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創造神の嫁探し  作者: 下手の横好き


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世の理を超えたその先に、序章その1




『美久、美久、頑張れ、頑張ってくれ!!

お願いだ。

俺を、俺を1人にしないでくれ。

俺はおまえがいないと駄目なんだ。

駄目なんだよう。

美久―っ!!!

あああああああ―っ』


こんなにも激しい慟哭を聞くのは久しぶりだった。

その者の心が壊れてもおかしくない、正気でいられるか怪しいほどの嘆き、悲しみ。

それが、ほんの少しだけ開いていた和也のチャンネルに流れてくる。

薄暗い部屋の中で、徐に瞼を開き、ベットサイドの時計を見ると明け方の5時。

その僅かな動きに反応して、傍らに寝ていた有紗が目を覚ます。


「どうしたの?」


彼女を妻に迎え入れてから、8年が過ぎていた。

表向きは、この世界に対応するため歳を重ねて見える彼女も、和也や他の妻達の前では本来の姿である二十歳前後のうら若き女性であり、ベットから身を起こした彼女の、何も身に着けていない身体が、暗闇の中でぼんやりと光を放っている。

ちなみに、彼女が和也に理由を尋ねるのには、きちんとした訳がある。

和也はおろか、その妻、眷族達ですら、代謝作用もなければ排泄行為もしない。

和也がらみのものでなければ、体内に取り入れた瞬間に消滅してしまう。

発汗作用だけは、風呂に入るのが好きな和也が、その方が気分が出るからと残しているにすぎない(その素には各自の魔力が使われている)。

よって、彼らが睡眠の途中でトイレに起きるなどということはなく、思念の海について、未だ何の説明も受けていない有紗が、和也の早すぎる目覚めに疑問を持つのは不思議なことではない(普段の和也は意外と惰眠を貪ることに抵抗がない。彼にとっては、それも有効な時間の潰し方なのだ。自分を愛してくれる者達に囲まれ、心に余裕ができたせいもある)。


「少し愛し方が足りなかったかしら?

まだ出勤までは時間があるし、もう少し相手をしましょうか?」


和也の表情がそれ程険しいものではないので、心配ないと判断した彼女が、冗談めかしてそう言ってくる。

最近の彼女は、大分気持ちに余裕が出てきた。

他の妻達が、こちらの世界で何かと忙しい和也のために、彼と共に過ごす時間を少し余計に有紗に回してくれているのだ(勿論、その分だけ、彼女達と過ごす時間は、より濃密なものとなる)。


 この間、最初の妻達全員による顔見せがあり、初めて和也の居城に足を踏み入れた有紗は、その荘厳さに言葉もなく、エリカの美しさに絶句し、紫桜から意味ありげな笑みを向けられていたが、自己紹介代わりの会食が終わり、エリカの提案で和也のコレクションから選んだとあるテレビゲームを皆でやる段になると、主人公とヒロインの会話に脈絡を見い出せず、正解の選択肢を選べない他の3人をよそに、バンバン攻略を進めては、特に紫桜を悔しがらせていた。

エリカからは、和也の愛読書であった、とあるライトノベルの文章表現について、いろいろと質問を受け、マリーからは、そちらの世界の軍事レベルはどうかと細かく聞かれて笑ってごまかし、紫桜からは、なぜか一緒にお風呂に入りましょうと誘われて、結局皆で入ることになり、和也を除き、女性だけでさらに親睦を深めた。

