紫桜編その16
その夜、和也は1軒の家を訪ねていた。
精鋭6人の内の1人、鬼塚影鞆の家である。
夜の訓練を終え、風呂で汗を流して一息ついたであろう頃、家の玄関から呼びかける。
「夜分に失礼する。
鬼塚影鞆はいるか?」
声量自体はそれ程でもないが、よく通る声が家の奥まで響き渡り、程無く、本人が姿を現した。
「これは御剣様、ようこそおいでくださいました。
男一人所帯故、むさくるしい所ではございますが、どうぞお上がりください」
「遅くにすまない。
是非1度、おまえと話をしてみたくてな」
「将来の御当主様をいち早くお迎えできて、光栄でございます」
「やはりおまえも知っていたか。
紫桜には、困ったものだ」
「姫様は、普段はとても思慮深く、口の堅いお方でございますが、この件に関してだけは、むしろ積極的に御披露目なさっていらっしゃいますので。
・・わたくしとしたことが、いつまでも玄関先で御剣様を立たせておくなど、とんだ失礼を。
ささ、奥へどうぞ」
影鞆に案内されて、縁側に面した和室に通される。
開け放たれた障子の先には、月の光に照らされた、極平凡な小さな庭。
家の中にも、生活に必要な物以外は何もない。
「酒でも飲みながら話さないか?」
「有難うございます。
お相伴にあずかります」
和也は和室のテーブルに、酒の入った徳利と肴を並べる。
今宵の肴は、6種の刺身の盛り合わせと、あわびの肝焼き、金目鯛の煮付け、白レバー、かしわ、つくねの焼き鳥3種である。
「今回もすごいご馳走ですな。
姫様や他の5人の方々にも分けて差し上げたいくらいです」
「後で皆にも振る舞う故、遠慮なく食べるがいい」
「では、お言葉に甘えて」
杯に酒を満たしてやると、美味そうに飲み干しながら、料理に手をつけ始める。
「食べながらでいいから、聴いてくれ。
おまえの家は代々、当主の護衛に就いていたと聴いたが、花月家は男が当主になるのか?」
「いいえ、本来なら天帝様同様に女性がなられます。
ただ、御屋形様の場合は、花月家の正統な血を引くお方が御屋形様しかおらず、大奥様も早くにお亡くなりになられたうえ、御屋形様には絶大なカリスマ性がございました故、誰も文句を言う者がおりませんでした」
「紫桜の祖父とは、おまえから見て、どのような人物であった?
他の者からいろいろと聴いてはいるが、なかなかの人物だったようだな」
「御屋形様は、素晴らしいお方でございました。
本国では、この島に進んで来たがる者は誰もおりません。
ですが、御屋形様が移り住むと聞いて、7人もの部下が、妻と離縁してまで同行を願い出たのです。
・・7人。
それを、たったの7人と、お笑いになる人もいるでしょう。
ですが、本国にいれば何不自由なく暮らせるのに、島行きを拒む妻や子と別れ、毎年魔獣との戦いで命の危険に晒されながら、得るものといえば、日々の食事すら十分ではない暮らしのみ。
それを受け入れてなお、共に移り住んでくださった7人を、わたくしは、僅かとは、口が裂けても言えませぬ。
4人は花月家縁の者ですが、残りの3人は、御屋形様のご家来の方々でした」
空になった杯に、酒を注いでやりながら、話の続きを聴く和也。
「わたくしの祖父は、御屋形様の1つ前のご当主様にお仕え致しておりました。
護衛任務というものは、御当主様をお守りする武力もさることながら、お守りする際の気配りが、非常に要求される仕事です。
ましてやそれが異性のお方ならなおのこと。
長時間の外出では、ご当主様も様々な場所にお立ち寄りになられます。
厠、湯浴みは別の女性護衛官が付き添いますが、お食事やご休憩の際には、我ら男性は、ご当主様の視界に入らないようにして、警護することが求められます。
『普段は視界に入らず、いざという時には前面に出て、命を捨てる覚悟でお守りする』
これが、我ら男性護衛官の鉄則です。
ご当主様がお食事をなさる店の陰で、慌しくおにぎりを頬張り、安全な場所におられる時に、夜の寝ずの番に備えて短い仮眠を取る。
女性であれば、屋内の、御屋形様のお近くでお守りすることを許されるのに、雨の日も、雪の日も、屋外から密かにお守りしなくてはならない。
祖父は身体を壊し、5年でお役目を退きました。
