紫桜編その1
セレーニア王国とは魔の森を挟んだ大陸の反対側、遥か西の地に、広大な海に浮かぶ大小4つの島からなる、四季の変化が織り成す美しい自然をもった国、雪月花はある。
その一番左端に位置する、およそ800平方kmの大きさをもつ瓢箪のような形をした島の、活火山の麓にある小さな集落の前に、和也はいた。
とはいっても、島に1つしかない港からその集落に向かうには、朱塗りの大きな門をくぐらなければならないが、その門は、外側から頑丈に鍵がかけられていた。
只の鍵ではない。
幾重にも、結界魔法がかけてある。
まるで、中にいる者を、外に出さないようにしているかのように見える。
門の上には、文字が彫ってある。
『ひとたびこの門をくぐれば、汝には一切の希望なし。
生きるも死ぬも、汝次第と知れ』
「どこぞの地獄のようだな」
苦笑いしながら門をくぐろうとした時、門の内側から、声がかけられる。
「入れねえよ。
見えねえからわからんかもしれんが、結界魔法がかけられてるからな」
声の主を探して、門の内側に生えている大木に目を向けると、そこに作られた物見櫓に、1人の男がいるのが見えた。
「本国からの連絡船はまだ先のはずだが、おまえ、何者だ?」
30前半くらいか、左目に眼帯をし、その下に、鋭い爪でひっかかれたような傷跡のある、体躯のいい男が、そう問いかけてくる。
「島流しの者じゃないようだが、それにしてはおかしな格好してやがるし、どっから来た?」
本人は、決して脅してるつもりはないだろうが、歴戦の戦士のような鋭い眼光と、全身から発する威圧感に、並の者なら竦み上がって、ろくに声もだせないだろう。
和也は、その男の身なりを観察する。
自分の格好を変だというその男のものは、とある星の和服と呼ばれる物とそっくりだ。
着流しではないので、甚平と言った方がより正確かもしれない。
ただ、髪型は、べつに髷を結っているわけではなく、ごく普通の短髪だ。
足下は、素足に草履のようなものを履いている。
見知らぬ国で、初対面の者と挨拶の言葉を交わすのは、エリカに次いで2度目の和也。
ここは最初からアレを使ってみよう。
セレーニアで、多くの者と言葉を交わした和也であるが、未だこういう挨拶は不慣れであった。
「自分は、さる国のちりめん問屋の隠居で、御剣和也という」
「・・いい度胸だ。
こっちが外に出られないと思って馬鹿にしてやがると、後で痛い目みるぜ」
和也の答えを聞いた男の顔に凄みが増す。
「べつに馬鹿になどしてはいない。
答えづらい質問をするからだ。
とりあえず、中に入ってもいいか?」
「はあ?
だから、入れねえって・・」
きりがないので、男の言葉を無視して門の扉を開ける。
「・・嘘だろ」
普通に扉を開けて、中に入ってくる和也に驚く男。
「驚く程のものか?」
男が櫓から飛び降りて、和也のもとにやって来る。
「・・ちょっと来い。
姫様に会ってもらう」
腕を取られそうになった和也が、反射的に避ける。
「てめえ、さっきから喧嘩売ってんのか?」
「勘違いするな。
手を取られるなら、婦女子の方がいい。
そう思っただけだ」
「けっ。
悪かったな。
むさい男でよ。
・・何でもいいから、ちゃんと付いて来いよ」
そう言うと、男は諦めたように前を歩き出した。
島の3分の2を火山とそれに伴う森林が占め、残された地には、大小の田畑と、その中に点在する木造の平屋造りの家が見える。
その数は、100に満たないであろう。
門から火山に向かって、大きな荷車が通れる程の広い道が、一直線に整備されている。
他の道は、田舎にありがちの、地形に沿った緩やかなカーブを描いたものばかりなので、この大きな道だけが人工的な感じを際立たせ、何かしらの違和感を見る者に与える。
昼間の時間帯だけあって、農作業をする者が多く、黒ずくめの洋装はもちろん、見知らぬ和也に人々の視線が刺さる。
整備された道を逸れ、わき道を右手に歩いて行くと、程無く、1軒だけ、他の家とは明らかに造りの違う、風格ある屋敷の前に着いた。
「おまえにはこれから、姫様に会ってもらう。
・・言っとくが、もし姫様に危害を加えようとしたら、その場で殺すぜ?
死にたくなければ、おとなしくしてろよ?
