紫桜編その17
昇る朝日を背景に、鶏たちに餌をやる和也。
今日は粟や稗ではなく、各地から餌になりそうな害虫を転移させては、広い敷地に撒いていく。
20羽の鶏たちは、先を争って害虫たちを殲滅し、勇ましい雄たけびをあげていた。
そんな中、先程からずっと、おなじみの視線が自分に向けられている。
今日の視線は、今までよりも若干きつかった。
「き~くのさん、あ・そ・ぼ」
和也は苦笑しながら、視線の主に声をかけてみる。
向けられる視線が、少しきつさを増した。
和也は、木の棒に白い手ぬぐいを結びつけて、ゆらゆらと振ってみる。
「・・何のおつもりですか?」
威嚇するような、小さな声が返ってくる。
「全面降伏」
「私、怒っているんですからね」
「悪かった」
何に対して怒っているのかを尋ねれば、きっと良くないことが起きる。
それぐらいは和也にもわかったので、とりあえず、謝っておく。
「私だってもう大人なんですよ?
ああいう状況で、その気もないのに、女の子に目をつぶれなんて言っては駄目です」
「すまない」
力を使う際の自分の瞳の色を、あまり近くで見せたくなかったのだが、彼女には他に理由があるようなので、再度、謝っておく。
「・・今回は許してあげます。
その代わり、ギュって抱き締めてくださいね?」
「わかった」
「・・じゃあ、仲直りです」
ゆっくりと近付いて来て、自分に対して両手を広げる菊乃。
和也は、柔らかく、丁寧に、彼女を抱き締めてやる。
その最中に、自分の胸に、リセリーみたいに頭を擦り付けてくる菊乃を、父親がいなくて寂しいのだなと、微笑ましく感じる和也。
彼女が堪能するまでに、それから暫くの時間を要した。
ベンチに並んで腰を下ろし、オレンジジュースを飲みながら、機嫌を直した菊乃と話す。
「ヒールが使えるようになっていたんですが、御剣様のお力ですよね?」
「そうだ」
「他人に魔法を授けることなんて、普通にできることなんですか?」
「他の者には難しいだろう。
だから、君に口止めしたのだ」
「魔力も増えてましたよ?
今朝、お湯を沸かそうとして、いつものように火種に火魔法を使ったら、その威力にびっくりしてしまいました」
「ヒールを使うのに、それまでの君の魔力量では無理があったからな」
「おかげで母に、変に勘繰られてしまいました」
「?」
「母もその、父とそういうことをした後に、少しだけ、魔力が強くなったそうなので・・」
顔を真っ赤にして、そう口にする菊乃。
「??」
「だからその・・はっきり言わせないでください!
御剣様のエッチ」
「なぜそうなる?」
理不尽な菊乃の抗議に、訳が分からぬ和也であった。
「・・それで、このことは他の精鋭の方々にも秘密なんですか?」
「できれば戦いの当日、実際に使うまでは内緒にしてくれ。
いろいろと説明が面倒なのでな」
「わかりました。
それと、有難うございます。
お礼を言うのが遅くなってすみませんでした。
これで少しは、皆さんのお役に立てると思います」
「体調の方はどうだ?
