世の理を超えたその先に、その7
『御剣総合医療センター』
それが、俺達がこれから定年まで勤務する医療施設の名である。
2週間に及ぶレジャー施設でのバカンスや、その後の日本における10日程の調整で、2人共体調は万全であり、長いこと飛行機に乗って、アフリカ南西部のこの国にやって来た。
ここはアフリカでは豊かな国の方だが、長引く内戦で国内経済は混乱し、豊富な資源を有する割に、国民の生活は今一つぱっとしない。
児童の就学率は、欠席が目立つため、必修とされる無料の初等教育(8年)でも7割程度である。
そこには予算、教員不足、今なお国土の至る所に埋まっている地雷、劣悪な健康状態と、非常に多くの問題が潜んでいる。
御剣グループは、そんな中で、発展に向けて着実に歩んでいるこの国の未来に投資し、地元政府の協力を得て、巨大なプロジェクトを開始させた。
広大な土地を買い受け、そこに町を造り、核となるこの施設の他に、学校や職業訓練所、ホテル、スーパーマーケット、図書館などを建設し、地域の住民を無償で教育しながら、町の施設でその雇用をも受け持った。
学校教育においては、教員不足に対応するため、PCを積極的に活用し、ある教室での授業をネットでLIVE配信し、同時に大勢の生徒に届けられるようにすると共に、スマホのアプリを活用して、語学の習得を、何時でも何処でも可能にし、給食制にすることで、普段はあまり食べることができない子にも、栄養のバランスが取れた十分な量の食事を供給した。
基礎科目の習得さえ済めば、その後は本人の希望する分野の知識を存分に学ばせ、学習への意欲と熱意を途切れさせない工夫も凝らす。
ここでは画一的な人材を育成するのではなく、何かの分野に突出した生徒を生み出すべく、そのための試行錯誤を繰り返し、ノウハウとして蓄積している。
やはり女子の出席率が初めは芳しくなかったが、家庭科の授業と称して裁縫や料理を学ばせ、将来の介護職の育成にも貢献できるよう、簡単な介護指導を加えた結果、それが家庭での子供の世話や家事に役立ち、親からの支持を集めることに成功した。
職業訓練所では、パソコン操作やIT機器等の組み立て実習、主要国の生活習慣や大事なルール等を教え、併せて、どの国でも、どんな職種でも通用する基本的なマナーを習得させることで、世界中の至る所で活躍できる人材を目指す。
生活に不安を抱えて訓練に身が入らないことがないよう、ここで訓練する者には、この国の平均的な月収が支払われた。
治安面にも力を入れる。
町民の生活が豊かになれば、その利益を狙ってくる者もまた、現れる。
地元政府から退役した優秀な元兵士(能力と人格面の両方で)を紹介してもらい、警備と後進の育成とで協力を仰ぎ、その者達の家族を手厚く保護することで信頼を勝ち得、安心して住める街づくりを進めていく。
ちなみに彼らの武装は最新鋭の装備だ。
戦うことを前提にしているとはいえ、無駄に彼らを死なせるわけにはいかない。
極力その被害を食い止められるよう、装備とそのための施設にはお金を惜しまない。
理性を失い、話し合いのできない相手には、こちらも容赦はしない。
そんな者達のために、町を守る彼らを、折角育ててきた善良な町民を、1人として失うわけにはいかないのだ。
ついでに、政府要人のSP候補も育成すると申し出たら、なんと治外法権まで与えてくれた。
お礼にと、ここでの税収を、1割上乗せさせていただいた。
以上の形式的、実質的なシステム作りやその成果、取り決めは、立花さんがほぼ1人で成し遂げた。
俺達の仕事は、完成されたシステムと施設を用いて、この町を軌道に乗せていくことだ。
家に契約書類を持って来た時も、只物ではないと感じたが、彼女の人脈やスキルは半端ではない。
御剣グループ社長秘書という肩書のハンデを取り除いたとしても、あそこまで仕事のできる人を、俺は見たことがない。
さぞかし私生活も充実しているのだろう。
メインの医療センターだが、初めて見た時、開いた口が塞がらなかった。
日本の何処よりも巨大で豪華な建物。
その設備はとんでもない。
一般設備は勿論、3Dの手術シュミレーションルームやCTスキャン、MRI、3つの集中治療室は言うに及ばず、100名が収容できるカンファレンスルーム、ホスピス病棟、ロボットアームによる遠隔治療室、特殊細菌培養室、食事付きの介護施設、俺専用の研究室、救急用のヘリポートにカフェとレストラン、滅菌ルーム、挙げていけば切りがない。
24時間働かせるつもりなのか、俺達の住む所までセンター内にある。
奴は俺を過労死させる気か?
