#010 ダマサレ男と落とされ女神
この女には見覚えがあった。
薄い顔立ちに糸目の女。
光沢のある金髪。少女らしいやや丸みの残るあご。
今回は週刊雑誌を片手に持っておらず、また半纏を着込んでもいなかったが、この顏には確かに見覚えがある。
女神ガフ。
そっくりさんじゃなけりゃあ、真性の女神が地上へと落っこちていた。
彼女は見事に気絶をしていて、いくら呼びかけようとも返事はない。
高所からの落下が原因だろうか。
気になることも聞きたいことも山ほどあったが、目下もっとも俺の注意を引いたのは、真ん中分けの額にセロテープで貼りつけられた一枚の紙だ。
風の残滓にひらひら揺れる用紙に記された文字は女神ガフの処遇をこれ以上なくまざまざと表すものである。
『降格処分』。
たった四文字の言葉が俺の想像力をかきたてる。
「処分って。こいつは何をしでかしたんだ?」
答えをもつ女神は絶賛気絶中。
まあいいさ。後々で話はいくらでも聞ける。
俺はガフの額から紙をぴっと取り、作業ズボンのポケットにねじ込んだ。これは後々で使えるかもしれん。
「ハム。お前の知り合いか?」
仰向けで気絶しているガフを指先で突きながらにオヤジさんが言った。
「そんなところです」
「空からおっこってくる奴と知り合いなんざ、お前も意外と顏が広いんだな。冒険者なんて嘘っぱちのただの放浪男かと思ったが、いや、悪いな」
背筋に冷や汗がじっとり浮いた。
バレていたとは。ま、そりゃそうか。
ひょろっこいもやし小僧がたった一人で重そうな箱を担いで西に東に旅をしているとは普通に考えりゃ信じられないよな。
申し訳ない。
全部を全部話すわけにはいかないのが心苦しい。
「実を言うとその辺りは真実半分に秘密半分でして……」
口の回りが悪い。
「いいさ。言えない事情があるんだろ」
「すみません。いつか必ずお話しますので」
「おう、気長に待っとく。それでこのべっぴんさんはどうする? うちに連れてくか?」
聞きつつもオヤジさんは手早くガフの体を担いでいて、家へと足先を向けるところだった。
巨漢の彼の背にぐったりともたれかかった女神の姿はなんだか狩りで仕留めた獲物のようであった。
オーディンファイア家へ戻り、事情を聞いたシャーリーはすぐさまにベッドを整え、水桶に濡れタオルの看病セットを手早く支度してガフの枕元を陣取った。
「ハムは今日は休め」
「いいんですか?」
「代わりにシャーリーと二人でこの女の面倒を見てやれ。畑仕事は慣れてんだ、一人でやるぐらいどうってことねえよ」
言ってオヤジさんは爆風で荒れに荒れた畑へと戻り、俺はシャーリーの真横に椅子を運んで腰を掛けた。
ガフ。女神ガフ、ね。
こいつと出会うのはおよそ二週間ぶりのことになるが、相変わらず起きてるんだか寝てるんだかいまいち分からない糸目だ。
ベッドですーすー寝息を立てているが実は起きていて耳を澄ませてる、なんてことないよな?
シャーリーが居なければ鼻でもつまんで確かめるんだが……。
そうして夕方になった。
ガフは回収した昼からカラスが鳴き出す時間まで丸々寝続け、「落ちる!」と叫びをあげつつ飛び起きたのは畑へ戻ったオヤジさんが出戻った直後のことであった。
シャーリーは帰宅した父親を迎えに行っていて部屋にはいない。
「こ、ここは……」
「ルヴェリアだ。あんたの視点で言うなら下界かもな」
よく寝たな、とは言わなかった。何せ俺ときたら三日も寝ていたらしいしな。
「はっ! あなたは木下、」
まさかここで出会うとは思わなかった。
あるいは予定に無かった。
そんな具合に口をあんぐりと開き、女神様が俺を見やる。
「ハムだ」
危うく俺の本名を口にせんとしたガフに先んじて言葉をかぶせる。
唐突に飛び出した美味しいお肉の名前に女神、困惑。
「ハム……!? 何故に今ここで加工食品の名を……美味しいですが……」
「ここではそういう名前で生きることに決めたんだ。それと俺が一度死んでこっちに来てるってのは伏せといてくれ。なんつーか、諸々察してくれ。頼む」
「よく解りませんが解りました、という体で頷いておきましょう」
ひょいとシャーリーが顏を覗かせたのは、糸目女神とそんな段取りを済ませた直後のことだった。
「起きたの?」
「ええ。介抱をしていただいたようですね。感謝の言葉もありません」
「いいのいいの! お互い様ってやつよ!」
俺の肩の後ろのあたりでシャーリーが楽しげに笑う。彼女の感情は今のところ喜怒哀楽の『喜』と『楽』ばかり見てるなあ、なんてぼんやり思った。
ガフは別段に驚いた様子もなく(もしくは現状を受け入れきれずに脳みそがオーバーフローを起こしたのかも知れんが)、「素敵な方ですね」と俺に見せたことがない笑顔を浮かべた。あるいは営業スマイルか。
「あんた、どっから来たんだ?」
茶を豪快にすすりながらに登場したシャーリー父。
四角い顏にはこれといった感情は見当たらない。
「空から落ちてきた時にはハムと二人で面食らったもんだぜ。まさか天使? そんなわけねえよな」
そんなわけあるんです。
「天使とは……ふふ。彼らとこの私とでは、存在の格というものが大いに違います! 私の名はガフ。死者の魂に導きを与え、愛と希望を司る女神。今回はこの美しきルヴェリアの大地を見聞する為に……こ、降臨をしました」
身なりをしっかり整えるとやたらに神々しくなるとは、俺の審美眼も捨てたもんじゃないらしい。
ガフは胸の前で両手の指を組み、祈るような仕草をして名乗りをあげた。
ところでお前の役職、そんなに多かったか?
