世の理を超えたその先に、その8
斎藤看護師(男性、30歳)の場合
現在の日本の看護界では珍しく、男性でありながら介護ではなく看護への道を歩んだ彼は、その熱い理想とは裏腹に、様々な偏見と闘い、分厚い慣習の壁を乗り越えねばならなかった。
医学部を受験するには偏差値もお金も足りなかった彼は、医療に携わる道を諦めない代わりに、ある種のプライドを捨てねばならない。
大学の看護学部では、多くの女性に混じって、周囲の奇異の視線に耐えながら実習をこなす。
口さがない者達からは、『単に女の裸を堂々と見たいだけじゃねえの』などと、陰口を叩かれる。
晴れて看護師になってからも、働く場所は限られていて、あまり女性患者の多い科には配属されなかった。
激務の割に、経験が浅い内はそれ程給料がいいわけでもなく、当初の熱意を失いかけていた。
そんな彼の下に、ある日1通の黒い封筒が届く。
かの御剣グループからのお誘いに、半信半疑で海を渡る決意をする彼。
以下は、そんな彼の、看護師として歩んできた、ここ数年の軌跡である。
俺は小さな子供の頃から、看護師として働く母の姿を見て育った。
高齢出産を経て、夫と離婚し、女手一つで俺を育ててくれた母は、いつも忙しそうに働いていたが、この職に就いていて本当に良かったと、口癖のように言っていた。
人の命に係わる仕事に、不景気などない。
社会が高齢化していき、人が病院との関係を深めれば深める程、医療に従事する者の需要は増える。
大学病院等の大病院でなくとも、地域の有能な開業医の下には、日々沢山の患者が押し寄せる。
それを支える看護師だって、引っ張り凧なのだ。
子供の頃、病気になると、母の勤める個人病院にお世話になったが、患者が多くて本来なら2時間待ちとかの状況の中、母の伝手で行くとすぐに診てもらえ、おまけに薬代まで只だった。
母は看護師が3人くらいの病院の婦長だったが、国立の看護学校を優秀な成績で卒業し、同期は皆、大病院の総婦長なんかになっていく人達だったから、それなりの給料しか出せない地域の個人病院なんかでは、母を繫ぎ止めるため、様々な便宜を図ってくれた。
しかも、それまで国立や日赤なんかで共に仕事をしてきた若い研修医達が、ある程度の歳になってくると、各地の大病院で名医として活躍し出すので、母が働いている病院の内科に限らず、他の病院の外科や皮膚科なんかでも伝手ができて、やはり他の人と比べて恩恵を受けることが多かった。
さらにその恩恵は病院だけに止まらず、小学校や中学校なんかでも、俺の立場を若干押し上げてくれた。
近隣に大病院がない田舎町では、地元民が頼りにする医者は、その地域の名士でもある。
お金だけでなく、いろいろな所に影響力を持っている。
日々の授業に穴を開けることができない学校の教師達も、その例外ではない。
彼ら(彼女ら)は、自分や家族が病気になると、朝早い時間に俺の家に電話をかけてきて、少しでも病院の待ち時間を減らしてくれるよう、母に頼んでいた。
そのせいか、流石に内申書の数字までは無理だったが、学校生活という点においては、俺を気にかけてくれる教師が多かったのは事実だ。
俺は子供心に、『医者って凄いんだな』と、少し憧れていた。
残念なことに、俺には医学部に合格できるような頭はなかった。
勿論、生活に少し余裕があるだけの母子家庭である我が家に、頭以外で入れる程のお金はなく、かといって、景気に左右されない医療関係の職を諦めきれなかった俺は、思い切って、母と同じ看護の道を選んだ。
喜んでくれると思った母は、意外にも、少し複雑な顔をした。
母の時代は、看護婦という以前の言葉が示す通り、その職は女性のものだった。
アンリとナイチンゲールに代表されるように、医師は男性で看護師は女性。
それが当たり前だった。