何か不安はないか?」
「今年は今までと違って、栄養のあるものを沢山頂いたので、体調は凄く良いです。
それは皆さんも同じみたいで、戦いの直前なのに、雰囲気がかなりいいんですよ?」
「そうか。
少しは役に立てたようだな」
「少しだなんてとんでもないです。
私、今まで、志野さんがあんなに穏やかな表情をなさっているところ、見たことがありません。
あやめさんだって、いつも以上に笑みを浮かべておいでです。
みんな、御剣様のおかげだと思いますよ?」
「・・・」
菊乃にそう褒められはしても、これから起きることをある程度予測している和也としては、素直に喜べるものではない。
本来なら、彼女達に何の苦労もさせずに、助けてやることだってできるのだ。
それを、菊乃達がこれまでしてきた努力を無駄にし、自ら未来を切り開こうとする彼女達の意思に反するからと言い訳をして、自分は彼女達が危なくなるまで、手を貸さないでいるのだから。
人の成長と自立を促すために、無制限に手を貸すことはしないと決めてはいるが、なまじその場で当事者達に接しているせいで、自分が裏切り者のように思えてしまう時がある。
菊乃が帰るまで、そんな思いを顔に出さないようにと気をつけながら、今では赤い満月を待ち遠しくさえ思える自分に、嫌悪感を抱く和也であった。
与えられた家で昼まで惰眠を貪り、嫌なことを忘れようとしたが叶わず、気晴らしに紫桜のところへ昼食を食べに行く。
「天よりも気高く、星よりも眩しい、その美しさは本国随一との誉れが高い紫桜さん、自分と一緒にお昼ご飯を食べませんか?」
いつものように平淡な口調で語られるせいで、言っている意味の半分も伝わらないであろう言葉に、志野が微妙な顔をして奥から出てくる。
紫桜を褒められれば大概喜ぶ彼女にしては珍しい。
「御剣様、どうかなさったのですか?」
「なぜだ?」
「姫様が、あんな本国の馬鹿貴族のような口説き文句を言うなんて、彼の偽物に違いないとお怒りです。
それに、いつもの人を小馬鹿にしたような笑顔に、余裕が感じられませんが」
「・・おまえは一体どういう目で自分を見ている?」
「難攻不落の姫様を、僅か数日で落とした天性の女たらし」
「・・・」
「冗談です。
姫様と村人達に希望を与えてくださった、この島の恩人です」
初めの頃は生真面目な顔しか見せなかった志野が、そう言って微笑んでいる。
彼女も自分を信頼しているのかもしれない。
和也の心がまた少し痛む。
「さ、奥へどうぞ。
姫様も、口ではああ言いながらも、本当は嬉しいのですから」
「いらっしゃい」
志野に案内され、通された先で、紫桜が少し頬を膨らませて迎えてくれた。
だが、自分の顔を見るとすぐに、心配そうな顔をして尋ねてくる。
「・・何かあったの?」
「なぜだ?」
「無駄に偉そうないつもの表情が、鳴りを潜めているわよ」
「・・・」
「冗談よ。
・・何だか辛そうに見えるから」
「・・おまえは自分を信用しているか?」
「自分って、あなたのことよね?
なら答えは”いいえ”よ」
「姫様?」
志野が驚いて、つい口に出す。
「わたくしは、あなたを”信用している”のではない。
”愛している”の。
ただ信じているというだけじゃない。
あなたのすること、その思想や思考の全てを受け入れて、それでもなお、あなたのことを心から愛しいと言える。
あなたが間違っていると思えば意見し、道を踏み外したのなら、たとえ殴ってでも連れ戻すこともあるでしょう。
だけどもし、あなたの選択で命の危険に晒されたとしても、死ぬまで、いいえ、死んだ後でも必ずずっと一緒にいるわ。
・・わたくしの、あなたへの愛とはそういうものなの。
だから、”信じている”なんて言葉で、この気持ちを表現したくない」
紫桜が、和也の目をじっと見据えながら、まるでその心に刻みつけようとでもするかのように、そう告げてくる。
普段は自分のことをからかうような素振りも見せるが、時々こうして、自分の心を覗いてみせるようなことをする。
「おまえだけではない、おまえの大切な者達が酷い目にあっても、それでも、自分を最後まで信じきれるのか?」
「勿論よ。
わたくしが愛した人だもの。
それに、わたくしを、愛してくれた人だから」
「・・・有難う」
目を閉じ、薄く笑うような表情で、彼女の言葉を噛み締める和也。
そんな2人のやりとりを、志野がどこか羨ましそうに眺めている。
「あら、いらしてたんですか?」
どうやら外出していたらしいあやめが顔を見せる。
「御剣様、先日は有難うございました」
部屋に入るなり、三つ指ついて頭を下げるあやめ。
「源からも、くれぐれもよろしくとのことでした」
「何かしてもらったの?」
紫桜があやめに尋ねてくる。
「自宅の庭に、浴場を造っていただいたんです。
姫様にご報告する前に、まずは御剣様にお礼をと思いまして、黙っておりました」
「そう。
それはよかったわね。
子供ができたら、いろいろと大変だものね」
嬉しそうにそう告げる紫桜。
「風呂は大事だからな」
「ええ、とても大切よね」
その重要性を力説する2人。
「皆、腹が減ったであろう。
昼飯にしないか?」
紫桜の言葉で、心の陰りが晴れた和也が、いつもの調子を取り戻す。
「今日は何かしらね?
