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創造神の嫁探し  作者: 下手の横好き


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番外編、異国の地にて、その3

『前略

お兄ちゃんへ。

新しい職場で楽しく働いてるようで、父さんや母さん共々、とても喜んでいます。

この間の仕送りで、父さんに借りたお金を完済したこと、父さん、とても褒めていたよ。

前の職場でいろいろあったから、半ば諦めていたんだって。

それから、母さんが有難うって。

毎月の仕送りのお陰で、家計が大分楽になったってさ。

私からも、お礼を言うね。

以前送ってくれた浴衣は大事に着てるし(とても綺麗な絵柄で、友達に羨ましがられたよ)、いつもお小遣いと称して送ってくれるお金は、将来のために、大切に積み立ててるよ。

でも、あんまり頑張りすぎて、身体、壊さないでね。

お兄ちゃんからの手紙は、全部きちんと保管してあります。

新しい職場に移ってからの手紙には、元気に働くお兄ちゃんの姿が溢れていて、読んでいて嬉しくなります。

また会える日を楽しみにしてるね。


あなたの可愛い妹より』




 『何かあったのか、戦友?

顔がにやけてるぞ』


ダンサーが仕事中の自分に声をかけてくる。

奴とはあの後も何だかんだと衝突を繰り返し、お互いに罵り合いもしたが、ご主人様とやらの命を頑なに守って、常に自分の側でうろちょろする彼を、だんだん憎めなくなってきた。

それに、何時だったか、田んぼの側にいたヤマカガシを見つけ、面白がって悪戯しようとした自分に、『やめておけ、あまり知られてはいないが、あいつはマムシより強い毒を持ってるぞ』と忠告してくれ、当の蛇には、『田んぼの害虫駆除用に、ある程度の蛙を残しておけよ』と注意していたし(驚いたことに、蛇は頷いたように見えた)、週に1度の休みに、たまに自転車で周囲を走り回って、山でキノコや自然薯を探す時には、その荷台に器用に乗って付いてきて、その場所を的確に探り当て、社長宅での食事の品数に、大いに貢献してくれた。

他の鶏たちにも、食べてよい雑草や虫のことを教え込んでくれたり、群れから離れてあまり遠くに行かないよう、気を配ってもくれる。

そんな奴に、友好の証として、社長に奴が阿波尾鶏という品種だと聞かされたので、ダンサーという渾名を贈った時は、それを聞いた奴から、『いい度胸だ。ならおまえが踊れ』と、くちばしで散々つつかれた(結局は、執拗にそう呼び続ける俺に、向こうが根負けして妥協するのだが)。

いつしか、(ダンサー)が喋ることには、違和感がなくなっていた。

どうやら俺以外には聞こえないみたいだし(以前、社長に確かめた時には、『寂しい時は、家の電話で家族と話してもいいよ』と、何とも言えない笑顔で返された)、本当に奴が言葉を話しているにせよ、俺の妄想であるにせよ、今の自分は、精神的にも奴の存在に大いに助けられている。

