#019 堕ちかけ魔王候補
ぴちょり、ぴちょり、とどこかで雨漏りの音がした。
一滴落ちるたびにイヤな想像をしてしまう、不快な音。
湿った石床に冷たい壁。
これで眠れ、と手渡されたボロい藁束が惨め気分を加速させる。
結局の話。
俺たちは三人揃って牢屋に叩き込まれ、たまに様子を見に訪れる気の弱そうな兵士にガンくれる時間を過ごすこととなった。
「……これは一体どうなっとんじゃ」
水が注がれた底の浅い皿を見ながらに俺はボヤく。
「それは私の台詞ですよ。どうして水晶球を割ったのですか? あれですか。『俺はそんじゃそこらの奴とは違う大型ルーキーだぜ。見さらせ、俺の超魔力!』だのなんだのと、自分に箔を付けたかったんですか」
こんな落ち込みシチュエーションでも会話を続けてくれる嬉しい仲間1号。
陰鬱な落ち込みムードにのめり込むよりかは、生産性皆無であろうと会話している方がずっとマシだ。
「そういう勇者的な駆け出しにはかなり憧れるがわざとじゃないぞ、遊び人」
「あまりにもな物言いに私、クリティカルヒットです。その遊び人、って単語を使うのはしばらく止めません? お腹がギリギリします」
「考えとく」
「ていうかあなたは判定が出来なかったあたり、無職と言ってもいいのでは?」
「てめーさらっと何言いやがる」
「マジ睨み……すみません。ところで、実はあの人が結果を読み間違えていて、実は私は賢者だったりしませんかね」
「魂を賭けてもいいがそれだけは無い」
「そうですか……」
すごすごと体育座りの姿勢で丸まったガフは放っといて、俺たちの現状とこれからを考えるとしよう。
ふい、と俺は右手に持った<万魔の書>へと視線を注いだ。
「やはりと言うべきか……」
暴れに暴れた超魔王の遺産だという、曰くつきにも程があるこの悪性のアーティファクトは災いを招いちまった。
天界の連中は善行を積む(予定だった)俺にこいつを所持させることで浄化を試みる腹積もりをしていたらしいが、そりゃ上手くいきそうにないことをここに明言しておくぜ。
なんせ善を行い、清い心を獲得するどころか、こうして牢屋にぶち込まれた俺の心は現在進行形で闇に染まっていってるからな。
っつーか具体的には神々へのヘイトが募っていく。
頼まれたってもう両手を合わせてやらん。
ストレスからか爪先をガリガリ擦りあわせ、床石のあいだに溜まった水溜りを眺めていると「むう」と唸り声。
壁に背を預け、腕組みしつつに桃色耳の亜人娘が不満そうな顔を俺に向けていた。
「ねえ、ハム。処断の日? までここに居ろってあのモンスターなのか人間なのか分からないお爺ちゃんが言ってたわよね」
「そうだな。処断がいつに決行されるんだか分からないが、このまま待ってたら文字通りにスッパリやられっちまうのは間違いなさそうだ」
「そんなの絶対ごめんよ! あんたが死ぬのなんて見たくないわ!」
嬉しいことを言ってくれるね。
人にこんなに思ってもらえたのは……いつぶりだろうか。
死ぬのは俺もごめんだが、実際どうする。ここから出る手段は思いつかないぜ。
「あんたのその魔法の本でドカンとやったら?」
「それは俺もチラッと……いやかなり考えたが、またあのとんでもない怪物が出て来たらどうしようもないぞ」
「なんで?」
「俺は呼び出せはするが、引っ込めることは出来ないんだ。あの時はしめじとウーデルライトのおっさんの超人二人が居たから何とかなったんだ」
「そう……。でも、このままだと不幸しか待ってないわよ。一か八かでさあ……」
死なば諸共……はなんだか悪者っぽいかね。
一か八か、か。
こうして話しているとその気になってくる辺り、俺も良い子ではないのだろうな。
この<万魔の書>なる超魔王お手製のヤバイ本には七十二種のとんでも魔法が収められており、しめじの発言と近代の歴史書によれば、それは冗談抜きに天地を揺るがす破壊力があるという。
仮に今ここで超魔王の召喚魔法のひとつ、<アトモス>という名の大口がくっついたミートボールを呼び出せば牢屋ごと壊れて逃げ出せるんだろうが、あまりにもあまりに過ぎる巨大な威力によってこの街が壊滅することは必至である。
その場合、やはり俺が下手人ということで我が悪名が独り歩きをし、賞金稼ぎやら正義を謳う何者かやら冒険者ご一行に身命を狙われる日々になることは疑いない。
これ、確実と書いて運命と読む。
俺ひとりならともかく、シャーリーとガフの二人まで危険にさらすというのはやっちゃいかんな。論外だ。
「おい、静かにしろ!」
「すんません」
看守の男だった。
常に困り眉をしており、ついでに優しげな顔をした気弱そうな男。
『何見てんのよ……?』とシャーリーが低音ボイスの一発でもかませば怯んでどこかへ消えていくのだが、しっかりと職務を遂行する辺りは根性あると言わざるを得ない。
「ねえ。処断の日って何なのよ?」
シャーリーがそんな優男へとどストレートに訊いた。
彼女の素直さは正直良いも悪いも驚くものがあるのだが、こりゃ長所と考えた方が良さそうだ。
「超魔王の遺産……<魔王具>と契約をしたそこの男のような、世に仇為す悪魔を聖騎士様が光の力で滅ぼす日だ」
まるで悪魔祓いだな。
俺は十字架を押し付けられたら大声で喚けばいいのか?