あなたのせいで、すっかり食いしん坊になってしまったわ」
おどけたようにそう言って微笑む紫桜を見つめながら、この女性を愛した自分を誇らしく感じる和也であった。
それからの数日は、とても慌しく過ぎていく。
和也は、島の住人との触れ合いを続けながら、養鶏場で鶏たちに各地の害虫を食べさせ、海で魚を獲り、夜中には紫桜と2人で風呂を楽しむ毎日。
和也に望む言葉を貰った紫桜は、以前のような不安定さを2度と見せることもなく、風呂の中でお気に入りの場所に陣取りながら、幸せそうに笑っていた。
菊乃達は赤い満月に向けての最後の調整に余念が無い。
地下住居もとりあえず完成し、和也からの間接的な食料支援と薪や衣類等の配給を受けた村人達の表情も、例年より大分明るかった。
赤い満月の前日、本国からの役人達が徴税のためにやって来る日を明日に控えて、和也は、精鋭6人を領主屋敷に呼び、ご馳走を振る舞う。
魚料理だけではなく、肉料理もふんだんに用意し、体力と精をつけさせてやる。
村人達にも、それぞれの家ごとに、刺身や焼き鳥の大皿を差し入れて、日々の苦労をねぎらった。
存分に飲食の宴を満喫した精鋭達が、饅頭の入った折り詰めを土産に帰宅し、深い眠りについた深夜。
和也と紫桜は、まるで長年連れ添った夫婦のように、2人でのんびり風呂を楽しんでいる。
夜の少し肌寒い風に、赤く色づいた紅葉が舞い、冷えた空気が、月の輝きをより一層際立たせる。
「今日は朝から忙しくて大変よ。
役人が来る前に、戦いに参加しない村人達を地下住居に避難させないといけないし、彼らが家々を回って、課税人数を確定する際にも、付き添いの兵達が村人に対して変なことをしないように、源さん達が同行する必要もあるし。
まあ、役人は屋敷で接待せずに、舟の上で寝泊りさせるから、その分の気苦労はないんだけどね」
「本国の役人なのに、よくそれで通るな」
「だって、もし万が一、皇族のわたくしに少しでも傷を付けようものなら、やって来た人達の一族郎党とも、本国でおそらく皆殺しの刑になるわよ?」
「・・その割には、本国からかなり嫌がらせを受けていると聞いたが」
「経済的な・・ね。
4歳までとはいえ、お嬢様育ちのわたくしが、この島の生活に順応しているのが、天帝は気に入らないみたい。
おじい様の代よりも、火狐の毛皮の交換比率が大幅に落ちたせいで、あなたが助けてくれなかったら、数年後にはどうなっていたかわからないわ」
「おまえも天帝とやらと仲が悪いのか?」
「小さい頃に何度か会っただけだし、お互いによく相手を知らないから、特に仲が悪いわけではないと思うけど、向こうが勝手にわたくしに対抗心を燃やしているみたい。
毎年この島にやって来る役人達から、わたくしのことについて、いろいろと報告を受けているようね」
「貴族からの求婚も多いと聞いたが・・」
「フフッ、馬鹿ね。
もしかして妬いているの?
毎年毎年、相も変わらずに、役人達がそれぞれの上官にあたる貴族連中から文を預かってくるけれど、薪を燃やす火種の代わりにしかならないわ。
あなたのおかげで、それも今年限りで終わると思うと清々するわよ」
「・・初めておまえを見た時、清楚で上品なお姫様のように感じたものだが、かなり辛辣だな」
「何よ。
わたくしだって、誰彼かまわずにこう言うわけではないのよ?