奴との他愛無い会話のおかげで、前の職場のことを思い出すこともなくなった。

社長夫婦は親切で優しいが、恩人だけに多少の遠慮はある。

異国の地で、まだ知り合いの少ない自分には、時にはつまらない与太話に付き合ってくれる、気の置けない相棒が必要だ。

因みに、何故奴が俺を『戦友』と呼ぶのかというと、共に畑を荒らす害虫と闘うからだそうだ。

ダンサーのご主人様とやらが誰かは、奴は決して語りはしないが、俺には御剣のような気がする。

彼が奴をここに連れてきたのだから、当然と言えば当然なのだが、ダンサーが人の言葉を話すことを含めて、彼が真の主人なのだと思う。

あいつには、何処か不思議なところがある。

人の心を読んでいるというか、その未来を見通しているというか。

あいつが置いていったのなら、ダンサーがここにいるのには、何かしらの理由があるのだろう。

俺に、友達をくれたという以外に・・・。


「妹から、ちょっと嬉しい返事が届いてな・・。

今度の休みに、少し遠出して、街まで買い物に行こうと考えてる」


『ああ、おまえが溺愛している妹か。

兄貴というのは、そんなに妹が可愛いものなのか?』


「当たり前だろ。

お兄ちゃんは何時でも妹の味方だ。

たとえ、あいつが何処かに嫁に行っちまっても・・な」


『街じゃ、俺が付いて行くわけにもいかんな。

1人で大丈夫か?』


「おいおい、俺は子供じゃないぜ。

第一、自転車じゃ流石に駅までしか行けねえよ」


自分が行こうとしている街は、ここから電車で3駅もある。

都会と違い、1駅の区間が長いから、かなりの距離があるのだ。


 自転車といえば、今俺が愛用しているやつは、御剣から貰った物だ。

社長が預かり物だと言って渡してくれたのは、新品の自転車だった。

ただ、どことなく見覚えがある。

ハンドルやギア周りなど、俺が逃走用に拝借していたものにそっくりなのだ。

だがあれは、所々錆ついて、椅子も表面のカバーが破れていた。

何にせよ、変に愛着が湧いたので、日頃から愛用している。


『土産は煎餅でいいぞ』


「分かってるよ」


ダンサーは煎餅が好物なのだ。

以前、何気なしに、おやつにとポケットに入れておいた煎餅を砕いて撒いてやったら、とても喜んで食べていた。

それ以後、週に1度はねだってくる。

1袋全部あげたって、奴の働きからすれば、全然安いものだけどな。

そんなことを考えながら、休みの分の仕事にまで、精を出すのであった。



 時は遡って、タヤンがこの農場に初めて訪れた日の夜。

和也は、タヤンが乗り捨てた自転車の前にいた。

大分錆びついて、大方捨てられた物であろうが、一応元の所有者の深層心理に所有の意思がないことを確認し、その力で新品の状態へと変化させる。

かの地では、何処に行くにもそれなりの距離があるから、こういった、手軽に乗れる乗り物は重宝するだろう。

ギアに油をさし、彼に渡すべく収納スペースに放り込む。

ついでに、この国全体を見回し、放置自転車の数の多さに悲しくなる。

まだ十分乗れるもの、処分料惜しさに道端に放置されたもの、勝手に借りて乗り捨てられ、そのまま朽ちていくもの。

少し考え、明らかに捨てられたと判断できるものは、金属部分は原子レベルにまで分解した後浄化し、インゴットにして収納スペースに放り込み、タイヤは古タイヤを扱う業者の置き場に積んで、プラスチックは消滅させる。

