトを得た例えだなあ、と朝日の射し込む窓枠を見ながらにそんなことを思った。
スタタタ、と走り回る音が聞こえた。
わらの香りがするベッドに俺は倒れていた。
視界をぐるりと回すと組木作りらしい天井、それから丸太を積み上げた壁がよく見えた。森の奥にぽつりと立っていそうな世捨て人の家みたいだな。
俺の他にも誰かが居るらしく、食器を取り出す音に戸棚を閉じる音とがさっきっからひっきりなしに聞こえてくる。
何者だろう。
まさかあの糸目の塩顏女神じゃあるまいな。
「あんまり慌てると転ぶぞ」
天井に視線を注いだままでつい、そんなことを言っちまった。
「あ、起きたのね。おはよ!」
お勝手から元気印の第一声が勢いよく飛んできて、続けて走り寄る音。
枕元に立ち、ぬっと俺の顏を覗いできたのは女だった。
ただし、人間とは言い難かったが。
「あんたってば三日も眠ってたのよ! どう? 元気?」
「ええと。まあ、多分な」
毎度の語尾に感嘆符がくっついていそうなあんたほど元気ではないけど。
俺はといえば平常運転さ。
「へいじょう……? よく分かんないわね! とにかく元気出せ!」
ばちこ、と平手を背中にかまし、白い歯を見せて笑う女。
俺はそんなこいつを半目かつうろんげな視線でじっと見つめていた。
桃色の頭髪の時点で若干のうさんくささを感じてならないが、とりわけて目を引いたのは頭頂部からちょんと突き立つ二本の獣耳である。
ふっさりとした豊かな毛におおわれた縦長三角形の獣耳は何やら狐のようであり、ついでに言えば彼女の腰の辺りにはこれまたフッサフサな太い尻尾がくっついていた。
いったい何者だ。
なんて思う一方で俺は己のそうさして立派でもないボキャブラリーから、彼女の外見に相応しい言葉を選出していた。
亜人。
あるいは獣人に準ずる何か。
それが彼女の――、
「あたし、シャーリー! シャーリー・オーディンファイア! よろしくね!」
……と名乗る女の外見の全てである。
オーディンファイア、ねえ。
なんとも大仰な家名だ。武門の家だったりするのかね。
「ぶもん? よく分かんないけど、うちは昔っから野菜作ったり動物飼ったりしてるみたいよ。この辺りの家はどこもそんな風に暮らしてんの」
俺は「ほーん」などと適当な返事を返しつつ、頭の中ではさっさと抱くべきだった重大な謎と遭遇し、当惑していた。
そりゃ何かっつーと。
会話が成立している。
記憶が確かであるならば連中は俺の言葉を理解してるのかしてないのか、やっぱり微妙に理解している節を持ちつつもこっちの知らん言語を主に口にしていたはずだ。
だというのに目覚めた今、俺はシャーリーとのキャッチボールが成立しているではないか。
頭の上にハテナマークが群れを成して旋回し、すっかり押し黙っちまった俺を見てシャーリーが小首を傾げている。
「何か気になることがあるの?」
「あんた……失礼、シャーリーさんは俺の言ってることが分かるんだよな」
「そりゃ勿論。あんたはあたしの言ってることが分かる?」
イエスだ。
「じゃ、いいじゃん。細かいこと気にしたって仕方ないよ」
またもや俺の肩を張るシャーリー。やたらにボディランゲージが多く、欧米的だななんて思ってしまった。
彼女は「朝ごはん作っといたから。食べてよね」なんて言い残して引っ込み、手持ち無沙汰な気分を獲得した俺はそれを見つけた。
ガラス瓶。
異民族の歓迎なのか責め苦なのか未だにはっきりしない、つい直前に経験した気絶の寸前に目撃したあのガラス製の小瓶がベッドシーツの中に潜り込んでいた。
中身の失せたガラス瓶はいまや無臭。
くるりと回すとそこには日本語表記のラベルが貼ってあった。
デジタル出力的なフォントに曰く。
『異世界<ルヴェリア>へようこそ。
あなたがルヴェリアでの生活をスタートするに当たり、こちらのサポートアイテムをお贈りします。
使用方法はフタをひねってグビッと飲むだけ。
効能は言語の自動翻訳。言葉さえ通じれば当面は何とかなるでしょう。
それから困った時のお助けグッズを一緒にお贈りしておきます。
内容物は<光る剣>に<金ぴか鎧>に<賢い本>。
これらをうま~く使ってうま~いことやってください。
では、グッドラック。 担当女神:ガフ』
ラベルにはそう書かれており、もっと言うならスマイリーマークの目が糸目になっている似顔絵イラストつきだった。
「……一緒にって。いやいや入ってねえし」