・・その後、わたくしの家は暫くお暇を言い渡され、祖父は失意のうちにこの世を去りましたが、父の代になって、ご当主様が亡くなられ、御屋形様に代替わりされてすぐ、花月家に呼び戻されたのです。
・・御屋形様は、ご自分の母親がした仕打ちを詫びてくださり、女性護衛官の全てを息子の奥方につけて、わたくしの父をずっとお側においてくださりました。
外出時のお食事の時も、お側で御屋形様と同じものを頂き、決して屋外に出すことをせず、夜の寝ずの番も廃止なされました。
本国で、御屋形様は何度か刺客にお命を狙われましたが、その際は、父と一緒に戦ってくださったと聞いています。
ご自身の身を守る父に、いつも感謝のお言葉を口にされていたと、父から誇らしげに聞かされてきました。
・・御屋形様と共にこの島に渡ると父が決めた時、母は父を非難しましたが、わたくしは今でもそのことを誇りに思っています。
島に来られてからは、まるで家族のようにわたくし達に接してくださった御屋形様。
お亡くなりになられる前、わたくし達を枕元にお呼びになり、姫様を頼むと申されましたが、たとえそのお言葉がなかったとしても、わたくしは、命ある限り、姫様をお守りするつもりでした」
淡々とではあるが、懐かしげにそう語る影鞆の目に、涙がにじむ。
・・ここにも、血の繋がりとはまた別の、深い愛情の姿がある。
和也は、明るい月を眺めながら、暫し無言で影鞆と酒を酌み交わし、その場を時折吹き抜ける、気持ちの良い風に、身を委ねていた。
「時に、この島には娯楽というものがあるのか?」
料理があらかたなくなった頃、和也が尋ねる。
「おそらく、ありませぬ。
子供の遊びはともかく、大人が遊べるものや楽しめるものを、わたくしは知りませぬ。
強いて言えば、共同浴場で風呂に浸かるくらいでしょうか」
「いくら火狐との戦いに備えているとはいえ、それでは日々の生活が侘しかろう?」
「何分、御屋形様亡き後、御剣様がお越しになるまでは、食べてゆくだけで精一杯でしたので・・」
「・・将棋はできるか?」
「将棋ですか?
はい。
本国でも盛んで、父もこの島に来る際に持参しましたが、数年前、薪が一時的に不足して姫様のお食事が危うくなった時、皆で家にある木材を持ち寄って、薪代わりに燃やしてしまいました」
「・・・」
和也は縁側に、将棋盤と駒を出現させる。
「おお!
これは素晴らしい道具ですな」
「とある国の、タイトル戦で使われる物と同じものだ。
それからこれも」
そう言って囲碁の道具も出現させる。
「これは、何だかわかりませぬな」
「?
これはまだなのか?
では、やり方を記した本を添えておこう」
「・・ところで、御剣様は将棋をおやりになるので?」
影鞆の顔が、心なしか嬉しそうに見える。
「一通りは知っているつもりだが・・」
「では、一指し、いかがですかな?」
「ほう、自分に勝負を挑むとは。
いいだろう。
相手をしてやる。
自分に勝ったら、好きなものを食わせてやろう」
「これは勝たねば。
では、よろしくお願い致します」
縁側に移動し、月の光を頼りに駒を並べ、指し始める2人。
「むむ、穴熊に向かい飛車とは渋い戦い方をなさりますな」
「そういうおまえも美濃囲いに振り飛車ではないか」
「久々なのでじっくり指したい故、角交換はなしでお願いできませぬか?」
「いいだろう。
今夜は月が綺麗だ。
お互いじっくり楽しもう」
「有難うございます」
久々の娯楽に、子供のように顔を輝かせて盤上に目を凝らす影鞆。
2時間程して、角と桂馬で攻めた和也が僅差で勝ちはしたが、満足気に笑う影鞆に、草もちの包みを渡し、1人静かに家路につく和也であった。
「間に合ったようだな」
深夜、いつものように風呂に向かい、脱衣所で服を脱いでいた紫桜と鉢合せする。
「やっぱりまだ入っていなかったのね。
脱いだ服が見当たらないから、今日は来ないのかと心配したのよ?」
「この時間は自分にとっても、非常に有意義なものだ。
必ず来る」
「どうして遅くなったの?」
「影鞆と将棋を指していて、家の外まで見送りに来た彼の目を欺くために、1度家まで戻っていたせいだ」
「将棋?
彼が持っていたの?