人間風情にゃどうせバレんだろうと設定を盛っていたら張り倒すぞ。
オヤジさんはまた変なのがきやがった、みたいな顏をして胡散臭そうなものを見る視線を注いでいる。
なにやら白昼の聖堂じみた静謐な空気が場に漂いはじめたが、そんなもんを無視して俺は言ってやった。
「ウソつけ」
「ギクリ」
「何が見聞、だ。こっちにはお前のハッタリは丸っとお見通しだからな」
びくりと身を震わせるガフだったが、そこは場数を踏んだ女神らしく即座に冷静を取り戻した。
ちょこんと揃えた膝の上で両手をぎゅっと握る。震えてるのは動揺かな。
「か、神に向かってハッタリなどと……何と無礼な輩でしょうか! そもそも何を証拠にそのような、」
「ならこの『降格処分』と書かれた紙の説明をしてもらおうか!」
「ほぎゃあああああっ!? そ、それはーっ!?」
なんつうリアクションをしやがる。
体をのけぞらせて大口を開ける女神。
直前まで部屋に満ちつつあった神秘性はあっという間に霧散して、夏の風にさらわれて消えた。
後で塩を撒いておこう。
「どっどどどどこでそれを!?」
「気絶してるお前のデコに貼りつけてあったぞ。上で何やったんだ。白状しろ」
「くっ……何ていうことでしょう。便座で死ぬような不幸人間に弱みを握られるなんて……『くっ殺せ』とはこういう時に言うのでしょうか……」
「なんて無礼な野郎だ」
「あなたに言われたくありません! それにその冷たい目をやめてください!」
嫌っ! とガフは大して見えていなさそうな糸目を両手で隠した。
一応言っとくが指のあいだから覗いてんの、バレてるからな。
完全に俺とこいつだけの空気になっているが、場にシャーリー親子が居ることを忘れてはならない。
「なあ、何があってこうなったのか、正直に言って楽になっちまえよ。苦しいだろ?」
「……おハムさん……」
本名と今生の名の境で丁度良いところを引っこ抜いた名でガフが呼ぶ。
つーかペットみたいに言うな。
「このオヤジさんのもてる筋力全てで雑巾絞りされたくなかったら白状しとけ。な?」
「優しいのか追い詰めてるのかどっちなんですか」
ガフはシャーリー父の大木のごとき二の腕を見るやに想像力を働かせ、脳内のソロバンで損得勘定を弾くととうとう白状する。
「……分かりました。実は私、とある失態をしてしまいまして。ミスを拭うためにお前が自分でどうにかしてこいと上役に怒鳴られ……もとい通達され、下界であるこのルヴェリアへと遣わされたのです。さらに言えば女神ではなく、女神候補に降格されました」
遣わされた、と書いて突き落とされたと読む。
「元女神(笑)がわざわざ下界に赴いて対応せにゃならん失態って一体なんだ? 宝物を落っことしでもしたのか?」
「腹立たしい……! いえ……実はこの世界が滅んでしまうかも知れない切っ掛けを……その……作ってしまったのです」
「滅ぶって?」
と、シャーリー。
「ええと、えと、ですね……」
なんだか歯切れが悪い。三人に見つめられたガフはどうにも気まずそうに顏を背けたが、俺は容赦なく白い首筋目掛けて追い打ちをかけた。
「早く言え」
「端的に言って超魔王を復活させてしまいました」
「……は?」
「わ……わわ……わざどじゃないんでずうっ!」
唐突の涙声が耳を打った。
糸目の端っこに水滴をきらめかせたガフが俺を目掛けて飛びつこうとしたが軽やかなステップでさっと回避し、哀れな女神はベッドシーツの上に上体を突っ伏した。
そのまましばらくやいのやいのとベソを掻いていたが、シャーリーの「失敗は誰でもあるよ。くよくよしちゃだめだよ」という、よっぽどそれらしい神性成分を多分に含む天使の声にようやくポンコツ女神は泣きやんだ。
とぎれとぎれの話を聞いてみりゃあ、つまりこういうことだ。
ルヴェリアの勇者に打倒されて死んじまった超魔王は魂の姿でガフの下を訪れた。
