紫桜編その7
「皆揃っているか?」
夕方の6時を少し過ぎた頃、和也は領主屋敷を訪れる。
「・・昼間と雰囲気が全然違うね」
あやめが奥から出てきて、真面目な顔で和也を迎え入れてくれる。
「自分なりに反省したからな。
もう2度と同じ轍は踏まん」
「・・あんた、どこまで奥が深いんだい?
正直、今のあんたには、私でも勝てる気がしないよ」
「・・大広間に紫桜を除いて5人いるな。
ちゃんと6人揃っているようだ」
心なしか冷や汗をかいているあやめの脇を通り抜け、勝手に皆がいる場所へと向かう。
大広間に通じる襖の前で立ち止まる和也。
後ろから付いて来たあやめが息を飲む。
和也の全身から、今にも溢れ出そうとする何かを、無理やり押さえ込もうとしているような、もの凄い気を感じる。
あやめが襖の向こう側に声を絞り出そうとするより早く、和也が口を開いた。
「どういうつもりかは知らんが、今はやめておけ。
”今日だけは”、自分はあまり手加減ができんぞ?」
「ひっ」
和也の全身から怒涛のごとくほとばしる殺気。
後ろにいたあやめが、恐怖で腰を抜かしそうになっている。
同様に、襖の奥からも、複数の人間が畳を這いずり回る音がする。
暫く待ってから、和也は襖を開ける。
そこには、正面の上座に青い顔をした紫桜が座り、テーブルを挟んだその左右には、同じように真っ青な顔を引き攣らせた5人の人物が、おとなしく正座していた。
「約束通り、夕食をご馳走しに来た。
もう、お遊びは済んだのか?」
紫桜のすぐ左前に座る源に向かって声をかける和也。
「・・お、おう。
もう、十分だ。
手間を取らせたな。
悪かった」
流石に精鋭と呼ばれる者達の筆頭だけあって、この短時間で、なんとか自分の放った殺気から回復している。
まあ、ほんの極僅かしか洩らしていないから、当たり前だろうが。
「すまん紫桜。
べつに皆を威嚇するつもりはたいしてなかったのだが、昼間に自分の犯した愚行に対する怒りが、未だ少し残っていてな。
ここに来ると、それを思い出してしまうのだ。
言った通り、ここには食事をご馳走しにきただけで、他意はない。
明日にはいつもの自分に戻っているだろうから、さっきの無礼は許してくれ」
「・・こちらこそ、皆が悪ふざけをしようとしたのを止められず、申し訳ありません。
わたくしとあやめさん達の話を聞いた他の皆が、どうしても、あなたの実力を知りたいと申しまして・・。
ご配慮、感謝致します」
紫桜が、膝に両手をついて、頭を下げる。
和也と、もう1人を除いた5名が、彼女にそうさせた責任を噛み締める中、和也は穏やかな、落ち着いた声で言う。
「自分に頭を下げる必要などない。
自分はおまえの味方だ。
どんなことが起ころうと、決しておまえにだけは危害を加えぬ。
だから、これからも、よろしく頼む」
紫桜が和也の顔を見る。
彼のその瞳は、一緒にお風呂に浸かりながら、手をつないで夜空を眺めた時と同じ色。
その表情は、昼に自分が抱き締めた、あの時の自らを責めるやるせなさを伴った、悲しみの色。
先程だって、わたくしはただ、他の人に向けられた気の余波に充てられただけにすぎない。
彼が自分に言ってくれた言葉は、そのまま、わたくしの思いでもあるのだから。
「こちらこそ、これからも”末永く”よろしくお願い致します」
そう言って、華がほころぶように笑う紫桜は、その場の誰もが心を奪われてしまいそうな程、可憐であった。
「それでは、改めまして、あなたに皆をご紹介致します。
まずは、こちらから、既にご存知の源さん」
紫桜の手のひらが、自分の右側の方を示す。
「藤堂源一郎だ。
うちの家は、本国では代々花月家の留守居役をしていた」
「その後ろが影鞆さん」
「初めてお目にかかります。
鬼塚影鞆です。
うちは代々、花月家御当主様の護衛任務を授かっておりました」
「その後ろが喜三郎さん」
「初めまして。
近江喜三郎です。
私の家は、名のある剣術道場でしたが、御前試合で対戦相手の皇族に父が怪我をさせてしまい、母と共にこの島に流されました」
男3人の紹介が済むと、今度は反対側の女性達を紹介する紫桜。