自分達は決してこの島に来ようとはせず、安全で豊かな場所から、会ったこともないわたくしに、噂や人伝で興味を抱いて文を寄越す者達に対してだけよ」
そう言うと、自分に背を預けていた紫桜が身体の向きを変え、正面から抱き付いて、耳元で囁いてくる。
「今日と明日の2日間、あなたは何処かに隠れていてね。
本国の役人に、あなたのことを説明するのは面倒だし、島の結界を易々と無効化するあなたを、本国が放っておくとは思えないもの。
蔵の物資を見られれば、あなたの力をある程度は知られてしまうけど、村の皆には、あなたの詳しいことは口止めしておくから」
「火狐との戦いに、自分を参加させようとは思わないのか?」
「そうしてくれたら心強いけど、これはこの島の住人の戦いだから。
源さんやあやめさん達だって、いつまでも戦えるというわけじゃない。
島の住人には、自らの力で、自由と命を守れるようになって欲しいから。
・・もっとも、あなたが今すぐわたくしと結婚して、この島の住人になってくれるというのなら、話は別よ?」
まるで自分を挑発するかのように、口元に笑みを浮かべて、至近距離から瞳を覗いてくる紫桜。
「それは無理だが・・別の場所から島の様子は見ているつもりだ。
おまえは勿論、源達の命を脅かす状況になった時には、手を貸すつもりでいる」
「有難うね。
わたくしだけではなく、彼らのことも大切に思ってくれて、とても嬉しい。
・・お礼の前払いをさせてね?」
紫桜が、ゆっくりと唇を重ねてくる。
何度も何度も息継ぎを必要とするくらい、穏やかではあるが、長く、濃密な口づけであった。
その日の昼過ぎ、島の唯一の港近くに、巨大な軍船と商船の2隻が錨を下ろす。
移動用の3隻の小船に乗った兵士と役人達が、島の正門付近まで辿り着く。
女官を含めた4名の役人の内の1人が、門の前まで進み出て、持参した、赤い漆塗りの木箱の中から小さな鏡のようなものを取り出し、それを門へと向ける。
すると、門の表面に、魔法で描かれた家紋のような絵柄が浮かび上がり、それが一瞬輝きを増してから消えた。
その後、兵士2人が左右から門を押し開き、村の中に、本国の役人と護衛兵、総勢10名の人間が足を踏み入れる。
門の内側で、役人達が入ってくるのを待ち構えていた源とあやめが、彼らに言葉をかける。
「遠路、ご苦労様です。
姫様がお屋敷でお待ちです。
我ら2人が、皆様をご案内致します」
源が役人達にそう告げて、先頭に立って歩き出す。
彼らはその言葉に頷き、黙って付いて来る。
あやめは、列の最後尾から付いて来た。
領主屋敷に着くと、6人の護衛兵達は3人ずつ門の左右に立ち、役人4人だけが屋敷の中に入ることを許される。
源に案内され、4人が向かった広間の、前方へと通じる襖は閉じていて、彼らが皆腰を下ろし、畳に両手をついて平伏すると、源がゆっくりと襖を開く。
その先には、1段高い場所に座る紫桜の姿があった。
御簾越しに、彼女が役人達に声をかける。
「面を上げなさい」
その言葉に、役人達がゆっくりと上体を起こし、紫桜に謁見の挨拶を述べる。
「紫桜様にはご機嫌麗しく、恐悦至極に存じます。
今年もまた、課税審査の時期がやって参りました。
恐れながら、お屋敷並びに村の集落における調査のお許しを頂きたく、謹んでお願い申し上げます」
役人達の上官と思しき者の言葉に、紫桜は答える。
「許可しましょう。
調査の際における注意事項は、1点を除き、例年と同じ。
屋敷内の調査は女官のみで行なうこと。
村人に危害を加えぬこと。
それから、これは新たな注意事項ですが、今年からできた施設や、村人の所持品の出所を、彼らに直接尋ねぬこと。
そのような質問は、全てわたくしか、源やあやめ、志野の、案内の者が答えます。
これは必ず守ってもらいます。
いいですね?」
「かしこまりました」
「よろしい。
では、まずはこの屋敷からお調べなさい。
男性方は、別室で待つように」
4人が再び平伏すると、脇に控えていた源が、ゆっくりと襖を閉じる。
それを待って紫桜が退室すると、4人は上体を起こし、その後、いつものごとく、源に本国の貴族達から預かってきた文を渡す。
「残念ながら、先の文に対する、姫様からのお返事はありませぬ」
それを受け取りながら、源も毎年同じ言葉を繰り返す。
役人達もそれはわかっているのか、『そうですか』と、さして残念でもなさそうな返事をするのみである。
女官1人が調査のため、志野に連れられ部屋を出て行く中、他の男達は、源と共に別室で、茶を飲みながらくつろいでいた。