もしかして、それで江戸川さんを狙っている?
相変わらず、油断のならない奴め。
だが、残念だがもう俺の勝ちだ。
各地を転々とする仕事から解放され、この地で定住するにあたり、江戸川さんが子供が欲しいと言い出した。
反対する理由は皆無なので、早速作り始め、今彼女は妊娠5か月だ。
仕事量を徐々に減らしていく彼女の代わりは、思わぬ所で得られた。
ト〇コにいた時、去り際に見送りに来てくれた母娘がいたのを覚えているであろうか。
その娘さんの方が、地元の大学を出て、看護師となって、ここに勤務することになったのだ。
全ては、江戸川さんのお陰であった。
彼女はあの後、立花さんに内密に連絡を取り、閉鎖した病院の清掃目的を理由にして母娘にあそこの鍵を管理させ、皆に内緒でそこで勉強させていたのだそうだ。
しかも、俺にも内緒で自分の小遣いから生活費を工面し、後に事故で父親を失った娘さんの学費を支えていたのだそうだ。
その甲斐あって、彼女は優秀な看護師として、ここに来てくれた。
何でも、江戸川さんが改めて誘う前に、大学の在学中、就職案内の黒い封筒が届いたのだそうだ。
本人はてっきり、俺達が出したものだと勘違いしていたらしい。
母親の方も、自国での諸手続きが終わり次第、事務員として、ここに勤務することが内定している。
ここで働く医療スタッフは、今の所23名。
その内訳は、医師が俺を入れて3名、看護師9名、ケアマネージャー1名、介護士10名だ。
数には入れていないが、この他に、通訳や調理師、清掃スタッフ等が活躍してくれている。
まだ運営を開始して1年弱なので、今後はさらに増やしていく予定である。
これから、その内の何人かを紹介していこう。
高遠医師(男性、28歳)の場合
文科省の事務次官であった父と、裕福な家の出身である母の間に生まれた長男として、何不自由なく育てられ、私立の一流中学、高校とエスカレーターで進む。
だが、医学部の大学受験で初めて挫折を味わい、2年浪人する。
その後、何とか希望の大学に合格するも、今度は父親が大学側に息子の合格に関して便宜を図るよう求めたという疑惑が明るみに出て、そこを半年足らずで自主退学し、翌年、別の大学の医学部に入り直す。
大分遠回りした彼は、それでも医学の道を諦めず、卒業後、系列の大学病院には進まずに、すぐにこの医療センターに加わった。
ここに来た時、心に蟠りを抱え、少し卑屈でもあった彼は、今では立派な医師として、日々自己研鑽に励んでいる。
以下は、そんな彼の、これまでの様子である。
それまでの僕は、よく言えば何でもできる、悪く言えば器用貧乏の、他の子より多少頭が良いくらいの生徒だった。
幸い家も裕福だったから、私立の高い学費を払っても、塾にも通え、参考書も豊富に買い揃えられた。
その一方で、どこか受験をなめていた僕は、スマホのゲームや、当時付き合っていた彼女とのデートなんかで時間を取られ、ある時期から思うように成績が伸びなくなった。
受験が段々と近づくにつれ、それはやがて焦りに変り、さらに堅実な勉強の妨げともなって、とうとう入試に全敗した。
浪人1年目の春、僕自身とその周囲はまだ平穏としていた。
医学部を狙うなら、1浪くらいは普通だし、お金にも困らない家であったから、やはりまだ気楽に考えていた節がある。
刻々と迫る試験日の恐怖から一旦解放され、あと1年あるやと、気を緩められたのも原因の1つだろう。
予備校を掛け持ちし、医学部受験体験記などのサイトで情報を漁り、今度は一端の受験生を気取っていた。
どんなに良い環境に身を置いても、如何に優れた本を所持していても、それらを十分に活用しないのでは、そこから得られるものは少ない。
