アリア編、その6
『今日も疲れたわね』
1日の仕事を終えて、アンリは身体を伸ばしながら凝りをほぐす。
夕食前に風呂に入ろうと、小さな浴槽に水を張ろうとしたところで、入り口のドアをノックする音がする。
こんな時間に自分を訪ねてくるのは極限られた者しかいないので、少し警戒しながら返事をする。
「どなたですか?」
「夜分にすま・・」
急いでドアを開ける。
「・・よく自分だと分かったな。
少し驚いたぞ」
案の定、御剣様だったが、意外にも少し驚いた顔をなさっている。
「たとえどなたを間違えようとも、あなた様だけは決して間違えませんよ」
直ぐに中にお招きして、お茶の用意をする。
「疲れているところをすまないな。
今日は君にお願いがあって来たのだ」
紅茶をお出しして、私が向かいの席に着いたところで、御剣様が話始める。
「分かりました」
話を聴くまでもなく、彼からのお願いなら、答えは常に決まっている。
「・・まだ何も言ってないぞ。
うら若い女性が、話を聴く前からそんな事を言っては駄目だ。
もし自分が、『お嬢さん、これから自分といい事しないか?天国へ連れて行ってやるぜ?グへへ』と言うつもりだったらどうするのだ?
もっと・・」
「喜んで」
「・・・自分は君の将来が、非常に心配になってきた」
「御剣様にしか言いませんよ、こんな事。
あなた様のお言葉は、私にとって最優先かつ絶対ですから」
「これからお願いをする立場で、こんな事を言えた義理ではないが、そんなに自分を特別視しなくてもいいんだぞ?
君には君の人生を楽しむ権利がある」
「ですから、私は私の好きなように生きています」
「・・それならいいんだが。
もし負担に感じたら、遠慮なく言ってくれ。
お願いというのは、明日の朝から、食事を2人分余計に作って欲しいということだ。
昼は君も屋台に出てるだろうから、売り物のパンを幾つか貰っていくが、朝と夜の分は、2人分余計に作って、テーブルの上にでも置いておいて欲しいのだ。
実は今度、短期(エルフ的には)で人を2人雇う事にしたのだが、その者達は訓練中ずっとダンジョンに籠っているので、自分達で食事が用意できない。
なので申し訳ないが、君の食事と同じ物でいいから、余計に準備してはくれまいか?
自分が魔法で用意してもいいのだが、身体を酷使して訓練に励むであろう2人に、せめて手作りの美味しい物を食べさせてやりたいのだ」
「勿論構いませんが、その人達は人間ですか?
それとも別の種族でしょうか?
それによって、多少は味付けを変えませんと」
「人間だ。
女性のな」
「・・分かりました。
明日の朝からご用意致しますね」
「助かる。
それで支払いの件だが、何で払えばいいだろうか?
これは自分の勝手な都合で頼むのだから、報酬は是非とも受け取って欲しい」
アンリとしては、彼から報酬など貰いたくはないのだが、そう念を押されてしまっては仕方がない。
何か考えるが、咄嗟には出てこなかった。
「遠慮しなくてもいいぞ。
何かないか?」
悩む彼女の頭に、以前彼とその妻である紫桜さん、ファンクラブの2人と入った露天風呂のことが思い浮かぶ。
「・・でしたら、また一緒にお風呂に入っていただけませんか?」
「そんな事でいいなら、別に構わないが。
何時がいい?」
「あの、実は今日これからお風呂に入ろうと思っていたので、できましたら、その、今から・・」
和也はこの家の風呂場を透視する。
2人入れば窮屈な程の浴槽に、狭い洗い場。
これでは日々の疲れも満足に癒せまい。
勝手に改造するのはどうかとも考えたが、土地も空いてるし、誰に迷惑をかけるでもないからいいだろう。
浴室の広さを3倍に、浴槽を檜に変えて2倍の大きさに、そして湯を様々な効能のある温泉にして、常に湧き出るかけ流しにした。
浴室全体も新しく石造りで作り替え、内側からしか見えない窓に、外の明りが入るようにする。
「分かった。
準備ができたから、さあ、入ろう」
「え?」
彼女が風呂場を見に行く。
「・・・」
「気に入らなかっただろうか?」
後を付いて来た和也が、少し心配そうに告げる。
「そんな事ありません。
あなた様は何時だって、私が本当に欲しいものをくださいます。
今だって、嬉しくて泣いてしまいそうで・・」
徐に服を脱ぎ出した彼女は、全てを脱ぎ去ると、洗い場で振り向いて、後から続いた和也を抱き締める。
「どうした?」
「すみません。
是非1度、こうしてみたくて。
・・やはり、温かいですね。
