紫桜編その11
笑顔の絶えない食事が終わると、和也は、空いている広間まで自分を連れて行くよう頼み、3人とも付いて来るように言う。
案内された先程と同じくらいの広間の壁際に、紫桜のために買ってきた大振袖と帯、小物を出す。
着物専用に作られた、黒い漆塗りのハンガーにつるされたその着物は、部屋の中で一際存在感を放ち、見る者を圧倒するほどの迫力がある。
「これは紫桜へのプレゼント、つまり貢物だ。
こんな場所では、おまえ用の着物をあつらえるのは無理だろうし、あちこち探して、おまえに最も相応しいと思うものを買ってきた。
これだけのものになると、着こなせる者は少ないが、おまえなら見事に映えるだろう。
貰ってくれると嬉しい」
着物を前に、声も出ない3人。
やがて、ゆっくり近付いたあやめが、手を触れずに、着物の周囲を見て回る。
紫桜に相応しい、最も格が高いとされる染め抜き日向紋の五つ紋。
漆黒の生地を鮮やかに彩る絵羽模様には、朱色の鳳凰が描かれている。
最高の素材を用い、熟練の職人が、丹念に、丁寧に、着る者のために一針一針思いを込めて縫ったことがわかる作り手の思いの結晶。
検分を終えたあやめが、感嘆の溜息を洩らして告げる。
「これ程の品、本国の宝物庫にすらありませんよ」
紫桜は何も言わない。
ただじっと着物を見ている。
「・・もしかして、気に入らなかったか?」
あまりに静かなので、少し心配になった和也が尋ねる。
「・・・そんなわけないじゃない。
素晴らしい着物だわ。
一体どれ程の人の想いが込められているのかしらね。
・・素敵な美術品のように、いつまでもずっと眺めていたい。
そんな着物だわ」
淡々と、小さな声で、語るようにそう告げてくる彼女の声には、しみじみとした実感がこもっている。
志野も、一言も声を出さずに、遠くの景色でも見るような穏やかな眼差しで、着物を眺めている。
皆が気に入ってくれたことに安堵した和也は、部屋の反対側に、残りの物を出していく。
三つ紋入りの黒の留袖。
同じく三つ紋が入った、薄い青を基調にした色留袖。
それぞれの前に帯と小物を添える。
少し離れた場所に、100近い反物と、購入した全ての甚平を積み上げる。
最後に、紫桜用の大振袖の少し脇に、普段に着るための黒い振袖一式を出す。
こちらも、同じ五つ紋が入っているが、絵羽模様は鶴だ。
「黒の留袖はあやめに、色留袖は志野に、後から出した紫桜用の振袖は普段に着る用だ。
反物は、必要な物を除いて、村人に分けてやるといい。
甚平は男性用だ。
これも、源を含めた村の男衆に配ってやれ」
「・・あんた一体どんだけ財産持ってるんだい?
今まで貰ったものだけでも相当だけど、今回は洒落にならないくらいの額なんじゃないかい?
私達までこんなにすごい物貰っちまって、本当にいいのかい?」
あやめが呆然と聴いてくる。
「・・綺麗な着物。
私なんかにはもったいない。
これも姫様に・・」
志野が自分に贈られた色留袖を見ながら、そんなことを言ってくる。
「自分はつい先月くらいまで、金など持っていなかった。
自分1人では、金などいくら持っていたところで、意味などなかったからだ。
・・何かを贈りたいと思える、大切な人ができて、その者のために、自分ができる何かをしてやりたくて、そこで初めて、お金というものはその真の意味を持ち始める。
お金を稼ぐ間は、贈りたい相手がそれを受け取った時の笑顔を想像してより励み、目当ての品物を買えた後は、それを渡す時の場面をいろいろ考えて、己の心まで温かくなる。
自分への褒美として、あるいは他の誰かのために贈られる品物は、それが作られている間は、作り手らの沢山の想いと願いが込められ、商品として陳列されている時間は、それを手に入れたいと欲する者からの憧れと夢に磨かれ、買われた後は、買った者、贈られた者の思い出と共に、長い時を過ごしてかけがえのないものになってゆく。
・・自分は、あまり時間がなく、そういう楽しみを省いてしまったが、相手のために選ぶ際の気持ちだけは、十分に、込めたつもりだ。
紫桜だけが映えても、その両脇に控えるおまえ達2人が普段着のままでは、あまり見栄えが良くないし、何より紫桜が心から喜べない。
2人に買った着物は三つ紋だ。
おまえ達にしか着れないし、紫桜を命懸けで守り、育ててくれた2人には、十分、それを着る資格がある。
嫌でなければ、遠慮せず、貰ってくれ。
その4つの着物には、セルフ浄化と保存の魔法がかけてある。