参考書はソフトではないし、僕はパソコンでもない。
買って書棚に並べて置くだけでは、それをPCにダウンロードするようには、頭に入らないのだ。
僕の可哀想な参考書達は、後に日の目を見るまでは、完全にお守りのようなものだった。
それでも夏までは比較的良かった成績は、部活を終えた現役生がスパートに入り出す秋にはまた下がり始め、冬になると前回より強い不安や恐怖のせいで、さらに下がって、翌年の入試にも全敗してしまう。
浪人も2年目になると、流石に周囲も慌て出す。
僕の気持ちも塞ぎ出し、より良い予備校や塾を必死に探し始める親達。
僕は暫く家から出ずに、部屋でゴロゴロしながら、ネットのサイトをあちこち見ていた。
そんな時、ふと興味本位で覗いた家庭教師サイトで、1人の人物が気になった。
その人はもう40代をとうに過ぎていて、検索に出てくる順位からも、若い人を欲しがる家庭からはあまり人気がないように見えた。
学校の先生なら、若いと却って経験不足とか言って、その指導力に疑問を持つ親も多いのに、こういう場所では知識が古いなどと言って逆に敬遠する人達の考えが、僕には分からない。
その人の実績や人物欄などを熟読した僕は、1度彼に会って話を聴いてみたいと思った。
僕が引籠りになることを心配していた母にそのことを告げると、彼女は大喜びで連絡を取ってくれ、3日後に彼に会うことができた。
果たして彼は、僕が想像した通りの人物だった。
穏やかな物腰と落ち着いた雰囲気、塾や予備校のようにいきなりああしろこうしろと言ってこない。
先ず僕のこれまでの勉強方法を尋ね、勉強部屋と所持している教材に目を通す。
過去の成績表をチラッと見て、英語と数学の問題を1~2問尋ねてきた。
それだけで、今後の学習方針を立てたようである。
母が、契約の条件を、細部に亘り確認する。
時給は4000円払うとこちらが告げたら、週4回(1日3時間)も依頼してくれるならと、3000円でいいと言われた。
しかも、仮に区切りのいい所までやるために何十分か延長しても、その分は無料でいいとも。
後で聴いた話だが、彼はお金のためだけに、この仕事をしているわけではないのだそうだ。
自分達には子供がいないから、自らの失敗や後悔を活かす場を求めて、この職業を選択したそうである。
では何故単純に教師の職を選ばなかったのか。
その疑問の答えは、後で知ることになる。
彼の指導を受け始めて、英語以外の成績は時間に応じて比例して上がっていき、英語は2か月くらい経ってから、反比例のグラフのように急上昇した。
物理以外の理科と、社会科目である歴史は、じっくりと教材を読み込み(世界史は小さな文字で500ページ以上あった)、それまでうろ覚えであった箇所を正確に暗記し直していき、物理、数学は、基礎問題を徹底的にこなして解法パターンを記憶した後、応用問題に初めて手を伸ばす。
以前は志望校の過去問ばかり解いていたが、何故答えがそうなるのかあまり理解できていなかった。
基礎を身につけることで、そこまで行く答案の流れが、はっきりと理解できる。
英語は、基本の文法を細かいとこまで教えられ、何故ここにはこれしか入らないのか、ネイティブの感覚ではこう聞こえるのだとか、非常に為になった。
レベルの高い学校なら、おそらく中学でしか、それもさらっとしかやらないことが多い5文型が、3000文字を超えるような長文を読む上で、200字以上の英作文を書く上で如何に大切か身に染みて分かったし、助動詞や前置詞の役割の大きさや、関係代名詞や接続詞が果たす意味を正確に知ることで、何処とどう繋がるのかが見つけ易くなり、英文を読むスピードが飛躍的に増した。