あなたのお心そのままに・・」
暫くそうしていた彼女は、ゆっくりと身体を離すと、照れたように告げてくる。
「ミューズには内緒でお願いしますね。
ファンクラブ憲章違反ですから」
互いにかけ湯をして湯船に入れば、そこからは静かな時間が流れていく。
和也の隣にぴったりと寄り添ったアンリは、その時間を大切にするかのように、風呂から出るまでずっと言葉を発しなかった。
「旦那様が前触れもなくいらっしゃるなんて、珍しいですね」
もう直ぐ日付が変わろうかという時刻。
そろそろ床に就こうかと考えていたマリーは、自室にいきなり現れた和也を、微笑みでもって迎え入れる。
「すまない。
迷惑かとも考えたのだが、少し急ぎの用があって、邪魔する事にした。
面倒ごとを頼むのに、念話だけではどうかと思ったのでな」
「夫の来訪を迷惑がるような人は、あなたの妻の中には居りません。
頼まれ事を面倒だと感じる方も。
わたくしは寧ろ嬉しいです。
一体どのような事ですか?」
「実はな、女性を2人、鍛えて欲しいのだ。
その者達は理由あって自分の命を狙ってきたのだが・・どうした?」
「いえ、別に」
瞬間的にもの凄い冷気を感じて、和也が話を止める。
「?
・・人間的には良い者達だし、鍛えれば伸びそうな才能の持ち主だ。
お前も忙しいとは思うが、毎日3時間くらいでいいから、相手をしてやってはくれまいか?」
「勿論いいですよ。
今はどの国も大人しくて、エルクレールを見習って、自国の文化に力を入れてますから暇なのです。
3時間と言わず、6時間くらいは付き合ってあげるつもりです。
・・鍛えて何かに使うのですか?」
「自分の部下として、10年程役に立ってもらうつもりだ」
「旦那様は今、何をなさっておいでなのですか?」
「エリカに与える星を見つけたので、その下見と下準備を兼ねているところだ。
・・そういえばその説明がまだだったな。
今度妻達1人1人に専属の星を与えようと考えてな、マリーにはこの星、スノーマリーを、有紗には地球を、あとの2人には他を探していたのだ」
「わたくしにこの星を!?
エリカ様ではないんですか?」
「ああ、そのエリカが、他がいいと言っているからな。
・・決してここが嫌いという訳ではないのだが、幼い頃から感じてきた壁や、名ばかりが独り歩きして、自分らしく振る舞えないことに不満があったようなのだ。
だから、誰も自分を知らない星で、好きに生活してみたいと言っていた」
「・・そうですか。
確かにあの方は、常に人目を引いておりましたから、お気の休まる暇がなかったのでしょうね。
紫桜さんの方は?」
「彼女もあれで中々好奇心が強いから、きっと見知らぬ星を欲しがるだろう」
「軍人のわたくしは、環境の変化をあまり好みませんからね」
「いやいや、マリーあってのこの星だから。
いつも助かってます」
「フフッ、有難うございます。
ここは旦那様と出会い、結ばれた、とても大切な場所。
わたくしがしっかりお預かり致します」
「そう言ってくれると嬉しい。
2人がいる場所への転移情報は、リングに入れておく。
では、よろしく頼むぞ」
そう告げて転移しようとした和也の腕を、マリーが素早く摑む。
「どうした?」
「いけませんよ、旦那様。
寝る前の妻の部屋を訪れて、何もしないでお帰りになるなんて、妻達の反乱を招く素ですよ?
久し振りですから、たっぷりと可愛がってくださいね」
和也はその日も、アリアの下に帰る事はなかった。
「あなた達ですね?
旦那様が鍛えて欲しいと仰るのは」
あれから明け方近くまで、和也と共にいたにも拘らず、マリーの表情には疲れなど微塵も見受けられない。
寧ろ全身に活力が漲っているように見える。
目が覚めると、いつの間にかテーブルの上に置いてあったサンドイッチと果物、紅茶に驚き、それを食べ終えてあまりの美味しさに言葉も出なかったところに、広場に誰か来たことを知らせるランプが光って、慌てて部屋から出てきた2人。
そこに立っていたのは、びっくりするような美しさを伴った、若いエルフの女性だった。
この大陸には存在しないが、何処かの大陸には生存すると言われる幻の種族。
彼女達も見たのは勿論初めてだ。
プラチナブロンドに輝く髪から覗く、その少し鋭い耳の先端が、辛うじてそうではないかと教えてくれる。
軍人のような鎧姿で、武器は何も持っていない。
「はい、私がユイ、彼女がユエと申します。
よろしくお願い致します」
2人揃って頭を下げる。
「あなた達は運が良いですよ?