おら、腰の剣を渡しな」
「ずいぶん物騒なことを言う奴だ。
自分がそんなに危なそうに見えるのか?」
剣の鞘を外して男に渡しながら、文句をいう和也。
「おめえみてえなのが1番危ねえんだよ。
姫様を見た途端、その美しさにころっと参っちまって、すぐ手を出そうとするからな」
「案ずるな。
自分は妻帯者だ」
「関係ねえよ、そんなもん。
ほら、こっち来い」
屋敷を囲う土塀に作られた門を開け、玄関へと進み、その扉を開ける。
「おーい、誰かいねえか?」
男の声に、廊下の奥から、和服を着た20代後半くらいの女性が姿を見せる。
「あんた、前から言っているだろう。
ここは姫様のお屋敷なんだ。
もう少し言葉遣いに気をつけな」
「わかってるよ。
それより、至急姫様に会わせたい奴がいる。
お目通りをお願いしてくれ」
男の顔が真面目になったのに気が付いた女が、和也を見る。
「見ない顔だけど、どこから拾ってきたんだい?」
和也に視線を向けながら、あくまで男に尋ねる女。
「・・外から”門を開けて”入って来た」
「すぐにお願いしてくる」
女はそれだけ言うと、また奥に引っ込んでしまった。
「おら、こっちだ」
男は草履をぬいで上がりこむと、和也を手招きする。
通された先の、風情ある畳の部屋で、男と座って待つ和也。
その間、開け放たれた障子の先に見える景色を楽しむ。
四季の区別がはっきりしたこの国は、今、秋の終わり。
夏の強い日差しを浴びて色づいた木々が、その葉をゆっくりと散らしていく。
縁側付近には大きな池があり、色とりどりの錦鯉が泳いでいた。
時折、どこかで鹿威しの音がする。
「良い庭だな」
美しいものには賞賛を惜しまない和也がそう口にする。
「おめえ、わかってるじゃねえか」
嬉しそうに男が笑った時、正面の襖が静かに開かれた。
先程とは違う女性が襖を開いたその先に、御簾が掛かり、1段高くなった場所がある。
そこに、1人の女性が座っていた。
御簾の前のその両脇には、2人の女性が控えている。
一見、只の和服を着た若い女性達に見えるが、和也の眼には、その袖に短刀を隠し持っているのが映る。
「姫様の御前です。
頭をお下げなさい」
脇に控えた女性の1人から、そう告げられる。
こういう場面は、観察していたある星のテレビ番組でよく目にしていたので、堂に入った御辞儀を披露する和也。
「ほう。
無骨者かと思ったら、なかなかに礼儀を心得ておるようだな」
先程玄関先で会った、もう1人の女性が、少し感心したように言う。
「御簾を上げてください」
1段高い場所に座った女性から、2人に声がかかる。
「よろしいのですか?」
若い方の女性が確認するように尋ねる。
「かまいません」
1人が恭しく御簾を上げていく間、もう1人の女性が、いつでも動けるように戦闘体制をとる。
いつのまにか自分の後ろに控えていた男からも、殺気が漂っていた。
「面をあげてください」
上がりきった御簾の奥にいる女性の姿を見た瞬間、和也は、成る程、と思った。
年の頃は17か18くらい。
腰の少し上くらいまでありそうな、漆黒の、艶のある髪。
透き通るような色白の肌を、黒い振袖に包み、意志の強そうな瞳がこちらを見ている。
エリカが美の極致なら、この少女は、和の頂点とでもいおうか。
確かに、男が事前に自分に対して警告したのも頷ける。
「門をくぐってこちらにみえたとお聞きしていますが、本国の方でしょうか?」
少女が鈴のような美声で尋ねてくる。
「たぶん違う。
自分は本国とやらがどこかを知らない」
「本国をご存知ない?
・・ではなぜ、結界魔法を解除できたのですか?」
「解除などしていない。
普通に通って来ただけだ」
「・・どういうことでしょう?」
「自分には魔法が効かないからな」
「魔法が効かない?
・・一切の魔法が効かないのですか?」
「自分自身で己にかけるもの以外なら、そうだ」
少女が徐に片手を上げ、風刃の魔法を飛ばしてくる。
その魔法は、和也に届く手前で消滅してしまう。
少女が僅かに片方の眉を動かす。
今度はヒールをかけてくる。
それも、やはり和也を包もうとする直前に、消えてしまった。
「・・どうやら本当みたいですね。
・・あなたは、人間ではないのですか?」
「それは、・・難しい質問だな。
今は、ノーコメントということにしておいてくれ」
「ノーコメント?
どんな意味でしょうか?」
「答えたくないという意味だ」
少女を守る3人の殺気が膨らんでいく。
「では、質問を変えます。
あなたはどちらからいらして、ここには何をしにいらしたのですか?」
「それも答えるのが難しい。
最近までいた場所はセレーニア王国だ。
ここに来た理由は・・ある者に”呼ばれた”からだな」
「呼ばれた?