高校生でも、前置詞の次に動詞が来たら、何故進行形になるか、正確に言える学生は多分半分くらいだろう。
助動詞がいきなり過去形になった時の意味を、3つすぐに言える人はさらに少ないのではないか。
これまで通っていた予備校や塾は、1度に大人数を教えるせいか、あまり細かいことは教えてくれず、進度も速かった。
時々授業の終わりに講師室まで質問に行くと、他の予備校と掛け持ちしていて時間がないせいか、あまりいい顔をされないことも多かった。
ああいう所は、勉強に慣れた、成績の良い学生が、参考書では得られないものを求めて行く場所だと後に気が付いた。
だから、講義中ノートを取っている人などあまり見かけず、大体は、講師の話に耳を傾けながら、黒板を見ているだけだ。
講義の最中に、本来なら1番価値のあるその話をろくに聴かず、参考書を見れば書いてあるようなことまでせっせと黒板の文字をメモっていた僕は、彼らからしたら、さぞや不勉強に見えたであろう。
家庭教師は自宅まで来てくださるから、移動のための無駄な時間を節約でき、予備校の講義の間に間食していたファーストフードでカロリーを取り過ぎることもなく、万全の状態で、翌年、僕は遂に第一志望の超難関校に合格した。
ところが、ここで思いもよらぬことが起きる。
やっと学生生活に慣れたと思った矢先、マスコミが、父の疑惑を大々的に報道した。
それは、文科省の事務次官であった父が、息子である僕の入試に際して、大学側に便宜を図るように口利きをしたというもの。
僕にとっては、全くの、寝耳に水であった。
新聞や週刊誌で大分叩かれ、ニュースでも取り上げられて、民放のコメンテーターが、ある事ない事知ったような風に得意げに喋っていた。
結局は、それは半分事実で、半分偽りであったのだが。
父が大学側にそういう言葉を伝えたのは確かであった。
ただ、そこに金銭等の遣り取りがあったわけではなく、父は単に、大学側に『何とかならないだろうか』と1度尋ねたにすぎない。
大学側も、便宜を図ってはいないと完全に否定し、僕の入試結果だけで判断したと断言している。
けれど、周囲と比べて豊かな我が家は、そうでない人達の格好の憂さ晴らしの対象となり、中傷電話や嫌がらせのメールが相次ぎ、母は外出を躊躇うようになり、父は依願退職した。
検察は、父が捜査に非常に協力的であったこと、退職という責任を取ったこと、既に十分、社会的非難を浴びたこと等を理由に、父を不起訴処分にした。
僕も、大学を辞める必要はなかったのだが、周囲の学生の自分を見る目に耐えきれず、自主退学した。
父と母は、憔悴した僕に、僕の努力を無駄にしてしまったこと、最後まで僕を信じきれていなかったことを詫び、今の家を売って、母の田舎に引っ越すことを告げた。
僕はその時、彼らに明確な意思表示をせず、ただ、少し考えさせてと口にしただけだった。
先生に会いたい。
僕はその時、家庭教師をしてもらった先生に会いたいと、そう考えていた。
いろいろと、相談に乗って欲しかったのだ。
勉強と共に、世間知らずな僕に、様々なことを教えてくれた先生。
実際に会って、話を聴いて欲しかった。
残しておいた連絡先に、恐る恐る電話をいれると、会うのは構わないが、その場所には意外な所を指定された。
病院である。
先生は、・・入院していた。
どうやら大分前からガンを患っていたらしく、1年に1度くらい、治療で2週間程入院しているそうだ。
以前勤めていた会社も治療のために辞め、それで、家庭教師を始めたのだそうだ。
最初は余命1年と言われたが、今は医学も進歩して、化学療法が大分よく効いているので、それ程無理しなければ、そんなに心配せずともいいらしい。