わたくしだからいいようなものの、もしエリカ様や紫桜さんが、旦那様のお命を狙った事をお知りになったら、きっと只では済まなかったと思います。
わたくしだって、旦那様が可愛がって下さらなかったら、今日の訓練で手加減できたか分かりません」
ただ微笑んでいるだけなのに、心臓を鷲摑みにされたような息苦しさを感じる。
「その事については、2人共本当に申し訳なく思っています。
今はもう、あの方のお役に立つ事以外、考えておりません」
苦痛に耐えながらも、彼女の目を見て、懸命にそう訴える2人。
「・・いいでしょう。
その気持ちを忘れない事です。
では、始めましょうか。
先ずはあなた達の実力を見ます。
2人同時に攻撃してきなさい。
手加減は無用です」
マリーからの威圧が消え去り、状態の戻った彼女達が、武器を構えて攻撃に移る。
ユイの剣が彼女を突き、ユエは精神系の魔法を連発して動きを封じようとする。
だが、その剣先は指で弾かれ、代わりに拳を腹に貰って蹲るユイ。
ユエの魔法は何の効果も発現しない。
「・・あなた達、もしかして素人なの?
まさかこれが全力ではないわよね?」
和也から才能がありそうだと聴いていたので、それなりにできるのだとばかり考えていたマリーは、そのあまりのあっけなさに暫し呆然とする。
「すみません、決して手を抜いた訳では・・。
自分達は一応、ギルドランクDなのですが」
痛みに顔を顰めながら、ユイがそう告げる。
「ギルドですか・・。
相変わらず、メンバーにろくな教育を施していないようですね。
そしてそれは、どの世界でも変わらないのね」
和也に出会う以前、国として何度か彼らに依頼を出した事もあるけれど、金額の遣り取りで見せる浅ましい情熱以外、彼らに何かを感じた事はないマリーは、個人の能力に頼りきりで、しかもランクが正確にその者の能力を反映していないシステムに、非常に懐疑的である。
兵力とは、そこに属する者達が、皆一定以上の能力を備えていることが前提だ。
そうでなければ細かな作戦など立てられない。
彼女は軍の指揮官として、常にそう考えている。
「大体のことは理解したわ。
暫くは訓練方法を変えましょう。
まずユイさん、あなたには剣の素振りを通して、基本の型を学んでもらいます。
それからユエさん、あなたは私がいいと言うまで、全力で魔法を放ち続けなさい。
そうね、風刃がいいわ。
それくらいはできるわよね?」
彼女が頷くのを見て、それぞれの立ち位置を決める。
「ユイさん、先ずはこの型から」
リングから剣を取り出し、マリーは地面と直角になった、美しい剣筋の上段切りを見せる。
そして透かさず今度は地面と平行の、鋭い突きを繰り出す。
最後に一旦剣を引いて、地面と平行に剣を払った。
「大切なのはスピードと、インパクトの際の気の込め方。
肩に力が入らないように、剣筋がぶれないようにしてね。
さあ、やってみて」
マリーの動作を見ていたユイが、それを真似てみる。
「上段切りの剣筋が曲がってるわよ。
突きの際はもっと軸足に力を込めて。
それじゃスピードと威力が出ない。
払う剣筋が斜めになってるわよ。
地面と平行になるよう注意して」
何度も何度も繰り返させ、一応形になると、後はひたすら反復させる。
「あなたはそれを続けてるのよ」
ユイにそう言うと、今度はユエを指導する。
「待たせたわね。
いい、あそこに的を創るから、それ目掛けて全力で魔法を打ち続けなさい。
休んじゃ駄目よ。
なるべく早く、1回1回最大限に魔力を込めてね。
さあ、始めて」
20m程前方に現れた的に向けて、ユエが風刃を放つ。
「もっと早く。
1回1回の魔法にぶれがあるわよ。
威力が区区よ。
毎回全力を込めなさい」
100発程放つと、明らかに威力が低下してきて、すぐに魔力切れが起こる。
当たり前だが、同じ魔法でも、使用者によって使う魔力の量も、その威力も全然違う。
全力で放つ彼女の風刃は、並の者の数倍の威力はあるが、言ってしまえばそれだけだ。
オークやリザードマンなら1発で倒せても、地竜やマンティコアには掠り傷しか付かない。
よろける彼女を支え、魔力を注入してやる。
『!!!』
「理解したなら続けなさい。
今度から的を少し動かしていくから、正確に当てるのよ?」