それでも医師の方は、20世紀の初頭あたりから、周囲の無理解と闘いながら道を切り開いた先達の努力が実を結び、入試における不利益は別として、今では普通に女性でもなれる。
だが看護師の方は、呼び名を言い換えただけで、相変わらず女性の比率が極めて高い。
俺の通った学校でも、男は俺一人だけだった。
母も、これまで男性の看護師を見たことがないと言う。
そんな状況であったから、俺が相談した時、お勧めしないとまで言われたが、最終的には俺の人生だからと、消極的にではあるが、応援してくれた。
俺も、我が国の憲法は男女平等を謳い、能力さえあれば、職業選択の自由もあるのだからと、少し楽観視していたのだ。
現実に、病院という場所で働くまでは。
俺だって一応考えてはいた。
男性という立場では、田舎の閉鎖的な個人病院では働けない、というか雇ってはもらえない。
幾ら人手が足りない職種といえど、病院だって客商売なのだ。
患者から敬遠されるようでは、経営が成り立たない。
だから、わざわざ都会まで出てきて、慣れない独り暮らしをしながら、大病院での勤務に就いたのだ。
最初は、敢えて気のせいだと考えることにしていた。
女性患者が診察室に入って来ると、医師の側に控える俺を見て、ぎょっとしたような顔をする。
特に胸やふくらはぎより上の下半身を見せねばならない女性患者には、まずいい顔をされない。
例外なのは、60を過ぎたお年寄りくらいだ。
医師が男性でも、それはある程度は納得しているのか、表情を変えない女性患者も、看護師が男性なのは認められないらしい。
暫くすると、俺は診察室ではなく入院病棟で、主に高齢者相手の看護ばかりを担当することになった。
それも看護師としての大事な仕事であるから、精一杯頑張ってきたが、真夜中だろうが時間に関係なくナースコールで頻繁に呼ばれたり(休憩の仮眠中でも飛び起きて駆けつけると、単に話し相手が欲しかったなんて言われる)、転落防止のために彼らの医療ベットは低いので(予算の関係で、電動式のベットを全部は備えられない)、毎日何度も彼らを抱き起していると、その内に腰を痛め出した。
国や自治体が医療費への補助を減らしつつある中、さらに一定以下の子供の医療費まで只にしようなんていう政策まで議論され出して、その皺寄せを受けるのは、ほとんどの場合、俺達病院勤務者だ。
今時の病院は、セレブ相手の個人病院でもない限り、どこも経営が苦しい。
新たな削減策が議論され、実行に移されれば、病院は、スタッフの勤務時間や人数を減らすなどして対応せざるを得ない。
その結果、1人の人間が短時間に担当しなければならない患者の人数が増え、ますます俺達は疲弊していく。
多くの場合、食事する時間すら満足に取れない。
『犠牲なき献身こそ真の奉仕』
クリミアの天使と呼ばれた、かの偉大なご婦人も、そう述べている。
一部の者のみの自己犠牲ばかりに頼るような経営は、決して長続きしない。
時々その医療費さえ払わずに逃げる者もいるから、なおさら怒りが収まらない。
建前にうるさいこの国は、どこぞの国のように、医療費を滞納し続ける患者を、道端に捨ててはこれない。
困るのは、お金を払ってもらえず、サービスばかり要求される俺達だって同じはずなのに。
『只より高いものはない』
この言葉は、ある意味で、今のこの国が駄目になっていく理由を説明している。
人は無料で手に入るものに重きを置かない傾向にある。
女性が挙って憧れるようなハイブランドも、一般の人ではなかなか手に入れられないから、たとえその良さが分からなくても、それを持っているというだけで優越感をそそられるのだ。
誰でもほいほい持てる物なら、ましてやそれが只で皆に与えられるような物なら、ハイブランドといえど、見向きもしなくなる人は多いだろう。
高度成長期の入り口、人はまだ珍しかった三種の神器(テレビ、冷蔵庫、洗濯機)に憧れ、それを手に入れるために必死に働いた。
