紫桜編その5
「約束通り、石鹸を持ってきてあげたわよ。
身体を洗ってあげる」
深夜、いつものようにやって来た紫桜は、昨日の不機嫌が嘘のようにご機嫌だった。
「随分機嫌がいいな。
何か良いことでもあったのか?」
「もうすぐ地下住居が完成するの。
住居といっても、今は只の洞穴でしかないけど、なんとか赤い満月までに間に合った。
これで、やっとみんなを匿えるわ」
「?
2年前くらいから隠してると聴いたが?」
「そうね。
今までは、病気や老齢で戦えない人達だけを隠してきた。
でもこれからは、元気であっても戦う力がない人達まで匿える」
「ここに来てから2年以上経つ元気な者は、強制的に戦わせるのだったな」
「ええ。
人が増え続ければ、それだけ納める火狐の数も増え、最前列で戦う源さんやあやめさん、志野さん達の負担が増す。
正直、納める火狐はそのほとんどを精鋭の6人で倒しているわ。
後列の人達も、一生懸命戦ってはくれるけれど、まだまだ、魔獣を倒せるような域には達していない。
源さん達が戦っている間に、別の火狐に前列を突破されて、毎年、4~8人くらいが彼らの餌になる。
その全ては、ろくに訓練にも参加せず、自ら戦おうとしてこなかった人達だけど、余裕がないとはいえ、やはり少しかわいそうだもの」
先日は、領主として割り切ろうと、努めて冷静に、犠牲者を自己責任だと切り捨てていたが、本心ではかなり辛かったようだ。
それを回避できる選択肢ができて、ほっとしている。
「今後は、戦うのが嫌な人や、その技量の劣る人は、畑仕事とか別の負担をより多く課して、生き延びさせることが可能になる。
皆が皆、戦闘が得意なわけではないものね」
「毎年どのくらいの者がここへ送られてくるのだ?」
「祖父が健在だった頃は、年に100名くらいはいたわ。
でも、強かった人達が皆亡くなってしまった頃から、少しずつ減ってきて、今は20名に満たないわ。
あまり人数を送り過ぎて、税を過酷にしすぎても、そのために皆が死んでしまって税を取れなくなったら、元も子も無いものね。
島に輸送に来る本国の役人に聞いたことがあるけど、残りは皆、鉱山送りだそうよ。
向こうでも死者が絶えなくて、人手不足みたい」
「島には今、何人くらいの住人がいるんだ?」
「全部で146人。
本来なら、税で5体、物資交換で2体いるから7体の火狐を倒す必要があるけど、2年前から20人以上隠して6体で済んできた。
今年はもっと隠して、5体で済むようにしたいわ」
「たいして変わらないように聞こえるが、火狐はそんなに厄介なのか?」
「ええ。
大きさだけでも2メートルくらいあるけど、爪に毒があるのと、大きさの割りに動きが素早くて、攻撃を当てるのにも苦労するわ。
普通の戦い方では、歯が立たないの」
この島に来た晩に見た、広場で訓練していた黒装束の者達を思い出す。
皆、腰を据えて切り結ぶというより、忍者のような動きをしていた。
あれは、そういうことなのだろう。
「・・そろそろ身体が温まったわね。
さあ、身体を洗うから、湯から出て」
「自分でできるが」
「いいから!」
渋々湯から出て、備え付けの小さな木椅子に腰掛ける和也。
脱衣所に戻り、石鹸を持ってきた紫桜が、その背中に回り、自らの手ぬぐいを泡立てる。
「じっとしていてね」
耳元で囁かれる声に、艶のような色を感じ、落ち着かない和也の背中を、彼女が丁寧にこすり始める。
「気持ちいい?」
「ああ」
背中を終え、両腕を洗い終えた紫桜が、そっと両手を和也の両肩に添え、頭をその背中にもたせ掛けてくる。
「どうした?」
「・・御免なさい。
まだほんの小さかった頃、時々、祖父の背中を流してあげていたのを思い出してしまって。
・・広くて、逞しい背中だった。
傷だらけだったけれど、痛くないのと尋ねたわたくしに、この傷の1つ1つが勲章なんだよって、穏やかに笑って、教えてくれた祖父。
・・身体がろくに動かなくなると、まるで迷惑をかけるのが辛いとでもいうように、あっという間にこの世を去ってしまった」