非常識な行為に目を見開いて驚くユエにそう告げて、マリーは再度ユイへと赴く。
100回以上も同じ動作を繰り返し、その都度力と神経をすり減らしている彼女は、汗を滴らせ、呼吸が荒くなっている。
マリーは浄化で彼女の衣服に染みた汗を除去し、体力だけを回復させる。
「これから負荷を掛けるわよ。
剣と足腰が重くなるけど、頑張ってね」
そう言うと、ユイの動きがかなり遅くなる。
「スピードはともかく、剣筋にぶれを生じさせては駄目。
動きの1つ1つを丁寧に、意識してやりなさい」
疲労すれば回復し、魔力切れには注入を繰り返しながら、それぞれ2時間程続けた後、30分程の休憩を入れる。
身体に疲労はなくても、精神はかなり摩耗しているし、筋肉の張りや凝りが酷い。
そこを敢えて回復させないのは、今の弱い組織を壊し、より強靭な肉体にどんどん作り替えていくためだ。
2人共どっかりと地面に腰を下ろし、マリーが与えた水を飲むのがやっとだ。
「初日にしては、2人ともなかなかいいわよ。
そのやる気は大いに評価するわ」
マリーの優しい声に、ユエが疲労を押して口を開く。
「先生のお名前をお尋ねしてもよろしいですか?」
「マリーです」
「・・差し支えなければで結構ですが、あの方とはどのような・・」
「・・妻の1人です」
「「ええ!?」」
疲れて地面に横たわっていたユイまでが、驚いて顔を上げる。
「そんなに驚く事ですか?」
「すみません!
こんなに美しいエルフの方を娶られるなんて、あの方は一体・・。
道理でアリアもぞっこんな訳だ」
「?
どなたです?」
「町1番の、いえ、多分国1番の美人で、今はあの方の下で助手をしていると聞いてます。
私達があの方を狙ったのも、それに嫉妬した主人に命令されたからで・・」
「フフフッ、旦那様は相変わらずですね。
そんな事になってるなら、もっと可愛がってもらうべきでした」
怒りでも嫉妬でもない、微妙な表情を浮かべて、そんな事を言うマリー。
「さあ、そろそろ再開するわよ。
ユイさんは今度は別の型を、ユエさんは数歩走ってから魔法を放つこと。
あと1時間やったら、お昼にしていいわ」
その後、昼食を挟んでさらに2時間程の訓練を強いられ、心身共に疲れ果てる2人。
因みに昼食の時間は、マリーは自室に戻り、自分の仕事をしていた。
その疲労だけを取り除き、汚れた衣服を浄化してやると、マリーは2人に言葉を残して帰って行く。
「明日からは訓練の時間を2時間遅らせます。
その時間を利用して、2人共基礎体力の増強に励みなさい。
特に腹筋と足腰を重点的にね。
たとえ動けなくなっていても、訓練前に回復させるから大丈夫です。
魔術師といえど、剣すら扱えないようでは、少数での集団戦に対応しきれません。
長時間の戦闘でも耐え切るだけの、体力と精神力を養いなさい。
旦那様の部下として働く以上、無様な真似はさせません」
「・・覚悟はしていたけど、予想以上に厳しかったね」
マリーが去ると、ユイが苦笑しながら言う。
「そうね。
何度魔力切れでふらついたか分からない。
でも、全力で何かをしているという、その充実感はもの凄いわ。
それに、こんな訓練、他では絶対にできないもの」
「確かに。
魔力注入とか、身体の組織を弄らずに、疲労だけを取り去るとか、ちょっと想像つかないね。
一体何者なんだろう、彼女」
「余計な詮索はしない方がいいかも。
今私達がやるべきことは、言われた事をしっかりとこなすだけ。
さあ、お風呂に入ってご飯にしましょうよ。
夕食が楽しみだわ」
「うん!
ここの食事、ちょっと異常だよね。
普通のパンや果物に見えるのに、食べるともの凄く美味しいもんね」
そんな2人の期待に応えるかのように、夕食は毎回豪華だった。
日替わりのパンとデザート(これには2人共瞬く間にファンになった)、それに肉料理かシチューが毎回付いて、夜だけ特別に、香り高いワインまで用意された。
全ては、和也のために、手間と心を惜しまない、アンリの努力の賜物である。
余談ではあるが、後にそれを知った和也は、アンリの家の防犯をより強固にし、火災などの災害から完璧に守ると共に、来客に応じてドアを青か赤に光らせた上で(不審者撃退機能付き)、ドアの外の人物が誰か見えるようにして、他の家から少し距離がある彼女の家を護った。




