世の理を超えたその先に、その2
「長閑でいい所ね」
俺が大学を卒業するとすぐに2人で旅立った場所は、東欧の寒村だった。
立花さんからの事前連絡では、着替えなど最低限の荷物があればそれでいいということだったので、お互いスーツケース1つで飛行機を乗り継ぎ、現地の空港に到着すると、彼女の部下らしいスタッフが既に待ち構えていて、そこから車で3時間程の村まで俺達を案内してくれた。
自然の豊かな、逆に言えばそれしか取り柄のないような村に見える。
所々に点在する家は粗末な造りのものばかりで、村人の暮らしがあまり豊かではないことが窺い知れる。
日本であれば、山奥まで足を運ばないと存在しないような集落には、視界に入る店もなく、村人が一体どうやって買い物をしているのかも謎である。
車が停まった場所には、400坪程度の敷地に大きな2階建ての新築の家が建てられており、1階部分は診療所としての機能もある。
広い庭にはハーブや草花が植えられ、シーツなどの大きめの洗濯物が干せる物干し台と、車2台分の車庫もあった。
玄関の鍵を開けたスタッフに呼ばれ、家の中に入る。
100坪程の診療スペースには、レントゲンや内視鏡などの設備があり、外科手術も可能で、入院用のベットも3つあった。
あらゆる機能がコンピューターで制御され、人手が少なくても何とかなるように設計されている。
ここまでの設備を持つ個人病院は、おそらく日本でも少ないであろう。
1階を確認し、広い浴室とキッチンに満足した後は、居住用となる2階を簡単に案内される。
12畳程のお互いの部屋と、リビング、寝室、客間が3つ。
俺達の部屋と客間には、それぞれシャワールームまで付いている。
トイレと洗濯機は各階にあり、プライベートと分けられている。
俺達の喜んだ表情を好意的な笑顔で受け止めた彼は、リビングで詳しい説明に入る。
まずは権利関係から。
ここの土地は、この場所で1年以上の無料診療をすることで、自治体から無償贈与されること。
建物や設備は御剣グループの所有であり、俺達に無料で貸し出し、定期的にメンテナンス等もしてもらえるそうだ。
贈与される土地の権利は御剣グループに属するが、その代わり、ここでの食料に関しては、週2回の無料配給で、好きなものを与えられる。
給与は日本円での口座振り込みで、2人で月額80万円。
勤務時間や休日は、既定の就労時間数さえ守れば、好きに設定してよいとのこと。
次に業務内容の確認。
たとえ患者が来なくても、週1回の報告書をネットで提出する。
足りない医薬品、必要な機材等もここで申請する。
暇な時は、可能な限り医療シュミレーション室での技術の向上と知識の習得に励むこと。
驚いたことに、ここには3Dを利用した各手術のシュミレーションや、PCを用いた最新の医療を学べる部屋があり、使ってみての感想や、改良の余地がある箇所を報告する機能も備わっていた。
人材ハンティングに関しては、12歳から45歳くらいまでの者を対象とし、未成年者については、保護者の同意を得た上で勧誘する。
未成年の者はまず学業から、成年者なら職業訓練と並行して、語学や必要な法律知識の習得をしてもらう旨を伝えて、その同意を得られた者だけを報告する。
ただし、診療所の入り口付近に設置されたセキュリティセンサーが、その者を赤く表示した際は、除外する。
この場合は、以後その者の動向に注意すると共に、可及的速やかに報告すること。
これは厳命された。
一通りの説明を終えた彼は、村での生活や機器の操作に関する数冊の分厚いマニュアルを俺に渡すと、家の鍵と共に、立花さんに直通で繋がるスマホと当座のユーロを残して、速やかに立ち去った。
「僻地というからもっと凄い場所を想像していたけれど、見方によってはかなり素敵な所よね」
2人きりになった江戸川さんが、少しほっとしたように言う。
「安心するのはまだ早いと思う。
奴がそんなに甘いはずがない。
きっと、最初から過酷な場所だと俺達が潰れるから、だんだんきつい場所にして、俺達を慣らしていくつもりなのだろう。