指してるところ、見たことないけど」
おそらく、薪の足しにしてしまったことを知らないのであろう。
彼女に余計な心痛を与えないように、皆で内緒にしている彼らの姿が目に浮かぶ。
「何よ、じっと見つめて」
「いや、・・服を着ている途中の姿は何度も見てきたが、脱いでいる最中のところは初めて見るなと。
・・なかなか良いものだな」
「そんなこと言って。
どうせ襲う勇気もないくせに。
こういうことは、口ばっかりなんだから」
笑いながら、最後の1枚を脱ぎ、和也の横を通り過ぎようとする紫桜。
「じ、自分をなめてもらっては困るな。
その気になれば、自分だって・・・」
「自分だって、なあに?」
横を通り過ぎようとした紫桜が、ゆっくりと和也の方を向き、服を脱ぎ終えた和也に抱き付いてくる。
湯を介さない、彼女の体温を直に感じて、それ以上、何も言えなくなる和也。
「・・やっぱりね。
でも、いいわ。
昨日、とても嬉しい言葉をもらったから。
さ、湯に浸かりましょう?」
抱擁を解いて、和也の手を取り、共に湯船まで歩く紫桜。
その姿は、心なしか、昨日までの彼女よりも眩しく見えた。
「娯楽?
・・そういえば、取り立てて何も思いつかないわね。
でも今は、あなたとのこの時間が、わたくしにとって1番の楽しみよ」
湯船に入り、自然と和也の腕を取った紫桜に向けた、
『暇な時は何をしているのだ?』
『何か娯楽はあるのか?』
という和也の問いかけに対して、彼女が答える。
その豊かな胸のふくらみを、いつも以上に意識した和也は、視線を星空へと向けることで、敢えてそこから気を逸らす。
「・・昔、おじい様がまだ生きていらした頃は、初夏の夜、小川の畔でよく一緒に蛍を見たわ。
でも、亡くなられてからは、見る気になれなかった。
それまで幻想的で美しいと感じられたあの光が、まるで、心残りがあるために、天へと昇ってゆけない魂のように思えてしまうから。
・・何もなくても、大きな背中に守られて、ささやかな幸せを感じられたあの頃と、祖父や父を失って、この身に圧し掛かる重圧に耐えながらのつい先日までとでは、同じ景色を見ていたはずなのに、あんなにも感じ方、捉え方が違った。
そして今は、何を見ても、何が起きても、あなたという支えがあるから、物事を肯定的に解釈しようという、積極的な自分がいる。
心のゆとりは視野を広げ、思考を深めて、他者に対する思いやりを生んでくれる。
あなたがここに来てからの、半月にも満たない短い期間は、わたくしにとっては何年分もの時間に匹敵するわ。
身内以外の異性に対する興味、憧れ、愛情、そして嫉妬。
どれもわたくしにとって、初めて経験するものばかり。
それらの感情は、わたくしに今まで気付かなかった視点をもたらし、人という存在を、より鮮明に理解できるようになった。
単なる保護の集団でしかなかった村人達を、1人1人の人間として、個別に認識できるようになってきた。
・・正直、あなたに会う前のわたくしだったら、娯楽なんて言われても、きっとその価値を理解できなかったと思うわ。
『生きていくのに必要なの?』って。
でも、今は違う。
日々を生き抜く傍らで、生きているからこそ楽しめる何かがあるということを知っている。
これからも、あなたと一緒に、素敵な時間を共有していけることを、ずっと祈り続けていくわ」
自分が先程、紫桜を眩しく感じたのは、彼女を保護するように覆っていた心の壁が崩れ始めて、本来の輝きが漏れ出ているせいかもしれない。
エリカからは、愛される喜び、制御が難しい愛情の大波を教えられ、マリーからは、愛に溺れず自立する強さを見せられて、紫桜には、愛を育む時間の楽しさを学ばせてもらっている。
遠くから、人の営みを羨ましそうに眺めるだけだった自分が、身に余る素敵な女性達に囲まれて、充実した時を過ごしている。
有り余る時間を、無駄に費やす手段でしかなかった睡眠が、いつの間にか、目覚めた後の、新たな楽しみを享受する区切りへと変化している。
果たして自分は、彼女達に、受けた恩恵の一部でも返せているであろうか。
紫桜が湯の中で座る場所を移し、その背中を自分に押し付けながら、腕を抱え込んでくる。
すっかりこの位置が気に入ったようである。
日を追うごとに、多彩な表情を見せてくれるようになった彼女をしっかり抱き締めながら、今日もまた、穏やかに眠れるであろうことを感謝する和也であった。