僕はそんな先生に、合格後のことをポツポツと話出し、彼は静かにそれを聴いてくれた。
『それで君はどうしたい?』
話し終えた時、先生はそう尋ねてきた。
僕はその時弱っていたので、無意識に先生に答えを求めていたのかもしれないが、先生は、あくまでも僕の人生だからと、その大事な決断に口を挟むことはしなかった。
ただ、もう答えは決まっているんじゃないか、そんな顔をしただけだ。
僕の想いは、本当はしっかりとその胸の内にあり、誰かに背中を押して欲しかっただけなのだろう。
医者になる。
その考えは、あの騒ぎの中でさえ、揺るがなかったのだから。
僕が医者になろうと決意した理由、それは凄く単純で、ただ、カッコよかったからだ。
中学の終わりに付き合い始めた当時の彼女の父親が、事故で大怪我をして病院に運ばれた際、たまたま2人でデートをしていた僕らは、彼女の母親からの連絡で、急遽その病院に向かうことになり、僕は成り行きで彼女に一緒に付いて行った。
そこで、担架に乗せられながら、集中治療室に運ばれる彼女の父を共に見送りながら、その母親と話す主治医らしき人物に目が留まった。
まだ40代くらいだが、力強く話し、数名のスタッフを引き連れて自信を持って手術室に向かう姿が、僕の目には、凄くカッコよく映ったのだ。
漠然とした憧れだけでは、何時かその夢を見失ってしまう。
先生に出会う前の僕は、まさにそんな感じだった。
それが、先生の指導の下、期待に応えようと努力を惜しまず、懸命に勉強したことで、その輪郭がより鮮明になって甦ってきたのだ。
あまり長居をすると先生のお身体に障るので、話を聴いてもらった後は、お礼を述べて早々にお暇する。
家に帰るとすぐ、両親に告げた。
『この地に残って、来年また、別の大学の医学部を受験する』と。
父も母も、反対はしなかった。
今の家を売ったお金の一部で、少し離れた場所にちんまりとしたマンションを借りてくれ、生活費と学費も出してくれるとも言ってくれた。
家の売却を待たずに2人は引っ越し、僕は1人残ってまた勉強に励む。
翌年、また無事に合格を果たした僕には、1つだけ、心に抱える蟠りがありはしたが、その後の6年間を、自分なりに頑張って過ごした。
国家試験に無事合格した僕の下に、1通の黒い封筒が届いたのは、大学系列の病院に進むかどうか、本気で悩んでいた時。
あまり表立ってはなかったが、同じ大学の学生の中にも、やはりあの出来事を覚えている者はいて、時々変な目で見られていた。
封筒の中から出てきた書類に記載されていた勤務地は、ここから遥か遠いアフリカの地。
大学病院を蹴り、僻地で職に就こうとも考えていた僕には、まさに、うってつけの場所だった。
何より、封筒の送り主は、あの御剣グループだ。
今では学生のほとんどが、そこでの職を希望するとも言われている、世界最大の企業グループ。
そんな彼らが、何故僕に白羽の矢を立てたのかは分からないが、僕はすぐに返事を書き、マンションを引き払ってパスポートを持参し、飛行機に飛び乗るのだった。
俺が彼とゆっくり話をしたのは、何時だったか、彼が介護病棟のお年寄り達を、ぼんやりと窓越しに眺めていた時が最初だ。
日本にいるはずの、彼の両親のことでも考えているのかと、ちょっと世間話ついでに話をしてみたくなったのだ。
当然俺は、彼の父親の件を知っている。
俺を通さずにグループが勝手に採用して送り込んでくる人物には、彼らが独自に調査した、詳細な報告書が添えられているからだ。
俺は変に彼を警戒させないように、何でもない風を装いながら、のんびりと口を開いた。
「親御さんのことでも思い出しているのか?」
