世の理を超えたその先に、その3
ト○コ共和国にやって来た。
首都アン○ラに近いこの町は、夏は暑く冬はかなり寒い(-20℃にもなるらしい)。
人口の大多数はムスリムだが、飲酒は自由で、身分証明書に宗教の帰属を記載すること以外は、それ程厳しい制限はないように見える。
経済状態は一時期かなり落ち込んだが、今は少し安定してきている。
エ○トゥールル号遭難事件において先人達が礎を築いてくれたおかげで、日本とは友好な関係を維持してもらえている(もっとも、25年くらい前まで、日本のある特殊浴場の名が、この国の名を冠していたために、かなり不快な思いをさせてしまったのだが)。
今度の滞在先は、前回のような新築の一戸建てではなく、古くなった病院を買い取り、そこを改装したものだ。
かなり大掛かりな改装をしたので、内部は元の建物とは全く別物になっているそうだ。
3階建ての建物には、診療室や居住スペース、ピアノがある防音室の他、なぜか学校の教室のような部屋もある。
ここまで案内してくれたスタッフから、イスラム圏で生活する上での注意点を、じっくりと聴かされる。
先ずは服装。
男子はさほど気にせずともいいようだが、女子はいろいろと気をつける必要がある。
モスクで礼拝するのでなければ、外国人の非教徒であればチャドルやアバヤまで身に着ける必要はないが、ヒジャブは付けた方がいい。
その時は、髪の毛が外から見えないように身に着けること。
次に通常の生活面において、スマホなどで勝手に他人を写さないこと(これは何処でも当てはまるが)。
撮る時は必ず事前に本人の許可を得る。
偶像崇拝を禁じるイスラム教では、自分の姿を形に残すことを嫌がる人は多いそうだ。
モスクには、興味本位で立ち入らないこと。
モスクは彼らの神聖な祈りの場であり、観光用に公開されているものを除き、非教徒が気軽に入るべきではない。
ラマダンでは、旅行者などの外国人でも、日の出から日没までは、人前で飲食しない方が賢明であること。
また、あまり知られていないこととして、ラマダン中は、飲食の他に、性的な接触(男女が手を繋いだり腕を組むことも含む)も日没まで禁止なのだそうだ。
基本的に、イスラム世界では、男女が一緒に行動することはかなり少ないということなので、たとえ結婚していても、旅行ではなくある程度滞在するつもりなら、気を付けるようにと言われた。
2人共宗教面においてはかなり疎いので、開院のお知らせの告知等、必要なことは全てスタッフにお任せして、とりあえず業務を始めるのだった。
いざ診療が始まると、最初はかなり気を遣った。
先ず待合室は男女で分け、女性の患者さんは初見を江戸川さんに任せた。
大したことのない症状なら、そのまま彼女に治療してもらい、重病の時には、患者本人の同意を得てから、俺が処置をした。
日本なら、医師法に引っかかることもあるだろうが、そこは事前にこの国の関係各所に根回しが済んでいるそうなので、国外のことでもあるし、容認してもらう。
前回とは異なり、診療は無料ではないが、他と比べてかなり安くしている上、利益は全てこの国の慈善団体に喜捨しているので、誰からも文句は出ない。
以前、日本の医師が、国内のとある宗教を信奉している患者に、宗教上の理由から本人が輸血を拒んだのに、それをしないと命が危ういため、医師としての良心から輸血を強行し、後に裁判に訴えられて、敗訴したという事例がある。
俺は学生の時にその判例を読んで、内心の自由はかくも重いのかと驚愕した記憶がある。
本人達にしてみれば、命より信仰の方が大事だということなのだろうから、俺も敢えて逆らうことはしない。
そうして暫く診療していると、俺達の病院は、意外なところで評判が良かった。
トイレにいつもきちんと紙がある。
何を当たり前のことをと仰るかもしれないが、この国の病院はない所が多いそうだ。
財政難なのか、医療サービスの質は、あまり高くはないそうだ。
だからこそ、日本のような高度で安価な医療を求めて、諸外国から医療ツーリズムの需要があるのだろう。
待合室にある、給水器も有難がられた。
この国の水道水は、歯は磨けても飲料水としては向かない。
なので、皆、ミネラルウォーターを飲んでいる。
買えばお金がかかるので、無料で自由に飲める美味しい水は、とても喜ばれた。
建物内に教室があるのも、やがて理解できた。
ここでは女子児童の修学者は少ない方だ。
経済的、宗教的な理由から、男女共学の上に、ヘッドスカーフ着用禁止の初等学校へ通わせることを嫌がる親が多いせいだという。
国のほぼ全ての学校が国立であり、私立もあるにはあるが、その学費は一般労働者の月収並みなので、通える者は少ない。
『女の子達を学校へ』というキャンペーンもあったらしいが、現状では、功を奏しているかは疑わしい。
御剣グループの暗黙の要請に従い、俺達は院内の教室で、女子の希望者に無料で勉強を教えることにした。
先生役は勿論江戸川さん。
12歳くらいまでの女の子に、算数やト○コ語、英語を教える。
歴史や理科は教えない。
これらは国によって捉え方や見方が異なる上、宗教上、進化論などを否定する所もあるからだ。
授業の合間の休憩には、俺お手製の焼き菓子と飲み物も出す。
この国の料理を参考に、ナッツ類をふんだんに使い、少し甘めに焼いてある。
参加時間は自由で、江戸川さんの手が空いている時に、希望者がいれば教える形にした。
もう1つ、院内に図書室も作った。
教えている子達によると、学校や町には、あまり図書館がないらしい。