和也の肩に添えられた指先に、何かを耐えるように力が入れられる。
僅かに聞こえてくる、すすり泣きの音を背に、和也は、何も言うことができなかった。
水平線から太陽が顔を覗かせる頃、和也は1人、島の港付近に佇み、海を眺めていた。
といっても、べつに景色を楽しんでいたわけではない。
魚を捕るために、神の瞳を用いて海の中を覗いていたのだ。
昨日、女性に連れて行ってもらった店の寿司は、じつに美味かった。
江戸前寿司の店であったが、魚の新鮮さだけで勝負せず、どのネタにも丁寧な仕事が施されていて、職人の意気込みと誇りを感じさせられた。
海の側に暮らしながら、ろくに魚を食べられない紫桜達にも、腹一杯食べさせてやりたい。
理不尽な理由で不自由な暮らしを強いられながら、懸命に生きている者達に、明日を生きるためのささやかな喜びを与えてやりたい。
大陸周辺の海中を隈なく探索し、マグロやカツオ、ブリ、タイ、ヒラメ、アナゴ、ウニなどを見つけては、瞬間転移させ、購入した阿波尾鶏同様に眠らせたうえ、次々に収納スペースに放り込む。
全部で100匹程度を捕獲した後は、遠く離れた海の海水から1トンの塩を作り、自ら造った特殊容器に収めて、同じく収納スペースに放り込む。
海苔は買ってあるし、これで準備は整った。
島の中に戻りながら、紫桜が喜んでくれることを願う和也であった。
あの後、少ししてから泣き止んだ彼女は、無理やり笑顔を作ってごまかそうとしたが、見ていられず、思わず抱き締めてしまった。
驚きはしたものの、抵抗もせず、自分の腕の中でおとなしくしていた彼女は、やがで自らの両腕を和也の背に絡めてきて、暫く無言で抱き締め合っていた。
その後、冷えた身体を湯に浸かりなおして温め、共に風呂からあがるまで、お互いに一言もしゃべらなかった。
余計な言葉など必要ない。
湯に浸かりなおしている間、和也の隣に寄り添い、ずっと彼の手を握っていた紫桜も、夜空を眺め、穏やかな時間を楽しんでいた和也も、互いの心に芽吹いていたある感情を、より大きく育てるのに必要なこの時間が、心地よいと感じていたのだから。
「頼もう」
朝の7時、紫桜以外の皆が起き出して、それぞれの仕事や作業に従事し始めている中、和也は領主屋敷の扉を開ける。
和也の呼び声を聞いて、奥から出てきたあやめは、なぜか手に短刀を握っていた。
「何だい?
喧嘩でも売りに来たのかい?」
「なぜそうなる?
だいたい、ルール違反ではないか。
こういう時は『どうれ』と応えるのではないのか?」
「はあ?
こっちは朝から忙しいんだよ。
遊びたいなら余所でやっとくれ」
「自分を子供扱いするとは、見た目に反してそんなに歳なのか?」
「・・あんた、姫様からのご命令がなかったら、今頃死んでるよ?」
もの凄い目つきで睨んでくるあやめ。
「源という男もそうだが、おまえ達は短気でいかん。
やはり、カルシウムが足りていないのだな」
「カルシウム?
何だい、それ?」
「簡単に言えば骨だ」
「・・今、馬鹿にしたかい?
いくらなんでも、そんなものを食べるわけがないだろう?」
「落ち着け。
直接食べるわけではない。
・・それより、朝食の時間だというので、受け取りに来たのだが」
「いい度胸してるよあんた。
これだけ喧嘩売っておいて、そんなことが言えるなんてね。
ちょっと待ってな」
渋々、奥に取りに行くあやめ。
文句を言いながらも、きちんと渡してくれるあたり、根は優しい女性なのだ。
身寄りのいなくなった紫桜を、親の上官の娘だからといって、率先して育てられるなど、なかなかできるものではない。
ましてや、ろくに資源や食料のない中でなのだ。
「ほら、朝飯だよ」
戻ってきたあやめが、皿におにぎりを3つのせて渡してくれる。
「ここで食べてもいいか?」
「もちろん。
その皿はいいやつだから、大事に扱いなよ?」
玄関先に腰を下ろし、浄化した手で1つを手に取りながら、皿を見る。
「ほう。
いい柄だ。
古伊万里に少し似ているな」
「わかるのかい?