汗や汚れも瞬時に分解、浄化されるし、不可視のシールドが、埃や虫を寄せ付けない。
過酷な環境でも生地が劣化しないから、収納にも困らないぞ」
選んでいた時のことでも考えているのか、穏やかな目で着物を見ながらそう告げる和也。
「・・お金や能力も凄いものを持ってはいるけれど、和也さんの本当に素敵なところは、こういう、人を思いやれるところだと、わたくしは、心からそう思います。
2人とも、遠慮せずに、有難く頂いておきなさい。
この着物には、彼の心が込められているのだから」
紫桜が、未だ躊躇していた2人にそう声をかける。
「・・御剣殿、お心遣い、有難く頂戴致します」
あやめが、普段は使わない、かしこまった言葉で、そう告げてくる。
「有難うございます・・御剣様。
大切に、使わせていただきます」
志野が、己の心を整理するかのように、これまでとは若干音色の違う声で、そう話す。
「そうか。
そうしてくれると助かる。
自分はこれで帰るから、3人とも、それを着てみるといい。
着物のサイズは、予めおまえ達の背丈を調べておいたので、ちょうどいいはずだ」
玄関先まで3人に見送られ、和也は帰って行く。
今日はまだ、やることがあった。
それから2時間後、和也はこの島に初めて来た日に立ち寄った、皆が訓練する広場まで来ていた。
赤い満月の日まで、あとちょうど1週間程。
訓練に熱が入り、皆、先日よりずっと真剣に練習している。
この間はちらっと見ただけだが、じっくり観察すると、いろいろ見えてくるものがある。
まず、訓練に参加しているのは86名で、この島の人口の半分以上だ。
先日は30名くらいだったから、あの時の3倍近くが訓練に参加していることになる。
子供や老人、病人を除けば、ほぼ全ての村人だろう。
それを4つのグループに分け、精鋭を除いた3グループは、それぞれ別のことをしている。
精鋭の次にくる戦力の者達は、お互いの対戦相手と切り結び、技の錬度を高め、実践の勘を養っている。
この者達は皆、先日も訓練に参加していた、黒装束の者達だ。
その次のグループからは、黒装束ではなく、普段着だ。
その中の1グループは、刃を潰した練習用の刀を、基本の型通りに何度も何度も振っている。
いわゆる、素振りだ。
もう1グループは、体術のような動作を何通りも繰り返している。
おそらく、後衛で、投擲などの攻撃を行なう役割の者達だろう。
女性や少年、少女が多い。
普段着の2つのグループは、上位2グループよりもかなり動きが鈍く、明らかに錬度が低い。
今まで訓練にろくに参加していなかったか、最近になって始めたようにしか思えない。
精鋭の6人は、それぞれ自分の訓練をしている。
源は刀を使わずに、空手と拳法が混ざったような、独特の動きを繰り返している。
拳と足のつま先に、鉄の錘のようなものを着けているが、実戦では、おそらく小さな刃がついたメリケンサックの類で殴る蹴るをして戦うのだろう。
あやめと志野は2人1組で訓練し、あやめが繰り出す槍を、志野が刀で往なしながら、懐に入る練習をしている。
喜三郎と影鞆は、喜三郎の居合いを影鞆がかわし、忍者のような多彩な攻撃を仕掛ける影鞆の連撃に、今度は喜三郎が刀で受け流す訓練を続けている。
菊乃は1人で、大小様々な大きさの的を上下左右に何箇所も設置し、素早く身体を動かしながら投擲を繰り返し、正確に的に当てる練習をしていた。
訓練の邪魔をしないように、隠密の魔法で姿を隠していた和也は、今回確認すべきことを自分の目で確かめた後、ゆっくりと家に戻って行った。
「今日は本当に有難う。
あの2人のあんな顔、初めて見たかも。
今までは余裕がなかったから、食べていくのに精一杯で、お洒落にまで気を遣えなかったけど、やっぱり2人もまだ若い女性だもの、あんなに綺麗な着物を着れて、嬉しさが抑えきれなかったみたい。
顔にはっきり出ていたわ。
あなたにも見せたかったくらい」
風呂にやって来た紫桜は、上機嫌でそう言ってくる。
「喜んでもらえたなら、何よりだ」
かけ湯をして、いつも通り和也の隣にぴったりと寄り添って座った彼女が、少し遠慮がちに言ってくる。
「ねえ、またあなたにお礼がしたいの。
・・目を閉じてくれる?」
「自分が好きでしたことだ。
気を遣う必要などないぞ」
「・・あなたって、他のことには気が回り過ぎるくらいによく気が付くのに、どうしてこういうことにはそんなに疎いの?