それが経済を押し上げ、人の購買意欲をさらに高めるという好循環を生む。
値段が高いから(自分へのご褒美や贈り物に箔が付く)、他の人には買えないから(優越感)、なかなか手に入らないから(コレクション意欲などを刺激する)。
人が高価なものを買う理由は様々だが、その根底にあるのは、好き嫌いは別として、値段が高ければ良いものである、もしくはそれを入手するのが難しいという気持ちだろう。
それが物やサービスに、ある程度の敬意を持たせているのは否めない。
どんなにいい物でも、どんなに良い仕事をしても、それに値段がなければ、必要以上に安ければ、やがては軽んじられていく。
保育園だって無料になれば、それまで我慢していた人や、入れる必要のない人達まで、只だからとサービスを使い始める。
それは結果的には、そのサービスを本当に必要とする者達の、利用できる可能性をさらに狭めるということに他ならない。
自治体からの十分な補填もないまま、病院にかかる費用だけが安くなれば、病院自体から医師の数が減り、かかれる科もどんどん限定されていくのだ。
料金の安さが、かえって自分達の首を絞める。
これは、そういうことだ。
誰かが得をすれば、大体は、その裏で他の誰かが損をしている。
人間関係だって、商売だって、どちらかが大幅に不利益を被る状態では、そこに特別な感情が介入していない限り、破綻するのは目に見えている。
給料日、振り込まれた給与の額を目にする度に、俺の労力はこんなものなのかと心が重くなる。
これでも介護職よりはずっといいのだから、彼らも大変だ。
下を見て己を納得させるやり方は、あまり好きではないのだが。
荒みだした俺の心は、仕事以外でも少しずつその姿を現した。
ある時は、ちょっと洒落た店で商品を買う際に。
狭い場所に先客が犇めいていたので、すぐ後ろで空くのを待っていたら、なかなかどかない前の女性客が、まるで俺を変質者を見るような目で睨んできた。
『ふざけんなよ!おまえが何時までもどかないから、俺がここで待たされてんじゃないか。鏡見たことないのか?おまえの顔は、痴漢を気にするようなレベルかよ!?』
思わずそう叫びたくなる。
「俺もその商品を買いたいので、ここで待ってるんですが、邪魔なあなたを押しのけてでも、さっさと品物を取って、この場を離れろとでも?」
こいつも俺が男性だから、そういう目で見んのかよ。
余程怒りが顔に出ていたのか、その女性は慌てて去って行った。
またある時は、お気に入りの本を探しに書店に行った時。
その本があるはずの書棚の前で、やはり女性が2人で立ち読みをしていた。
小さな本を探して、女性達の後ろから書棚を隈なく見る際、邪魔な女性達を我慢していた俺に、何を勘違いしてるのか、女性の1人がわざとらしい咳払いをしてくる。
『店にとって有害なのは、おまえらの方なんだよ!買う金がねえなら、別の場所へ行け!』
どいつもこいつも、男性が女性の側にいたら、そんなにおかしいのか?
「すみませ~ん。
立ち読みが邪魔で本を探せないので、代わりに探してもらえますか?」
少し離れた場所にいた店員に向かってそう声をかけながら、その近くまで足を運んで改めて彼にそう頼み、元の場所まで戻ってくると、既に彼女達はそこに居なかった。
・・せめて読んでた本を元の所に戻していけよ。
躾のなってない彼女らに、あきれ果てる俺。
俺が自分のそんな状態に嫌気が差したのは、自宅の部屋で、1人で新聞を読んでいる時だった。
いろんな人が、様々な意見を投書してくる欄で、他人を厳しく批判する意見に、何度も頷いていたのだ。
これまでなら、『そういう考え方もあるな』くらいにしか感じなかったはずなのに、いつの間にか、相手を激しく追及するその考えに賛同してしまっていた。
そっと己の頬に手を当ててみる。
今の俺、もしかして嗤ってなかったか?
