世の理を超えたその先に、その9
佐藤介護士(女性、23歳)の場合
田舎の4世代という大家族の中で暮らし、幼い頃から曾祖父母や祖父母の手助けをしてきた彼女は、自宅での介護で安らかに逝くことができた彼(女)らを見てきて、将来は介護の職に就きたいと思うようになる。
福祉系の高校に進み、卒業後に約1年の実務経験をこなした彼女は、筆記と実務両方の試験に合格し、晴れて介護福祉士の資格を得、名簿登録を済ませた。
自分を可愛がってくれた祖父母達のようなお年寄りの日常に、僅かでも安らぎと余裕を持ってもらうべく働き始めた彼女は、より需要の見込める都会に出てきて、多くの挫折を味わい、この国の介護職が抱える闇に打ちのめされる。
若い内にと転職さえ考えるようになった彼女の下に、1通の黒い封筒が届いたのは、そんな時であった。
曾祖父母との思い出はあまり多くはないが、お祖母ちゃん子でもあった私は、小さな頃から彼女らとよく一緒に過ごしてきた。
両親達が畑仕事で忙しい間、幼かった私は、よく祖母に面倒を見てもらっていたのだ。
一緒にテレビを見たり、本を読んでもらったり、小学校の運動会にはお弁当を持って応援に来たりしてくれた。
親に怒られると、決まって祖父母が味方をしてくれ、後で両親からあんまり甘やかさないでと彼女らが叱られていた。
田舎でなかなか嫁が来ず、晩婚であった父であるから、私には兄弟姉妹がなく、一人っ子だったが、全然寂しくなかったのは、偏に彼女らのお陰だ。
だから、そんな彼女らが段々と年老いていき、次第に身体の自由が利かなくなってきても、そのお手伝いが自然とできた。
私には、単なる日常の一コマでしかなかったのだ。
幼稚園に入るくらいに曾祖父母が相次いで亡くなり、高校に入る少し前には祖父が亡くなって、1人になった祖母を介護したくて、県でも数少ない福祉系の科を持つ学校に入学した。
だが、その卒業を俟たずに祖母は亡くなり、私は一時目標を見失ったが、高3の夏休みに自由参加の講習で地元の老人ホームを訪れ、そこで祖父母達のような年齢の方々をお世話する内に、やはりこの職に就こうと決心し直す。
卒業後、地元の小さな老人ホームで実務に励み、晴れて国家試験に合格した後は、より良い給料を求めて都会に出てきた。
正直、田舎の施設で貰える額では、何時まで経っても家から出て独立できないからだ。
やってやれないことはないが、将来のための貯金など、まずできない。
結婚して、共働きならなんとかなるが、生活費のために結婚するというのは、いくら何でも夢がなさ過ぎる。
私だってまだ十分に若い。
欲しい物もあれば、行きたい場所、したいことも沢山ある。
祖父母がいない今、働くことに目的と意欲の両方を持ちたいと思うのは、贅沢であろうか?