いきなり話しかけられて驚いた彼は、その相手が俺であることが分かると、軽く会釈した。
曲がりなりにも俺はこのセンターの所長、実質的なトップだ(本当は江戸川さんかな)。
ここの運営に関して、予算と警備面以外のあらゆる権限を持っている。
予算はグループが勝手に作成して、その分を振り込んでくるからな。
これに関しては、こちらは事後報告と領収書等の提出だけだ。
「・・ええ。
今頃どうしてるかな・・って少し」
「君がここに来て、もう3か月くらいか。
ご両親とは、連絡を取っていないのか?」
「ええ。
ご存じだと思いますが、あの件があった後、1人暮らしを始めてからは、ほとんど連絡らしいことをしていません。
ここに来る時も、メールで簡単に知らせただけです」
「不躾な質問だが、ご両親を恨んでいるのか?」
「・・恨んではいません。
ただ、ちょっとだけ、がっかりしたんです。
僕を信じていなかったのかな・・って」
「・・そこに座ろう。
少し、俺の話を聴いてくれないか?」
そう言って、日当たりの良い長椅子を指し示す。
共に並んで腰かけながら、俺はなるべく感情を込めないように気を付けながら、話し出した。
「世の中には、いろんな人がいるが、俺は基本的に性善説を採らない。
人が皆善人であるのは、せいぜい4歳くらいまでで、それ以降は、育った環境や養育した親、保護者などの質によって、どうとでも変わるものだと思っている。
付き合う友人のレベルにもよるかな。
・・君がここに来る前、その報告書を読ませてもらい、実際に君と少し仕事をしてきたが、君は悪い人間ではない。
ちゃんと礼儀を弁えてるし、仕事ぶりも丁寧だ。
患者への接し方からして、人への敬意も備えている。
だから、俺は君のご両親も、悪い人達ではないと考える。
もし彼らがまともな人間でないなら、その子供は、君のような若者には育たないだろうから。
酷い親から素直な子が育つのは、せいぜい漫画の中くらいだよ。
大抵は、何処かが歪んだり、欠けたりしている。
人に必要なものを、親から与えられてこなかったのだから、それは仕方のないことでもある。
例外があるとすれば、それこそ親に代わる存在の支えがあった場合だな。
・・俺ももうすぐ父親になるが、親というものは、子供ができた時、大体は喜ぶものだと思う。
中には純粋に喜ばない奴もいるみたいだが(エロゲにいる、劣等感からくる自己満足だけの奴とかな)、愛する人との結晶だし、己が果たせなかった夢や意志を、託せるかもしれない存在なのだから。
産んだ以上、親が子を育てる義務があるのは、法律を俟つまでもないが、でもそれは、一体何時までなんだろうな?
義務教育が終わるまで?
それとも18歳になるまで?
まさか親が死ぬまでとは言わないよな?
以前、引籠りのニートの言い分を新聞で読んだことがあるけどさ、彼は、自分が受験に失敗したのも、就職できなかったのも、資格試験に受からなかったのも、全部親のせいにしていたわけよ。
親からの期待が重すぎた、親に使えるコネがない、親が試験勉強のための金を出してくれない。
正直、おいおいおいと呆れたくなった。
緊急避難じゃあるまいし、それしか道がなかったわけじゃない。
彼の言い分は、安易に逃げ道を選ばず、同じような境遇を、歯を食いしばって懸命に耐えている人達にも失礼だ。
よく犯罪者のことを、『彼がそうしてしまった理由を、もっと理解してやらねば』なんて庇う人がいるけど、俺に言わせれば、それは『そういう立場にいる人は、遠からず罪を犯す危険性が高い』と言っているようにしか聞こえない。
自分から助けを求めてこない、自らの想いをろくに伝えもしない者のことを、何で俺達がわざわざそこまで入り込んで理解してやる必要がある?
