紫桜編その14
「美味しい。
よもぎは春が1番いいと思っていたけど、この時期の物もいいわね」
紫桜が幸せそうに食べている。
「店主が言うには、四季によって味が変わるから、季節ごとに食べ比べてみるといいそうだ。
添加物も一切使ってないと言っていたから、この時代の者にも違和感なく食べられるのではないかな」
「添加物?」
「魔法がない世界では、物を長期間保存したり、人工的に色や味を調えたりするのに、ある種の薬のようなものを使うのだ。
それが人体に溜まり過ぎると、よくない影響を与えることもある」
「ふーん。
何でそんなことをするのかしらね」
和也とは、何の遠慮もなくなった紫桜の言葉遣いが、かなりくだけた物言いになる。
「本来なら、ある場所やその季節にしか食べられないものを、1年中、どこでも食べられるようにするためなのが主な理由だろう。
あとは、本物を食べることが難しい者に、味と姿を似せたものを与える役目もあるな」
「・・随分贅沢な世界なのね」
「その世界では、人口が増えすぎたうえ、富が偏りすぎて、逆に旬のものを食べることの方が贅沢になりつつある。
様々な食べ物が品種改良され、人口飼育された結果、食べ物で季節を感じることも減ってきてしまった。
だが、どちらが良いとは一概には言えぬ。
風情を求め過ぎれば自然との付き合いが重視され、その結果、全てを天候などの運に左右されたり、移動や流通が不便になって、病気や怪我での治療が間に合わずに、命を落とす者がでる。
都市化、機械化が進みすぎれば、時間に管理された者達から、余裕やゆとりが失われていく。
この世界のように、自然が豊かな中で、人が相応の生活ができるのは、偏に魔法という便利な存在のおかげだ。
自分達は、普段何気なく使っているものにこそ、もっと敬意を払う必要がある」
甘いものを食べて、お茶が欲しいであろう紫桜に、海底で引き揚げた陶磁器の中から、大小2つで絵柄の同じ湯呑みがあったのを思い出し、それを用いて茶を淹れてやる。
「・・有難う。
あなたもわたくしと同じ気持ちでいてくれることが嬉しいわ」
「?
そんなに茶が飲みたかったのか?」
「わざと言ってるの?
フフッ、相変わらず、こういうことには鈍いのね。
・・これよ」
そう言って、彼女が視線で示した先には湯呑みしかない。
「その湯呑みがどうかしたのか?」
「これ、あなたが飲んでいるものと同じ形と絵柄でしょう?
こういう大小同じ柄のものを、夫婦茶碗と呼ぶの。
結婚した夫婦が、いつまでも変わらぬ愛を誓って、2人で使うものよ」
からかい半分に、少し大袈裟に伝える紫桜。
「すまん。
では、自分は何か違う湯呑みを使おう」
慌てて他の湯呑みを出そうとする和也を、紫桜がにっこり笑って止める。
「冗談よ。
夫婦茶碗なのは本当だけど、そこまでの意味はないわ」
「・・・実は、先程の草もちには、もう1つ別の食べ方があってな。
餡の入っていないものに、氷砂糖で作った蜜と、きなこをかけて食べるものがあるのだ。
・・いやあ実に惜しい。
君はもう満腹のようだし、自分だけで食べるとしよう」
エリカに大分鍛えられた和也は、時によって、反撃する手段を学んでいた。
「それでやり返したつもりなの?
・・あなたはきっと、わたくしが何も謝らなくても、ちゃんとわたくしの分まで用意してくれるわ。
だってあなたは、わたくしが心から愛してる、優しくて思いやりに溢れた、素敵な人ですもの」
からかうような笑みを収め、穏やかで、しっとりとした笑顔で、そのことを心の底から信じて疑わないような口調で語りかけてくる。
暫し、じっと見つめ合う2人。
やがて、負けを認めた和也が、目線を逸らしながら、彼女の皿に、新たな草もちを数個、出してやる。
「フフフッ、ご馳走様です。
思ってもないことを言っている人と、心からの言葉を伝えてる人の差ね」
楽しそうな笑みでそう言いながら、別に添えられた蜜ときなこを草もちにまぶし始めた紫桜に、魔力でお茶を注ぎ足し、手拭を用意してやりながら、風呂とはまた赴きの異なる、2人きりの穏やかな時間に、身を任せる和也であった。
夜の訓練を終え、あやめ共々風呂で汗を流したであろう頃、教えられた源の家に出向く和也。
紫桜の屋敷に比べると、かなりこじんまりした家で、教えられなければ、ここが領主を直接補佐する者の家だとはわからないだろう。
「毎度ありー。
御剣養鶏場ですー。
ご注文をお伺いに参りましたー」
玄関の扉を開け、抑揚のない、平坦な声でそう呼びかける和也に対し、あやめが苦笑しながら出てくる。
「また人を観察対象にしてるのかい?