自分の心の荒み具合に、我ながら恐怖を感じ始めた俺の下に、1通の黒い封筒が届けられたのは、まさにそんな時であった。
御剣グループ。
田舎から出てきた俺でさえ知っている、超有名企業体。
今時の若い女性が、結婚相手に望む勤務先の不動の第1位である。
送り主の名前を見た時、誤配ではないかと何度も宛名を確認した。
かのグループが俺なんかに一体何の用だろうかと、中身を読んで確かめてみれば、何と転職の勧めであった。
勤務地がアフリカの某国となっている以外は、条件も破格である。
悪戯かもしれないので、念のため記載されている連絡先に問い合わせて真否を確認し、自分でもきちんと裏を取った後、それまでの病院に退職願を出して、俺は初めての飛行機に飛び乗る。
用意してもらえたビジネスクラスの席で、ぐっすり眠りながら辿り着いた先は、真新しい巨大な建物が幾つも聳える、海を臨む広大な地であった。
所長らしき人物と、その傍らに立つ美しい女性に出迎えられて、俺の第二の人生ともいうべき時間が流れ出す。
先の病院での反省点だけは忘れずに、俺は再び、頑張ることにしたのであった。
「所長、内科の方がかなり混んでいるそうなので、手が空いたら応援に来ていただきたいそうです」
俺は皮膚科で子供達を診ていた隅田所長に、そう伝える。
「分かった。
高遠君にあと30分くらいで行けると伝えてくれ」
「はい」
速やかにその旨を伝えに戻る。
俺がここで働き始めて早4か月。
まず初めに驚いたのは、患者の、異性のスタッフに向ける、その目である。
俺が普通に診療の場に立ち会っていても、誰も奇異の視線を向けない。
このセンターは、今の所かなりの人手不足でもあるので、1人の人間が、様々な場所を移動しながら勤務する。
斯く言う俺も、内科、皮膚科、小児科、外科と、1日の内にかなりの距離を動き回る。
日本の病院のように、1か所に腰を落ち着けて診るということがない。
こんな巨大な医療センターに、まだ3人しか医師がいないなんて信じられないが、ここにはたいして酷くもない患者は来ないので、それでも何とかやっていける。
以前そのことを遠回しに所長に尋ねたら、『その内送ると言いながら、何時まで経っても送ってこないんだよ、御剣の奴。あいつ、マジで俺の過労死を狙ってやがるんだ』と、珍しく愚痴られた。
他の人にはいつも親切で、笑顔を絶やさない方だけに、少し驚いた記憶がある。
その後、彼の奥様である美久さんが、『あの人、御剣様だけにはああだから、あまり気にしないでね』と笑って言ってくださったっけ。
俺がこの地に来た理由の1つは、正直に言えば、未だ発展の最中にあるこの国では、日本ほど人権だプライバシーだと言われないだろうと考えたからだ。
ある意味それは正解なのかもしれないが、本当の理由は実は別の所にあった。
患者が初めてこのセンターを利用する際、カルテ作りと称して、入念なアンケートに答えてもらう。
その中身には、アレルギーの有無や、これまでの病歴等は勿論のこと、宗教的制約やトラウマなんかも入っていて、どうしても異性の医師らに診てもらいたくない人には、ある程度の利用制限が課されている。
ここにも女性の医師が1人いるが、まだ若く、経験も浅いため、対応できる科が限られる。
具体的には、外科関連と産婦人科に対応できない。
これに対応できる医師は、今の所、所長ただ1人だけだ。
高遠先生も、現在必死に外科手術を学んでいるが、今はまだ助手止まりである。
そもそも、1人の医師が複数の科を掛け持ちできることの方が尋常ではないのだが、うちの所長は、ほぼ全ての科の、基礎知識以上のものを備えている。
ご専門は遺伝子治療だそうだが、産婦人科と外科関連、皮膚科にも、かなり造詣が深い。
特に産婦人科は、奥様を他人に診せたくないとの理由で、かなり猛勉強なされたらしい。
ここには何と3Dの手術シュミレーションルームまであるから、実際の手術さながらに訓練できるのだ。
そして、男性を忌避する患者で、うちの女性医師にも対応できなければ、その人には申し訳ないが、紹介状を持たせて他の病院に行ってもらう。
人手が足りない中、無用なトラブルを避けるため、ご理解いただいているようだ。
まあ、うちより優れた病院など、この国を含め、周辺国にさえないということだから、ほとんどの患者が異を唱えない。
そうした事前の処置により、肉体疲労以外に、精神まで削られるということがないのは嬉しい限りだ。
忙しいとは言いつつ、所長以外にはちゃんと週1日以上の休暇があるし(暇な時期は2日貰える)、給料だって以前の5割増しだ。
その上、福利厚生が大変充実しているので(下着を含めた無料のランドリーサービスや、マッサージや鍼治療といったアフターケア等)、仕事の疲れを翌日に持ち越すことが少ない。
食事だって日替わりのものなら3食無料でセンター内で食べられるから、手間いらずだ。