この島に来る役人達は、毎年ほぼ同じ者達である。
”穢れし者”達の流刑地に、エリートの役人は来ない。
出世街道からはずされた、うだつがあがらない者か、老いて用済みになった下級役人が送られて来る。
なので、あまり仕事熱心というわけではないが、天帝が強い興味を示している土地でもあるので、手を抜くことだけはしない。
例年、見るべきところを見て、調べたことを詳細に記録したら、あとは、租税の代わりに納められた火狐の死体を持ち帰り、商船に積んである生活物資を、本国から指示されたレートで、余った火狐の死体と交換するのが、彼らの仕事の全てであった。
その頃、女官と志野は、屋敷内の蔵の前にいた。
「・・蔵の数が1つ増えているようですが?」
「ええ。
今年になって、新たに建てました」
「失礼ですが、この島にそれほどの余裕がおありに?」
まだ20代の若さのこの女官も、ここ6年程、毎年この島を訪れているので、その内情はよく知っている。
火狐のせいで、ただでさえ生産性が乏しいこの村に、本国がかなりの圧力をかけているせいで、皇族の紫桜様といえど、その暮らしぶりは、本国の下級貴族よりもはるかに慎ましい。
天帝様にご報告書を提出する度に、まだ音を上げぬのかと驚かれているとも聞いている。
そんな中で、どうやって新しい蔵まで建てたのだろうと不思議に思う彼女の視界に、各蔵の壁に、うず高く積まれた数百の薪の束が目に入る。
「え?」
森に入れないこの島では、薪は貴重品だ。
実際、本国は、塩と共に最も需要がある薪に対して、かなり高い交換比率を課している。
それなのに、どうやってこんなに大量の薪を?
先程から、黙って自分の側にいる志野さんに声をかける。
「蔵の中を改めさせていただきます」
志野が1つずつ蔵を開けていく。
その中を見た彼女は、思わず大声をあげた。
「ええ?」
最初の蔵には、いつも通り、武具や高価な骨董品の類しかない。
だが、2の蔵、3の蔵と見ていくと、そこには食材や酒などが、所狭しとぎっしり詰め込まれていた。
米や塩などは、少なくとも数年分はあるかもしれない。
それに、今までは見たこともない、酒や魚、果物も大量にあり、本国から買っていたはずの、醤油や砂糖などの調味料もふんだんにある。
これでは今年は、本国から買い入れる品がないかもしれない。
「あの、一体どうやって、これ程の品を手に入れたのですか?」
暫し呆然としていたが、自分に課せられた職務を思い出し、少し苦手意識のある志野に尋ねる彼女。
いつもなら、若干きつめの視線で自分を見てくる志野さんが、どういうわけか、嬉しそうな笑みを含んだ顔で答えてくれた。
「姫様に、とても頼もしい後ろ盾ができたのです。
これらの品々は、そのお方からの贈り物の、ほんの一部でしかありません」
「後ろ盾ですか?」
またしても大声を出してしまう。
これは一大事だ。
本国に報告すれば、大騒ぎになるだろう。
折角、何年もかけて圧力をかけ続け、紫桜様を本国に連れ戻すという天帝様達のお考えが無に帰してしまう。
「それはどなたかお聞きしてもよろしいでしょうか?
そのお方は今この島におられるのですか?
・・いえ、それよりもどうやって結界を張り巡らせてあるこの島に入れたのですか?」
「落ち着いて」
あまりのことに混乱して、矢継ぎ早に質問を繰り返す私に、志野さんが穏やかに声をかけてくれる。
「私からはその方のお名前は言えませんが、いずれ姫様からお知らせくださるでしょう。
あの方は、今はこの島におられませんが、近い内にお戻りになられます。
結界に関しては、この島のどんなものでも、あの方には無意味なようです」
こちらの質問に全て答えてくれた彼女の表情は、私が初めて見るものだ。
ほとんど感情を面に出さない彼女からは意外な程、その顔には相手に対する多大な敬意と、僅かな憧れのようなものが垣間見える。
正直な話、彼女には、紫桜様以外、そういったものが欠如しているのではと思っていただけに、かなり驚かされる。
彼女にそんな顔をさせる人物に、私も興味が湧いてきた。
「とても信頼しているのですね」
「ええ。
姫様を、本当に大切になさってくださる方ですから」
え?
もしかして、それって・・
「男性の方ですよ」
「ええーっ!!」
今日何度目かの大声を発してしまう。
これは一大事どころでは済まない。
確実に本国からの干渉を受けるだろう。
でもなぜ、そんな大事な情報を私に?