すまないが、今日はそういうお遊びはなしだ。
真面目な席だからね。
上がっておくれ。
奥で源も待ってるからさ」
「真面目な話?
・・そうか。
苦情でなければいいが」
よく見れば、あやめは自分が贈った黒の留袖を着ている。
家の中を流れる空気にも、どこかしら緊張感が漂っている。
彼女に案内されて向かった、8畳くらいの和室には、紋付袴に身を包んだ源が、正座して待ち構えていた。
「よく来てくれた。
そこに座ってくれ」
そう促された席は、床の間を背にした上座である。
違和感を持ちながらも、指示された通りに腰を下ろすと、あやめが源の隣に正座して姿勢を正す。
それを確認してから、源が厳かに口を開いた。
「この度は、姫様ならびにこの島のために、並々ならぬご尽力を頂き、心から感謝致します。
姫様も、御剣殿にはお心を許し、いずれは夫婦になりたいとまで申しております。
私共は、代々花月家を預かる者として、御屋形様亡き後、姫様を見守り続けて参りました。
私共の願いは、偏に姫様のお幸せのみ。
どうか今後とも、姫様をよろしくお願い致します」
そう言って、源とあやめが畳に両手をついて、深く頭を下げる。
先日まで、自分を紫桜につく悪い虫のように言ってきた源の変わりように、少し驚く和也。
ただ、2人の様子と先程のあやめの言葉からも、決して冗談などではないことが解る。
紫桜を妻に迎えるかどうかの話は、てっきり2人だけの秘密だとばかり思っていたが、この2人は既に知っているようだし、この分だと、志野あたりにも漏れていそうだ。
紫桜ほどの女性であれば、2人にお願いされるまでもなく、喜んで迎え入れたいし、どうするかを選ばれるのは、むしろこちらの方なのだが、この2人は自分達のけじめとして、こちらに頭を下げているのだろうから、彼らの行動は受け入れておく。
その上で、言わねばならないことだけは、きちんと伝えておかなければならない。
「紫桜を妻に迎え入れるかどうかの最終的な決定権は彼女自身にあるが故、自分は今ここではっきりと約束はできないが、これだけは言っておく。
自分は、たとえ紫桜が自分との婚姻を取り止めたとしても、彼女の命ある限り、見守り続けていく。
その際は、彼女の人生を尊重し、必要以上の介入はしないつもりだが、少なくとも、予期せぬ災害や事故などの身の危険からは完全に守り、日々の生活においては、もう2度と、惨めな思いはさせない程度の援助はする。
自分がここに来てからの、ほんの僅かな時間の中で、紫桜からは、それを大きく上回る、温かい思いを受け取った。
たとえ彼女が自分の側を去ったとしても、その温もりを思い出すだけでも、自分は幸せであると断言できる。
・・自分には、既に2人の妻がいる。
そのいずれも、自分には過ぎた女性達であるが、紫桜も、彼女達に勝らずとも劣らない、魅力に溢れた女性であるのは確かだ。
お互いの関係が、この先どう変わろうとも、それによって、彼女という人物への接し方を、変えるつもりはない」
己の真の姿を知った紫桜の心が自分から離れてしまえば、今のような”異性”としての付き合いはできない。
だが、幸せな時間をくれた彼女を、陰から見守るくらいは許されるであろう。
彼女にはそれを言わずとも、この2人にだけは伝えておこう。
それが、きちんと場をしつらえて、自己の思いを真摯に伝えてきた者達への、礼儀でもあろうから。
「・・・よかった。
御剣殿は本当に、姫様のことを考えていてくださる。
自分の都合の良い時だけ、己に利益がある間だけ、姫様に言い寄って来る者達とは違う。
本当によかった。
御剣殿になら、安心して姫様をお任せできる」
源がゆっくりと、下げた頭を上げながら、目を潤ませて、和也を見つめてくる。
あやめは、同じように頭を上げながらも、穏やかな目で和也を見てくる。
もし自分に、親というものが存在したなら、これ程までに情を注ぎ、慈しんでくれたであろうか。
血の繋がりのない、他者の子であっても、共に過ごした十数年の歳月が、お互いを親子以上の何かに昇華させるのか。
自らの子であっても愛せない者すらいる中で、こうした2人のような者達を生んでゆけるこの世界。
創ってよかった。
こんな時、和也はつくづくそう思う。
「話が以上なら、3人で酒でも飲まないか?
