記念すべき最初の星にて、その4
エリカがその見張り小屋に到着した時、その男は城壁をじろじろと見回し、気のせいだろうが隠し扉の辺りを凝視していた。
その扉は、魔の森でしか入手出来ない貴重な薬草や調合の素材などを取りに行ったり、軍の精鋭が魔獣討伐に行く時以外は滅多に使用する事のないもので、開けるには王族の許可が必要であった。
当然、外からの進入を防ぐべく、幾重もの封印魔法が掛けてある。
開けられないだけではなく、普通なら見えもしないのだ。
考え過ぎだろうと、エリカは再度注意を男に向ける。
衛兵の言う通り、せいぜい18かそこらにしか見えないその男は、成る程全身黒ずくめの、人間族のようである。
試しに真実の瞳も使ってみたが、何も変わらなかった。
真実の瞳とは、精霊魔法の1つで、水の上位精霊の力を借りて、その者の本来の姿を術者の瞳に映し出す高等魔法で、エルフでも使える者が限られる、かなりの上位魔法である。
見ているだけでは埒が明かないと考えたエリカは、思い切って声をかけた。
「そこで何をしているのです?」
緊張していたせいか、いつもより厳しい口調になってしまった。
エリカのそのような口調を初めて聞いた周りの衛兵達も、少し驚いている。
だが、そんなエリカの口調にも拘らず、その男はまるで最愛の人にでも会ったかのような、とても嬉しそうな顔をして、エリカを見つめてきた。
男と眼があった。
この時の感覚の理由を、エリカは後になって納得するのだが、その時はその漆黒の瞳が、まるで全てを吸い込むような、何もかも見通しているような、得体の知れないものに感じられて眼を離そうとするが、一方で、とても温かく、自分に会えて本当に嬉しいのだという感情が伝わってくる、真摯なものでもあったので、結局、眼を離す事が出来ずに、そのまま数秒の時が流れた。
均衡を破ったのはエリカの方である。
「あなたはどなたですか?
魔の森を抜けて来たようですが、この国に何のご用でしょうか?」
少なくとも、男が自分に敵意を持ってはいない事が分り、エリカに若干ゆとりが生まれたせいもあり、物言いが、いつものエリカに戻っていた。
と同時に、男の姿を観察する余裕も生まれる。
身長は180cm程度、無駄な肉の一切ない、それでいて細さを感じさせない引き締まった体、眼と同じ漆黒の髪はサラサラで、眉にかからない程度の短さで自然に流している。
顔立ちは、エルフの自分達から見ても十分に整っているが、美形というより男らしさを感じさせるものだ。
そして、気負う所の全くない、緊張感に欠けるようにも見える自然体の雰囲気、それら全てが一体となって、不思議な魅力を醸し出していた。
今まで異性に対して何ら興味を示さなかったエリカであるが、その男には自分の琴線に触れる何かがあり、一時の会話だけでは物足りないと思う自分がいた。
どうしたものかと悩んでいた男にとって、その口調が例え厳しいものであっても、事態を打開する手掛かりとなる有難いものであった。
まして、これまでずっと自分が望み続けてきた、他者との会話の始まりであり、その相手は、自分の嫁になる可能性を持った(単に異性だから)、見目麗しい女性なのである。
嬉しくないはずがない。
自然とその感情が顔に出ていた。
男は、記念すべき会話の第一声を発すべく、これまで観察してきた様々な生命体同士の会話を検証し、最も無難と思われる答えを声に出した。
「怪しい者ではない。
自分は一介の旅人で、ここには何か仕事を求めてやって来た。
街に入ろうとしたが、入り口が見当たらないので戸惑っている」
全身黒ずくめで、普通の人間なら立ち入る事さえしない魔の森から、たった1人でやって来た人物としては、かなり説得力に欠ける答えであった。
森に面した城壁に入り口がない意味を考えず、魔の森を只の平凡な森としてしか考えていない男と、そうでない者達との間に生まれた、悲しい誤解である。
相手の表情に困惑が入り混じるのを見て取った男は、ベストと思えた回答が役に立たなかった事を知り、次なる手を打つべく、地球で初対面の者同士が頻繁に行っていた会話を試す事にした。
「今日は良い天気ですね」
結果は、更に困惑を深めただけだった。
自分の思うような会話が出来ない事に焦りを覚えた男は、切り札を出す事にした。
やはり地球で、様々な年齢層から支持を受けていたテレビという代物に映る映像の中で、とある老人が、自分の身元を尋ねられ、頻繁に答えていた台詞を口に出した。
「自分はさる国の、ちりめん問屋の隠居で・・・」
最早、お互いに何を言っているのかすら分らなかった。