ここは貧しいが治安は良さそうだし、衛生面でもまともな方だ。
だが次の中近東は女性にはいろいろと不便な場所だし、アフリカには治安も衛生面でも劣悪な国がある」
「・・確かにね。
でも、こんなに素敵な家を用意していただいたのだから、神様には感謝しないと。
食べ物だって、困らないみたいだし」
江戸川さんは目を閉じて、誰かに祈るような仕草を見せる。
彼女は無宗教だが、奴だけは祈りの対象らしい。
ちなみに、何度怒っても俺が改めないので、奴に関係する人の前以外では、俺が御剣を奴呼ばわりしても見逃してくれるようになった。
「今日は移動で疲れたし、お風呂に入って食事したら、すぐ寝ちゃいましょ。
届いてる荷物の整理は明日やればいいわ」
流石にお互いの荷物がスーツケース1つだけというわけにはいかなかったので、事前に教えられた住所宛に幾つか段ボールで送ってある。
空港で買ったサンドイッチと缶詰で食事を済まし、さっさとベットに横になる。
こうして、俺達の活動は、どうにか始まりを告げるのであった。
明くる日、散歩がてらに、PCで印刷した診療所のチラシを配って歩く。
この村には約200軒程の家があり、それなりに子供の数もいて、少子化ということもない。
どの家も、俺が挨拶に行くと初めは警戒されたが、その後で江戸川さんがにっこり微笑みながら現地の言葉で挨拶すると、すぐに警戒を解いて、チラシを受け取ってくれた。
その内の幾人かとは話もできて、この村には長いこと医者がおらず、病気になった者は40㎞も離れた病院まで車を走らせなければならず、大雨や緊急の時には間に合わずに、命を落とす者がいること、お金がなくて軽い症状なら我慢した結果、取り返しがつかない状態まで悪化させてしまい、重い後遺症に悩む者が出ることなどを知る。
ついでにお店はないのかと尋ねると、10㎞先に雑貨屋があるから、必要な時は何軒かの注文をまとめて、代表で1人が買いに行くらしい。
ガソリン代も馬鹿にならないそうだ。
なので、診療が一切無料であるのは大変に助かると、皆に喜ばれた。
どうやってお金を稼いでいるのか疑問に思っていたら、話をした内の1人が、収穫した野菜や家畜の肉を売りに行ったり、出稼ぎに出た家族からの仕送りで遣り繰りしていると教えてくれた。
株で稼ぐという発想はないらしい。
まあ、元手がなければそれすらできないか。
なるべくなら、野菜くらいは村で購入してあげようと考えながら、2人で家路についた。
次の日から、早速多くの患者が訪れた。
センサーを通して赤く光る者はおらず、安堵しながら診察を開始する。
ただ、ほとんどの人は健康診断のような感じで、病気を見せに来る人は少なかった。
病気といえる人でも、大概は皮膚病で、幸いにして、重病を患っている人はいない。
先進国に多い、糖尿病などの一種の生活習慣病が見られないのも、普段から質素な生活をしているからかもしれない。
診療初日から100名を超える患者が来て、俺と江戸川さんは昼飯以外はずっと働きづめであったが、そのせいで早くに顔が売れて、村での生活に溶け込むのが容易になった。
危惧していた薬の処方に関しては、この国では昔の日本のように医師が直接薬を出してもいいことになっており、薬局が存在しないこの村では非常に助かった。
とはいえ、俺は必要のない薬など出さない。
以前父が、例えば風邪で4種類の薬を貰っても、本当にその病気に効くものは1つか2つで、あとは栄養剤や軽い副作用を抑えるだけの、いわばあまり必要性のないものだと苦笑していたのを思い出す。
病院の利益のためには、ある程度は仕方のないことなのだと言っていた。
真面目な江戸川さんは、今後のことを考えると、どの国でも自分達だけで薬が出せるよう、暇な時に薬剤師の勉強もすると意気込んでいた。
まあ、自分達が持ち込んだ物以外、娯楽がほとんどない分、勉強するにはうってつけの環境ではある。
斯く言う俺も、暇さえあれば勉強している。
本格的な総合医を目指す者としては、学ぶことは山のようにあるのだ。
朝が早い分、田舎の夜は早い。