例えば、こんな感じである。


エリカ「あの、このガンクロという表現は、どういう意味なのでしょう?」


有紗「ああ、それは顔を真っ黒に塗った、一部の少女達のことです」


エリカ「お顔をわざわざ黒くなさるのですか?一体何のためにでしょう?」


有紗「私も彼女達の意図するところは分かりませんが、おそらく、他と違う容姿をすることで、自己をより

目立たせるためかと」


エリカ「まあ!わざわざ目立ちたいのですか?・・そちらには、いろいろな方がいらっしゃるのですね(愁いを帯びた溜息をつく)」


有紗『それはあなただからそう感じるのです。容姿に恵まれ過ぎた、あなただから・・』



マリー「そちらの世界での最終兵器は何ですか?」


有紗「物理的な物で言えば核兵器ですね」


マリー「それはどんな兵器なのですか?魔法は存在しないとお聞きしていますが、大型の魔導砲みたいなものでしょうか?」


有紗「魔導砲が何かは分かりませんが、核融合みたいなものを利用したミサイルです」


マリー「ミサイル?それはどういうものですか?」


有紗「ええと、多分、鉄の筒の中に爆発の素となるものを入れて飛ばし、遠距離の敵に向けて攻撃するものです」


マリー「遠距離でないと駄目なのですか?」


有紗「あまり近くだと、自分達も巻き込まれますから」


マリー「具体的にはどれくらいの・・・」


有紗『誰か助けてください』



紫桜「あなたも、結構胸が大きいわね」


有紗「そうですね。一応、Fカップあります」


紫桜「Fカップ?それって何かの単位なの?」


有紗「私達の世界では、胸の大きさを表す単位として使われます」


紫桜「あら、それってもしかして、あのゲームでヒロインの胸の数字の脇に表示されていたものかしら?」


有紗「そう!それです」


紫桜「・・私達の旦那様って、胸の大きな()が好きよね?(そう言いながら有紗の胸に手を伸ばす)」


有紗「・・あの、何で触ってるんですか?」


紫桜「どんな感触なのかしらと思って。異世界の女性に会うのはこれが初めてだから・・」


有紗「念のために伝えておきますが、・・私、そちらの趣味はありませんよ?彼一筋ですから」


紫桜「わたくしだってないわよ!・・ただ、あの人が好きになった別の女性が気になるだけよ。自分とどこが違うのか・・」


有紗『あなたのような綺麗な人が、そんなにも切なそうに見える程、彼のことが好きなんですね。・・でも、それについては私だって負けませんから』


 その3日間の間に、すっかり打ち解けた4人は、それぞれの立場から和也を支え、愛していくことを誓い合う。

彼女達の間に、視覚効果を伴った念話システムが構築されたのも、この時である。



「べつに欲求不満で目を覚ましたわけではないぞ。

自分よりむしろおまえ達の方が・・いや、それはいい」


有紗の瞳が妖しく光りかけたので、慌てて口をつぐむ和也。


「ところで、製薬会社の件はどうなっている?」


あからさまな話題の転換に苦笑しながらも、有紗は答える。


「会社の本拠地となる人工島の建設は、ほぼ完了しているわ。

人員の確保と、会社設立などの登記関係もあらかた済んでいる。

社屋を含めた全ての準備が終わるまでに、あと2年ってところかしらね」


「ITの方は?」


「そっちも入れ物の方はあと2年、人材の育成には4~5年てところね。

こちらはとにかく人手が足りないわ。

セキュリティーには暫くあなたの力を借りるしかないわね」


「あの子はどうしてる?」


「あの子?

ああ、皐月のこと?

彼女なら大学を卒業して、今は私の秘書兼補佐役として頑張ってもらっているわよ。

正直、彼女がいなかったら、結構しんどかったわ。

あからさまに能力を使うわけにもいかないしね」


有紗のリングに刻まれたクロアゲハには、人や動物などを魅了する能力が備わっている。

国家単位の集団幻覚を見せることさえ可能だ。


「母親の方も引き抜こうと考えている。

彼女ももう立ちっぱなしの非常勤では辛い年齢だろう。

おまえの方で話をつけてくれないか?」


「いいけど、何をさせるの?」


「自分がこちらで造る、会員制リゾート施設の総責任者を任せようと思う。

日々頑張って働いてくれる自社の社員達にも、たまには癒しが必要だろう?」


「それいいわね。

皐月も大分ストレス溜めてるみたいだし、プライベートビーチや温泉施設、シアターやレストランなんかも建てて、労ってやりましょうよ」


「そうだな」


「でもその前に、あなたの愛しい妻も、もっと労って欲しいわ。

まだ、時間は大丈夫よ?」


「・・・」


自分の上に覆いかぶさるように唇を寄せてくる有紗の、その後頭部に優しく片手を添えながら、和也は先程の慟哭の主について考えていた。




【江戸川美久の生前より】


(小学生時代)


「今度、〇〇県から転校してきました江戸川美久(えどがわみく)です。

よろしくお願いします!」


朝のホームルームで、担任が連れてきた女の子が、人の眠気を吹き飛ばすような挨拶をしてくる。

朝っぱらから必要以上に元気な奴だ。

転校生なんて、ろくに皆と目も合わせられない内気な奴が多いのに、こいつは笑みを湛えながら、堂々と前を向いている。

田舎もんのくせに。

訳も分からぬ反感を覚えた自分と、彼女の目が合う。

ニコッ。


『!!』


いきなり微笑まれた。

田舎の女は礼儀を知らん。

初対面の可愛い子に、そんな顔で微笑まれたら、男は本気にしてしまうぞ。

勿論、自分もその内の1人だ。

・・さてはあいつ、俺に惚れたな。

仕方がない。

これから何かと面倒をみてやろう。

俺は心が広いのだ。


「・・席は隅田(すみだ)の隣を使いなさい」


おっと、深遠な思考に耽っていたせいで、彼女に関する担任の説明を聞きそびれてしまった。

まあいい。

これを機に彼女から直接聴こう。


「よろしくね」


自分の隣に座る彼女が挨拶してくる。


「ああ。

もう教科書は持ってんのか?」


「うん。

気を遣ってくれてありがと」


『何て顔で笑うんだよ。

思わず見惚れそうになっちまうだろ』


1時間目が始まるまでの僅かな時間に、クラスの奴らが大勢彼女に群がってくる。

少し話をしたかったが、これでは無理だ。

まあいい。

時間は沢山あるのだから。



 「なあ、兄弟とかいんの?」


結局、彼女と2人だけで会話できるまでに2日もかかった。

俺は真面目なので、授業中に私語などしないのだ。


「あれ、言わなかったっけ?」


「聞いてねえよ。

てか、挨拶以外でおまえと話すんの、これが初めてだし」


「おまえ?

それって私のこと?」


「他に誰がいるんだよ」


「私の名前は江戸川美久。

江戸川さんて呼んでね。

”おまえ”なんて呼ばれる程、あなたとはまだ親しくないからね」


「何?

だっておまえ、俺に惚れてるんじゃ・・」


「また”おまえ”って言った。

それに、いきなりそんなこと言うなんて、頭大丈夫?

確かに隅田君はハンサムだけど、私、それだけじゃ男の子を好きになったりしないよ?」


「・・だって、俺と目が合った時、ニコッて微笑んだじゃないか。

あれって、そういう意味じゃ・・」


「あのねえ、無暗に敵を作らないためにも、初対面の人に会ったら、笑顔で挨拶が基本でしょ。

もしかして、・・それを教えてくれるような友達とかいないの?」


とても残念な奴を見るような目つきで、こちらを見てくる。


「失礼な奴だ。

いないんじゃなくて、作らないんだ。

意味のないメールのやり取りなんかに、自分の貴重な時間を割きたくないからな」


「ふ~ん。

その意見には同意するけど、友達は大事だよ?