田舎者の若い女性故、部屋の契約などで足下を見られないよう、父に付き添われて何軒か回り、無事に職場と住む部屋を確保する。
田舎の自宅の部屋と比べると、半分の広さもない部屋だが、曲がりなりにも自分だけの城だ。
父と別れの夕食を外で済ませた後は、明日からの暮らしに夢を膨らませて、早めの床に就いた。
忙しさの中で、あっという間に月日が過ぎて行った。
都会には、田舎にはない時の流れがある。
朝の通勤、お昼休み、入居者との時間に帰宅までの道のり。
のんびりと景色を眺めながら自転車を漕ぎ、気にするのは天気くらいだった田舎とは異なり、ここでは何もかもが慌ただしい。
スマホを見ながら人を見ないで歩く人、平気で信号を無視する車(青になって渡ろうとしても、10秒くらいは油断できない)、好き勝手に走ってくる自転車。
心に余裕がない人が多いのか、自分のことしか考えない人がかなりいる。
お陰で私は、職場に辿り着く前に、既に大分疲れている。
朝のラッシュを経験して、今度住む場所は、絶対に職場まで歩いて行ける所にしようと決めた。
お昼だってびっくりだ。
これだけお店があるのだから、何処かには入れるだろうと高を括っていたら、自分の予算で入れる場所は皆凄い混雑で、運よく座れても、隣同士と肘がくっつくくらいのスペースしかなく、おまけに手も当てないでくしゃみとかしてくるから、おじさん(若い人も結構いるね)達の唾が私のご飯に飛んできて、2度と行かなくなった。
そのせいで、只でさえ忙しいのに、お弁当を作って行く羽目になる(コンビニ弁当は、値段の割に満足感が今一つだったから)。
田舎の職場では、食後にゆっくりお茶を飲んで同僚と無駄話するくらいの余裕があったが、都会の施設ではそんなゆとりもない。
気のせいかもしれないが、食べる速度が少し速くなったと感じる。
でも、1番気になるのは、同僚であるスタッフ達の質であり、その仕事の内容だ。
国家資格を持つ私には、それを持たない初任者研修終了者、いわゆるヘルパーさん達に対する指導や助言も仕事の内に入っている。
大抵の人達は、私より何歳も何十歳も年上なのだが、誰でも受けられる研修しか受講していないため、遥かに年下の私より、身分も給料も低い。
あまり気が進まないが、仕事だからと注意をしても、主に男性スタッフにはいい顔をされないことが多い。
何故なら、彼らは所謂腰かけが大半なのだ。
他に仕事がないから、とりあえず介護の職に就いているだけで、そこにはこの仕事に対する熱意も、入居者であるお年寄りに対する敬意も、ほとんど感じられない。
そんな彼らに、身体介助、特に他人の排泄の世話が、まともにできるはずもない。
例えば、途上国から来た人なら、自国の何倍にもなる給料の点で少なくとも満足しているから、言葉に苦労はしても、それなりにしっかりと働いてくれる。
だが、豊かなこの国で甘えて育った人達は、1月に20万という額では納得しない。
その額だって、何の資格も能力もない人が貰うのであれば然程低いとは思わないが、家族を養わねばならない既婚者ならともかく、独身の若い人でも不平を言う。
文句を言うなら資格を取って、もう1段階上へと上がれば良いのに、その手間すら惜しんで、額だけに文句を言うのは流石にどうかと思う。
勿論、熱意と敬意を併せ持った男性スタッフだっているのだが、そういう人程、何も言わずに静かに辞めていくのだ。
そんな状態だから、介護施設で虐待だ殺人だと紙上で賑わっていても、もう驚かなくなった。
悪いのはスタッフだけではない。
運営側である施設もかなり酷い。
資金難を理由に何時までも老朽箇所を修繕しないし、消防法等で改善を指摘された場所でさえ、そのまま放っておくのが常態化している。
下手に口出しをすると、私にまでとばっちりが来るので、心は痛むが見て見ぬ振りをする。
認知症が進んで火の扱いがきちんとできない人もいるのに、正直、気が気でない。
何より酷いと感じたのは、お金の取り扱いだ。
以前、経理の人が辞めさせられる時、愚痴っていたのを陰で聞いて呆れた。
入居者が施設に入る際、大概は支払うことになる一時金。
それは本来契約通りにしか手を付けてはいけないもので、彼らが退所する際は、その残額分をきちんと返さねばならない。
なのに、よりによってそこから経営陣に多額の給料を支払っていた。
辞めさせられた彼女は、そのことを指摘し改善を求めたため、クビになったらしい。
時々、新聞を読んでいて目にする広告に、疑問を感じることがある。
例えばお墓の永代供養。
最初に100万円くらい支払えば、後はずっとその建物で小さな保管場所を使用できる権利をくれるらしいが、もしその建物のキャパが一杯になったら、以後の収入は一体どうするつもりなのだろう?