お陰で、気持ちに随分余裕ができて、日本に居た頃よりずっと、人に対して優しくなれた。
斎藤看護師に関する資料を事前に読んでいた俺は、一応は注意して彼を見ていたが、あまり心配はしていなかった。
彼の心を苦しめた原因は、ここではほとんど存在しないからだ。
人権、ことにプライバシー権や、最近煩くなってきたハラスメントといったものは、文明が栄え、人が我が儘になった国でしか、問題にならない。
日々を生き抜くことで精一杯の国や地域では、言葉は悪いが、そんなことは二の次なのだ。
アフリカの貧しい国を転々としながら、俺はそのことを十分に理解した。
医師に裸を見られるのが嫌だとか、触られたくない、そんなことまでされたくないなんて思っている者から、順に死んでいく。
病院に限らずとも、仕事先では雇い主に逆らえることはあまりないし(法がきちんと機能していないから、給料さえ貰えず、すぐクビになる)、場所によっては人の命は100ドルよりも安いから、簡単に殺される。
成果主義が行き過ぎ、職場での人間関係が歪になって、それに不景気によるリストラが輪を掛けたとはいえ、職場で語られるようなハラスメントは、アフリカの貧しい国々に暮らす人達から見れば、まだまだ大した問題ではない。
先進国でそれが問題視されるのは、肥大化した人権感覚と、抱えるものが増え過ぎ、身の丈や能力を超えた生活レベルを求める者達が、法律という枷に縛られ、自由な営利活動のできない企業と不必要な闘いをしているからに他ならない。
会社の経営が危ういなど、正当な理由があれば、一定数の社員を簡単に解雇できるようにする代わりに、学生のアルバイト以外、雇用形態を正規雇用のみに限定すれば、無意味なパワハラは激減するだろうし、解雇された人の次の職探しもかなり楽になる。
解雇要件が緩和されるということは、景気や業績が回復した企業が、再び募集をし易くなることを意味する。
ハローワークで困難なのは、正社員としての職探しであり、その他、収入や条件等は、自らがこれまで過ごしてきた時間の価値により、上下するのは仕方がないことだ。
求められるスキルがないなら、自己が就ける仕事をするしかない。
原始より、生きるということは、ある意味参加が自由な競争と闘いなのだから。
争いや労力を好まないなら、時代によって変化する国の施策に、翻弄される立場を甘受すれば済む。
ある日の夜、食堂で夕食を取る彼を見かけ、少しコミュニケーションを取ろうと近寄る。
「ここいいかな?」
彼の対面の席に自分のトレーを置き、念のためそう尋ねる(因みにこの食堂のテーブルは幅が広く、俺でも会話しながらの食事が気にならない)。
「勿論です所長。
今日もお疲れ様です」
箸を置き、立ち上がって答える彼。
「どうだい?
ここにはもう慣れたかな?」
身振りで彼に座るように示して、自分も席に着く。
「はい。
お陰様で、言葉以外は何とか。
それも、お貸しいただいている翻訳機で、大分助かってます」
「1~2年もすれば、片言は話せるようになるさ。
患者の目を見て、何を伝えたいのか注意してやることさえ怠らなければね。
生活面での不満はないかい?」
「それも、今はほとんどありません。
食事も本当に美味しいし、鍼治療が無料で受けられるせいで、痛めていた腰もかなり良くなりました。
欲を言えば、女性との出会いが限られるということくらいですかね」
冗談を言うようにお道化ながら、最後にそう付け足す彼。
「これからもどんどん人材が入ってくる予定だから、そこで素敵な人に出会うことを祈っているよ」
日本での経験から、女性をあまり良く思っていないのではと少し懸念していただけに、彼がそう言うのに興味を持って、多少突っ込んだ質問をしてみる。
「もし気に障ったらすまない。
君は男性の看護師ということで、日本では結構辛い目に遭ってきたと報告書で読んだ。
少なからず、偏見や差別とも闘う必要があっただろう。
なのでてっきり女性にいいイメージを持っていないとばかり思っていたんだが、違うのかい?」
その言葉を聴いた彼は、少し間を置いて、慎重に答えた。
「そうですね。
ここへ来るまでは、確かにそうでした。
半分八つ当たりのようなものでしたが、あの頃の私は、日々削られていく心を守るため、向けられる悪意に対して攻撃的になるしかなかったんです。
今思えば、余裕がなかったんですね。
ここへ来て、改めて考えてみたんです。
俺にも人権がある。
男女平等だ、差別だ、偏見だと喚いたところで、相手がいることでは、その相手にも同様な権利や考えがある。
心は女性だから女子大に入りたい。
女子と同じ女湯に入りたい。
そう考える、外見が男性の人がいたとして、その人が、自分がそこに入れないのは差別だから、入れろと強要することは、全面的に正しいことなのでしょうか?