「あなたがこの島に好意的だから」
顔にでも出ていたのだろうか。
私の疑問を見透かすかのように、そう告げてくる。
確かに、私は他の本国の役人達と違い、この島を嫌ってはいない。
ここを毎年訪れている残りの3名も、この島に好意的であると言えるだろうが、私の場合は、むしろ好きだとさえ言える。
それには、私の家の事情が絡んできていた。
私の家は、極普通の平民である。
だが、曽祖父が若い頃に傷害の罪を犯し、1年程、当時は罪人の流刑地だったこの島に流された。
暴漢に襲われていた人を助けるためのものだったこともあり、幸いにも、それで本国に戻れたが、その後、2代前の天帝様が、罪人の家族を”穢れし者”と定め、この島をその者達の流刑地にすると、少し事情が変わってきた。
大きな混乱を避けるため、その決定には遡及効がつかなかったけれど、罪を犯した者の家族は穢れているという意識が国民の間に生まれ、決定前に罪を犯した者の家族も、公的試験や任官試験でいろいろと区別されるようになった。
どんなに頑張っても、どんなにいい点数を取っても、その家に生まれたというだけで、将来が半分以上決まってしまう。
貴族や金持ちの中には、多額のお金を使って、こっそり家族の記録を書き換える者もいたが、普通の平民には無理な話である。
私は、学校での成績も、任官試験での順位も、かなり上の方ではあったが、たとえ”穢れし者”ではなくても、元罪人の家系では、就ける職業も地位も限られ、下級官吏として採用されたのも、毎年この島に査察に出ることを希望したせいだろうと思っている。
役人になって初めてこの島を訪れた時、島の正門に刻まれた言葉に暗澹たる思いがしたが、意外にも、島の住人達は元気に暮らしていた。
明るいというわけではないが、決して悲観ばかりが漂うわけでもない、のどかな田舎。
何も知らなかった私は最初にそう感じたが、後になって、あの凄惨な火狐との戦いを見せられてからは、むしろよく平静を保っていられると感心したものだ。
満足な食事もできず、生活必需品にすら困るような暮らしの中で、しかも毎年命の危険に晒されながら、たとえそれが上辺だけのものであったとしても、よく穏やかに過ごせるものだと。
そしてその理由も、戦いの後、精鋭と呼ばれる志野さん達側用人以外の、本国の者なら触れることすら嫌がる者達に、ねぎらいの言葉をかけ、傷ついた者にはヒールまで施す紫桜様を見て、何となく理解した。
きっと、厳しいながらも、大切にされているのだろうと。
この島の住人達は、使い捨ての駒ではないのだと。
豊かではあるが厳しい管理下にあり、僅かな過ちすら認められない本国と、貧しく危険に晒されながらも、人として伸び伸びと暮らせるこの島と、一体どちらが幸せなのだろう?
でも、蔵の中を見て少し安心した。
これなら暫くは食べ物に困らないだろう。
紫桜様についた後ろ盾のお方とやらは、かなりの資産家らしい。
おまけに、相当な能力の持ち主のようだ。
職業上、本国に報告せねばならないが、個人的にはその方を応援したい。
弱き者が苦しむ姿を見捨てておけず、皇族でありながら、この島で彼らのために戦い続けた先々代のご当主。
その血を受け継いだ紫桜様。
どうかお幸せになって欲しい。
心から、そう思った。
「お心遣い有難うございます。
職務上、本国に報告せねばなりませんが、私個人としては、紫桜様にはお幸せになっていただきたいと、強く願っております」
「有難う」
志野さんはそう言って、嬉しそうに、にこりと笑ってくれた。
屋敷の査察から戻った私を、仲間の役人達が、広間でお茶を飲みながら出迎える。
「どうであった?」
「はい。
蔵の中も、この屋敷にも、他に隠れている者はございません」
上役の、形だけの問いに、こちらも形式的な答えを述べる。
志野さんから教えていただいた情報は、まだ伏せたままでいるつもりだ。
「そうか。
では、我々も動くとするか」
上役以外の、他の2名の男性も、重い腰を上げる。
「それでは、付き添いをお願いします」
上官らしき男が、側にいる源に、そう声をかける。
源は一旦、あやめを呼びに部屋を離れ、すぐにまた戻って来た。
「お供致します」
2人に付き添われ、屋敷を出る役人達。
門の前で整列していた兵士達を連れて、年に1度の査察が始まった。