古伊万里とやらは知らないけれど、それは御屋形様がここにいらっしゃった時に、一緒に持ってきた物の1つなんだ」
「御屋形様?」
「姫様の祖父で、本国で皇族だったお方さ」
懐かしい、大切な記憶を思い出しているような顔でそう話すあやめ。
「とても立派な人物だったと聞いている」
「姫様からかい?
・・ああ、とてもお優しくて、心の広いお方だった」
「・・時に、ちょっと相談があるのだが」
食べ終えた皿を返しながら、そう口にする和也。
「何だい?」
「この島の、田畑に使用していない土地を勝手に使ったらまずいか?
できれば、400坪くらい売って欲しいのだが」
「土地?
何をするんだい?」
「仕事を始めようと考えている。
いつまでも施しを受け続けるわけにもいかないからな」
「いい心がけだけど、私の一存では決められないね。
姫様にお伺いを立てないと」
「お目通りをお願いできないか?」
「・・わかったよ。
昼過ぎにまたここに来な」
「有難う。
・・おにぎり、とても美味かった」
「そうかい」
そっけなく応えるが、満更でもなさそうなあやめを後にして、和也は、購入する土地を探しに歩くことにした。
散歩しながら、空き地を見て回る。
村人が少ない割には、かなりの面積が田畑になっているが、それでも、集落から離れるにつれて、所々、岩や雑草だらけの場所が現れる。
森を除いた、人が住む集落の大きさは、だいたい10km四方だが、その8割くらいは既に開墾され、残りを川と荒地が占める。
大体の目星をつけた和也は、川沿いの共同温泉の近くで腰を下ろし、景色を眺める。
川のせせらぎ、木の葉の舞い落ちる様、そして穏やかな木漏れ日をうけて、以前創った和笛を収納スペースから取り出す和也。
魔の森で演奏した曲とは異なる、四季の移ろい、自然の美しさと儚さをテーマにしたような、落ち着いた、一抹の寂しさを感じさせる曲を奏で始める。
細く透明な音色が、周囲の自然の音と結びつき、そよ風に乗って集落の方へと流れていく。
『ん?』
人の視線を感じ、笛を奏でながら気配を辿っていくと、少し離れた温泉施設の物陰から、少女が覗いているのが見えた。
粗末な和服を着た、13~14歳くらいの、おとなしそうな少女。
顔に見覚えがある。
確か、夜間の訓練で、大人達に混じって投擲の練習をしていた少女だ。
「どうした?
そんな所から見てないで、こちらに来ないか?」
演奏を止め、少女の方に顔を向けながら、怯えさせないように、努めて穏やかな声で話す。
声をかけられ、ビクッと身をすくませた少女は、逃げ出すかどうかの葛藤を終えたのか、恐る恐る言葉を口にした。
「近くに行ってもいいのですか?」
「なぜそんなことを聞く?」
「だって、私、この島の住人ですよ?
あなたは今まで見たことないから、たぶん、姫様のお客様でしょう?
穢れが移りますよ?」
「君は穢れてなどいないし、そんなものは移りはしない」
「・・本当にそう思ってるのですか?