診療時間の終わる夕方5時には、待合室には誰もおらず、ほっと一息つく。
日本に居たなら、医師免許があるとはいえ、大学を卒業したばかりの俺が、日に100人を超える患者を診るなど有り得なかっただろう。
そういう意味では良い勉強をさせてもらっているが、同時に人の命を預かる仕事を新米1人でこなしていることに、一抹の不安もある。
そしてその不安は、己の努力でしか消せないことは、十分に承知している。
江戸川さんさえ側にいてくれたら、俺は何時だって、どんなことでも戦える。
俺達がこの村にいられるのは1年か2年。
それまでに、俺はここに何を残せるであろうか。
診察をしながらだんだんと親しくなっていく村人とする世間話は多種多様だ。
この村のこと、出稼ぎに行っている家族のこと、俺の国に関すること、江戸川さんのこと。
お年寄りの多い地域でよく見られるように、病院は、ある意味彼らの寄り合い所ともなっている。
この診療所の待合室は個人病院にしては広いので、30人くらいは座れる。
新参者の俺は、診療中に患者さんが話すことをじっくり聴いてあげるので(勿論治療と関係のない孫の自慢話でも)、1人当たりの診療時間が長い。
当然、待ち時間も長くなるが、他の人との世間話や、手が空いた江戸川さんが彼らにお茶を出したりするせいで、苦情は出ない。
都会なら、少し待たせただけで文句を言う者もいそうだが、ここでは時間の流れも緩やかだ。
時計を見ながらせかせかと生きている人は見当たらない。
御剣グループからの配給を、自分達が食べる分より少し多めに貰い、その分で俺がお菓子を焼いて、診療所に来た子供達に配ったため、毎日貰いに来る子もいたが、店もなく、ろくなおやつも食べられないであろう彼らを、拒んだりはしない。
むしろ、美味しい美味しいと言って食べてくれるから、ついつい作り過ぎてしまう。
もっとも、彼らはそれを江戸川さんが作ったと思っているが。
明るく美しく、しかも優しい江戸川さんは、白衣の大天使。
子供達だけでなく、お年寄りの方々からも絶大な支持がある。
きっと料理も上手なのだろうという彼らの期待を、俺はいちいち訂正したりはしない。
ただそのせいで、時折料理のことを褒められる彼女の片眉が、微妙にヒクヒクしているのを見かける。
そんな日は、決まって俺は彼女に無言でお尻をペシッと叩かれるのだ。
俺のせいじゃないのに、タハハ。
俺はといえば、無邪気な子供相手でも容赦しないので(『大きくなったらお姉ちゃんをお嫁さんにする』などとほざく奴に、『彼女は俺のだ』と自己主張するのを忘れない)、一部の男の子達からライバル視されている。
その日は江戸川さんの誕生日だった。
なので当然、診療所はお休みである。
近隣に店もなく、ネット通販では高価な品物を買うのを躊躇われた俺は、腕によりをかけて、ご馳走を用意した。
なのに、診療所の待合室の片隅に、いつの間にか置かれていたピアノに、彼女の関心を奪われてしまう。
ご丁寧に奴のメモが挟んであり、娯楽があまりないだろうからと、プレゼントしてくれたらしい。
江戸川さんの喜びようは相当なもので、早速例の祈りとやらを捧げていた。
ここへの引っ越しの際、かなりの大荷物になるピアノは流石に無理だと諦めた。
俺だって、できれば運んで来たかった。
ピアノは彼女の趣味のようなものだし、こちらですぐに買えるものなら買ってあげたかった。
それなのに、奴は魔法でサラッと出してくる(前日の夜までなかったものが、翌朝いきなりそこにあれば、奴の力を知る限り、そう考えるのが普通だろう)。
不公平だ。
世の中間違っている。
自分の部屋に駆け上がり、サンドバックを思い切り連打する。
「ウオ―ッ!」
ドカドカドカドカドカ。
ギシギシ揺れるサンドバックの中央には、俺がマジックペンで描いた、奴の似顔絵がある。
『フン、これに懲りたら、俺の妻に金輪際手を出すなよ』と、心の中で呟いて満足する。
グローブも着けずに叩いたせいで、少し痛めた拳をさすっていると、コンコンとドアがノックされて、江戸川さんが顔を見せる。
「折角の料理が冷めちゃうよ?