その数ざっと数千台。

盗まれたものは、元の所有者の家の近くに停め、まだ十分使える自転車は、そのままにして行政の判断に任せる。

さる大国で、以前自転車の共有が試みられたが、業者の回収費用が割に合わず、計画が頓挫して、莫大な量の自転車が打ち捨てられた場所がある。

上空から見ると、そこはまるで野に咲く花のように見える。

だが、和也はそれには手を付けなかった。

細々と、そこから資源を回収している者がいたし、様々な弊害を抱えてはいても、かの大国は1度決断すれば仕事が早い。

これからどんな解決策を見せてくれるのか、後に続く国のため、暫く様子を見ることにしたのだ。

そう考えている内に、和也が置いた自転車に気付き、喜びの声を上げる者が出始める。

それらの歓声を聞きながら、静かに姿を消していく和也であった。




 その日、タヤンは電車に乗って、大きな街の商業施設に来ていた。

自分の腕時計と、妹や親への贈り物を選ぶためである。

毎月の仕送りの他に、彼が敢えてそうしようとしたのには理由がある。

社長がボーナスをくれたのだ。

実習生にボーナスなど、普通では有り得ないことであるが、恐縮する彼に、社長は言った。


『君のことは社員だと思っている。

実習生として扱っているのは形だけだ。

君は本当によく働いてくれるし、私の言ったことを忠実に守って、地域の住民の方々にも挨拶を欠かさず、非常に良い関係を保ってくれている。

お陰で、業績もかなり上向き、安定して高い利益を出せている。

有難う』


自分の部屋に帰ってから、頂いた明細を見ると、給料の2か月分の40万円が振り込まれていた。

その夜は、嬉しさでなかなか寝付けなかった。

金額の大きさもさることながら、社長の気持ちが何より心に響いたのだ。

女将さん同様、自分を本当の家族のように扱ってくれる。

自分達も一生懸命働き、たまの休みには、相変わらず勉強会などに参加して、知識の吸収もおろそかにしない。

それなのに、ちゃんと他人を気遣うことを忘れない、心の余裕も兼ね備えている。

立派な人だ。

本心からそう思える。

これまでの自分は、お金を稼ぎ家族を支えること、恩ある社長夫妻のために精一杯働くことを目指してきた。

そしてこれからは、そこにもう1つ、目標を加える。

自分自身を磨くこと。

社長のような、心の大きな人物になりたい。

そしていつの日か、この国にも、必ず恩返しするのだ。

御剣や社長夫妻に会わせてくれた、この国に。


 一通りの買い物を終え、休憩にと入ったショッピングモールのフードコートで、手に入れた腕時計を眺める。

スイス製ほど高価ではなく、シンプルなデザインや高性能を誇るこの国の腕時計はタヤンの憧れであり、このメーカーが特に好きだった。

文字盤の、SE〇KOの文字を満足げに見ていると、何処かから声がかかった。


「いい気なもんだよな。

俺達が仕事がなくて、ろくに金を使えない中、出稼ぎ労働者が腕時計なんて買ってやがるんだからよ」


明らかに悪意を含んだその声の主を探して周囲を見回すと、少し離れた席に、2人組の男が座ってこちらを見ていた。

食事時を過ぎていたので、あまり混んではいないフードコートに、彼らの声が響き渡る。


「どうせ詐欺でも働いて儲けてるんだろうよ。

最近は〇国人だけじゃなくて、東〇アジアからも、大分来てるって聞いたぜ」


タヤンが黙っているのを、ろくに言葉が分からないからと勘違いしたのか、薄ら笑いしながら、これ見よがしに話す2人。


「何で政府はこんな奴らを受け入れるんだ?

子供でも産まれて(生まれて、ではない)数が増えたら、俺達の税金が使われるんだぜ?」


「おいおいマジかよ。

仕事だけじゃなくて、金までたかろうってか?」


彼らの会話に顔をしかめる者もいるにはいたが、皆、関わり合いになるのを恐れて黙っている。

タヤンはテーブルの下で両の拳をギュッと握って、その暴言に耐えていた。

ここで自分が騒ぎを起こせば、社長夫妻に迷惑がかかる。

それだけは絶対に駄目だ。

こんなこと、前の職場での扱いに比べれば、大したことはない。

悲しい笑いと共に、彼が瞳を閉じたその時、1人の老人の声がした。


「その(へん)にしておきなさい」


2人の男に向けて、老人は静かにそう告げる。


「何だ(じじい)、何か文句でもあるのか?」


2人組の内の1人が、彼に向けて凄んで見せる。


「あるから言っとるのが分からんのか?」


「何だとてめえ!」


もう1人も吠え立てるが、公衆の前で暴力を振るう程の度胸はないようである(もしくは最低限の分別はあるのか)。


「お前さん達、まるで彼が自分達の仕事を取っているみたいに言っとるが、そうじゃなかろう?