どの人も皆、メールやチャットばかりしているわけじゃないし。

でもその考え方だと、私とも友達になる気はないかな?」


「いや、べつにそういうわけでは・・」


「なりたいの?」


彼女が楽しげに聴いてくる。


「・・ああ」


恥ずかしくて、そして少し悔しくて、まともに彼女の顔を見れずに答える。


「フフフッ、じゃあ、友達候補に入れとくね。

言っておくけど、私、”本当の”友達を作る時には審査が厳しいから、覚悟してね?」


俺が見惚れたあの笑顔でそう告げてくる。


「望むところだ」


やっと、それだけを口に出せた。



 「うー、算数のテスト、最悪だった」


「何点だったんだ?」


「45点」


「ぷっ」


「あ、笑ったね?

今間違いなく笑ったよね?

そういう隅田君は何点だったのかな?」


そう言いながら、人が手にしていた答案を覗いてくる。


「100点!?

・・算数得意なんだ、いいなあ」


「江戸川さんは計算の仕方を間違えてるだけだよ。

足し算や掛け算なんかの混ざった計算では、掛け算や割り算の方を先に計算するんだ」


溜息をついて、さも羨ましそうにしている彼女に、そう助言してやる。


「え?

そうなの!?

全然知らなかった。

でもそんなこと、先生教えてくれた?」


「俺の記憶が正しければ、教えてないね。

だけど、もう6年なんだし、自分でそのくらいは勉強しなきゃ」


「私、塾とか行ってないし、算数は苦手だからあまりやらないんだよね」


「中学は私立に行かないのか?」


ここぞとばかりに気になっていることを聴いておく俺。


「うん。

お金が勿体無いし、公立でいいかなって。

あんまり勉強得意じゃないし」


そう言いながらも、算数以外はどれも80点以上取っていた彼女。


「俺でよければ、放課後に少し教えてやれるけど?」


努めて平静に、そう口にする。

緊張しているのがバレないように、彼女と視線を合わせることはしない。


「いいの?

でも隅田君だって、塾とかあるんじゃないの?

私立に進学するんでしょ?」


「いや、実は俺も公立に行くんだ。

中高なんて俺にとってはどこでも同じさ。

足りない分は、自分で勉強すればいいだけだからな。

勝負は大学受験だし」


後に、学校の評判を上げたい教師達からは散々私立を受けろと説得され、親からは『好きにしろ』と言われて小遣いが3倍になったが、そんなことは、彼女と同じ中学に行きたい俺には些細なことでしかない。


「・・じゃあ、お願いしてもいいかな?

月、金はピアノの練習があるから、火、木でお願い。

水曜は早く帰らないといけないから」


「オッケー」


嬉しさで顔が緩むのを何とか耐える。


「お礼は、・・時々ピアノを聞かせてあげるくらいしかできないけど、それでもいいかな?」


「勿論です!!」


「急に大声上げないでよ。

びっくりするじゃない」


彼女が苦笑しながらそう言ってくる。

だって、ねえ?



 それから数日後、お昼休みの音楽室で、2人だけの時間を過ごす。

自分のためだけに弾いてくれるピアノの音色は、事前に『笑わないでね』と釘をさされた出来とは程遠い、とても穏やかで、優しい日差しのようなものだった。


「ずっと習っているのか?」


演奏の余韻を、校庭で遊ぶ生徒達の声に消されたのを機に、そう問いかける。


「うん、小学校に入ってからね。

でも、プロになりたいわけじゃないから、そんなに厳しい練習はしてないよ?

ピアノは楽しく弾きたいから。

・・隅田君は習い事してないの?」


「ああ。

家に帰って、おやつ食べて勉強して、漫画読んで風呂入って夕食食べて、ゲームして寝るだけ」


「・・それであの点数取ってるのは凄いけど、何かやりたいこととかないの?」


「うーん、ガキの内はいろいろと行動に制約がかかるから、そういうのは大人になってからかな」


「・・メメントモリ」


「ん?

何か言ったか?」


「うーうん。

ただ私は、どちらかというと、何かに一生懸命打ち込んでいる人の方が好きだなって。

漫画を熱心に読むのも、ゲームを極めるのも、それはそれで素敵な趣味ではあるけど、自己完結しちゃってる分、私の入る余地がないしね。

私、ゲームはやらないから」


『!!』


「さ、もうすぐお昼休み終わるよ?

そろそろ戻りましょ」


「あ、ああ」


かなり衝撃を受けた俺は、午後の授業を聞き流して、打ち込むべき何かについて考えていた。



 「なあ母さん、母さんは、俺が何ができたら嬉しい?」


考えに考えた末、結論の出なかった俺は、夕飯の時間に、親に聴いてみることにした。

母親に聴いたのは、江戸川さんと同じ女性だからに過ぎない。


「いきなり何?

将来の話かい?」


所謂キャリアウーマンである母は、仕事帰りに閉店間際のデパ地下で、惣菜を買ってくることが多い。

いつも残業で遅くなるので、本人曰く、その方が効率的で、お得なのだそうだ。

因みに彼女は、その考え方故に、お金があっても値引き商品にしか手を出さない。


「・・友達がさ、勉強以外にも、何かやった方がいいって言うから」


「へえ、あんた友達ができたのかい!?

初めてのことだろ?

でも、珍しいね。

あんたがすんなり他人の意見を聞くなんてさ。

・・さてはその子、女の子だろ?」


『!!』


「あはは、答える前に顔に出てるよ?

そうかい、あんたがねえ。

ちゃんと男の子だったんだねえ」


何か1人でうんうん頷いている。

父親の方は、まだ帰ってきていない。

大病院の外科医である父は、今日は当直のようである。


「そんなことはどうでもいいから、ちゃんと質問に答えてくれよ。

男ができることで、女性が喜ぶことっていったら、何?」


「私だったら、料理だね。

疲れて帰ってきた時に、温かくて、美味しい料理ができてたら、もう最高だね」


「・・料理・・か。

それなら男でも変じゃないな」


「ついでにビールが冷えてたら、もう言うことなし!」


「それは母さんだけに当てはまる意見な気がする」


「あんたももう6年だし、やりたいなら、好きにやっていいよ。

ただし、刃物と火の扱いにだけは十分に気を付けるんだよ?