・・この国の者にですか?」
「そうだ」
「それは、・・どなたですか?」
「ノーコメントだ」
「お話いただかないと、牢に入ってもらうことになりますが、それでも?」
「それでもだ」
少女がじっと和也を見る。
その真意を探ろうとして覗いた瞳に、逆に引き込まれそうになり、慌てて目を逸らす。
「連れて行きなさい」
内心の動揺を必死に隠しながら、努めて平静を装い、目を逸らしたまま、事務的にそう告げる少女。
後ろから、男の手が和也の肩にかかる。
和也は、抵抗することなく屋敷から連れ出され、その裏手にある小山の斜面を刳り貫いた牢へと、自ら入っていった。
かなり汚れていたので、浄化の魔法をかけたのは言うまでもない。
「おめえ、男にしては随分魔力が強いな。
・・まあ、暫くそこでおとなしくしてな。
2週間もしねえで出してもらえるだろうよ」
和也の浄化の魔法を見た男は、驚きながらも、それだけ言うと、来た道を戻って行った。
「さて、少し様子を見るとしよう」
和也は、牢の壁に寄りかかり、目を閉じた。
「あの少年を、どう見ましたか?」
少女は和也が連れて行かれた後、自分を守る2人の女性に尋ねた。
「そうですね。
・・悪い者ではないのでしょうね。
彼からは、1度も殺気を感じませんでした」
「私もそう思います。
姫様を見る彼の眼には、邪なものがありませんでした。
ただ、隠し事が多すぎます。
警戒は必要かと」
「本国からの密偵ではないと?」
「・・それはまだわかりません。
黒髪、黒目は我が雪月花の特徴ですし、ここに来ていながら、本国を知らないなどとは思えません」
「そうですね。
いずれにしても、2週間後にはわかること。
彼には悪いですが、それまでは牢にいてもらいましょう。
今は彼に関わっている時間など、ないのですから」
月の綺麗な夜、時折吹いて来るそよ風に乗って、斬撃の音がかすかに聞こえてくる。
だが、何かに襲われているような怒声や悲鳴は聞こえない。
黙々と、ただお互いに剣を交し合うような音だけが聞こえてくる。
興味を持った和也は、そっと牢の錠前を外し、隠密の魔法で姿と気配を断って、歩き出す。
虫たちの奏でるのどかな音の絶えない田園を抜け、火山の麓近くにある、少し開けた場所に来る。
そこに、黒装束に身を包んだ、30名くらいの男女がいた。
全員、刃を潰した日本刀や短刀を手にして、剣の稽古でもするかのように切り結んでいる。
かなり身のこなしの軽い者達だ。
軽やかに走り、跳び、宙を舞って、様々な技で相手を攻撃している。
1年や2年で習得できるものではないことは、その動きや技の切れが教えてくれる。
クナイや小刀といった飛び道具を使い、的相手に励む少年や少女もいる。
誰も皆、真剣だ。
まるで自分の命が懸かっているかのように、必死に訓練している。
昼間会った男や女性達もいるが、姫と呼ばれた少女の姿はない。
一通り観察した和也は、また牢へと戻って行った。
「食事です」
鳥のさえずる木々の枝を通して差し込んだ朝日が、薄暗い牢の中を僅かに照らす。
1人しかいない牢の中で、背中を丸めて寝ていた和也に、女性が声をかける。
起きだした和也が、鉄格子の前まで行くと、その下に作られた小さな開き戸の鍵を開け、女性が食べ物を差し入れてくれる。
「有難う」
和也がそう声をかけると、その女性は意外な顔をした。
「一方的に牢に入れられた者にしては、随分と落ち着きがありますね。
・・まだ10代の少年のように見えますが、実は遥か東の国にいるというエルフ族のように、何百年も生きているのでしょうか。
・・それとも、すぐにでも出られるという当てでもあるのでしょうか」
自分を観察するかのようにじっと見てくる女性。
昨日も姫と呼ばれる少女の脇に控えていたが、まだ若いのに、それなりの地位にでもあるのだろうか?
興味を持った和也が尋ねる。
「君は、彼女の家来か何かか?
彼女の身内は他にいるのか?」
「・・そんなことを聞いてどうするのです?
ここに何をしに来たかは知りませんが、命が惜しいなら、あまり深入りしないことです」
そう言うと、女性は振り向きもせずに帰って行った。
差し出された食事を改めて見る。
海苔の巻いてないおにぎりが3つと、何かの漬物が少し。
昨日見た限りでは、それほど豊かでもなければ、貧しくもない、ごく普通の農村に見えた集落。
捕虜の食事としては、大分気を遣ってくれているようだ。
その1つを手にとって頬張りながら、これからどうするか考える和也であった。