彼がしている仕事なら、お前さん達でも雇ってもらえるだろうよ。

もう少し礼儀と常識を学んでおればじゃがな。

・・お前さん達は仕事がないんじゃない。

能力もないのに選り好みして、分不相応な仕事ばかりを望んでいるだけじゃ。

世の中には、その仕事に就きたくても、その仕事が好きでも、収入の面で、どうしても諦めざるを得ないこともある。

家族などを養わねばならない者なら、収入を考慮するのは当然のことじゃ。

身内の世話などで、時間が足りない者もおろう。

彼らは、そうしてできた穴を埋めてくれているにすぎん。

親が学費を出してくれてた間、お前さん達は何をしてた?

勉強に、運動に、何かしらの努力をしたのか?

たとえ親に恵まれなくても、この国では様々な制度がその者達に手を差し伸べてくれる。

その制度が不十分だと?

甘えるな。

わしらが子供の頃は、二親の揃っている子は今よりずっと少なかった。

ほとんどの子供が働きながら、親の手伝いをしながら学校に通っておった。

昼に食べる物にも苦労しながら、働いた金を全部親に渡しても足りずに、それでも懸命に、より豊かな明日があることを信じて頑張った。

時代が違う?

そんなのはただの言い訳にすぎん。

人が頑張ることに、努力することに、時代など、何の関係がある?

お前さん達は彼が外国人だからと見下しているようじゃが、この国だって、戦後間もなくは何もない、ただの焼け野原でしかなかった。

そんな国がここまでになれたのは、先達の努力と知恵の賜物ではあるが、諸外国からの援助があったこともまた、決して忘れてはならない。

某国の女王のように、敗戦国の皇太子を優しく迎えてくれたような人々が、この国に再び立ち上がる自信と未来を与えてくれたのだ。

・・彼はな、この国が好きで、この国に憧れて働きに来たと聞いておる。

そしてその言葉通り、いつも熱心に働いておるよ。

何度か共に働いたわしが保証する。

お前さん達も、それを見習えとは言わんが、せめて前向きに努力している人間を、無闇に貶めるのだけは止めてくれんか。

わしと違って、お前さん達には若さがある。

まだ幾つかの選択肢や可能性だって、残されているんじゃぞ。

一時(いっとき)の憂さ晴らしに(うつつ)を抜かし、それを無駄にしているのは、勿体無いと思わんか?」


「・・説教臭い爺だ。

興ざめしちまったな。

行こうぜ」


あくまで静かに、諭すように語り掛ける老人から目を逸らし、男が片割れに声をかける。


「ああ。

ゲーセンでも行って、気晴らしすっか」


もう1人も、そそくさとフードコートを出て行く。

その姿を目の端に捉えながら、老人はタヤンに声をかけた。


「久しぶりじゃな。

折角の休みに、嫌な思いをさせてすまんの」


その穏やかな物言いと、年齢にそぐわない姿勢の良さには、タヤンにも覚えがある。

人手がどうしても足らない時、何度か手伝っていただいた方で、若い時は都会で大学の教授をしていたとか。

定年後、親の後を継いでここに移り住んだらしいが、奥さんを亡くし、子供も都会に住んでいるとかで、所有していた農地を社長に売り、今は気楽な隠居生活をしていると仰られていた。

立ち上がって、丁寧にお礼を述べる。


「ご無沙汰致しております。

こちらこそ、身に余るお言葉を頂き、有難うございます。

本日は、何かをお探しに?」


「・・いや、自分でも不思議なんじゃが、何故か今日は、ここに来なければならないような気がしての。

特に欲しいものはないはずなんじゃが・・」


自分の気持ちと行動に、今一つ納得していない、そんな風に見える。


「もしお時間がおありでしたら、この国の大学について、少しお話を伺えませんでしょうか?