超魔王もまた何かしらの特例だったらしく、俺と同様にガフとの面接を行ったがやはりというべきか生前の悪行がマイナスポイントだったということで転生は認められず、亜空間シュレッダーにかけられる運命にあった。
俺と違う点は、こいつには情状酌量の余地なしと判断されたってとこだな。
人生のやり直しの機会も与えられず、消滅まっしぐら。
ま、世界規模で暴れるS級不良には妥当だろうさ。
魂魄消滅の項目にハンコを押そうとしたガフだったが――話を聞いてもここはいまいち腑に落ちないのだが――用を足しに席を立ったという。
時間にして一分も無かったと彼女は言うが、ともかくガフが目を離した隙に超魔王の魂はこのルヴェリアへと再び舞い戻っちまったそうで。
「うぅ……先程の光の柱はご覧になりましたか?」
「そりゃまあ見えたさ。世界の果てからでも見えそうな物凄いもんだった」
「家ががたがた震えてもーすごかったんだから」
シャーリーも乗る。家に帰った時に掃除をしていたのはそういうワケね。
「実はあれ、超魔王の遺産である武具に道具……いわゆる<魔王具>を封印する儀式を行っていた方の一人に、超魔王本人の魂が乗り移ってしまった際の魔力波なんですよね」
「ふーん……」
「あれ、いまいち反応が薄い」
「いや実感があんまり無いからな」
酒好きの村長が隠し持ってる酒蔵に魔王にゆかりのあるグッズ云々を封印する絵しか思い浮かばない
意味わからん、と思いつつ炊飯ジャーに人を封印する漫画を思い出した。そんなんあったな。
「封印を行っていた面々にはあなたの……ええと、おハムさんの知り合いもいらしたはずです」
知り合いね。この世界での知り合いは村の面々にシャーリー親子だけだ。後は魔法の講義を約束した魔法使いの女。その名をしめじ。
「その方です」
「なんだと?」
「そのしめじと名乗る方は光の柱の爆心地におられました。幸い生きていらっしゃいますが、今は分かりません。まあ随分とタフな方ですから大丈夫でしょう」
「待て。なんだってそんなことをお前が知ってる」
覗き見してたわけじゃないよな。
「してました。すみません」
「まさか俺を逐一監視してたんじゃなかろうな」
「さてえ? 何か見られて困ることをしていたんですかねえ、あなた」
「くっ……」
この野郎、確信犯だな。首をかしげてニヤニヤ笑いでこっちを見るんじゃない。
マウント取ったつもりで良い気になるなよ。
俺が若い男故の葛藤をどう扱っていたのかなど、シャーリーの目の前で語ったら神殺しを瞬間で実行してやる。
「何の話?」
「ハム、お前。まさか……」
屈強なる父の眼光が鋭く光る。
殺気ってヒリヒリするんだな。
「何もしてないですよ! 無実です。だよな。そう言え、ガフ」
ぎろり。
「ひっ……は、はい」
ふーん、とシャーリー。
「ま、良くわかんないけどご飯食べよ。ガフさんも食べる?」
「わあ。食事ですか、いただけると嬉しいです。是非ご相伴にあずかりたい」
調子の良い女神だな。
超魔王が蘇ったのなら、この世界はまたも戦々恐々だろうに、まるで他人事だ。
まあいい。
このニコニコ笑顔もいつまで続くか見物だ。
それから一分もたたずのこと。
慈愛の女神の顏が食事を前にしてフリーズしちまったことをここに言い加えておこう。
「何ですかこれ」
「ロールキャベツだけど?」
「な、なるほど……」
二週間前の俺を彷彿とさせる良いフリーズ具合である。
気持ちは分かるが、慣れてしまえばどういうこともないのだがな。
据え膳食わぬはなんとやらだぜ。
「食わないのか? 結構うまいのに。シャーリーは料理上手だなあ」
「嬉しいこと言うわね! 特別にもひとつオマケよ!」
「うっひょー、やったね」
「ひいぃぃい……飯を……食べてる……!?」
目の前の光景が信じられんと薄い顏にまざまざと書いてあるような引き顏でこっちを見るんじゃない。無礼だぞ。
「あなた……私の想定を上回るぐらいにタフになりましたね……いやほんと。何なら私のも差し上げ――、」
「ガフさんよお……うちの娘の料理が食えねえってのかい?」
「……ひえ」