第5話
ナナシ
「見えてきました、魔王城です」
あれから1時間かけて森を抜け、飛び続けたおかげで夕方までに魔王城が見える位置にまで来た。
「ここいらは確か傲慢領だったか?」
「そうですよ。ナナシさんは来られたことがあるんですか?」
「5年前はな。ここ数年は森から出てないからなぁ。しかし変わらいな、ここは。そうか、残していたんだな」
「それはそうですよ、わざわざ壊すのも勿体ないじゃないですか」
「戦争の際に必要だったから建てはしたが、その後も利用されているのか?」
「はい、主に父や母が友人を呼んで飲み会をしてますよ」
「……」
元々5年前に魔王城なんて魔族領にはなかった。そもそも魔王なんていなかった。しかし、天使族が人族に魔族討伐をそそのかし、勇者召喚なんてするから大変だった。その国の王が勇者に魔王討伐を依頼したからである。存在しない魔王を討伐するために、勇者はその国にいた魔族を襲い始めた。いずれ魔族領に攻めてくることは目に見えていたし、魔王が存在しないのなら魔族を殲滅しだす恐れもあった。だからわざわざ魔王城を作り、魔王を誰にするか決める必要があった。
しかし、もっと良い場所があるだろうに。わざわざあんな場所でやらなくとも。
「まああの人たちらしいな」
「そうですね、きっとこれからナナシさんも付き合わされることになりますよ」
「勘弁してくれ、俺は酒が弱いんだ。あの人たちに付き合うと次の日に死ぬ思いすることになるからなぁ。」
リリアが笑ってきたので、ため息が出た。
魔王城に入ると、物凄い勢いでリリアに近づいてくる人がいた。
「リリアちゃぁぁぁん、お帰りぃぃぃ!」
「お母さん、人前です!落ち着いて!」
物凄い勢いでリリアに抱き着いている人は、俺も見覚えのある人だった。リリアの母親であるアリスさんだった。恥ずかしそうにしているリリアにお構いなしに抱き着いている。5年前と変わらない様子に、つい懐かしい日々を思い出す。
そうだ、この人はいつもこんな調子だった。人懐っこい笑みを浮かべ、親しい人によく抱き着いていた。
「あら?もしかしてナナシちゃん?」
回想にふけっていると、こちらに気づいたようだ。
「お久しぶりです、アリスおば」
次の瞬間腹に蹴りが入った。
「ごふっ」
「ナナシさん!」
「あらあら、今なんて言おうとしたのかしら?」
…そうだった、完全に忘れていた。「おばさん」は禁句だったな。普段のほほんとした雰囲気のこの人は、禁句を言われるたびに恐ろしい身体能力を発揮し、般若のような顔をして怒っていた。今も見ろ、顔は笑っているが目が笑っていない。蹴りもほとんど見えなかったぞ。
「いえ、けほっ。アリスさんもお元気なようで」
「ナナシ君も変わっていないようね、安心したわぁ」
うん、無かったことにされたようでなにより。これ以上の折檻はごめんだ。
「やれやれ、相変わらずのようだな」
億からもう一人やってくる。こちらも見知った顔であり、リリアの父親である。
「お久しぶりですジルさん。そちらも相変わらずのようで」
懐かしい顔ぶれについ頬が緩む。
「はは、まあな。楽しく過ごさせてもらっているよ。今回は急な話ですまなかった。疲れたろう。ゆっくりしていってくれ。ここで話すのもなんだし、食堂に行こうか。もうすぐ飯の準備もできるころだろう。部屋も用意してあるから、荷物を降ろしてくるといい」
「そうねぇ、外に出ている子たちもそろそろ帰ってくるでしょうしねぇ。リリアちゃん、ナナシ君の部屋に案内してあげて」
「分かりました。ナナシさん、行きましょう」
「あいよ。んじゃ、お言葉に甘えてゆっくりさせてもらいます」
ジルさんとアリスさんは先に食堂に行くらしく、俺はとりあえず荷物を降ろすことになった。別れ際、
「そうそう、ナナシ君」
「どうしました、アリスさん?」
「おかえりなさい」
「……ただいまです」
上手く笑えていただろうか。涙を堪えるのに必死だった。