紫桜編その9
「あの、御剣様でしょうか?」
日が沈むのが早くなってきた空が、だんだんとオレンジ色に染まり始める頃、1人の女性が声をかけてきた。
共同浴場に、ちらほらと人が集まり始め、いきなりできた養鶏場とため池を、離れた場所から覗き見る者達が出始める。
その女性は、そうした者達とは異なり、明らかに自分に用があるとでもいうように、まっすぐこちらに向かって歩いて来た。
30後半くらいの歳に見えるその女性は、和也の前まで来ると、そう声をかけ、こちらを窺うような視線を向けてくる。
「そうだが」
「私は菊乃の母で、綾乃と申します。
昨日は娘共々ご馳走になり、本当に有難うございました。
あんなに美味しいものを食べたのは初めてです。
今朝も、高価な卵まで頂いたようで、2人で喜んで食べさせていただきました」
もっと年配の人間だとでも思ったのか、声をかけたのが和也本人だとわかって、ほっとしたように話してくる。
「そうか。
喜んでもらえたようでなによりだ」
「昨日の朝から、あの子が見違えるように明るくなって、夜にお屋敷から帰ってきた時には、訓練に行くまでずっとあなたのことを話していました。
見知らぬ人には距離をとることが多い子ですが、あなたには随分懐いているようですね」
嬉しそうにそう言ってくる。
「年が近く見えるせいかもしれないな。
時に、あなたもお祭りに参加するか?」
「娘から聞いておりますが、あなたと握手をすると、景品を頂けるというものでしょうか?」
「そうだ。
旦那さんがいる人には、セクハラになってしまうかな?」
旦那という言葉に、一瞬、少し悲しそうな表情を見せたが、すぐに元の笑顔に戻して、尋ねてくる。
「セクハラ、ですか?」
「性的嫌がらせとでも言おうかな。
もちろん、そんなつもりはないぞ?」
「ふふっ、おかしなことを仰る方ですね。
こんな歳の女をつかまえて」
「何を言う。
とある世界では、あなたくらいの女性は、熟女というジャンルを確立していて、一部の男性達から絶大な支持を得ているのだぞ。
まだまだ十分、女性として、美しいさかりではないか」
「まあ。
お世辞でも嬉しいですわ。
・・それでは、お願いできますか?」
口元に笑みを浮かべ、子供の遊びに付き合うようなしぐさで手を差し出してくる。
和也は恭しくその手を軽く握り締め、その後、両手に石鹸とタオルを持って彼女に渡す。
「今回の景品はこれだ。
昨日、菊乃に持たせた物より、品質と素材が良い。
これから入浴するなら、是非使ってみるといい」
風呂に入りに来たようだが、昨日渡した石鹸とタオルを持っていなかったので、食材よりもこちらを渡してみる。
「よろしいのですか?
有難うございます」
かなり喜んでもらえたようだ。
「まだ4~5日はお祭りをやる予定だから、よかったら、明日もまた来るがいい」
「・・はい。
お言葉に甘えさせていただきますね。
それでは、失礼致します」
綾乃が去って、少しすると、今度は男が近付いてきた。
昨日の食事会にいた、喜三郎という男だ。
「昨晩は格別のご配慮を賜り、真に有難うございました。
母も大変喜んでおりました」
「そうか。
それは何より。
それで、おまえも参加するか?」
「・・いえ、私は・・」
「わかっている。
握手ではなく、じゃんけんで勝負だ」
「?」
「自分は”穢れし者”などではない。
普通の人間だ。
そう思うからこそ、ここで握手をして、結果的にそれを認めたかたちになるのが嫌なのだろう?