なら、私に触れることができますか?」
「当たり前だ。
君さえよければな」
和也のその言葉を受けて、ゆっくりと近づいて来る少女。
自分に触れてみろとでも言うかのように、間近まで来て立ち止まる。
和也は徐に立ち上がり、その頭をゆっくりと撫でた。
優しく、丁寧に、心を込めて撫でていく。
頭を撫でられ、目を見開いた少女は、俯いたまま、暫くじっとしていたが、やがて、ボロボロと涙をこぼし始める。
溢れる涙を、両手で拭いながら、少女は泣き続けた。
「落ち着いたか?」
「はい。
・・御免なさい。
見ず知らずの方に、ご迷惑をかけてしまって」
「迷惑などではない。
少し、自分と話をしないか?」
「私でいいのでしたら」
「勿論だ。
君がいい」
2人並んで川岸に座り、話を始める。
「君はこの島に来て、どれくらいになるんだ?」
「もうすぐ3年になります。
・・3年と少し前、父が本国で盗みを働いたんです。
当時、本国の私の住む村では流行り病が猛威を振るっていて、多くの人が苦しんでいました。
薬はあったのですが、数が少ないという理由で、もの凄く値段が上がり、普通の人には手が届きませんでした。
私の母は、あまり身体が丈夫な方ではなく、その流行り病にかかってしまったんです。
咳がひどくなり、どんどんやつれていく母を見ていられなかった父は、ある晩、商人の屋敷に忍び込み、薬を盗んで母に飲ませました。
5日経ち、母が回復した頃、誰かの密告を受けて、父は捕まり、鉱山送りが決まりました」
流れ行く川を見つめながら、淡々と話をする少女。
心の内に潜む、悲しみ、怒りを無理やり静め、敢えて平静を保つことで、己を納得させようとしているように見える。
「君が穢れを必要以上に気にするのはなぜだ?」
「父が捕まった後、刑が確定するまでの僅かな間、私達は自分の家で暮らしていました。
それまで、極普通に挨拶を交わし、遊んでいた友達が、急に私を無視するようになり、近付くのを嫌がるようになったのです。
理由を聞くと、穢れを移されるからだと言われました。
お店に買い物に行っても、そんな穢れたお金では売れないと言われ、ろくにご飯も食べられない有様でした」
その時のことを思い出しているのか、拳を握り締め、必死に何かを耐えている。
「ここに送られてくる間も、お役人にさえ、直接触れるのを嫌がられ、木の棒で突かれながら、渡って来ました。
・・・私は、そんなに穢れていますか?
触れるのが嫌な程、汚いですか?
私が触ったものは、みな穢れてしまうのでしょうか?」
耐えきれなくなった少女が、再び泣き始める。
ジャッジメントで少女の過去を数年にわたって垣間見た和也は、その酷さに眉をしかめた。
道を歩けば、出会った者には縁起が悪いと顔をしかめられ、店で物を買おうと近付くと、露骨に扉を閉められたり、動物でも追い払うように、しっしと手を払われる。
分別のつかない小さな子供達からは、石さえ投げられていた。
和也は、少女の肩に腕を回し、しっかりとその心を支えてやる。
「自分が保障する。
君は穢れてなどいない。
汚くなどない。
繊細で、美しい心を持った、普通の人間だ」
「ううっ」
嗚咽を堪えようと、うめきを洩らし続ける少女の肩を強く抱きながら、和也は思う。
少女が流す、その涙を、自分は決して忘れない。
今はまだ、その時ではない。
だが時が来たら、絶対に容赦はしない。
紫桜の涙も、この少女のも、決して安くはないぞ。
少女が泣き止むのには、それから30分近くを要した。
「君にこれをやろう」
あまり人前で泣いたことがないのか、大泣きしたことを恥ずかしがり、和也の顔をろくに見ることができない少女に、和也は、黒い漆が塗られ、三日月の下で咲く鈴蘭の花をあしらった篠笛を渡す。
「凄く綺麗。
それに、かなり高価な物では?
私なんかに、こんな良いものは勿体無いです」
「君には、”なんか”などという言葉は相応しくない。
生まれや育った環境に負けず、懸命に努力を重ねることができる者は、もっと胸を張っていい。
たとえ本国とやらに君の味方がもういなくても、外の世界には、君が差し出すその手を、躊躇いなく握ってくれる者がいる。
相手の方から、笑顔で手を差し出してくる者がいる。
忘れるな。
自分も、その内の1人だ」
そう言って、少女の肩を強く抱いてやる。
「・・嬉しい。
入り口の門をくぐる時、生き残る以外の希望は捨てたはずなのに・・。
あの、もしよろしければ、お名前をお聞きしてもいいですか?」
「御剣和也だ。
君の名は?」
「菊乃と申します。
・・また、お会いできますか?」
「ああ。
もう暫くはここにいる。
それと、1つ忠告しておくが、君のような若い娘が、自分に触ってくれなんて、あまり言わない方がいい。
男の中には、変に勘違いする者もいるから」
「そんなの、分かってます。
あなただから、・・あんなに澄んだ、綺麗な音色を響かせるあなただから、そう言ったんです。
きっと、心まで美しい方だと思えたから」
はにかみながらそう告げた少女は、自分を安心させるように、和也にもたれかかって、川の流れを見つめていた。