真に考えてやるべきは、何の落ち度もないのに被害を受けた、物言わぬ彼らの方だろうに。
受験なんて、普段からきちんと勉強してれば、最低でも、偏差値50程度の大学には入れる。
それを3年の半ばくらいまで遊んでて、たとえ部活をやってたとしても、それは自分が選んだことだろう。
好きなことをしながら、さらにいい大学にも行きたいなら、その分余計に努力するのは当たり前だ。
正社員になれるかどうかは、運の要素も強いが、これもそれまでのほほんと過ごしてきて、就職活動だけで何とかしようなんて考えている方が悪い。
会社だって、金を払って人を何十年も雇い続けるのだから、少しでも優秀な人材を求めるし、面接の仕方や履歴書の書き方なんかでどうにかしようなんて思ってるなら落ちて当然だろう。
高校までの学費を出し終えた親に、大学や資格試験の費用まで、さも当然のように求めるのもどうかしてる。
親が自分から出してくれると言うのなら、感謝しながら有難く受け取るのはいいが、自分達の老後のための蓄えすら足りない彼らに、『親が出すのは当たり前だろ』なんて言ってる奴は、どうせ受けても受からんよ。
金がないなら、本当にそれを望むなら、最悪自分で稼ぎながら行けばいい。
その努力が嫌なら、所詮はその程度、他の道を歩めばいいんだ。
稼いでる時間が勿体無い?
そういうことを言う奴に限って、普段は無駄な時間ばかり使っているものさ。
親がこうだ、親がなんだと言うのなら、自分は一体何の努力をしてきた?
親に自分を分かってもらうための努力をしてきたのか?
親だからって、子供の全てが分かるわけではないんだ。
言葉で、態度で、誠実に伝えようとしないなら、伝わらないことだって多いんだよ。
親の方だって、『おまえは自分達を分かってない』、きっと、そう言いたいだろうよ。
・・おっとすまん、これは君のことじゃないぞ。
あくまでその引籠りの言い分に対する、俺の意見だ。
両親から多大な愛情を受けて、それに態度で感謝を示してきた俺としては、一言彼に言いたかったわけよ。
『一言じゃない』、というツッコミはなしな。
で、ここからが本番だ。
君はご両親が自分を信じてなかったんじゃないかと疑ってるみたいだが、もしそうなら、彼らは君に大金を費やしたりはしないと思うぞ。
大学の学費はもとより、予備校や家庭教師なんかの費用も、何年も払えば決して馬鹿にはならないだろう?
幾ら金持ちだからって、趣味でもないのに無駄だと思うことに何百万もの金を出さないと思うよ。
彼らはきっと、君の合格を信じていたのさ。
ただちょっと、心配し過ぎて魔が差しただけ。
俺はそう思うな。
だって君、2浪もしたんだろう?
多少は親が心配しても仕方がないじゃないか。
それにな、失ったものは、父親の方が遥かに大きい。
事務次官と言えば官僚のトップだ。
それを自ら辞めねばならず、不起訴になったとはいえ、罪を認めた彼は、そのことを忘れない人達から、ずっと後ろ指を指されかねない。
そんなリスクを冒したのは、みんな君の為なんだぞ!
そこまでしてくれた親を信じずにいてどうする?
彼がそうしたのは、息子をいい大学に入れて周囲に自慢するという、己の自己満足の為じゃないんだろう?
君があの時すべきだったことは、大学を辞めることじゃなくて、自分の力で合格したんだと、周囲に認めさせるための努力だったんじゃないかな。
当時の君の苦しみを知らない俺が言うのもおこがましいが、それまでの彼を思い出してみればいいんじゃないか?
君の父親は、君にとって、一体どんな人だった?