作りたいものができて、買いたいものがある時は言いな。

その分のお金は出してやるから。

その代わり、何事も器用にこなすあんたのことだ・・期待して待ってるからね?」


わざとらしい笑顔でそう告げる母に、心の中で感謝しておいた。



 「江戸川さんは、甘いものは好きか?」


放課後の自主学習を終え、2人で教室を出る際、それとなく尋ねてみる。


「え?

急にどうしたの?

勿論好きだよ。

ていうか、女の子で甘いものが嫌いな子は少ないと思う」


「じゃあ好きなおかずは?」


「沢山あるけど、1番はハンバーグかな。

あと、卵焼きにビーフシチュー。

焼肉なんかも好き」


「ほとんど肉だな。

俗にいう、肉食系女子なのだろうか」


「失礼ね。

第一、それ、言葉の使い方、多分間違えてるよ」


「男を襲って食べるという意味もあるらしいな」


「知ってて言ったの?

今度言ったら、暫く口利いてあげないから!」


可愛い顔で睨んでくる。


「御免。

ちょっとした冗談のつもりだったんだ。

お詫びにこれをあげるから」


そう言いながら、鞄から、ドライフルーツのぎっしり詰まったパウンドケーキを取り出す。


「どうしたの、これ?

お母さんが作ってくれたの?」


アルミホイルで包み、その上からラップでくるんだ包装を開けて、彼女が聴いてくる。


「俺が作ったんだ。

江戸川さんが、何かに打ち込んだ方がいいと言ってたから、とりあえず、料理から始めてみた」


「私が言ったから?

・・そう。

有難う。

お家に帰ってから、味わって食べるね」


俺の大好きな笑顔でそう言ってくれた。



 「ただいま―っ。

ご飯できてる?」


母が帰るなり、そう聴いてくる。


「ああ。

今日はビーフシチューと、焼き野菜とシーフードのサラダにした」


「ビールは?」


「勿論冷えている」


「嬉しーっ」


俺が夕飯の支度をするようになって、2か月が過ぎていた。

最初は簡単な煮込み料理から始めたが、これが結構面白く、大玉の玉ねぎを6個使ってキツネ色になるまで炒めてから、大きめに切った肉やニンジンなどを入れ、再度軽く炒めた後、たっぷりの水を入れて、最初の1時間くらいをこまめな灰汁取り作業に費やせば、後は弱火で4~5時間程度煮込むだけなので、その合間に勉強もできる。

カレーやシチューに使うルーは、市販のメーカーが異なるものを3種類以上ブレンドし、ルーを入れてからは、焦がさないように慎重に弱火でかき回す。

ジャガイモのような、長時間煮込むと煮崩れするものは、別に塩茹でして、食べる時にレンジで温めた皿によそい、その上から熱々のルーをかけることにしている。

シチューを1つ覚えると、カレーやポトフなどにも応用できるから、いろいろと便利である。

何より、意外な発見であったが、灰汁取り作業が自分には結構楽しかった。

大量の肉(家では1回あたり約1、5㎏)を煮込むと、事前に丁寧に洗ってはいても、凄い量の灰汁が出る。

それをお玉で何度も何度も繰り返し掬っては、減った分の水を足していると、やがて鍋の水がきれいに澄んでくる。

自分には、その一連の作業が、日々心の底に溜まっていく嫌な澱を取り除いているようで、何とも気持ちよかった。

初めてシチューを出した日、驚いた父に作り方を説明した際、多すぎる灰汁は尿管結石の原因にもなるので、なるべく取り除いた方がいいと同意を得たので、自分が作る時は、圧力鍋は使わない。


「お、サラダにぷりぷりのエビが入ってる」


「ビールを飲むなら、シチューだけより、こういった歯ごたえを楽しむおかずがあった方がよいと思って。

大ぶりのエビとホタテを炒めて、厚切りの焼き野菜に混ぜておいた」


「もうあたしより料理が上手かもしれないね。

ネットでいちいち調べているのかい?」


「いや。

それはほんの最初だけだった。

一通りパターンを学んだら、あとは頭の中で大体の出来上がりを想像して、食材と調味料をそろえるだけだね」


「炒め物の火加減とかは?

味見もしないのかい?」


「今までいろいろな店で美味しいものを食べさせてもらったから、見た目で何となく火加減が分かるし、初めてその調味料を使う時は、ほんの少しなめてみて、それで量を計算し、頭の中で料理の設計図を作るから、以後の味見はしないね」


共働きで、しかも父母とも職場で重要なポストにいるため、隅田家には長期の旅行は無理で、その分、休みの日には、よく名店での外食を楽しんでいた。

まだ小さな子供の内から、惜しみなく単品で何千円もする料理を好きなだけ食べさせ、寿司は回転ずしではない、1流店のカウンターで、大人に混じって自分で注文させてくれた。

その豊かな食の経験が、彼の料理センスを裏付けている。


「将来は料理人になるかい?」


お気に入りのビールを飲んでご機嫌の母が、冗談めかして聴いてくる。


「いや、それはないね。

職業にして、不特定多数の人間に作る気は、俺にはないよ」


「な・る・ほ・ど。

やっぱり好きな子のためなんだね?

そんなに可愛い子なのかい?

あんた、変に達観しているところがあるから、同世代の子じゃ物足りないだろ?」


「・・今はまだノーコメント。

自分に紹介できる資格ができたら、その時は母さん達にも紹介するよ」


『まだ真の友達にさえなれてないからな・・』


「・・そうかい。

頑張りな」


まだ子供の自分を認めて、何も聞かずに信じてくれる父母を、彼は本当に有難いと思っている。


「ちなみに明日はグラタンが食べたい」


「はいよ」


こうして、今日も隅田家の夜は過ぎていく。



 「ねえ美久、これ、凄く美味しい。

お友達が作ったのよね?」


「でしょう?