あっても不十分で、やはり財政事情からか、蔵書は乏しいのだそうだ。
なので、グループの協力を得て、国中から様々な本を取り寄せ、自由に閲覧できるようにした。
その内容に関しては、親からの苦情がこないよう、十分に注意してある。
こうした活動が評価されたのか、半年もすると、大分周囲の方々に受け入れてもらえるようになった。
この国で生活する上で、宗教面以外に気を付けなければならないことに、交通事情がある。
道路は車優先だという意識が強く、歩行者は、常に車に注意しながらでないと、安心して歩けない。
交通事故の件数は、日本の2倍程だそうだ。
我が国でも昔、『赤信号、みんなで渡れば怖くない』的な風潮があり、時に意気揚々と赤信号を歩いていく者がいたが、今そんなことをすれば、ながらスマホで運転する者(法律違反)に轢かれるか、判断力の衰えた80歳以上の高齢者の方(勿論、個人差はあるが)の運転する車に、ブレーキとアクセルを踏み間違えられる可能性がある。
俺達も、道を歩く時には十分に気を配った。
もっとも、2人で仲良く腕を組んで歩くなんてことはここではやらないので、1人分のスペースで歩く分には、別に問題はなかった。
むしろ、日本にいた時の方が、ある意味苦労させられたものだ。
どんなに道幅が狭くても、前方から歩いてくるカップルは、2人で並んで歩くのを止めない。
1人歩きの女子の中には、男性が避けるのが当然だと言わんばかりに真っすぐ歩いてきて、ぶつかりそうになる者も多い(この考えは、『男子だってわざと当たってくる人いるよ』という江戸川さんのご意見によって、現在保留中である)。
紳士な俺は、それら全てを避けて歩くので、都会の道を真っすぐには歩けず、くねくね蛇行することになるのだ。
夏になると、食中毒にも気を付けなければならない。
病院にも、この時期になると、大勢の患者が運ばれてくる。
俺達2人は、奴の加護であらゆる病原菌から守られているが、敢えて屋台などの場所で飲食をしようとは思わない。
口にする物は、自分の家で俺が作った物か、市販の缶詰やインスタント食品(日本製)だけだ。
べつに他が危ないというわけではないが、人一倍衛生面が気になる俺としては、ここは譲れない。
夏といえばもう1つ、江戸川さんがチャドルを身に着けたことが挙げられる。
乾燥しているので、40℃を超えるような暑さでも、日本ほど不快ではないが、陽射しがきついので、肌を痛めないように着るらしい。
保湿クリームや目薬なんかも必需品だと言って、毎日身体のお手入れをしていた。
俺はここぞとばかりに彼女にお願いして、密かに買っておいたアバヤを差し出し、それを身に纏った姿をスマホに写させてもらった。
目元だけを残して、黒い衣装に身を包んだ彼女には、普段にはない、ゾクッとくるような妖しい色気がある。
千夜一夜物語を初めて読んだ時の記憶が蘇るようだ。
中学や高校の制服、ビキニ姿、スーツ、白衣、そしてこのアバヤ姿。
俺の秘蔵のコレクションがどんどん充実していく。
撮り終えた画像を悦に入って眺めていると、『変なことには使わないでね』と彼女が言った。
え!?
ナ・ン・ノ・コ・ト・カ・ワ・カ・リ・マ・セ・ン。
ここでの滞在は3年に及んだ。
当初は2年が最大だと聞かされていたが、勉強を教えている子供達に懐かれ、より高度な内容を教えている内に、その母親達とも江戸川さんが親しくなって、共に買い物に出たり、街を案内されるようになった。
政教分離を掲げるこの国ではそこまで酷くはないが、イスラム圏の中には未だに女子の嫁ぎ先を親が決めたり(40も歳の離れた男性の下にとか)、ろくに学校にも行かせてもらえず、家の中に閉じ込められている国もある。
『名誉の殺人』には、事実でないものも多く含まれるとか。
何不自由なく親に育ててもらった俺達は、そんな子供や女性達がいることに胸を痛めたが、その国が法律で公然とそのことを認めていたり、親の宗教上の考えに則った行為である以上、余所者で、他人でもある俺達が、口を挟むことはできない。
せめて向こうから助けを求めてきたり、家族の同意が得られた者達に、新しい環境と機会を与えて、本人の努力に期待するのみである。
そんなわけで、規定より1年長く認められた滞在は、3年間で47名もの人材を、グループに送り出すことになった。
旅立ちの朝、スタッフが建物に鍵をかけて回っている間に、この3年で特に親しくなった母子が見送りに来てくれた。
彼女らは、家族の都合でグループの支援には参加しなかったが、夫からあらぬ誤解を受けないように、その家族ごと家に招待して夕食をご馳走したり、多くの教材を与えて勉強を教えたり、この街のあちこちを紹介してくれた、この地で得た、かけがえのない友人達だ。
いつかまた、この病院が再開される日まで、建物を気にかけていてくれるそうだ。
江戸川さんが、その母親に1通の封書を渡していた。
後で聴いたところによると、俺達の実家の連絡先と、彼女の小遣いから1万ト○コリラを渡したそうだ。
何か困ったことがあったら、自分達に相談して欲しい。
そんな思いからだったようである。
初めて暮らした異教の地。
向けられた笑顔を業務の糧にして、江戸川さんの人柄と、周囲の人々の理解に支えられ、思いのほか楽しく過ごすことができた。
次はアフリカ諸国。
最後の難関が待っている。
奴に指定された、僻地でのボランティア活動は、残りあと5年ほど。
1人でも多くの命と、1人でも沢山の人の未来に、どうか力を貸せますように。