ここら辺の事情は知らないので、聞けることは聞いておこう。
「聖騎士じゃないとその……悪魔みたいな連中は始末できんのか?」
「そう聞いている。しかしお前、自分の状況が理解出来ていないのか? <魔王具>を手に入れたのはお前自らの考えなんだろう?」
その質問にはイエスとノーの半分半分の返答をもって答えるしかない。
天界から押し付けられた形ではあったが、手に入れた後に調子に乗ったのは俺だからな。
看守の男は溜息をひとつ。
「超魔王が倒されたって聞いた時、ようやく世界に平和が戻ったのだとおれは心底から安心したんだ。だけど次はなんだ? え? 超魔王の遺産に触れた奴が、次から次に魔王候補に変わっていくって言うじゃないか! 本当にどうなってるんだ。おれはもう地獄を見たくなんてないのに……」
魔王候補、ねえ……。
次から次にと言うからには結構居るんだろうか。
「この<シンダール王国>でも直近の三ヶ月で数人の出現が確認されてる。誰も彼もが街を荒らして悪逆の限りだ」
「そりゃ確かに魔王だな」
「連中は何かを探しているようだが……おれの知るところではない。とにかく、ギルドも<五神教>も、遺産に触れた奴が悪に堕ち、魔王候補として目覚める前に消そうと躍起になっている。つまりお前のようなやつを、だ。まさか自分から冒険者ギルドにのこのこやってくるとは思わなかったがな。ふん! しばらく笑いのタネだな」
むう、と俺は唸り声。
確かに言われてみりゃあゴキブリホイホイに自ら突っ込んでいった哀れな獲物だ。
俺が野次馬の一人だったのならば、次の酒の席で間違いなく話題として挙げるだろう。
爆笑間違いなしだ。俺は自分のことだから笑えねー。
「この街近辺を担当している聖騎士様は若いが勤勉なお方だ。三日後後には早馬に乗ってお出でになさるだろう。男よ、お前の命運はそこで尽きる! それまでの短い付き合いだがよろしく頼むぞ。ふはは」
「なーにが、よろしく、よ! こっちはよろしくしてやんないわよ! べーだ!」
「こらこらやめんか」
そうして看守の男の靴音が遠ざかり、音が消えた頃に俺たちは顏を見合わせた。
「……俺だけならともかく、お前たちまで魔王候補のお仲間と見なされてやられちまいそうな雰囲気だな」
それだけは駄目だ。
「やっぱ魔法、使う?」
「それもヤメだ。お外で破壊にふけっているらしい無法者と同じになる必要はないぜ」
「だからって悲嘆に暮れて自害をする、なんてのはやめてくださいよ。死体と同じ牢屋で過ごすのは嫌ですからね。それに地獄行きです」
体育座りの姿勢で膝のあいだに頭を挟み込んだガフが言う。
安心しろ、そんな精神衛生上よろしくないものを見せるつもりは毛頭ないし、みすみす死ぬつもりもないからな。
ていうか地獄って本当にあるんだ。
まあいい。
「シャーリー。俺たちは牢屋は出れないものだという固定観念に囚われすぎていた」
「こてーかんねん?」
「……思い込みだ」
「ああ! そうね。牢屋は出れないものね!」
ところがどっこい。
意識の上では出れんと思うが、鉄格子など所詮は物質。
通用するんなら力技でどうにかなる。
「その鉄格子を握ってくれ。そんで、こう、穴を作るつもりで開いてくれ」
「こう?」
きょとんとした顏を向けるシャーリー。
その両手が握った鉄格子は飴細工のようにぐんにゃりと歪んでいた。
落ち込まずに最初っからこうすりゃ良かったのだ。
人ひとりは余裕で抜け出せそうな楕円の穴。
脱獄するにゃ十分だな。
「ガフ、出れるぞ」
岩屋の奥底に生えたキノコみたいにジメついていた女がパッと顏をあげて、
「本当ですか!? やったあっ! シャーリー様、ありがとうございます!」
「天界出身が人間をありがたがるなよ」
「でもここからどうするんですか? 顏は割れているから脱出は難しいですよ」
「看守も居るわね。バレたら大騒ぎよ」
「ふ、天才の頭脳をなめるなよ。抜かりはない」
「そんな人はこの近隣一帯に皆無ですが……」
ガフの言葉を聞き流した俺はサイバトロン司令を思い出し、偉そばりつつ、威厳をもちつつの声を作り、
「――……俺に考えがある」
格好つけてそう言った。