「こちらに移りまして、まずはあやめさん。
わたくしの身の回りのお世話をしてくださる方です」
「如月あやめです。
私の家は、代々花月家の女官長を仰せつかっておりました」
いつのまにか自分の後ろから移動したあやめが、まだ少し青白い顔をしながら丁寧に挨拶してくる。
「その隣は志野さん。
あやめさんと共に、わたくしの護衛をしてくれています」
「神埼志野です。
うちは代々、花月家の女寝殿警備を任されておりました」
彼女が1番ショックを受けているように見える。
自分を侮っていた分、他の者より衝撃が大きかったのだろう。
「最後に菊乃さん。
彼女は戦闘部隊では最年少ですが、とても努力家で、ぐんぐん腕をあげているんですよ」
「・・菊乃です。
私はここに流されてきた平民ですが、皆様のご厚意により、この場に加えさせていただいております」
先程、気を放つ際に、なぜかここに菊乃の気配があるのに少し驚いて、彼女の様子を探ったが、菊乃は悪ふざけには加わらず、自分の席で下を向いて座っていたので、彼女には障壁を張って、気を遮断してあった。
その分、他の者と違って直接のダメージは負っていない。
皆を止められなかった自分を恥じているようだが、彼女の立場では仕方のないことだ。
「まさか君がいるとは思わなかったが、・・ちょうどいい。
今宵はお腹一杯食べるといい。
遠慮はいらないぞ」
菊乃の顔を見て、優しく語りかける。
「はい!
有難うございます」
和也が怒っていないのがわかり、ほっとしている。
だが、なぜか紫桜が少し面白くなさそうな顔をしている。
「お知り合いだったのですか?」
「ああ。
偶然川原で会って、少し話をした」
「意外と、手がお早いのですね。
『わたくしには、何もしてこないのに』」
「この国では、話をしただけで手を出したことになるのか?
でもまあ、確かに手は出したな」
「!!!」
「頭を撫でただけだが」
そう言って笑うと、彼女からもの凄い目で睨まれた。
菊乃は恥ずかしそうに下を向いている。
「さあ、挨拶はこのくらいにして、食事にしよう。
皆、いつも満足に食べていないのだろう?」
「どんなものを出してくれるのか楽しみだぜ。
言っとくが、こう見えて俺はけっこう味にはうるさいぜ?」
「嘘お言いでないよ。
口に入るものなら何でも食べるじゃないか」
すかさずあやめからツッコミが入る。
大分落ち着いてきたようだ。
「大人たちの中で、酒が飲めない者はいるか?」
「酒があるのか?
こいつは楽しみだぜ」
源がかなり喜んでいる。
「皆飲めるみたいだな。
ああ、菊乃はまだ子供だから、他のものを出そう」
「え?
私、もう15ですが」
「・・そうなのか?
でも、いずれにしてもまだ早い。
その代わり、今まで飲んだことのないものを出してやる」
「本当ですか?
楽しみです」
和也は、紫桜とテーブルを挟んだちょうど対面に腰を下ろす。
未だに紫桜が少し睨んでいるが、大広間全体に浄化魔法をかけ、皆の服や手も綺麗に殺菌しておく。
それから、各自のテーブルの前に、木製の長方形の板と杯、醤油皿、菊乃と紫桜の前には、木製のコップも出現させる。
何もないところから、いきなり皿や杯などが出てきたことに、紫桜達3人の女性以外は驚くが、かまわずに料理を載せ始める。
まずは、タイ、ヒラメ、コハダ、ハマチ、サバの白身系から。
杯に大吟醸を注ぎ、菊乃のコップには、絞りたての100%オレンジジュースをついでやる。
板の端には、鋼鮫で擦り下ろしたわさびを添える。
「さあ、遠慮なく食べるがいい。
手で食べた方がいいな。
おまえ達の手は既に浄化してある」
「これは、・・もしかして寿司か?」
源がひどく驚いている。
他の皆も同様だ。
「そうだ。
やはり知ってはいるのか」
「ああ。
ガキの頃、たまに食ったことがある程度だが。
本国でも、かなりのご馳走の部類に入る。
・・いきなり出てきたが、これも全部魔法で転移してるのか?」
「企業秘密だ」
「企業?」
「商店という意味に近いな」
「おまえ、ちりめん問屋じゃなかったのかよ?」
「あれは挨拶の言葉だろう」
「はあ?