これで、まだ料理始めて2か月くらいだってよ?」


「え、本当!?

お家でもお手伝いとかしてるのかしらね?

美久もまたしてみる?」


ちなみに彼女はその友達のことを、女の子だと思っている。


「いえ、遠慮しておきます」


以前、何度かやってみたが、どうやら自分には向いてないらしい。

その分、洗濯とか掃除とか、他のお手伝いをすることにしている。


 夕食時のテーブルには、母娘2人しかいない。

べつに仕事で父親が遅くなっているのではない。

彼女達の夫、あるいは父親は、既にこの世には存在しない。

表向きは、信号無視で走ってきた車から、青信号で真っ先に駆け出した子供を助け、その身代わりとなって車にはねられたことになっている。

多くの目撃者がいたし、新聞にも美談として取り上げられたから、保険会社もたいして調査もせずに、多額の保険金を払ってくれた。

だが、彼女達はそうは思っていなかった。

夫あるいは父は、死に場所を探していたのではないか。

何となく、そう感じている。

そんなにタイミングよく、そういった状況に出くわすとも思えないし、ましてや事前の心構えなく、咄嗟(とっさ)に身体が反応するのも普通の人では難しいとさえ思える。

彼は、死の病にかかっていたのだ。

とても珍しい、極一部の地域に見られた遺伝病で、その親の遺伝子を持った子が発症する確率は、約2分の1。

発症する場合は、早ければ二十歳前後、遅くとも40歳くらいまでには、その症状が出始める。

闘病の末、かなり悲惨な最期を迎えるその病には、今のところ有効な治療法がなく、病気の大本(おおもと)である肝臓の移植しか手がない。

彼女達には全く知らされていなかったが、その遺品整理の際に、彼の日記を見つけ、その中に書いてあった事実にもの凄い衝撃を受ける。

彼もその母親から内密に病気のことを知らされ、ずっと悩んでいたこと。

美久の母と結婚する際には、既に彼は二親ともなく、特に母親の死因については、彼は曖昧にしか述べていなかった。

病気のことを知らされ、若い頃は自暴自棄にもなりかけたが、発症確率は2分の1なので、折角の人生を後悔だけで終わらせたくないと、奮起したこと。

結婚には、とてもとても悩んで、一旦は諦めようとして、それでも彼女との生活を諦めきれなくて、病のことを告げぬ深い深い負い目と共に、そうしてしまったこと。

せめてもの罪滅ぼしにと、自分が発症した時のために、結婚当初から小遣いを削って多額の生命保険を掛けていたこと。

子供ができた時の記録は、より深い慟哭と懺悔で埋め尽くされている。

自分のこの苦しみを、生まれた子にも与えてしまう後悔と嘆き。

本来ならば、精一杯の愛情で迎えてやるはずの子に、後ろめたさを感じているが故に、素直には喜べなかった複雑な心境。

そしてとうとう、病の兆候が見られた時の記録。

この日から数日は、白紙のままである。

思い起こせば、ちょうど彼が会社を数日休んで、ふらりと1人で何処かに旅に出た時期と重なる。

その後の記録は飛び飛びだが、不安との闘いや、妻や娘に迷惑を掛けぬよう、どうしたらいいかといった考えで、びっしりとページが埋められていた。

さらには、彼はこの病気に関して、病院に通っていなかった。

母親から聴いた、代々彼の家系で受け継がれてきた知識と対処法で乗り切ろうとしたらしい。

親がそういう病気だと周囲に知れて、娘に要らぬ偏見や差別が降りかからぬためにというのは容易に想像できるが、もしかしたら、自己の生命保険を妻と娘が受け取る際に、何らかの支障が生じるのを恐れてのこと、というのも理由の1つだったのかもしれない。

そのお陰か、数千万の保険金を満額で受け取った彼女達は、今のところ、生活に対する金銭面での不安はない(ちなみに、彼を轢いた男は無資力で、民事での賠償金や慰謝料は取れそうもなかった)。


 日記を初めて読んだ時、彼女らには2通りの感情が芽生えた。

怒りと、ある種の諦めである。

何故正直に告げてくれなかったのか。

自分達はそんなに薄情に思えたのであろうか。

苦しみを分かち合うには、頼りなく映ったのであろうか。

この怒りは、彼を責めるためのものではない。

1人で悩み、苦しみながら死んでいった彼に、何の手も差し伸べてやれなかった、自分達へのものだ。

彼はいつも優しかった。

自分のことは後回しで、常に妻と娘のことを優先してくれた。

娘の学校行事で妻が出られない時には(美久の家も共働きだった)、会社の上司に怒られてでも、必ず出てくれた。

旅行の行き先や外食の店を選ぶ時にも、先ずは2人の意見を聴いてくれた。

自分達の思い出には、そんな彼の、儚く笑っている姿しかない。

心からの笑顔を想像できない。

今まで、その幸せが当たり前のように思っていて、そしてそれがずっと続くと根拠もないのに考えていた自分達。

その傲慢さと鈍さが、苦しみを内に隠して心が悲鳴を上げていた、彼の真の姿に気付かせなかった。


 もう1つ湧いた諦めの感情。

これは妻と娘で少し異なる。

妻の場合は、その娘へと向けられた想いである。

自分はその病に罹っているわけでも、罹る可能性もないから(夫の病気は遺伝病であって伝染病ではないため)、自身の心配はしていない。

だが娘の方は、2分の1の確率で、その病に罹る可能性がある。

大体40歳くらいまでと書いてあったから、それは10年後かもしれないし、数十年後かもしれない。

この事実を知った後でも、夫との結婚生活を振り返ってみて、彼の苦しみに何もしてやれなかったという、後悔以外の負の感情が湧かない以上、病気のことを知らずに娘を産んだことも、その娘に厄介な病気の可能性があることも、黙って受け入れるしかない。