無人でもない限り、人件費はずっと発生するし、仮に無人でも、施設の維持費は必ずかかる。
予め受け取った額を使い切ったら、破産でもするつもりなのだろうか。
それとも、虫眼鏡でも使わないと見えないような小さな文字で、何処かに『足りなくなったら追加で費用を請求致します』とでも書いてあるのだろうか。
この手の疑問には、こう反論する人がいる。
『最初に貰った資金を運用して、毎年それなりの利益を生むから大丈夫です』と。
だが考えてみて欲しい。
毎年確実に大きく儲けることができたなら、きっとその人は世界でも伝説の投資家となるであろう。
それができないから、サブプライムやリーマンショックなどの余波を受けて、至る所で会社が潰れ、証券会社員が路頭に迷うのだ。
そもそも、それができるなら、お寺でもない限り、お墓の経営などしないだろうに。
話を戻すと、一時金を規定以上に取り崩し、それを自分達の給料にしている経営陣は、今後もずっと新たな入居者からそれが取れるとでも考えているのだろう。
繰り返し言うが、施設にも収容人員というものがある。
それが一杯になれば後は増えないし、仮に亡くなった人の分が空いたとしても、今度はその人の遺族に一時金の残額を返さねばならないのだから同じことだ。
私はこの話を耳にして、ここは早々に潰れると判断し、さっさと勤務先を移る決断をした。
私が次に勤めた施設は、訪問介護が主だった。
それも、生活援助が主流で、介護士というよりは、家政婦のような仕事をさせられた。
それでも仕事である以上、頑張って働いていたのだが、何より腹が立ったのは、生活保護者の介護サービスであった。
彼(彼女)らは、働きもしないで自治体から毎月13万円近いお金を貰い、ほとんど只で介護サービスを利用して、人に家事までさせながら、自分達はお菓子を食べてテレビを見ている。
しかも、文句が多い。
自分達が貰っているお金が、一体何処から出ているのかを考えもせずに、働いてきちんと税金を納めている私達にあれこれ指図する。
病気とかで働けないならまだいい。
だが、身体は何処も悪くないのに、仕事をしたくないとか、若い内に蓄えを全くしなかった(年金さえ払わない)とかいう極個人的でどうしようもないような理由で、かえって国民年金だけの人よりいい暮らしができている。
何時だったか、長生きしたら老後の資金が2000万円必要だなんて誰かが言っていたが、もし中流未満の国民のほとんどが、最初から諦めて生活保護に頼ったら、この国は必ず破綻するだろう。
きちんと仕事をしてるのに、あまりに文句が多い生活保護の利用者に、少し小言を言ったら、『なら別の所にサービスを頼むよ?』と言われたので、『是非そうしてください』と返事をして帰ってきたら、ここもクビになった。
『もうどうでもいいや』
仕事に対する熱意など失せ、失業保険を貰いながら暫くぶらぶらしようと考えた私の下に、ある日1通の黒い封筒が届いた。
何だろうと開けてみると、信じられないような文面が目に入る。
私の力が必要だ、今一度だけ仕事への情熱を燃やしてはみないか、そんなことが書いてある。
驚くべきはその勤務地と待遇。
遠いアフリカの地での、本来の介護士としての住み込み勤務。
給料はこれまでの5割増しで、住居費と基本的な食費は只。
年金を含めた福利厚生面も破格のものだ。
送り主の名を見て悪戯かとも考えたが、今の私にそんなことをしても誰も得をしないので、念のため、記載された連絡先にメールしてみる。
数時間後、丁寧な文面の返事と共に、個人のものらしき電話番号(フリーダイヤル等ではない)が記載されていたので、恐る恐るそこにかけてみると、若い声の女性が対応してくれた。
名を立花さんといって、何と、かの御剣グループの社長秘書らしい。
本来なら、忙しい彼女が対応するようなものではないのだが、黒い封筒の件だけは別なのだそうだ。
何でも、会長が直々に送っているという。
雲の上にいるような立場にある人が、私なんかに目を止めて、破格の条件でもって、その力を貸して欲しいとさえ言っている。
消えかけた情熱が、再びめらめらと燃え盛っていくのを感じた私は、1人海を渡る決意をする。
セレブのような座席に揺られて辿り着いたこの地は、私が骨を埋める覚悟で臨んだ場所。
人の役に立ちたいと願って職に就いた私が、人から必要とされる喜びを得られた場所となる。
さあ、これからまた頑張ろう。
都会の柵を綺麗に消し去って、初心に戻るのだ。
「佐藤君、ちょっと来てくれ」
ここの所長である隅田先生から、仕事を始めたばかりの私に声がかかる。
折しもお昼時、広い食堂の中で、皆が交代で昼食を取っている最中であった。
「はい、何でしょう?」
食事が載ったトレーを手に、呼ばれたテーブルまで辿り着く。
「すまないが、少し話をしたいから、ここで一緒に食べてくれるかな」
所長の言葉に、私は返事をしてその対面の席に着く。
「ああ、食べながらでいいからね。
折角のお昼休みに、あまり時間を取らせないために率直に聴くが、ここでの仕事はどうだい?