何かしらの効果を秘めていそうな名称のアイテム三つが俺と一緒にこの世界へ降臨したらしいが、俺の手元にはこの身を昏倒せしめたあんまり視界に入れたくないガラス瓶があるのみである。
できの悪いスマイリーマークを見ているうちに、善行ポイントをどう積めば良いのか、そいつをガフに尋ねるのを忘れていたことを思い出した。
ポイントの確認は出来るのか、そもそも誰が判断するのか。
肝心なところがさっぱり分からん。参ったな。
シャーリーが駆け戻る音が聞こえてきたのはそんな時だった。
「お待たせー」とマシュマロみたいな柔らかい声に続いて、出来たての食事に特有の何ともかぐわしい芳醇な香りが鼻孔をくすぐり、俺は一度思考を中断することにした。
唐突だが、諸君はプクッと膨らみパンと弾ける野菜を目にしたことがあるだろうか。
俺はこれまでの人生でそんな経験はなく、つまりこれが未知との初遭遇ということになる。
「…………ほう」
「さ、食べて!」
エメラルドグリーンの鮮やかな瞳に彩られたシャーリーの目がじっと俺を見つめている。
桃色の唇はUの字のニコニコスマイルに曲がり、己の手掛けた爆弾――……料理を喰らった人間がどう反応するかを楽しそーに待っていた。
「こ、これはどうやってたべるのかなあ」
棒読みで俺は言う。
硫酸をぶっかけられたロールキャベツもどきが弾け、じゅわあ、と食事からあまり聞きたくない音がした。
まさか目の前の暗黒物質がこの世界のデフォルトな料理だったりしないよな?
もしそうなら、今後は調理前の食材しか食わんぞ。
「どうって、普通にフォークで刺して食べるんだよ」
「なるほどねー」
それで俺はどうなっちゃうのかなあ。
じゃ、いただきまーす。なんて、言えるわけねー。
こいつを口に含むには度胸と覚悟のレベルが大幅に足りない!
余熱が引けば少しはヤバゲな発泡現象も収まるかと思い、加食可能な状態へと変じるまでの時間稼ぎを兼ねて、俺はさっきっから気になって仕方がなかったことを桃色狐耳の女へ訊いた。
「ところでひとつ尋ねたいんだが、俺ってどうやってこの家に来たんだ?」
「森の中で倒れてたってお父さんは言ってたよ」
「ほう。……その時に何か一緒に落ちてなかったかな」
多分、箱とか。
剣やら鎧が入るような箱なら相当に大きいだろう。
「あたしはその場に居なかったからよく分からないけど。……あ、そう言えば武器と鎧が入ってる箱がそばに落ちてたって言ってたかな」
よっしゃ!
内心でガッツポーズを決める俺。
にやける口元を懸命に抑えて続けざまに言う。多分鼻息は荒い。
「それだ。それはどこに――、」
「売っちゃったって」
「ホワッツ?」
「行商人が来て、エール酒三樽と交換しないかっていうから渡しちゃったって」
「嘘だろ!?」
「嘘じゃないわよ。あんたが寝てるあいだ、皆で酒樽を囲んで宴会やってたんだから」
めっちゃ盛り上がったわよ、とシャーリーは言う。
どんな催しがあり、どんな料理が出たのかと彼女は目をうっとり細めてつらつらと語ってくれるが、あらゆる情報は聞き入れた次の瞬間に反対側の耳からスムーズに抜けていった。
ガフが一緒に送ってくれたというお助けアイテムならぬ三種の神器。
剣に鎧に本だったか。それぞれを実際に目にしたことはなかったが、俺はほとんど本能の域でそれらがただならぬ物品であることを直感していた。
何せ神様からのプレゼントだ。ただの市販品であろうはずがない。
それらがあれば大方の問題は指先ひとつでダウンさせられたに違いない。
得るはずだったものを失っちまった、しかも自分が知らん間に酒樽に変わっていたのかと思えば、まるで背中に貧乏神が憑りついたかのように気落ちするのも無理あらん話である。
ここまで来ると俺はヤケクソの心意気にギアチェンジを果たし、モザイク必須のバイオ兵器よろしくなデザインをしたシャーリー手作り料理に口を付けることとした。
「やっと食べたわね! ど、おいし? おいし!?」
ふさふさ尻尾を喜びモードの犬みたいにぶんぶん振り、緑の瞳の輝度を最大にしたような笑顔でシャーリー・オーディンファイアが――俺の異世界初遭遇の人間が笑う。
どんな食材がぶっ込まれ、どんな調理方法を経て誕生したのか分からん、不確定名:野菜という名が似つかわしいお手製の食事だが、これが意外なことに美味だった。
それこそ、口に入れた瞬間に電撃を感じたほどに。