自分にできることは、娘への心理的なケアを続けていくことと、医学の進歩を待ちながら、病気の確率から外れることを祈るのみである。


 その一方で、娘の方はというと、日記の内容から、自分が将来罹るかもしれない病気に対して、得体の知れない恐怖を感じたのは確かだが、父の末期の闘病を見なかったせいか、病気に対して今一つ実感が湧かず、しかも、早くても二十歳前後、遅ければ40歳くらいという先の長い話に、その時は漠然とした不安しか生じなかった。

病気を押し付けられたかたちになる父親に対しては、母同様、憎むような、恨むような、負の感情は持てなかった。

今にして思えば、確かに切なそうな目で見られたこともあったが、父の優しさは本物だったし、沢山のいい思い出もくれた。

たとえその時病気のことを知っていたとしても、数々の思い出の中で笑っていた自分の笑顔が、曇るとは思えない。

父を少しでも憎めれば、その感情を引きずって、周囲に当たり散らす迷惑な人を演じられたかもしれないが、そうでない以上、これまで通り、普通に生きていくしかない。

今までと違うのは、これからの人生を、より大切に生きていくということだけ。

何時(いつ)その時が訪れても、うろたえず、無様な姿を晒さないで済むよう、心を強くしていくだけ。

病気になったら、きっと私より、お母さんの方が苦しむ。

だから逆に、私の方でお母さんを支えてあげないとね。

小学生の割に、かなりませていた彼女は、この時、そんなことまで考えていた。


 1人ずつ日記を読み終えて、それから2人で長い時間話し合った。

夫あるいは父のこと。

病気のこと。

これからのこと。

2人でどう過ごしてゆくか、どんなことをしていきたいか。

生まれ故郷を離れて、引っ越す話はそこで出た。

この家には、彼の思い出が強すぎる。

日記を読んだ後では、その息遣いまで感じられてしまいそうだ。

彼を忘れようとは思わないが、それではどうしても常に病気のことを意識してしまう。

だから、新しい街に、誰も自分達を知らない場所に、引っ越すことにした。

この家を売って、2人で住めるマンションでも借りて、そこで新たな暮らしを始めようと。

実際に発病するまで、病気の話はタブー。

悲しいことより、より沢山の嬉しいことを集めて、なるべく笑顔でいよう。

それでも辛い時にはちょっとだけ、1人で部屋に籠っていよう。

無理やり作る笑顔ほど、悲しいものは少ないから。



 「あれ?

隅田君はプールに入らないの?」


夏が来て、うだるような暑さの中、体育の授業でプールに入れるクラスメイト達が、いそいそと着替えを持って教室を出始める。

彼らの学校は公立故に、悲しいかな、未だエアコンは設置されていない。

小学生という年齢からか、女子更衣室すらなく、発育がいい一部の女子生徒達は、体育の授業前はトイレまで行って着替えをしていた。

美久は、小学生としては標準的な体型であったため、他の女子同様、教室で着替えている。

だが流石にプールの授業用には、男女別の更衣室が、プールに併設されるかたちで設置されていた。


「当たり前だ。

あんな不衛生な場所、絶対に嫌だね」


家から持参したらしいうちわで顔を扇ぎながら、机の椅子に座ったままの彼はそう言った。


「不衛生?

どうして?」


確かに奇麗とは思わないが、一応塩素で消毒はされているので、そこまで毛嫌いする理由が分からない。


「江戸川さんは、この学校に嫌いな奴はいないのか?」


「え?

・・まだ全員を知ってるわけじゃないけど、嫌だなと思う人はいるよ?

誰かは教えないけどね」


「じゃあ考えてみてくれ。

この学校のプール、水を入れ替えるのはどのくらいの間隔なんだろうな。

毎日じゃないだろうし、絶対に毎回じゃない。

だとしたら、その嫌な奴が泳いで息継ぎの際に吐き出す水や何かを、自分も泳ぐ以上は口にするわけだ。

顔につけ、目に入り、口の中に侵入する。

・・俺は絶対に嫌だね。

考えただけでもぞっとする」


「ちょっと、やめてよね。

想像しちゃうじゃない!」


「不特定多数の人間が使うものである以上、常に最悪の状況を考えて行動する必要がある。

だから俺は、人が造った物やシステムを、過度に信用しないことにしている」


「・・そんなこと言ってぇ、本当は泳げないだけなんじゃないの?」


人を挑発するような笑みで、そう言ってくる。


「そりゃ泳げないさ。

学校に通ってから、1度もプールに入ってないからな」


「1度も!?

先生に何も言われなかったの?」


「3年くらいまでは風邪でごまかせたんだが、流石にそれ以降は毎回は無理だったんで、時々校庭の草むしりをしてる」


「草むしり?

この炎天下の中を?

そっちの方が辛くない?」


「俺にとっては、精神的苦痛の方が、肉体的苦痛に勝るんだ」


「・・隅田君てさ、もしかして、潔癖症?

そういえば、男子の割に、よく手洗いやうがいをしてるもんね」


「違うよ。

例えばそれが好きな子のだったら、同じことをしても、気にならない。

『それが江戸川さんのなら・・ね』」


「ふ~ん。

誰か心当たりがあるんだね」


どことなく、面白くなさそうに言ってくる。


「そんなことより、急いで着替えに行った方がいいと思うよ?」


時計を見ると、授業まで、あと5分くらいしかない。


「え!?