もしかしたら、過去に何らかのトラウマを負って、女子しか居ない場所にわざわざ来た人だっているかもしれない。
男性の姿や裸を見ただけで、恐怖を感じる人もいるかもしれない。
幾らその人が心は女性だと主張しても、それを知らない相手側から見れば、只の男性にしか見えず、恐怖や嫌悪感を抱くでしょう。
仮に知っていたとしても、男性器を切除するなりして相手の不安や恐怖を和らげる処置をしていなければ、その人達に我慢しろとまで言うのは、酷なような気がします。
大学なら、共学に通えば済むでしょう。
何故今になって、敢えて女子大に行きたいのか。
それまでだって、学校には通えたはずです。
お風呂やトイレだって、無条件にそれを認めれば、愉快犯や性犯罪者との区別がつきにくく、不幸な被害が生まれる可能性だってある。
その人が本当に心が女性であるという、学者や医師の診断書は、首からぶら下げてでもない限り、他の人には分からないのだから。
・・私は、きっと意地になってたんですね。
あまりに偏見や差別の視線に晒され過ぎたから、自分の権利を振り回すだけで、相手のことを何一つ考えなかった。
努力だけではどうすることもできないことはありますが、私はその努力さえ怠った。
ここで働き始めて、言葉があまり通じない相手に、一体どうしたら分かってもらえるかを試行錯誤していたら、そのことに気付けたんです。
今はもう、以前のような思い込みはないです。
素敵な女性を見れば心がときめくし、自分の側にも、そんな人に居て欲しいと感じます」
少し冷めてしまった料理を照れ隠しのように抓み出しながら、彼は穏やかにそう締め括った。
「・・そうか。
医は仁術とも言われるが、その職に携わる者だって人間だ。
自己犠牲の奉仕ばかりでは、やがては熱意も意欲も失って、心も荒むのは仕方がないことだと思う。
俺は今まで御剣で働かされてきて、これだけは文句なく良かったと言えることがある。
それはな、人が互いに心に持つ垣根を取っ払った時にのみできる、深く濃い、魂の付き合いができるということだ。
生き残るために形振り構わず励む者。
多くを望まず、現状を静かに甘受する者。
選択肢の限られた世界で、小さな窓から見える別世界に、何とかして手を伸ばそうとする者。
そんな彼(彼女)らと、こちらも本音でぶつかり、想いが繋がった時にできる手助け。
たとえその金の出所は御剣でも、彼(彼女)らに手を差し伸べたという、その成長を楽しみにできるという想いは、俺にだって味わえる。
性善説を採らない俺だが、人を信用しないわけではない。
むしろ採らないからこそ、時々出会える本物の輝きに、素直に喜べるんだ。
・・君がそういう風に考えるようになったことは、共に働く者として頼もしい。
今後もその働きに、期待しているよ。
邪魔して悪かったね」
元々食べるのが早く、彼の話を聴きながらも手を休めなかった俺の方が先に食べ終わり、そっと席を立つ。
律儀に席を立って見送ってくれる彼も、これからがより楽しみな内の1人である。
「さて、もう一頑張りするか」
徐々に明かりが消えていくであろう街並みを、遠く窓越しに眺めながら、俺は自らの研究室へと足を運ぶのであった。