美味い酒と鯛の酒蒸し、刺身やニシンの昆布巻きなんかも用意するぞ?
カラスミやアン肝もいいな。
どうだ?」
湿っぽくなった場を元に戻そうとする和也の計らいに、異論を唱える2人ではなかった。
2人が普段着に着替える間、和也はこの家の間取りを確認していた。
・・やはり、風呂がない。
いちいち共同浴場まで入りに行っているのか?
幾ら何でも、この島のナンバー2の者達の家にしては質素すぎるであろう。
子供ができれば、まだ小さい内は、共同浴場では何かと困るであろうし。
庭を見渡し、その風情やバランスを崩さない場所を探す。
・・家の裏手しかないか。
ちょうど、紫桜の屋敷と同じように、土塀の裏手が少し木の茂った空き地になっていて、その後ろが小山の斜面になっている。
まあ、文句を言われたら直せばいいだろう。
そう考えて、空き地の整地をしたうえ、土塀を10m程後ろにずらし、できたスペースの、トイレと反対側の場所に、家族3人が入れるくらいの風呂場を造ってやる。
湯船は檜にしてやり、子供が腰掛けて入れるように段差を設け、木製の椅子と桶、手桶を備える。
天井を高めにし、木造故に建物全体に防水加工を施して、お湯は紫桜の屋敷に湧き出る源泉を少し分けてもらう。
念のため、裏手の小山が崩れてこないように、その斜面に崩落防止の結界を施した。
ここまでの作業を3分でこなし、何食わぬ顔で、庭に面した縁側で月を見る。
程無くやって来た2人が、腰を下ろした場所のテーブルに、先程言った料理を並べて酒を出す。
「相変わらず便利だし、すごいご馳走だね」
「鯛の大きさが半端じゃねえな」
喜ぶ2人と共に席に着き、酒と料理を勧める。
「今日の酒も美味いぞ。
酒本来の色を保ち、熟成させることで味に深みを出している。
これは、その酒の中でも多くの愛好者がいる大吟醸だ」
料理を堪能しているあやめと源の杯に、なみなみと注いでやる。
「・・美味しい。
この間のも素晴らしい味だったけど、これもまた格別だね。
独特の後味がするよ。
何てお酒だい?」
「名前は・・志野が喜びそうな、”姫”という文字が入っているとだけ言っておこう」
「これも蔵に?」
「ある。
この酒は、熟成させて飲むものだから、蔵での貯蔵に向いている。
だが、生酒は冷蔵保管が鉄則だから、そういう酒の酒樽は、冷蔵保存の魔法が効いている。
触れば冷たいから、すぐわかるだろう」
「大吟醸はさすがに出せないけど、普通のお酒は、村の者にも分けてやっていいかい?
ここのところ、訓練にもよく参加するようになってきたし、頑張ってるみたいだしね」
「前にも言ったが、蔵のものは紫桜にやったものだ。
おまえ達で相談して、好きに使うがいい。
ただ、酒樽だけは、たとえ空になっても残しておけ。
後で使い道がある」
「わかった。
有難うね」
「そういえば、源、おまえ達の戦う姿に勇気を貰ったと、菊乃が褒めてたぞ」
先程から黙って飲み食いに専念している彼に、彼女の言葉を伝えてやる。
「ほう、そいつは嬉しい。
やっと俺も1人前になったってとこかな」
懐かしいことでも思い出しているかのような顔で、そう口にする。
「以前に何かあったのか?」
その表情が何となく気になった和也は、源に聴いてみた。
「・・俺の左目、火狐にやられた跡があるだろう?
