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視線の先  作者: 神崎みこ
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後ろ姿を追いかける

――あの人が見つめているのは、私によく似た別の人だった。




 いつも何かしら騒動を起こす人なのだけど、今回もまた、特大級の嵐とともに私の前にやってきた。


「帰ってきちゃった」


小首を傾げ、年に不似合いな甘ったれたような口調で話すこの人を、私は苦手だったのだと思い出した。


「ふーーん、そう」


私に対して何かそれ以上の言葉を聞けることを期待していなかったのか、そっけない言葉にもたいしたリアクションを返してこない。


「全くこの子は……」

「まあ、かあさん、里緒が元気ならいいじゃないか」


それに反して両親は予想通りの反応をみせる。戸惑いを隠そうともせず、でもどこか嬉しそうな母親と、手放しで喜んでいる父親。

昔からこの人たちはこうだ。素直で可愛くて、でもどこか危うい里緒のことを気に入っている。


結婚して夫の仕事の関係でアメリカに行っていた姉、里緒が突然帰国してきた。

離婚、するのだと。

誰にも相談せず、両親へも事後承諾でさっさと離婚手続きを進めていく。正式なものは彼女の夫の帰国を待つことになるだろうが、肝心の彼女の意思は固いらしい。

姉の一大事だというのに、私はとことん無関心だ。

浮かれて彼女を歓待してみせる両親とは対照的に。わかっていたことだけど、どこか薄ら寒い思いがする。

二年前彼女が結婚し、家を出た後こんな私でも期待していた部分がある。ひょっとしたら両親の関心がこちらへと向くのではないかと。

里緒に対してほどではなくとも、それでもなんとか親子三人バランスのとれた関係を築くことができたと思った矢先、不安定要素が戻ってきた。

あっという間に私の居場所は再びなくなり、味わわなくていいはずの二度目の敗北を味わった。

でも、これで吹っ切れた。

私はこれ以上ここにいてはいけない。

これ以上期待してはいけない。

そう戒めることができた。

だから明日、この家を出て行くことを誰にも告げていない。

今日が最後、家族揃って夕食をとる日となるはずだ。


 黙って、台所に立ち手伝う。母親に認めてもらいたくて一生懸命覚えた家事。だけれども今日はその間にすら姉が入り込む。


「里緒が包丁なんか扱えるの?」

「やっだ、母さん。これでも一応主婦してたんですからね」


大げさに腕まくりをしながらシンクの前に立つ。

大の大人が三人も入り込んでいるのはさすがに息苦しくて、なんとなくはじかれるままにその場を離れる。

テレビでニュースを見ている父親と、その側には幼馴染の多紀が待っていた。


「多紀……」

「久しぶり!!」


少年の面影を残した多紀は、すでに大学を卒業して社会人となっている。そういう私も彼とは同じ年なので社会人なのだけど。

小中高となぜだか同じで、ずっとつかず離れずの関係。それ以上でも以下でもない。

それも大学が離れてしまえば自然と関係は薄くなる、はずだった。

もともと友人というほど仲は良くなく、本当に腐れ縁的に一緒にいただけだから、ほっておいたらそのままになっていた程度の関係。

なのに彼は、頻繁に我が家へやってきた。

それは私に会いに来ていたのではなく、今台所にいるはずの姉に会いに来ていたのだと気がついたのはいつだったか。

例えば視線が、私を通り越していつも姉を見ていたことだとか、姉の後ろ姿をただ追っていただとか、些細なことだけれどもそれを示すには十分すぎるほどの証拠を撒き散らしていた。

おまけに、姉の結婚が決まるとぴたっと我が家へやってこなくなる。

しかも、離婚が決まったとたん我が家へとやって来た。

これほど露骨なことがあるだろうか。


「元気そうじゃん」


私の内心など知りもしない彼は能天気にしゃべりだす。


「あなたもね」


ポーカーフェイスの仮面をかぶる。

いつのまにか慣れてしまった擬態。達観するほどあがいたわけではないけれど、それでも私は知っている。

何も望まなければ裏切られないのだと。


なぜだか食卓に加わった多紀と五人で夕食をとることになった。


――息苦しい。


それがどこに起因するのかもわかっていたけれども考えないでおく。


「おいしーーー、里緒さんおいしいっす」


母か姉のどちらかが作ったのかもわからないくせに、とりあえず嬉しそうに褒め倒している。

ひとしきり食べてしゃべって、食卓は明るい雰囲気に包まれる。

私のことなどおかまいなしに。


「美緒もこれぐらい料理ができたらいいのに」

「そうだな、もう少し母さんの手伝いもしないと」


そんな無神経な多紀と父さんの言葉にも腹がたたないし、フォローを入れない母さんにも失望しない。

何も望まない。

静かに手を合わせて自分の分の食器を片付ける。

これで最後。


「そうそう、誰も聞いていないと思うけど、私家を出るから」


誰にも顔を合わせることなく独り言のように宣言する。

これでいい。きちんと告げることができた。それで満足する。

顔色を伺うことはできないけれど、腰を上げようとしない多紀を尻目に自室へ引っ込む。

ベッドに体重を沈める。

どれだけ努力しても認められないのならば、もう努力するのはやめよう。

静かにまぶたを閉じる。




 次の日早めにリビングへ行くと、なぜだか多紀が座っていた。どうやら夕べはここに泊まったらしい。


「おはよう」

「おはよー!!」


無駄に元気な彼の声に圧倒される。


「今日朝早いから、もう行くね」


それだけをなんとか言い残して玄関へと進む。


「あ、じゃあ、俺も行く。おばさんすみません、朝食まで出してもらって」

「あら、いいのよ、いつでもいらっしゃいな。最近来てくれなくてさみしかったんだから」


私の背後でそんなやりとりが交わされる。

大丈夫ですよ、母さん、その男は姉さん目当てにちょくちょくやってくるでしょうから。


「じゃあ、お邪魔しました」


そう言って私より先に玄関をくぐる。そんな彼を追いかけるようにして私も家を出る。

もうすっかり大人になった背中を眺める。

昔はこんなに広くなかった気がする。

何もかも変わってしまったのかもしれない。

なにより変わってしまったのは自分の気持ち。


「良かったわね、姉さんが離婚して」

「……別に、っていうかなんで?」


不思議そうな顔をしてこちらを振り返る。


「好きなんでしょ?姉さんのことが」


できるだけ感情を排した声で告げる。

私の言葉を聴いた瞬間、ほんのりと赤みが走る頬。


「って。誰がそんなこと言ったんだ!!!」


露骨過ぎる態度をとるこの人はなんて単純な人なのだろうか。


「見てればわかる」


そう言い捨てる。




もう目の前には二人が乗る駅のホームが見える。

彼と私は行き先が反対方向なので、ホームで別れ別れになる。

定期を改札口へ通し、いつものようにホームへとなだれ込む。

まだふてくされたように赤くなった彼の方へと身体を向ける。

電車が近づく。


「そういえば、おまえ家を出るとか言ってなかったか?」

「言った」


視線を合わさず答える。


「ふーん、で、いつ?」

「今日」


もう会わないのだと。

そんなことは告げない。


「それじゃあね、がんばって姉さんでも口説いたら?バイバイ」


彼の表情はわからない。見たくないから。

もう本当に会わないつもりだから。

好きになってくれたらよかったのに。

さようなら、好きだった人。

電車へ乗り込む。一歩を踏みしめる。


すべてをリセットする。


だから私はいなくなる。

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