隅田さんの話を聴いて、これまでのことを思い出してみる。
小学校では野球をしてたっけ。
打順は7番で、打率が2割しかない僕に、父はいつもホームランを期待して、一生懸命応援してくれた。
当然、打てないことの方が断然多いのに、父は毎回、僕の打順になる度に、『今度は打てるぞ!』と言って、大きな声でホームランを期待してくれた。
そんな父を、周囲の人は少し笑って見ていたな。
僕は、父の期待に応えるべく、毎日素振りの練習をしていたであろうか?
血豆ができるまで、バットを振っただろうか?
それすらしないで、もし父が僕を応援してくれなかったら、どうせ期待されてないからと、拗ねたんじゃないか?
中学受験を乗り越えられたのも、両親の力が大きかったな。
父は仕事が忙しいのに、同じような受験を抱えた子供を持つ同僚の人達から、いろいろと情報を集めてくれ、いい参考書があると聞けば、ネットにない物は、わざわざ書店を何軒も回って買ってきてくれた。
母も家事の傍ら、塾の送り迎えだけじゃなく、毎日夜食を作ってくれて、自分のことしか見えなかった僕がろくにお礼も言わなかったのに、ずっと笑顔で励ましてくれた。
高校ではどうだった?
進路指導では、いつも担任から、現状ではそこは無理だと言われてたはずだ。
でも両親は、僕が頑張ってるからと、いつも担任に抵抗してくれてたよな?
その期待を裏切り続け、家庭教師の先生に出会うまで、ろくな成果を示せなかったのは僕の方だろう?
結果も出せず、かといってきちんと自分の思いや考えも伝えずにいた僕に、彼らを非難する資格はあるのだろうか。
以前付き合っていた彼女に言われた言葉が、不意に頭に浮かんでくる。
『恋愛って、感情以上にお互いの約束と信頼の上に成り立つものだと思うの。その信頼を保つためには、一方通行の関係では駄目なのよ』
スマホのゲームに夢中になり、デート中もやっていて、話しかけてくる彼女の言葉に真摯に向き合わなかった僕に対する、別れの言葉だ。
・・どうして今まで気付かなかったんだろう?
父のやったことは、その立場を考えれば決して褒められることではないが、少なくとも僕のためにとしてくれたことだ。
お礼を言うことではないが、『余計なことを』と一方的に非難する資格は、僕にはない。
仕事に熱意を持って、懸命に働いていた父の背中は、真っ直ぐで大きかった。
それが、仕事を追われ、家で中傷に耐えていたことで、可哀想なくらい、丸く縮んでいた。
その結果を引き起こした原因は、僕への愛情だろう?
・・・父に手紙を書こう。
電話では、今のこの感情を上手く伝えることができない。
手紙で、じっくり気持ちを落ち着けて、父に、母に、感謝の言葉を送ろう。
自分の中で、今まで蟠っていた想いが、きれいに消えていく。
そんな僕を、隅田さんは穏やかに見つめていた。
『もう大丈夫みたいだな』
彼の顔を見て、俺はそう思う。
相手がどうしようもない奴なら、無理に関係を保つ必要はないが、彼のご両親はそうではない。
報告書によると、田舎で静かに暮らしているそうだ。
彼らを昔から知る、近所の住人にでも聞いたのか、以前と違って、あまり笑わなくなったとも記載されている。
笑は心の栄養だ。
この時間が、彼らがそれを取り戻すきっかけになることを祈りつつ、手間を取らせたことを高遠君に詫びて、腰を上げる。
長い病棟の廊下を、静かに歩いて行く俺を見かけて、いつものように、患者の子供達が、嬉し気に声をかけてくるのであった。
それから暫くして、高遠氏の両親のもとに、1通の手紙が届く。
遠く海を渡って届けられたその手紙は、こう書き始められていた。
『前略
お元気ですか?
こちらは相変わらず暑いです。
今度の長期休暇に、そちらにお邪魔してもいいですか?
話したいこと、謝りたいこと、伝えたいことが、本当に沢山あるんです』