何か気付いたことはあるかな?」
「え!?
はい、そうですね・・今の所、問題はないかと思われます」
いきなりそう尋ねられた私は、少し面食らって咄嗟にそう答える。
これまでに、上の人間から自分の意見を求められた経験が無いからだ。
今までは、ただ言われたこと、指示された内容を忠実にこなそうとしてきたに過ぎない。
「・・君に関する報告書は読んだよ。
これまでは、納得できないことも多かったろう。
あの国には、未だ改善されない問題点が多々ある。
面倒なことは先送りする癖が染み付いてしまっている人達が、長く政治を担っているから、仕方がないことでもあるのだけどね。
・・だがね、ここに来たからには、そういった悩みとは無縁だよ。
仕事上でおかしいと感じたこと、納得いかないことがあれば、忌憚なく言ってくれていい。
それが正当なものであると判断されれば、速やかに改善させる。
もっとも、その分、君達にも意識改革をしてもらうけどね」
「私の方から直に言ってもよろしいのですか?
私はただの介護士で、専門的な医学にはまるで疎いのですが・・」
私の顔に狼狽の色を読み取ったらしい隅田先生が、やれやれといった感じで話し出す。
「日本では、確かに介護士といえど、医師の下に就くことが多いね。
必然的に、その指示を受けるシステムが出来上がり易いが、逆に言うと、我々は医師であって、介護士ではない。
医学には造詣が深くても、患者や入居者の側で世話する君達程、その日常生活や気持ちに寄り添うことはできないんだ。
オランダのビュートゾルフやフィンランドのラヒホイタヤという言葉を聞いたことがあるかい?」
「はい、本当に言葉だけ・・。
それがどのようなものなのかは、正確には知りません」
「簡単に言うと、介護と看護の両方を扱える立場の人達、若しくはその組織のことだ。
地域によって、どこまで担えるかには差が出るが、日本のような、処置ごとに細かく役割の分担された医療や介護では、その利用者との間に信頼関係を築くのが難しい。
私ができるのはここまで、これは他の人の仕事になります、なんて言って頻繁に担当者が入れ替われば、患者に奉仕したい医療従事者にも、自分達を良く知る者に身を任せたい利用者にも、双方に不満が高まっていく。
これらの制度は、そうした不満を少しでも取り除き、より迅速に問題に対処するためのシステムなんだ。
ビュートゾルフには管理職が存在しない。
メンバー全員が、運営と方針に対して責任を持ち、各自がそれぞれケアの中身を決める権限を持った、自立したチームとして機能している。
当然、メンバー同士の情報交換や話し合いは大事になる。
あちらでは主にタブレットを使用して遣り取りをしているようだが、ここではそれに加えて、定期的に会議をして、お互いの意思を統一するつもりだ。
4階の隅に、でかい会議室があるのを知ってるかい?
あそこのカンファレンスルームを使用するから、覚えておいてくれ」
「・・つまり、このセンターでもそれらを取り入れるおつもりなのですよね?