自分も、おまえ達が”穢れし者”だといっているのでは決してない。
そんなことはないと否定して、それを行動で示そうとしただけだ。
だから、じゃんけんで勝負だ。
おまえも剣術家の端くれなら、勝負の駆け引きくらい、わきまえているだろう?」
そう言って、にやりと笑う和也。
和也の心遣いを理解した喜三郎が言う。
「そこまで言われては、引き下がれませんね。
では、いざ、尋常に勝負!」
お互い腰だめに構えをとり、手を出すタイミングを探る。
「じゃんけん、・・ポン!」
喜三郎がチョキ、和也はグーを出す。
「くっ」
「まだまだ修行が足らんな。
顔を洗って出直してくるがいい。
・・これは残念賞だ」
和也が、お茶の葉の沢山入った袋を差し出す。
「母親に飲ませてやるといい」
敢えて年配の女性が好みそうな物を差し出す和也に、喜三郎は感激して頭を下げる。
「かたじけない」
「再戦なら、いつでも受けて立とう」
そう言って笑う和也に、もう1度頭を下げると、彼は去っていった。
その後、それらのやりとりを遠巻きに見ていた者達がぽつぽつと参加し始め、日が落ちて、和也が撤収するまでに、村人の3分の1くらいが参加したのであった。
その夜。
和也は、とある世界の森林地帯にいた。
この辺りは昔、林業が盛んな場所であったようだが、安い輸入材に需要を奪われ、森林保全のために間伐した木を大量に放出した結果、さらに木材の価格が下がり、高齢化で跡継ぎのいない者や、相続したはいいが、売るに売れず、手入れの費用すら出せない者が何もしないまま放置し始め、今では荒れ放題になっていた。
小さな町が3つか4つ入るくらいの面積がある森林に、和也は魔力を放出し、木材としての商品価値のない木を間引いていく。
そして、それらを魔法で小さな薪にして、数千の束にし、次々と収納スペースに放り込む。
途中で見つけた食用のきのこも、その根を傷つけないように採取し、貰っておく。
木材ときのこを貰ったお礼に、その場所の害虫駆除をしてから、元の場所に帰って行った。
「御免下さい」
夕食の時間を1時間程過ぎた頃、領主屋敷を訪れる。
呼び声に、食事中だったのか、僅かに遅れてあやめが顔を見せる。
「まともに挨拶できるんじゃないか。
これからはそう言いな」
「遊び心のないやつだ。
何事にも、ゆとりは大切だぞ」
「あんたがあたしの心のゆとりを奪ってるんだよ!」
「そう怒るな。
今日はいいものを持ってきた」
「何だい?」
「きのこだ。
紫桜と食べてくれ」
そう言って、1mくらいある大きなザルに、山盛りのきのこを渡す。
「それから、どこかに薪を置く場所はないか?」
「薪?
もしかして、森に入ったのかい?」
「いや。
紫桜との約束だから、ここの森には入らない。
よその場所で少し拾ってきた」
「助かるよ。
じゃあ、蔵の横にでも置いといてくれるかい?」
まさか数千もの束があるとは思ってもいないあやめが、そう答える。
「わかった。
今日はこれで帰る。
食事中にすまなかったな」
「姫様に会っていかないのかい?」
「ああ。
ではな」
和也は、4つの蔵の側面に、それぞれ200の薪の束を積み上げると、魚を獲りに海へと向かうのであった。
「何で顔を見せなかったの?」
もうすっかり2人の日課となった深夜の風呂で、紫桜は不満げに言ってくる。
「昼に見せたではないか」
「べつに何回見せたっていいでしょう?
わざわざ屋敷まで来たのだから、顔くらい見せなさいよ。
・・それと、薪、有難うね。
あやめさんがびっくりしてたわよ。
村人に分けても3ヶ月は持つって、かなり喜んでたわ。
森に入れないと薪にも苦労するから」
「今までどうしてたんだ?」
「嵐の後に川に流れてくる小枝を拾って、乾燥させて使ったりもしてるけど、ほとんどは本国から買ってるわ。
温泉があるから、お風呂を沸かすのに使わなくて済む分、かなり助かってるけど、やっぱりご飯を炊く際には必要だもの。
この島の人達が1日2食なのは、食料が十分ではなかったせいもあるけど、薪が足らなくて、煮炊きが頻繁にはできないせいもあるの。
これまでの本国との取引では、塩や醤油などの調味料と薪が、かなりの金額を占めていた。
それを今回、あなたが全て差し入れてくれたおかげで、来年分のお金がほとんど必要なくなったわ。
本当に有難うね。
石鹸も、あんなに沢山、とても良い物をくれたから、肌がいつもよりすべすべしてるの。
・・触ってみる?」
ただでさえ、ぴったりくっついて湯に浸かっているのに、わざわざ和也の耳元に口を寄せて、そう囁いてくる紫桜。
「折角だが、やめておこう。
それより、薪はまだあの10倍近くあるから、なくなったら補充しておく。
自分で各家に積んでやってもいいのだが、君から村人に配給するかたちをとった方が、何かと都合がいいだろうからな」
「何よ、意気地なし。
・・どうも有難うね」
先程とは、お礼の言葉の響きが大分違う。
「・・君はもっと己の魅力を自覚した方がいい。
自分でなかったら、男に襲われても文句は言えないぞ?