珈琲くらいしか、お出しできないようですが」


周囲の店を見回し、老人の嗜好に合っていそうな店を探すが、生憎それくらいしか思いつかない。

タヤンの気配りに、嬉しそうに目を細めながら老人が言う。


「わしは結構甘い物も好きでな。

あそこの鯛焼きもいいかな?」


1個100円と書いてある店を見ながら、彼の厚意に応えてそう告げる。


「勿論です!」


笑顔でそう答えるタヤン。

そんな彼の頭の中に、何故か和也の、あの独特な微笑みが浮かんできたのだった。




 「〇マト宅急便です」


昼下がりのオフィスビルに、ダンボールが何箱も積み上げられる。

皐月はそれを1つ1つチェックしながら、伝票に判を押していく。

送られてくる相手は、いつも同じだ。

『まったり農園』

こちらまで眠くなるような、長閑な名前である。


「はい、ご苦労様です」


制服姿の可愛い女子高生に微笑まれた配達人は、その笑顔に元気を貰ったかのように、颯爽と帰っていく。

学校から電車で20分くらいの、小綺麗な賃貸ビル。

その2階の、結構広いスペースを、彼女のバイト先である『御剣商会』が占めている。

今日は土曜日。

授業が午前中で終わるため、彼女はいつもより早くからここに来て、自習室代わりに使っている。

何せここには、コーヒーメーカーや老舗のお菓子など、学校の自習室にはないものが置いてある。

置かれた自分用の机も、マホガニーの1級品だ。

その椅子の、何と座り心地のいいことか。

何時間勉強していても、お尻が痛くならない。

きちんと後片付けさえすれば、何を使っても、何をどれだけ食べてもいいと言われているので、その言葉に甘えさせてもらっている。

もっとも、置いてあるカップや備品の類は、皐月でも1流品と分かるものばかりなので、節度を持って、丁寧に扱っている。

自分は本来、ここに仕事で来ているのだから。

パソコンを操作し、メールをチェックする。

青い文字で書かれた件名を開き、仕事の内容を確認していく。

青文字は最優先事項、通常の黒文字は自己の判断で処理、赤文字は問答無用で削除だ。

ただ、赤は滅多に来ない(彼女は知らないが、赤は各国のハッカーが、何とか御剣商会の情報を得ようと仕掛けてきているものだ)。

セキュリティーがしっかりしているせいだろう。


「ええと、今日の仕事はっと・・」


案の定、送られてきた荷物の、伝票の貼り替えだ。

ダンボールに貼られたものを、指定された宛先のものに貼り替える。

何で最初からここへ届くようにしないのだろうと疑問に思うが、余計な詮索はしない。

それに、伝票を剝がすだけで、貼りかえないものもある(実はこれが1番量が多い)。

伝票を貼り替えたものは、翌日、再度宅配に出されるが、剝がすだけのものは、次に自分が来た時には、いつの間にかなくなっている。

因みに、箱の中身はどれも同じなので、いちいち気にする必要はない。

前に先生に、『どうして同じ種類ごとに入っていないんですか』と尋ねたら、『仕分けが面倒だから、皆同じ中身にしてくれと頼んだらしいわ』との答えが返ってきた。

稀に土付きの野菜も入っているから、もし自分がここでその仕分けをするとなると、確かに制服姿の身では、汚れなどに気をつけねばならなかっただろう。

床の掃き掃除なんかもする必要が出たかもしれない。

でも、ただでさえ高校生にあるまじき高給取りの身なのに、そんな気配りまでしていただいて、本当に申し訳ない。

その名前から、何処かのお店だと思われるもの用に2箱(ここは週に2回くらい)、香月先生のご自宅用に1箱(彼女はまだ有紗のマンションに行ったことがないので、この時点ではどんな家か知らない)、最後に自宅用に2箱。

美味しい野菜を毎月沢山買うからと、先生が、アルバイト代の他にくれると仰るので、有難く頂いている。

お陰で毎日美味しい野菜に事欠かなくなり、買い物の手間も省けて大助かりである。

母は非常に恐縮して、先生に何度もお礼を言っていた。

私がこのバイトをする際、銀行口座のコピーなどを提出しにここに訪れたが、その時母も一緒に付いてきて、先生にお会いし、偶然とは思えない再会に、とても驚き、喜んでいた。