私も正式な資格を得た介護士である以上、仕事の中身には全力を尽くしたいのですが、言葉の壁だけはどうしようもありません。
単語だけならお借りしている翻訳機で何とかなりますが、介護における利用者の細かな要求にまで対応できるかどうか・・。
権限を与えて頂けるということは、それに対する責任も増すということ。
言葉の問題以外に、医学的な要求に何処まで対処できるのか、正直、かなり不安です」
「君はこれまで仕事に対する不満を抱えてきたんだよね?
それは文句を言えなかったから、言っても聞き入れてもらえなかったからではないのかい?
御剣が君をここに送り込んだ以上、仕事の中身にではないはずだよね?
権限が増えれば責任が増す。
それはこの仕事に限らない。
言いたいことが言えるというのは、その言動に対して責任が持てる、自分でもそれがやれるということに他ならない。
そうでなければそれはただの愚痴であり、中傷になってしまう。
挨拶を除けば、人と接することに画一的な正解はない。
生まれも育ちも違う人達が抱えるもの、それが多種多様である以上、その相手と直に接する者達が体当たりで試行錯誤するしかないんだよ。
何も本格的な治療行為までしろと言ってるわけじゃない。
そのほんの入り口、お手伝いだけだ。
分からなければ聴けばいいし、善意と誠意を持って注意深くやったことであれば、もし何かあったとしても、責任はこちらで取るから心配しなくてもいい。
言葉の問題だって、ドイツを例に取れば、全くドイツ語を話せない外国人労働者達が、住み込みで高齢者達の介護をしている。
研修しか受けていない彼女らの、そのサービスの質を危ぶむ声もあるが、支払える介護費用と貰える給料の額がマッチして、共に必要とされ、相手に喜ばれている。
翻訳機だってあるのだし、相手を注意深く観察することで、そこは乗り越えて欲しい壁だな」
先生に言われたことを、頭の中で反芻する。
介護の他に要求されるものが看護なら、その2つにはかなり重なる面がある。
痰の吸引の異なる仕方や、包帯などの施術、あとはせいぜい注射くらいを学べば何とかなるかもしれない。
心臓発作や喘息の応急処置に、今や素人の手を借りることさえあるのだから、介護士とはいえ医学を多少なりとも齧った私ができないと言うのは、頂いてる給料の額からして、確かに申し訳ない。
言葉に関しても、よく考えれば自国の利用者にだって当てはまる。
脳梗塞なんかで言語に支障を来たせば、相手の表情や仕草なんかで判断するしかないのだから。
重過失以外の責任を問われないのであれば、むしろ積極的に学んで、利用者に喜んでもらえる方が嬉しいのも事実だし。
初心に戻り、人に奉仕し、人から求められる喜びを。
そう決めてここに来たのは私の方なのだ。
危うくまた忘れるところであった自分が少し恥ずかしい。
「・・そうでした。
先生の仰る通りです。
駒のように使われる立場から、自らの意思で行動できる喜びを、久しく忘れていたのは私の方です」
まだ小さかった時、寝たきりだった曽祖父母に何かしてあげたくて、うずうずしていた私。
たまに喜んでもらえた時は、本当に嬉しかったっけ。
「そう言ってもらえて助かるよ。
いきなり全てをさせたりはしないから、少しずつ、徐々に、できることを増やしていってくれ」
先に食べ終えていた彼が、院内放送で呼ばれて席を立っていく。
このセンターの半分以上は、現状彼だけで回していると先輩に聞いたが、実際本当にお忙しそうだ。
なのに、仕事に対する文句も愚痴も、グループの会長に関するもの以外には誰も聞いたことがないという。
日本に居た頃は、私だけがきついのだと、他が楽をしているのだと考えたこともあった。
今考えると本当に恥ずかしい。
まだ少し時間があるので、食後のコーヒーを貰って気分を落ち着ける。
知らず知らず、傲慢になっていたあの頃の自分を思い出し、苦笑いしながらそっと窓の外を眺めるのだった。
(数か月後)
「介護病棟を利用する患者さん達の一部に、汗疹と思われる皮膚疾患が見受けられます。
