#001 不運なる始まり
人生は素晴らしいもんなんだ、と誰かが言った。
出所はテレビの中でしょっちゅう流れるコマーシャルのワンシーンだったかも知れないし、俺の周りに居た大小さまざまな連中だったかも知れない。
彼らは『生きてればいいことがあるよ!』などと素晴らしき人生をより良く楽しむ秘訣みたいな耳に嬉しい文句を口にしていて、それを聞く俺も俺でいかにも興味関心をもっているかのようにそれらし~くウンウンうなずいて聞いていたが、実のところ、俺という人間はそんなどこまでもユカイでお花畑なうさんくさい言葉をこれっぽっちも信じちゃいなかった。
社会のレールにケチをつけたり、意味もなく格好つけたりとそういう思春期にありがちな特徴を延々引きずって生きてきたのとはまた別の話で、俺が人生に大層な意味なんてあるわけねーと思ったのは中学二年のこと。
それは頬杖を突きつつ眠気に耐えつつ、でもやっぱりうつらうつらと舟を漕ぎながら、白いチョークを指でつまんで黒板いっぱいに何事かをばんばん書きなぐる社会科教師のすっかり禿げあがった後頭部を見つめていた時のことであった。
板書には先人たちが築き上げ、いつの間にかにガチガチに出来上がっていた税金支払いのシステムやら、今はのんきに日々を送っている我々クラス一同、未来の労働力がどんな末路を迎えるのかという、夢と希望なんてもんはミカンの甘皮の厚みほどもない、悲愴の極まった文字列がどうやらかつて身をもって体験をしたらしい教師の手によって懇切丁寧かつ痛烈に書きつづられていた。
俺は唖然としたね。
この時の教師の頭の中にいったいどんな思惑があったのかは知る由もなかった(おおかた若さへの腹いせかストレス解消だろうとは思う)が、少なくとも生徒のひとり――つまり俺だ――は、『こんな世界、面白くもなんともねえじゃん』と気付いてしまったのである。
ゲームやら漫画といった、白いキャンパスさながらの若い感性に化学反応しまくって止まないもんに熱中する年頃だったというのもまた、クリティカルヒットを喰らっちまう要因だったのかもしれんが今更ブー垂れても後の祭りだったし、するつもりもない。
中学から高校それから大学とレールに従ってなあなあと人生の駒を着々と進め、突拍子もない運命の出会いが無ければ、どっか知らん世界に放り込まれることもない、本当に何でもない現代日本の極めて平均的なふつーの日々をいたってノーマルに過ごしてきた。
ふとしたある日、コンビニで変わり映えのしない弁当を選んでいると『もういっかなあ』なんて唐突に思った。
もう何年もない割と先の未来に社会の歯車として迎えられ、燃え尽きるその日まであくせく働いて何になるというのか。
未来にユカイなことなんてこれっぽっちも無いぞ、と教えてくれた社会科教師も、友人連中に親兄弟もその辺りはまるで言っちゃいなかったし、本人らも答えを持ち合わせてはいないのだろう。
ついでに言うんなら当然俺も持っていない。
頭部が寒くなる年頃になっても未だに現役でバリバリ働いている親父の背中を見てもいまいち幸せそうには思えないし、居間でワイドショーを見ながらかき餅かじってるお袋の横顔もまた同様である。
運命の女神の気まぐれか、またはうっかりの操作ミスなんぞでこの俺が恋愛イベントを迎え、何のかんので家庭を設けてしまうような未来を手に入れちまったとしても、そこに待ち受けているのはたいして面白くもない灰色かつ起伏の無い日々であることは疑いないね。
この際だから言ってやる。
そうとも。
数年越しになるが今この場ではっきり言ってやるぜ。
こんな世界、面白くもなんともねえ。
俺がおよそ20年間にわたって待ち望んだのは、UFOが地球に来訪したり超能力者が世界を席巻したり異世界との扉が繋がっちまったりといった面白おかしい世界的非日常なイベントだったが、結局その内のひとつどころか片鱗さえも起こりやしなかった。
ベルトのバックルを光らせて奇抜なデザインのバイクをかっ飛ばすような変身青年とは出会わなかったし、ランドセル背負って走り回った小学生の頃に未来にはまず間違いなく普及していると信じていた空飛ぶ自動車も登場していない。
21世紀を迎えて17年が経過をしたが、俺は未だにカップラーメンに湯を注いで3分間をじ~っと待っているのだ。
来世紀にもなれば机の中からやたらに世話を焼いてくれる猫型ロボット(需要を意識して美少女にデザイン変更してくれ)が出てきたり、円錐やら飴玉みたいな理解しがたいデザインをした未来的なビルがあっちこっちに杉林よろしくといった具合にばんばん立ち並んでいるのかも知れんが、その頃の俺は光の溢れる新世紀を満足に楽しめない老齢になっていることは疑いない。
つーか下手すりゃ頭に白い三角巾を結って茶をすすってる可能性さえある。
やっぱり九分九厘くたばってるな。そんなもんはご免だ。
結果として俺が人生のやる気を失い、昼間っから公園でブラついているような人間にクラスチェンジを果たしてしまった理由は色々とあったが、人生における悲喜こもごもの『悲』の部分ばかりをつらつら語っても周りは楽しいかも知れんのだろうが、肝心の俺本人はゲンナリして萎れていく一方なのでわざわざ語らん。
もはや期待するのは来世のみ。
宇宙をめぐり、生命を見届けるという漫画の神様的火の鳥(目線を入れてくれよ)は「もう一度人間になりたいなんて馬鹿いっちゃいけない。あんたは小さな虫に生まれ変わって一からやり直すんやで」などと虹色の光をバックに説教を垂れるだろうが、そんなもんは知ったこっちゃない。
俺は次も人間に生まれ、ついでに贅沢言えば地球とは縁もゆかりもまるで無い、ファンタジーな世界で面白おかしく生きてみたかった。
願いよ叶え!
努力もせんくせにどうしようもなくワガママな野郎だと自分でも思う。
けど、希望ってもんは黙って抱え込むよりかは、いっそ口に出して言っちまった方が良い場合が多々あるものだと俺は経験則で知っていた。
………………
…………
……
「……さてと、寝る前にトイレでも行っとくかな」
こんなことを考えているうちに猫型ロボットの形した時計の針は午前0時を通り過ぎ、日頃の習慣としてトイレへ向かい、何の問題もなく用を終えたその時だった。
スリッパが滑り、
姿勢が崩れ、
便座に頭を打ち付け、
俺はあっさり死んだ。