これはまだ20歳を少し過ぎた頃の、青二才だった時の傷だが、その当時の俺は、訓練はしていても伸び悩んでいてな。
べつに焦ってたつもりはなかったんだが、思うように身体が動いてくれなくてよ。
案の定、その年の奴らとの戦いで、片目をやられちまったってわけさ」
「話の腰を折ってすまないが、なぜすぐ魔法で治さなかった?
紫桜はヒールが使えたし、彼女が幼かったとしても、誰かしら回復魔法を使えなかったのか?」
「雪月花という国はな、女以外には、日常生活に必要な簡単なものしか、魔法の習得が許されないんだ。
天帝が女しかなれない以上、その地位を脅かす存在を作れないようにするためだな。
そんで、この島に御屋形様と共に渡ってきた家臣達は、皆、妻と離縁してここに来ている。
流された住民を含め、満足に回復魔法を使える大人の女がいなかったのさ。
あやめや志野は、母親より父親に懐いていたからこっちに来たが、普通は、本国からこんな島に来たがる女はいねえよ」
「では紫桜はどうなのだ?
皇族なのだろう?
いくら祖父に懐いていたとはいえ、祖母や母親が許したのか?」
「・・姫様は、ちょっと微妙な立場にいなさってな。
お生まれになった時から、とても美しいと評判になり、年々それが顕著になるにつれて、天帝の家の者達から疎まれ始めたんだ。
次期天帝は、姫様こそ相応しいという声が、周囲から上がり始めていたからな。
まだ3つ4つの幼い子供だったが、頭もよく、魔法の才能もありそうな姫様を恐れて、いろいろと花月家に圧力をかけてきた。
顔も見たことのない相手と、無理やり縁談の約束までさせられそうになり、それを拒んだ御屋形様が、自分が去った後の姫様の境遇を心配して、一緒に連れて来たんだ。
母親は、姫様さえいなくなれば、天帝側からまたよくしてもらえると、むしろ喜んでいたくらいだからな」
「・・・」
「んで、姫様がヒールを独学で覚えなさった頃には、もうこの傷は治せなかったわけだ。
奴らの爪には遅効性の毒があるが、毒の進行がかなり遅い代わりに、なかなかにやっかいな代物みたいでよ。
ある程度の時間が経っちまうと、普通のヒールでは治せないようだな。
・・姫様が、御屋形様の毒を消そうと何度も何度もヒールをかけていた姿が忘れられねえよ」
「天帝とは、そんなに大層な存在なのか?
たかだか1国の王に過ぎないのだろう?」
「神が、この世を治めるために、お遣わしになった者の子孫だと言われている。
ホントかどうかわからんけどな」
「・・・。
口を挿んで悪かった。
おまえの話の続きを聴かせてくれ」
少し酔いが回ってきたような源に、続きを促す。
「ええと、どこまで話したっけな。
ああ、・・そんで、しょぼくれて、自信を失いかけていた俺に、御屋形様が言ってくださったんだ。
『源よ、”戦ってやる”、”守ってやっている”と考えている内は、己の本当の力は出せんぞ』ってな。
・・・そのお言葉の、真の意味に気付くまで、暫く時間がかかった。
翌年の、奴らとの戦いで、あやめが奴らに殺されそうになった時、初めて頭の中が真っ白になった。
考えもせずに、身体が動いていた。
それまでで最速の拳を、奴の顔面に叩き込んでいた。
・・その後は、無我夢中で戦ったことしか覚えていない。
あやめに指一本触れさせないために、全神経を奴らの動きに集中させていたんだろうな。
戦いが終わって、御屋形様に『よくやった』と肩を叩かれるまで、ただじっと、前だけを見ていた。
最前線で戦う、御屋形様達の頼もしい背中に励まされながら、ただ、あやめを守ることしか頭になかった。
同じ自らの意思でありながら、”守る”と”守ってやる”とでは、あんなにも差が出ることに気付かされたその後は、見違えるように身体の動きにキレが出た。
・・人が、1人では生きていけない理由とやらが、何となくわかった気がするのも、その時からさ」
酔いの回ったいい気分で、畳に横になった源に、風邪を引かないように、あやめが着物をかけてやる。
暫く無言で月を眺めながら、あやめのお酌で酒を楽しんだ和也は、彼女に礼を言い、草もちの土産を置いて、家へと帰るのであった。