『あの方にもどうかよろしくお伝え下さい』と母が言っていたが、私はその人をまだ見たことがない。

母の口ぶりや、以前に母から聞いた話からして、おそらく先生の恋人なのだろう(式はまだのようだけど、もしかしたら旦那様かも)。

そうそう、先生が左手の薬指にリングをはめてきた時は、学校中、大変な騒ぎだったと聞いている。

生徒達は勿論、男の先生方なんて、1日中、心ここにあらずのように呆けていて、その日は全く授業にならなかったようだ。

国語の先生なんか、通常の授業をせず、失恋の悲しみを歌った詩や和歌ばかり取り上げて、生徒に情感を込めて詠ませては、涙ぐんでいたと先輩から聞かされ、香月先生も罪な人だなぁと、少し他の先生方に同情した(先生が悪いわけではないんだけどね)。

1日4時間のアルバイトだが、今日の仕事はこれで終わり。

他には電話番があるだけだ。

まだ1度もかかってきたことないけどね。

・・私って、本当に楽させてもらってるなあ。

香りの良い珈琲を淹れ、オフィスに備え付けの本棚から、イタリア語の辞書と教材を持ってくる。

ほとんど仕事がないので、曜日ごとに3つの外国語を勉強しているのだ。

イタリア語、中国語、ロシア語。

何故かここの本棚には、真新しい、語学や法律の辞書や参考書が、ぎっしりと並んでいる。

まるで、これを使って勉強しろとでも言っているかのように。

もしかして、私、試されている?

時々、そんなことを考えるようになった。

でも、それなら、一体何のために?




 『なあ戦友、おまえ、彼女とかいないのか?』


土産の煎餅を貰い、上機嫌でそれを啄みながら、ダンサーが聴いてくる。


「いきなりだな。

どうしてそんなことを聴くんだ?」


『ここに来てもう1年半近くになるだろ?

若い男がいろいろ持て余してるんじゃないかと心配になってな。

・・もしかして、未だに右手が恋人なのか?』


「余計なお世話だ!!

おまえだっていないだろうが!」


図星をさされたのか、過剰に反応するタヤン。


『フフン、俺様は元の場所にちゃんといるぜ。

それも2人も』


ダンサーに、憐れむように笑われる。


「・・鶏のくせに生意気な。

俺だって、自分の国には好きな奴くらいいたさ。

この国に来る時、諦めたけどな」


『何でだ?』


「俺達実習生は、恋愛禁止が暗黙の了解なんだよ。

子供でもできちまったら、問答無用で国に返されるからな。

前の職場でも、女性を目にするのは、仕事場の中だけだった」


やるせない表情でそう告げるタヤンを、ダンサーがじっと見ている。


『・・すまん』


「気にすんなよ。

ここにいる間の辛抱さ。

国に帰れば、稼いだ金で、いい嫁さん見つけて楽しく暮らすさ」


自分を無理やり納得させるような、そんな笑いを浮かべて、仕事に戻るタヤン。

そんな彼を、ダンサーの眼を通して、もう1人、見つめている者がいた。



 「はい、まったり農園です」


仕事中に、社長の携帯に電話が転送されてくる。

和也からだった。


「え?

人手は足りているかですって?

うーん、お陰様で売り上げが順調に伸びてますし、妻も子育てが忙しいですから、正直、あと2~3人くらいは欲しいですね。

は?

自分が紹介してもいいかですって?

勿論です。

御剣さんのご紹介なら是非欲しいですよ。

タヤン君、すごくよく働いてくれてますよ。

・・はい、はい、わかりました。

では、お待ちしています。

有難うございます」


会話を終えた社長が携帯を切る。


「・・本当にいつもタイミングがいいんだよね。

今度はどんな子かなあ?」


和也が建てた寮は、全部で6部屋ある。

新しい人が来ても、すぐに対応可能だ。

数日中に、相手の方から連絡が入るそうだ。

わくわくしながら、社長は仕事に戻る。

ここに移り住んでよかった。

今では、本心からそう思える彼であった。


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