源とやらが心配するのも無理はないな」
「あ・な・た・ねえ。
今度そんなこと言ったら、思い切りひっぱたくわよ!!
あなた以外の男になんて、ろくに近寄らせもしないわよ。
裸で一緒にお風呂に入るのも、肌を直に触れ合わせるのも、口づけを交わすのも、全部、あなたとだけよ!!!」
もの凄い剣幕で怒られる。
「・・すまない。
自分は、またしても会話の選択肢を誤ったようだ。
自分が以前に女性の気持ちを勉強するために読んだ、とある世界の本では、思わせぶりな態度をとって、何人もの男性にいろいろと貢がせていた女性に思い切って告白した男性が、『何を勘違いしているの?鏡で自分を見たことないの?』と、随分ひどく蔑まれていたので、婦女子の態度に過度な期待はしないよう、常に己を戒めているのだ」
「・・・あなた、まさかそんな女と、わたくしを同一視しているわけではないわよね?」
「滅相もない」
紫桜から漂う、湯に浸かっているにもかかわらず底冷えのする冷気に、慌てて否定する和也。
「・・いいかげん気付いてよね。
わたくしは、貢物などくれなくても、いつでも差し出す準備があるのよ?
”あなたにだけ”の、無期限特別大奉仕なんだから」
溜息交じりにそう言う紫桜に、『何を?』とは、怖くて聴けない和也であった。
次の朝、昨日と同じ時間に菊乃を待つ。
やって来た彼女は、少し微妙な顔つきをしていた。
「そんな顔をして、どうした?」
「いえ、・・御剣様は、ご自分よりもかなり年配の女性がお好みなのですか?」
「なに?」
「・・昨日、母が入浴から帰ってきた時、かなり上機嫌だったので、どうしたのか聴いてみたのですが、その時に、御剣様のお話が出まして・・。
まだ十分美しいさかりだと言ってもらえたって、喜んでおりました。
訓練で汗をかく私が使いなさいと、自分の分の石鹸も使わずに、私のためにとって置いてくれた母から、とても良い匂いがしたので、それも尋ねたら、御剣様と握手して、高価な石鹸を頂いたって。
まるで、貴婦人を相手にするような扱いをしていただいたと・・。
・・御剣様は、年下の女性には、興味ありませんか?」
俯きながら、小声でそう言ってくる。
「・・君は何か勘違いをしている。
自分が女性を褒め称える時、常に性的視線で見ているわけではないぞ。
むしろそんな時は極々稀だ。
普段は相手に失礼のないように、そういった感情は全て除外している。
・・・女性の美しさは、なにも性的な魅力だけに限られるものではない。
その者の考え方、行動、生き方によっても、大きな差が出てくる。
若い者には、これから何色にも染まってゆける、若さ特有の瑞々しい輝きが、歳を重ねてきた者には、その年月の重みが生み出す、気品と落ち着きが、その者に様々な美しさを添えてくれる。
限りある命を持つ身であれば、与えられた時間の中で、その姿形を移ろわせ、変化させていくのはむしろ当然のこと。
故に自分は、どんな年代の女性に対しても、相応の敬意を持って接したいと考えている。
・・勿論、君に対してもだ。
それでは、駄目か?」
そう言って、菊乃の頭を優しく撫でる。
「・・御剣様のお国の人は、皆こんなに優しい方ばかりなんですか?」
大人しく頭を撫でられながら、菊乃が尋ねてくる。
「さあ、どうだろうな?」
今日の握手を、昨日の母親と同じようにしてやると、やっといつも通りの笑顔を見せて、やはり母と同じ景品を手に、彼女は帰って行く。
紫桜といい、菊乃といい、女性の心を本当に理解するのはまだまだ難しい。
つくづくそう実感させられる和也であった。