もしかして、わたくしを焦らして遊んでいるの?
あんまり焦らされたら、いくら貞淑なわたくしでも、我慢できずにこちらから襲ってしまうかもしれないわよ?」
紫桜が、呆れたようにそう言ってくる。
「貞淑という言葉は、自分の辞書では夫婦の間で使う言葉・・」
話の途中で彼女に右手を強く握られる。
「それ以上言ったら、あなた、このお風呂からきれいな身体で出られないわよ?
ああ、あなたは既に経験あるんだったわね。
・・源さんから小耳に挟んだけど、あなた、妻がいるのですってね。
どんな人?
わたくしより、ずっと綺麗な人なんでしょうね。
わたくしがこれだけ迫っても、全然その気にならないくらいだもの。
・・でも、御免なさいね。
わたくしも、もうあなたを逃がす気はないの。
この島の領主として、わたくしの死後に本国から誰かが派遣されないためにも、わたくしがここで子供を産む必要がある。
それがわかっていながら、今までは、どうしても嫌だった。
たとえ村の皆に迷惑をかけることになっても、好きでもない男に身を任せるくらいなら、死んだ方がましだもの。
あやめさん達も、それを理解してくれていたから、何も言わずにいてくれたの。
・・あなたを一目見た時、穏やかだったわたくしの心に、波が生まれた。
じっと見つめていると、それは嵐の時のように激しく揺れ動く。
ここであなたに裸を見られて、ちょうどいいきっかけができて、ずっとあなたを観察しているうちに、この短い時間でさえ、あなたはわたくしに、なくてはならない人になってしまった。
お金がある。
能力が高い。
そんなことは、あなたを語る上ではほんの些細なこと。
あなたの素敵な顔立ちは、いつ見ても、何度見直しても、わたくしを虜にする。
あなたの優しさは、何時でも、どんな時でもわたくしに笑顔をくれる。
あの夜、抱き締められた喜びが、力強いあなたの腕の温もりが、忘れられません。
どこの誰でもかまわない。
どんな人でもいい。
妻が何人いたって気にしません。
・・・抱いてください。
わたくしを、あなたの妻の1人に加えてください。
他にはもう、何も望みはしないから」
強く握られていた手は、いつの間にか、2人の絆を確かめるように、緩やかに指を絡められている。
紫桜の告白を聴いた和也は、暫く何かを考えていた。
紫桜自身も、和也が何かを答えてくれるまで、それ以上は何も言わずに静かに待っている。
源泉が湯船に流れ落ちる、その音だけが辺りを覆うように響き渡る中、やがて和也は口を開いた。
「あと1週間で、赤い満月の日がやって来る。
その時に、自分が誰かも、自分がここに来た理由も、誰に呼ばれたのかも、その全てが明らかになる。
自分の本当の姿を知ったその時の君に、もう1度だけその気持ちを確認するまでは、・・待ってくれないか?
君の気持ちを疑うわけではないが、己に自信が持てない自分は、それまではどうしても躊躇ってしまう。
・・だが、約束する。
君の気持ちを再度確かめた後は、その時でさえも君が望むなら、必ず君を妻に迎える。
自分の心に貯まり続けるこの気持ちの全てを、君にぶつけよう。
それで、どうだろうか?」
彼女の顔を見ず、星空に目をやりながら、そう答える和也。
ぴったりと寄り添っていた紫桜の身体が、何かに安心したかのように僅かに弛緩する。
「それでいいわ。
・・よかった。
嫌だと言ったら、ここであなたを無理やりにでも自分のものにしてしまうところだったもの。
逃げられたら、自害しようとも思っていた。
・・言っておくけど、本気だからね。
ここまで自分の心をさらけ出したのですもの、これで逃げられたら女の恥よ。
必ず、約束は守ってね」
「大丈夫だ。
自分を認めてもらえたのなら、君を拒む理由などない」
「じゃあ、約束のしるしを貰うわね」
紫桜が自分の上に乗ってきて、頬に手をあて、ゆっくりと唇を重ねてくる。
前回より長く、丹念に愛撫してくる唇を1度放して、言葉を挿んでくる。
「これからは、1日1度はこうさせてね。
1週間も待たせるのだもの、それくらいいいでしょう?」
切なそうな吐息と共にそう告げてくる彼女に、困ったことに、何も反論できない和也であった。