多少涼しくなってきたとはいえ、まだ病室のエアコンの温度設定を上げるには、時期尚早かと感じます。
また、寝間着が大分傷んでいる方も多いです。
遠慮して言い出せない彼らの代わりに、こちらで用意することはできないでしょうか?」
2週間に1度の会議で、佐藤介護士の積極的な発言が飛び交う。
「分かった。
寝間着の件も、こちらで(御剣が)新しい物を用意しよう。
必要な人数とサイズを後で報告してくれ」
「はい。
それと、やはり患者さんの一部から、これはホスピス病棟にも共通するものだと思われますが、昔食べた懐かしい料理がもう1度食べたいとの要望が出ています。
『死ぬまでに1度でいいから、またあの味を口にしたい』と、控え目ながらも強い願望が感じられる意見です。
何とかならないでしょうか?」
「それは管理栄養士と調理師にも相談しないと答えられないな。
個人的には叶えてやりたいが、その味を再現できるかどうかは不透明だ。
念のため、グループにも問い合わせてみよう。
どの国の、どの地域でいつ頃食べられる物なのか、食材や調味料は何を使うのかも詳しく調べてくれるだろう。
そこは我々では手が回らない」
ホスピス病棟のスタッフ達に視線を向け、彼らが頷くのを確認した所長がそう答える。
「分かりました。
回答が得られるまでに、どのくらいの時間がかかるでしょうか?」
「1週間から10日くらいだろう。
それを基に実際に作ることを考えると、出せても2週間先が限度になるな」
「有難うございます。
考慮していただける旨、彼らにお伝えしておきます」
他にも数人の発言と、それに対する所長やスタッフらの意見を経て、今回も2時間に及ぶ会議が終わりを告げる。
毎回、終了後には甘い物が食べたくなる程、頭と気を遣うが、非常に有意義な時間なので、全然苦にならない。
食堂でケーキとコーヒーを楽しんだら、今日は夜勤が待っている。
同じように寛ぐ同僚達に軽く手を振って、私は仕事場へと向かうのだった。
「うん?
どうしたの?
何処か痛い所があるのかな?」
ここでは年長の患者さん相手と言えども、まるで子供や友人と接する時のような物言いを敢えてする。
意識がはっきりしている人であれば、こちらもきちんと敬語を用いるが、小さな子供のように話してくる相手には、むしろこの方が喜んでもらえる。
見回りに来た私に向けて、ベットの中から患者さんの1人が手を伸ばそうとする。
近寄って、その手を軽く握りながら、顔を覗き込む。
言葉がろくに話せない患者さんなので、その表情を読み取ろうと努力する。
「ああ、もしかして床ずれで痛いのかな?
ちょっと待っててね」
布団を優しくはいで、その身体を丁寧に持ち上げながら状態を確認すると、案の定、仙骨部が赤く腫れている。
ロッカーから平たいクッションを持って来て、ベットとの間に敷き、体位を横向きに変えてあげる。
安心したように再度の眠りに就く彼を見ながら、念のため、今日は2~3時間ごとに様子を見に来ることにした。
他の患者さん達の睡眠の妨げにならないよう、そっと病室から出て、廊下の窓辺から明るい満月を見上げる。
その光を遮るような街の明かりは既にまばらで、こうこうと地上を照らし出す月は、まるで人に安らぎを与える女神のようだ。
私は、初めは祖母のため、そして後に同じようなお年寄り達の安らぎとなりたくて、この道を選んだ。
だが途中で挫折し、その志も失って、あの時あの手紙が来なければ、きっと今もぶらぶらしていたと思う。
黒い封筒。
漆黒の紙でできた一見簡素に見えるそれは、グループ内では会長しか使用を許されないものであると後から聞いた。
私の運命を変えてくれたその封筒は、黒い外見とは裏腹に、光に満ちた希望を与えてくれたのだ。
それはあたかも、暗闇でもがく者達に、歩き出すべき一筋の道を示しているかのよう。
一体どんな人なのだろう。
遥か高みにあって、優しい光を放つ月。
それを見上げる夜を幾度となく過ごして、私はこれからもここで生きていく。
何時の日か、誰かの手によって、祖母たちの隣に身を置くことになるまで。