もう、誰のせいよ!」


慌てて駆けていく彼女を見送りながら、自分も草むしりのため、下駄箱へと歩き出すのであった。



 「ねえねえ、運動会に出る種目、もう決まった?」


秋晴れの放課後、例によって算数を教えていた時、江戸川さんがそう切り出してくる。

この学校では、生徒は必ず、団体競技を除いたどれか1つの種目に出なくてはならない。


「まだ。

あまり興味ないしな」


「いつもは何の競技に出てたの?」


「100m走。

ただ走るだけでいいから」


「じゃあさ、今年は私と一緒に二人三脚に出てみない?

男女ペアだから、なかなか相手が・・・」


「出ます!!」


「きゃっ。

・・だからいきなり大声を出さないでって言ってるのに。

そんなに好きなの?」


「え!?」


「だから、二人三脚」


「・・あ、ああ。

全国の小学生並みには好きだ」


「何それ。

でもとりあえず、出てくれるのね?」


「勿論」


「じゃあさ、練習とかはどうする?

流石にぶっつけ本番はきついよね?」


「あんなの、1回練習すれば十分だよ。

放課後のこの時間を、1回だけそれに充てよう」


「うん!」


『あ、俺の大好きなあの笑顔だ』


「今日はクッキーを焼いてきたんだ。

持って帰って食べてくれ」


そう言って、業務用の紙袋の中に入れた、沢山のクッキーを差し出す。


「いつも有難う。

隅田君のお手製は、とっても美味しいから、お母さんと一緒に喜んで食べてるよ?」


またしてもあの笑顔でそう言ってくる。


『報酬は十分に貰っているから。

その笑顔に比べたら、安いもんさ』


少し目を細め、穏やかな表情を浮かべている彼を、彼女もまた、優しい瞳で見つめていた。


(数日後)


「ほら、もっと私の腰にしっかり腕を回して!

そんなんじゃ、バランスが取れないでしょ?」


彼女と密着した場所から伝わってくる体温に、緊張しっぱなしの俺は、彼女の声も、ろくに頭に入らない。


「もう。

隅田君て、運動苦手じゃないよね?

もしかして、私とくっつくのが汚いとか思ってる?」


『!!』


断じてそんなことはないと身体が咄嗟に反応し、いきなり足が出て、2人で転んでしまう。

転ぶ際、何とか身体を反転させて、彼女の下敷きになることで、その衝撃を吸収してやる。


「いたた、お尻打っちゃった。

・・あれ、隅田君、大丈夫!?」


自分がお尻の下に敷いているのが彼だと分かって、びっくりする彼女。

うつ伏せに倒れた俺は、背中に感じる彼女のお尻の感触の照れ隠しに、一言だけを口にする。


「重い・・」


「バカ!!」


後頭部を思い切り叩かれた。


 ちなみに、運動会の結果はダントツの1位。

開き直ってアドレナリンを全開にさせた俺は、しっかりと彼女の腰を抱え、猛スピードで彼女を引っ張っていったのだった。

女の子って、いい匂いがするんだなぁ~。



 「ねえ隅田君、お正月は何してるの?」


教室のストーブが消され、肌寒さを増してくる中、マフラーにコートを羽織った彼女が、そう尋ねてくる。

図書室に行けば、ストーブくらい点いているはずなのだが、私語禁止で彼女との貴重な会話ができないし、運動会の辺りから、何かと仲がいい2人を陰で冷やかす奴が出てきて、いろいろと鬱陶しかったので、寒くて誰もいないここでの勉強会を続けていた。


「別に何も。

受験も関係ないし(彼女が公立に行くことは、既に確定している)、両親もたまの連休でゆっくりしたいだろうから、食事係をしながら、漫画でも読んでるよ」


「テレビとかは見ないの?」


「ほとんど見ないね。

たまにグルメ番組や旅行特集を見るくらいだね」


「お笑いとかは?」


「絶対に見ない。

全部がそうだとは思わないけど、あれって、立場の弱い人間に、きついことや変なことをやらせて、それを立場が上の奴らが笑っているようにしか見えないんだ。

個人的には、ああいう番組が、いじめを生んだと考えている。

テレビの中の彼らは、それで仕事やギャラを貰っているから、まだ救われると思うけど、実際に学校なんかで同じようなことをされてる被害者は悲惨だ。

いじめをしてる奴らだって、最初はそうは思っていなかったのかもしれない。

でもだんだん感覚が麻痺していって、終いには、人の心の痛みが想像できなくなってしまったんだろう」


「・・う~ん、そう言われると、そんな気もしてくるけど、でもお笑いって、それだけじゃないよ?

コントとか漫才って見たことない?

彼らはただ純粋に、人を笑わせようと頑張っているんじゃないかな。

笑うことは人を元気にする。

だから、日々一生懸命、練習しているんじゃないかな」


「・・確かに、それは一理あるかもね。

聴きたいことは、それだけ?」


勉強に戻ろうとしたら、彼女が慌てて付け足してくる。


「えっとね、もしお正月暇だったら、一緒に初詣に行かない?」


思わず、持っていた鉛筆を落とす。


「・・行く。

行きます!!」


立ち上がって大声をあげる俺を、彼女がまたかという目で見ている。

でもその顔は、気のせいかもしれないが、心なしか嬉しそうに見えた。


『彼女との初めての外出。

これってもしかして、デートって言うんじゃ・・・。

いやいや、まだ真の友達の称号さえ貰っていない。

最初の時みたいな早とちりは禁物だ。

折角ここまで仲良くなれたのだ。

つまらない勘違いで、それを台無しにはしたくない』


「じゃあ、1月2日の午後1時に、〇〇神社の前で待ち合わせね」


「分かった」


自分達はまだスマホを持っていなかったので、終業式の今日、ここで約束するしかない。

母は何時でも買ってやると言ってくれているが、それを使って本当にメールやチャットをしたい相手は1人だけなので、自分だけ購入しても意味はないのだ。

彼女の家の場所も、その電話番号すら、まだ教えてもらっていないしな。


(初詣当日)