・・まあ、いいや。
姫様、どうぞ召し上がってください」
領主である紫桜が口にするまでは、誰も食べようとしない。
「ええ。
では、・・頂きます」
僅かに頭を下げ、3本の指を上手に使い、食べ始める。
「!!
美味しい。
すごく美味しい。
皆も食べて。
すごく美味しいから」
彼女の言葉に、それぞれが寿司に手を出す。
「・・これは美味い。
こんなの本国にもねえぞ」
「!!
本当に美味しい。
ただ魚を切っただけじゃないね」
「当たり前だ。
熟練の職人の技を参考にさせてもらった」
先日連れて行ってもらった寿司屋の職人の技を、仕込みに遡って拝見し、それをそのままトレースしているのだ。
もっとも、シャリの握り加減までは、彼らに遠く及ばないであろうが。
他の皆は一言もしゃべらず、黙々と食べている。
10貫の寿司がすぐになくなる。
つぎは、カツオ、アジ、ブリを出す。
もう、誰も話などせず、黙々と食べ始める。
さらに、本マグロの赤身、中トロ、大トロ。
おっと、ガリを出すのを忘れていた。
板の端、わさびの隣に一つまみ添える。
源がたまらず酒に手を出す。
「・・・なんだこれ。
本当に酒なのか?
こんな美味い酒がこの世にあるのか?」
源の反応に、菊乃を除いた他の皆も、思い出したように杯を傾ける。
上品な香り高さと、重すぎず、口の中をすっきりとさせる、極上の味わい。
「・・これ、何ていうお酒なんですか?」
余程気に入ったのか、志野が尋ねてくる。
「・・田んぼの酒の大吟醸だ。
米だけで作る、魚料理に適した銘柄だ」
「・・もしかして、蔵にあるお酒も?」
「全部が同じ銘柄ではないが、当然ある」
「菊乃、ジュースの味はどうだ?」
さっきから、無言で飲み食いに専念している彼女にも尋ねてみる。
「ジュースっていうんですか?
これ。
すごく美味しいです。
爽やかな酸味が、身体に染み渡ります」
「気にいったか?」
「はい」
しめにバフンウニ、イクラ、ネギトロの軍艦巻きと、煮アナゴを1本出す。
「これで、だいたい一通りだな。
あと、イカ、ボタンエビなどもあるが、今まで出したネタで、まだ食べたいものがあれば、遠慮なく言うがいい」
杯が空になる度に、その者に魔力で酒を注ぎ足しながら、和也は勧める。
「まだあるのか?
