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視線の先  作者: 神崎みこ
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その先にあるもの(上)

 何かから逃げ出して、都合の良い場所へと逃げ込む。行き当たりばったりで生きてきた、つけが回ってきたのかもしれない。


「いいかげん、家事を覚えてくれないかしら」


元々口うるさかった母は、私が帰国した喜びが薄れたのちは、やっぱり元通りの口やかましい母に戻ってしまった。寝込んでいたのは一時で、不甲斐ない私の存在にすぐさま復活するあたり、この人のやってきたことはデモンストレーションの一種だったのだと思い知る。

今では、妹が分担していた家事が一気に増え、相当負担に思えるようになったらしい。だからといって素直に言いつけを守るような私ではない、残念ながら。


「それに、いつまでもこのままってわけには……」


ちらりと、新聞を読んでいるフリをしている父へと視線を走らせる。

彼らの言いたい事は予想できている。

それこそ大昔から嫌と言うほど繰り返されたやり取りだから。


「このままだと、ほら、なんていうの?カタカナで……、花嫁修業っていう年でもないし」


たぶんニートのことだし、それでも定義を外れていると思うけど、あえて口には出してやらない。


「世間体がね……」


予想通りのセリフに一瞬笑いがこみあげる。父を振り返るが、背中が雄弁に“役立たずは出て行け”と物語っている。

この人たちはいつまでたってもこうだ。

お気に入りのおもちゃが返ってきたはいいが、維持するのに思いのほか手間もコストもかかるので、放り投げたくなったのだろう。私が手放しで愛されているわけではないことはわかっていたけれど。


「美緒だったらよかったのに」


妹が出て行った理由が、自分達にあるとはつゆほども思っていない母は、禁句をあっさりと口にする。

彼女達は私が帰ってきたから彼女が出て行ったのだと思っているのだろう。それは確かにその行為を加速した部分はあるかもしれない。

けど、ただ、それだけだ。


なのに、この人はそんなことをわかろうともせず、相変わらず外へと原因を求めている。


食器棚から手当たり次第につかんだ食器を床へ投げつける。

床にあたってお皿が砕け散る無機質な音と母の悲鳴が混ざり合う。

こうやって壊せばいいなにもかも。


「やめなさい、里緒!!」


遠巻きに私を見つめる両親の視線が突き刺さる。




あれは、自分。


なにもかも原因を外へ求めてきた私自身。


わけもなく反抗していたくせに人一倍甘えていた私。


それでいいと思っていた。それで大丈夫だと思っていた。


だけど。


「頭、冷やしてくる」


 何ももたずに、目的もなく住宅街をさ迷い歩く。

ただ闇雲に歩き回っても、頭は冷めない。混沌とした思考は、子供の頃からの様様な出来事を繰り返し思い出させる。


「里緒さん?」


不意に聞き覚えのある声に反射的に振り返る。

幼馴染とも言うべき年下の男の子と、見知らぬ女の子がこちらを注視していた。

コンビニの帰りだろうか、彼女の手にはビニル袋がぶら下がっている。


「こんなところでどうしたの?」


相変わらず人懐っこい笑顔で話し掛けてくる青年は何の屈託もなく、ニコニコとこちらへと近づいてくる。隣の女の子はあからさまに不機嫌な顔をして怪訝そうな視線で私へ敵意を見せる。


「いや、ちょっと散歩、かな」

「ははは、里緒さんらしいや」


その笑顔が今は少しだけ胸に痛い。

彼女が小声で「だれ?」と彼に問う声が聞こえる。彼はわずかに鬱陶しそうな顔をしながらも、問われるままに答える。


「同級生のお姉さん」


誰々のお姉さん。

言われなれた言葉、聞き慣れたセリフ。当たり前のような言い回しに、私は胸の奥をえぐられるような痛みを感じる。

誰もが私を美緒の姉だと呼んだ。逃げ出すように結婚した後には、私を夫の妻と呼んだ。

少なくとも裏を返せば、美緒は私の妹だと言われていたはずだけど、そんなことにはちっとも頭がまわらなかった。

単純に嫌だったのだ、誰かの所有物のような、おまけのような扱いが。

私が私でなくなるような。“里緒”という一人の人間として見られていないのだと思い込んでいた。妹にたいして拗らせていた私は、人の妻になってさらに拗らせていく。

鬱屈とした気持ちはたまっていき、日増しに膨れ上がっていった。

極限まで育ちきってしまったねじれは元には戻れなくて、やがて破滅を迎えた。

今ならばそんな自分の気持ちを紛らわせるすべも、相手に伝える方法も見つかるはずなのに、慣れない外国暮らしは努力をしよう、という気力すら私から徐々にはぎとっていたらしい。


「里緒さん?」


黙りこくって考え事をしていた私を心配そうに多紀君が覗き込む。隣の女の子は相変わらずこちらを睨んだままだ。


「ごめん、ちょっと考え事してた」

「ええ?里緒さんが考え事?」


おどけて笑って見せた彼の笑顔は、本当に相変わらず屈託が無い。私が何かを考えていること自体が信じられないのだろう。そういう風に思わせてきた私の方に責任があるのかもしれない。だけど、ここにきて、多紀君と美緒が恋人には決してなれない理由が、片鱗だけどもわかってしまった。


「美緒に連絡とれてる?」

「いいえ、俺あいつのこと、何も知らなくて」


素直に首を横に振る彼に、新たな女の名前に敵意を剥き出しにする女の子。これぐらいある意味素直な女の子の方が彼とはうまくいく。そんな気がした。


「そう……、まあ、美緒のことだからうまくやってるでしょうけど」

「俺なんかより遥かに頭がいいのは確かです」


二人して笑いあう。


「そうそう、多紀君。私アメリカに帰るわ」

「帰るって?」


ぎょっとした顔をして、私の方へと詰め寄る。


「だって、里緒さん」

「そのつもりだったんだけどね……」


驚いた顔を隠そうともしない彼の方をまっすぐに見据える。


「もう逃げないことにしたんだ」

「どういうことっすか?」

「まあ、そういうこと」


バイバイと右手を振ってみせ、来た道を引き返す。

無茶苦茶に歩いた割には、殊のほか実家への直線距離は短かった。



海の向こうにいる夫が今ごろ私のことをどう思っているのかはわからない。

愛想を尽かしている可能性のほうが高い、と思う。


だけど、もう一度だけ。


早急に準備にとりかかったわたしは、両親が止める間もなく旅立った。

こんな形でしか彼らから離れられない私だけど、それでも一応感謝はしている。


これからは、逃げ出さない。

鏡に向って、この世で一番近い同性である妹に誓う。

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