「あれ、随分早いね?」


神社の入り口で、直立不動で立っていた俺を見つけて、彼女が声をかけてくる。

小学生だから、流石に振袖とかは着てこないが、いつもよりお洒落な服装なのは明らかだ。

()く言う俺も、親と高級フレンチに行く時のような、スーツ姿だった。


「約束の時間より15分も前だから、てっきりまだ来ていないと思ってたのに。

それに、随分畏まった服装だね。

まるで、これからクラシックのコンサートにでも出かけるみたい。

・・何時(いつ)から待ってたの?」


昼とはいえ、真冬の時期で、しかも今日はやたらと寒い。

耳が痛いくらいに赤くなっているのを目ざとく見つけた彼女が、心配そうに尋ねてくる。


「20分くらい前だと思う。

そんなにたいして待ってないから」


本当は、1時間以上前からここにいた。


「あれ、おまえまだここにいんの?」


間が悪いことに、その時、ここに着いてすぐの頃に出会った、昔同じクラスだった奴に声をかけられた。

家族と一緒に、何処かの店に食事にでも行っていたようだ。

電車ででも来たのか、帰りにまたこの道を通る必要があったらしい。


「・・もう1時間以上経つぜ?

この時期に、随分余裕なんだな」


それだけ言うと、彼女の方をちらっと見てから、面白くなさそうに去っていく。

奴とは同じクラスの時、よくテストの点で張り合った。

というか、ほとんど奴の一人相撲なのだが、どうやら奴は、俺が私立に行くと決め込んでいるらしい。


「・・そんなに待ってたの?」


案の定、少し呆れたようにそう言われる。


「いや、もしかしたら電車が遅れたりするかもしれないし、女の子を待たせるわけにもいかないから、ちょっと早めに家を出たんだ。

どうせやることないし・・」


前日からなかなか寝付けなくて、居ても立ってもいられずに、家を飛び出してきたのは秘密だ。


「もう、幾ら私でも、そんなに早くは来ないよ?

とりあえずお参りだけ済ませて、何処か暖かい場所に入ろう?

と、その前に・・・」


彼女が背伸びをして、毛糸の手袋をした両手で、俺の両耳を挟んでくる。


『!!』


「少しは温かくなった?

さ、行こう?」


暫くしてから両手を放した彼女が、少し照れたように、目を逸らせながらそう告げてくる。

彼女が俺の耳に両手を当てていた間、じっと俺の顔を見ていたその笑顔を、俺は生涯忘れることはないだろう。


 この日の俺は、何時になく寡黙だった。

何故かって?

そんなの決まっているだろう。

頭の中で、何回も何十回も、あの笑顔を味わっていたのさ。

え?

お参りの中身?

それは適当。

俺は神様を信じない(たち)なんだ。

自分の未来は、願い事は、自らの力で手に入れるつもりだからな。




 この頃特に、隅田君のことを考える頻度が増えた気がする。

彼は不思議な、そしてかなり面白い人だ。

転校したての頃は、いきなりあんなことを言われて、『この人もしかしてイタイ人なのかな』なんて考えもしたけど、すぐにその誤解は解けた。

彼はただ、同世代の人付き合いに不慣れなだけなのだ。

両親に恵まれているのか、とても温かい心も持っている。

放課後2人だけで勉強を教えてくれると彼が言った時、本来なら何かあるんじゃないかと邪推するところだけれど、彼の可笑しな表情を見ていたら、そんな警戒心は、すぐに吹き飛んだ。

勉強を教えてくれる時も、私の思考を遡って、躓いている箇所まで降りてきてくれる。

上からではなく、同じ目線でいてくれるのだ。


 私が、何かに打ち込んでいる方がいいと言ったからって始めたらしい、彼の料理の腕は、もうプロ級だ。

勉強会の度に何かくれるので、お母さんと2人で、先を争って食べている。


 プールにおける彼の考え方には、少し影響されてしまった。

あれ以来、水に顔をつけるのを、何となく躊躇ってしまう自分がいる(たぶん、海なら平気かも)。

プールのフェンス越しに彼の姿を探したら、暑い中、黙々と雑草をむしってたっけ。

そんなことにまで手を抜いたりしない彼には、とても好感が持てる。


 運動会の時、二人三脚で私の腰に回された彼の手は、とても熱かった。

まるで、彼の心の熱が伝わってくるかのように。


 お正月、もしかしたら早く来てるかもと思って、少し早めに行ったのに、既に彼は待っていて、気をつけの姿勢で立っていた。

寒さで凍えた彼の耳を温めていた時、ずっと彼の顔を見てるのは恥ずかしかったけど、お詫びと感謝を込めて、目を逸らさなかった。

その後のお店選びも、メニューも、お父さんがそうだったように、先ず私の意見を聴いて、それを優先してくれた。

ただ単に追従するのではなく、私の選択に、的確な助言をしてくれる。


 彼なら私を支えてくれるかな?

私があの病気に罹ったとしても、逃げずに向き合ってくれるかな?

私が病気のことを告げられるくらいに、頼もしくなってくれるかな?

病気に罹ったら、1人で死んでいくのは嫌だから、誰かに側にいて欲しい。

お母さん1人じゃ大変だろうし、あと1人でいいから、側にいてくれる人が欲しい。

与えてもらうだけじゃ申し訳ないから、先ずは私が、何かを与えてあげられる人にならないといけないんだけどね。

”本当の”友達審査は厳しいなんて彼には言ったけど、もう彼は私の大切なお友達。

それを告げられないのは、臆病な私のせい。

勇気を出してみようか。

彼に親友だと告げてみようか。

その時彼は何て言うかな?

でもきっと、彼は私の運命から逃げない気がする。


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