隅田君が私のために作ってくれたご馳走、早く食べよう?
忙しいのにどうも有難うね」
眩しい笑顔でそう言ってくれる。
『でへへへ』
喜んだのも束の間、去り際に、彼女はもう一言付け加えた。
「食べたらピアノも弾きたいし」
「ウオ―ッ!!」
ドカドカドカドカドカドカ。
俺の拳がサンドバックに火を噴いた。
赤く腫れた拳を治療してくれた彼女に怒られたのは、言うまでもない。
結論から言うと、この村でスカウトできたのは8人ほどだ。
2年間という限られた時間の中ではいい方だと思う。
ただ興味があるというだけではやっていけない。
現状の暮らしに満足せず、新しい景色を見てみたい、人生にもう一度花を咲かせたいというような、強い意思が必要となる。
子供なら、親元を離れて頑張れること、ある程度の年齢の方なら、再び学び直す労力に耐えることを要求される。
この村は長閑でいい村だ。
他の国や地域よりも貧しいということを除けば、いやそれさえも理由にならないかもしれないが、人として暮らす分にはさほど困らない。
自然の中で土と共に生き、ストレスとは無縁のような生活は、逆に都会の者から羨ましがられるかもしれない。
無理に外に出ることもないのだ。
12歳と14歳の子供4人と、30代の男女4人の計8名が、派遣されたスタッフに同行されて村を出た。
子供達は外国の学校に通いながらグループが運営する寮で集団生活をし、大学を卒業後、希望するグループ内の職種に就いて、やがてはその家族と共に、この村に帰る予定だ。
大人達はグループの職業訓練所で数年を過ごし、その力量によって、本人の希望により近い職種を与えられる。
彼らも、いずれは村へと戻ってくる。
本来なら、村の人口や働き手を減らすだけの施策に、この村を統括する自治体が積極的に協力してくれるのは、人材のスカウトや育成と同時に、村の開発までグループが請け負ってくれるからだ。
土地を無償で御剣グループに贈与する代わりに、極力自然を損なわずに、その地域に必要な施設だけを造ってもらえる。
なので、何処にでもありそうな、画一的な街にはならない。
その運営や維持も、グループがしてくれるから、ODAで箱物だけ造って、かえってその維持費で財政が赤字になるといった、悪循環も避けられる。
しかもその雇用は、現地の人間が優先されるのだ。
御剣グループは、他国の広大な土地と共に地域循環型の都市造りのノウハウを蓄えられ、自治体は、雇用と税収、及び未来への展望が開かれる。
村の外に出た者達が、また帰って来たいと思わせる街づくり。
それが、グループが目指す目標であり、地域の人材を活用して、その力で村や町を豊かにしようとする試みなのである。
グループの本拠地である日本との交流で、他国が少しでも我が国に好意を持ってもらえたら。
そんな、創業者である社長の願いが込められてもいる。
俺達が村を去る日、村人が大勢で別れを惜しんでくれた。
どさくさに紛れて、江戸川さんに抱き付くガキもいたが、その日だけは大目に見る。
俺達が働いた診療所は、後任が来るまでは一旦閉鎖されるが、村から出た子供の1人である14歳の女の子が、将来は医者になりたいと言ってくれたので、もしかしたらその子が継いでくれるかもしれない。
その子は、急性盲腸炎で俺が手術をした子でもある。
別の女の子は、江戸川さんが弾くピアノを聴いて、音楽の先生になると言っていた。
この村には学校がないが、将来的には建てる予定であるとスタッフの1人から聞いている。
来た時と同様に、スーツケース1つで迎えの車に乗り込む。
次は中近東だ。
果たして、どうなることやら。
余談ではあるが、十数年後に旅行で訪れたこの村は、緑と建物が美しく調和した、素敵な街へと変貌を遂げていた。
診療所も再開されており、宿の代わりにと訪れた俺達を、当時の面影をうっすらと残した女医さんが、笑顔で出迎えてくれたのは言うまでもない。