・・全部?」
「もちろんだ。
言ったであろう。
遠慮なく、腹一杯食べるがいい」
源が半信半疑で尋ねた言葉に、当たり前のように答える和也。
そこからは皆、満腹で暫く動けなくなるまで食べるのであった。
「とても美味しかったです。
こんなに美味しいものを頂いたのは初めて。
蔵への貢物といい、御剣殿には何とお礼をいったらいいか・・。
・・・つきましては、1つお願いがあるのですが」
食後に出したお茶を飲み終え、お腹が少し落ち着いた紫桜が、遠慮がちに言ってくる。
「蔵に入れた物資はおまえにやったものだ。
好きに使うといい。
・・村の皆にも、分けてあげたいのだろう?」
「!!」
食事中、皆喜んで食べていたが、時折、何かを考えている者達がいた。
おそらく、自分が食べている美味しいものを、他の誰かにも食べさせてやりたかったのだろう。
菊乃は母親がいると言っていたし、喜三郎という男もそうだ。
「自分がここにいる間は、海の魚など、いくらでも獲ってきてやるし、明日からは、村人にもちょっとしたイベント、お祭りの意味だ、を考えている。
・・ここはおまえが預かる島だ。
思った通りにやるといい」
「・・・有難うございます」
頭を下げる紫桜の目には、涙が少しにじんでいた。
お開きになり、和也は屋敷を出る前に、忘れていたことを思い出す。
「紫桜に土産だ」
そう言うと、彼女が座る上座の床の間に、100個の石鹸と、同数のタオルを積み上げる。
「それから、これは皆に」
6人の前に、今日食べた寿司ネタが全て入った折り詰めと、石鹸とタオルを2つずつ置く。
「では、またそのうちな」
そう言って、和也は自らにあてがわれた家へと帰って行った。
それから数時間後、和也が家で今後のことを考えていると、戸を遠慮がちに叩く音がした。
「御剣殿、おりますか?」
気配から、志野であることがわかる。
「どうした?」
和也が戸を開けると、何かを思い詰めたような彼女が立っている。
「中に入れてもらえますか?」
いつもは玄関先で用件だけを告げる彼女が、珍しくそんなことを言ってきた。
「ああ。
まだ何もないがな」
家に彼女を招き入れると、志野は、草履を脱ぎ、奥の部屋へと入って行く。
何をしたいのか訝る和也の前で、彼女は徐に着物を脱ぎ始めた。
衣擦れの音をさせながら、手際よく全てを脱いだ彼女の前で、呆然とそれを見ている和也。
「・・一体、何をしている?」
「あなたに抱かれに来ました。
初めてなのでよくわかりませんが、お好きになさって結構です」
目を伏せ、淡々とそう告げる志野。
訳が分からず、とりあえず、話をすることにする。
「いきなりなぜそんなことを言う?
ついこの間まで、そんなそぶりは見せなかったではないか」
「この島では、私達、姫様の側用人は、子供を作る義務があります。
姫様をお守りする、次世代の者を生む必要があるのです。
私達も、火狐と戦っている以上、いつ死ぬかわかりません。
そうでなくても、御屋形様のように、奴らの毒が身体に回り、満足に動けなくなっていく日もそう遠くはないかもしれない。
だからその前に、子を設ける必要があるのです。
・・今までは、私達に子ができて、その間戦うことができなければ、それだけ奴らを倒せる可能性が減るのと、あまり豊かではない状態で、姫様にご負担をおかけするのが忍びなく、控えておりました。
ですが、あなたがこの島にやって来て、食料事情は当面の心配がなくなりましたし、地下住居の完成の目処が立ちましたので、あやめさんとも相談し、2人でつくることにしました。
・・あやめさんには、源という夫がおりますが、私には決まった相手がおりません。
ですから、姫様にあれ程の笑顔をくださったあなたに、抱かれたいと思います。
あなたもお若いから、そういった処理が大変でしょうし」
あくまでも淡々と、感情を交えずにそう告げる志野。
「だが、君は自分のことを好きなわけではないのだろう?」
「そうですね。
もちろん嫌いではありませんが、今は好感が持てるという程度ですね」
「では、やめておこう。
君にもいずれ心から愛する者ができるかもしれない。
後で後悔しないためにも、その時まで、とっておく方がいい」
「・・据え膳食わぬは男の恥といいますが、こんな傷だらけの身体では、その気になりませんか?」
そう言われて、改めて彼女の身体を見る。
肌の至る処に、火狐のものと思われる、爪でひっかかれたような傷跡がある。
「そんなことはない。
君は十分に綺麗だ。
・・だが、やはり今はやめておく。
君も、あまり自棄になるな。
島の問題は、いずれ”必ず”、なんとかなるだろうから」
「・・その言葉を信じましょう」
暫く和也を見つめていた志野は、脱いだ服を着直すと、静かに家から出て行った。




