絡まる
突然いなくなってしまった妹の居場所は、探すまでもなく突き止めることができた。
彼女は勤務先までは変えていなかったから。
優等生だった妹の反抗は、思った以上に我が家へダメージを与えた。
母はこれみよがしに寝込み、父はあからさまに不機嫌だ。おまけに、満足に家事ができない私に対しても微妙にイラついている。
両親と自分とは、あまり相性が良くなかったことを今更ながらに思い出した。
だからこそ、あれほど反抗していたのだから。
勤務先で待ち伏せしていた私は、有無を言わせず喫茶店に連れて行かれた。相変わらず無表情な妹は、血が繋がっている姉ながら何を考えているかわからない。
「黙って出て行ったりして」
多少物言いが非難がましくなるのは仕方がない、と言い訳をする。今の実家の状態は、美緒が作り出したものなのだから。
「出て行くって言ったでしょ?」
「そんな!!あんな風に言い捨てるように言っておいて、言っただなんて」
「それでも、何も言わなかったじゃない。出て行けとも出て行くな、とも」
美緒に突きつけられた言葉に、一瞬詰まる。あの時、彼女に言われた言葉の意味を咄嗟に理解できなくて、誰も聞き返すことができなかった。あの「妹」が波風をたてるようなことをするはずがない、と、なぜだか信じ込んでいたから。
「母さん倒れたわよ」
同情を誘うようないやらしい文句を口にする。倒れたといっても命にかかわるわけじゃない。あの人はああやって、子供たちを思い通りにしようとアピールするタイプだ。だけど、そうは言っても親を捨てられないはずの妹は、きっと心配してくれるはずだ。
けれども、彼女から出た言葉は期待していたものとは正反対のものだった。
「そう……。でも姉さんがいればいいでしょ」
眉一つ動かさない表情に、本当に切り捨てられたのかもしれない、という恐怖心が走る。そして、心の奥底でもっと根本的な恐れを抱く。
「そんなわけ、ないでしょ。美緒のこと心配している」
だけど、美緒のことだけを単純に心配しているのではないことは、いくら頭の弱い私でも薄々感づいている。
「姉さんさえいれば、あの人たちは満足なんだから、それでいいじゃない」
美緒の言葉に意気込んできた気持ちが急激にしぼんでいく。
私が、純粋に両親に愛されているとは思わない。だけど、美緒のことを手放しで愛していると言える態度をとっていなかったことも知っている。
「何を言ってるの?さっきから。美緒だって大事な娘じゃない」
こんな風に説得している自分の中にも、薄汚い思惑が隠れているのもわかっている。
彼女を心配しているのは本当。
だけどそれ以上に自分のことを心配している私がいる。
両親と取り残された私はどうすればいいの?
彼女さえいてくれれば、また私は好きなことができるのに、と。
醜い心。対峙したくなかった自分。
両親にしても、美緒のことを心配している部分もあるけれど、なによりも自分たちのことを心細く思っている方が強い。信頼できる彼女が出て行ってしまって、これから先どうしたらいいかわからない。
置いていかれた自分たちが可哀相だ、という感情がまず先にたってしまっている。
「死ぬまで日陰で暮らせってこと?」
初めて聞いた本音。
「日陰って……」
「だって、そうでしょ?何をやっても言っても私はいつだって後回し。褒められることもなければ怒られることもないなんて、存在を無視されているのと同義でしょ」
一口も口をつけていないオレンジジュースが、氷が溶けていくことによって薄くなっていく。
「そんな……、美緒のことだってちゃんと」
「授業参観も個人面談もパスされたけどね」
心にもないことをぺらぺらと言葉にしている、ことは私だって理解している。確かに、両親はずっと反抗期だった私にかかりきりで、手のかからない彼女が放置されていたことを知っていた。
両親の関心を引きたくて、妹に目を向けるのが嫌で、繰り返していた馬鹿な行動。それが今、全部自分へ跳ね返ってきている。
「それは、信用しているから、だから、側にいないと」
「面倒くさいことは全て私にまかせて自分はいいとこ取り?」
図星を指すような言葉に、口ごもる。私の中のどろどろとしたいやな気持ちを全部見透かされたようで、耐えられないほどの衝動が渦巻いていく。
正反対に、人形のような顔立ちの妹が、こちらをはっきりと見据えている。
その瞳がもう戻るつもりはない、そう如実に語っている。
私とは真逆の妹。
賢くて信頼されていて、私にないものをすべて持っている彼女。
「あれ以上あそこにいたら、絶対結婚相手まで決められるでしょうね。姉さんがそうなったのだから、私はちゃんとしないとって。これ以上あの人たちのいいなりになるのはごめんなんだけど」
「は?そんな勝手なことしないでしょ、あの人たち」
放っておかれたと思っていた妹が、そんなことを口にする。あの人たちは、私のやることなすこと反対してきたけれど、妹に対してはものわかりのよい態度をとっていた記憶がある。
本当に私たちの両親の話をしているのかと、首をかしげる。
正直なところ、今一現実味がわかない。
「私がどうして、高校大学就職と、選んできたのか、わからないの?」
美緒は地域で一番優秀な高校、大学と順調に進んだはずだ。このあたりの地域では、それが一番親孝行で鼻が高い、と言われるコースを選んでいる。そのときばかりは大げさに喜んでいた両親の姿をはっきりと覚えている。彼女に、不満があっただなんてわかるはずもない。そういえば、成績的にもっと偏差値の高い大学へ進めたはずだ、と聞いたことがある。
けれども、いつも淡々としていた彼女の様子から、本人が望んで地元に残ったのだと思っていた。
「それだって、ほんとうに嫌なら反抗すれば……」
言いながら気がついてしまった。
――彼女は“今”本当に嫌なのだと。
「だから家を出るんでしょ」
想像通りの答えが吐き出される。
それが彼女の結論。
もう二度と他人に自分の人生を委ねるのが嫌だから、これが彼女が出した答え。
あの家を出る。ううん、決別する。
彼女の意志の固さを思い知らされて、立ち上がることができない。
まるでテレビを見ているかのように、彼女の仕草一つ一つが余所余所しく、作り物めいて見える。
彼女は最後に口の端をわずかに上げて微笑した。
「親子三人仲良くね」
これからは私のポジションに座ってね。そんな声が聞こえてきた気がした。
彼女は戻らない。
代わりに私が囚われる。