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創造神の嫁探し  作者: 下手の横好き


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エリカ編その31

 「フフッ、何か良い事がおありになったようですわね?」


和也が王宮の自分の部屋に入ると、仕事を終え、共に食事に行こうと待っていたエリカに、いきなりそう告げられる。


「また覗こうとでもしていたのか?」


苦笑交じりにそう和也が問うと、


「その仰りようは、まるでわたくしがいつも覗いているみたいではありませんか。

わたくしの名誉のために言わせていただきますが、あの時が初めてですし、今回も覗いてはおりません」


少し口を尖らせるような仕種をみせ、抗議するエリカ。

だがすぐに機嫌を直して、悪戯めいた表情で和也に尋ねる。


「またどなたかを妻にお迎えしたのですか?」


「・・・エリカ、おまえは自分のことを何だと思っている?

そんなに節操なしに見えるのか?」


「あなたが女性に対して手が早いかどうかはともかく、お持てになるのは事実ですから。

女性からの押しに弱いところも。

嬉しそうにされていたので、またお仲間が増えたのかと思いました。

何度も申しますが、わたくしは、そのことに喜んでいるのですよ」


「・・仲間が増えたというか、増えるかもしれない、というところだな。

将来的に、むこうにまだその気があれば、眷族の一員として迎える約束をした。

自分の居城のある惑星にな」


「ご自分の居城ですか?」


「そうだ。

エリカにはまだ言ってなかったかもしれないが、異空間に自分専用の惑星を1つ創り、そこに城を持っている」


「惑星というのは、この間、お母様達と一緒に見た星のことですよね?

あのような大きな星が1つ丸ごとあなた専用なのですか?」


「そうだ。

長く1人でいたからな。

自分の心を和ませてくれる、美しいものだけを集めて、気を紛わせていた」


「・・・今夜は、いつもよりじっくりと愛し合いましょうね」


慈愛に満ちた表情で、そう告げるエリカ。


「別に寂しくなんてなかったぞ」


「神だからといって、全てにおいて完全無欠である必要はありません。

あなたが長い年月で感じてきたもの、孤独に磨かれ、羨望に彩られたその思いこそが、あなたの限りない優しさの源泉なのですから。

神でありながら、人としての心の弱さも兼ね備えたそんなあなただからこそ、わたくしがあなたに、して差し上げられることがあるのですから」


和也の強がりを微笑ましく感じながら、エリカはそう言って、ベットを椅子代わりに座る和也の隣に腰を下ろす。

和也の首に、ゆっくりと両腕をまわし、その頭を抱き寄せるようにして、エリカは、和也を包み込むような口づけをする。

和也の唇に自身のものを重ね、吸い付き、その柔らかな舌で和也のものを割り割いて、熱い吐息と甘い唾液でもって、心ゆくまで和也の口内を堪能するエリカ。

数分後、名残惜しそうに唇を離すと、エリカの未練を代弁するかのような銀色の橋が、まだ離れたくないと2人の間を結んでいた。


「お母様達をお待たせしているでしょうから、続きは夕食の後に」


囁くようにそう言って、頷いて立ち上がる和也の腕に自身の腕を絡めると、2人で部屋を出て行った。



 家族揃っての晩餐。

あと何回できるかわからないけれど、自分の引継ぎの仕事と、身の回りの整理が終わるまでは、エリカは家族との時間も大切にしたかった。

責任ある立場と、忙しい職務を言い訳にせず、自分に惜しみない愛情を注いでくれた両親。

どんな時でも自分の意見と幸せを優先してくれた。

唯一の例外は、対外的にそうせざるを得なかったエレナの処遇くらいだ。

そんな両親を、エリカは心から信頼しているし、愛してもいる。

もっとも、和也の出現により、その順位が2番目になってしまったけれど、そんなの関係ない。

和也と両親とで囲む食事の席は、今のエリカの大のお気に入り。

たった1つの不満は、給仕の中にエレナがいないことだが、それすら和也様が将来的には何とかしてくださるだろう。

食後の紅茶を楽しみながら、たわいない会話に花を咲かせる。

他国の王族の接待などではうんざりするこの行為も、大切な人との間ならこんなにも心満たされる。

願わくば、わたくしがいなくなった後も、両親に、この素敵な時間が訪れますように。



 淡い月の光に照らされて、エリカと2人、心と身体を交し合う時間が過ぎて行く。

エリカとのそれは、エルクレール帝国が攻めてくる前夜の時を除けば、唯々お互いに、相手に自分の気持ちを伝える手段としての行為を、持てる最大の優しさと愛情でもって、幾度となく繰り返し、エリカの意識が途切れた後は、そのまどろみから解放された彼女の美しい睫が揺れ動き、和也の心にあらゆる色彩を添えるエメラルドグリーンの瞳が再び姿を見せるまで、腕の中に抱き寄せているというものだ。

この日も、夜空の星が2人に別れを告げようとする時分まで、お互いに相手を放さなかった。


「出かけてくる」


行為の余韻を楽しみつつ、眠りに落ちようとしていたエリカに、和也はそっとその頭を撫でながら告げる。


「朝食はいかがなさいますか?」


薄く開かれた瞼を通して、エリカが尋ねてくる。


「すまないが、3人で済ませてくれ」


「・・お土産は、美味しいパンでお願いしますね」


「なぜ判った?」


「こんな時間にお出かけなんて、場所は限られてしまいますから」


「他の女の所かもしれないぞ」


手玉に取られているようで、少し反撃を試みる和也。


「フフッ、まだそのような余力がお有りなのですね?

では、これからは今の倍、可愛がってくださいね?」


「・・・ほんの冗談だ。

昼食に、焼き立てを買って来よう」


冗談に聞こえないエリカの願いに、すぐに白旗を揚げる和也。


「意地悪したお返しに、あなたのベットにたっぷりと、わたくしの匂いを付けさせていただきますね。

他の女性を連れ込めないように」


「自分はそこまで勇者ではないぞ」


「?」


苦笑交じりにそう告げる和也の言葉の意味が、今一つわからないエリカであった。



 王宮を出て、地平線から顔を出そうとする太陽の光を薄く浴びながら、パン屋への道を歩く。

あのいくさの時、上空から見ただけであるが、迷うことはなかった。

市場の屋台とは少し離れた、住宅街の外れにある一軒家と作業場。

周りの家からは少し距離があり、作業場と思しき古びたレンガ造りの平屋の脇には、竈に使う薪が大量に積んである。

換気と明かり取りのための小さな窓からは、既に作業を始めているらしく、蝋燭の炎が淡く揺れ動いていた。

足音を立てずに、そっと近寄り、小窓から中の様子を窺う。

案の定、彼女が1人で一生懸命、生地を捏ねていた。

木製の大きな作業台は、長い年月を経て、使いこまれて磨かれて、良い味を醸し出している。

既に幾つものパンが焼かれ、広めの作業場に、香ばしい、いい匂いが漂っていた。

娯楽として取り入れた中でも、ものを食するという行為が殊の外お気に入りになりつつある和也は、その香りに我慢できずに、作業を邪魔しないように終わるまで待とうとした初心を見失い、情けなくも作業場の扉を軽く叩いた。


「誰?」


一心不乱に生地と格闘していた彼女が、びっくりしたように尋ねてくる。


「邪魔してすまない。

香ばしい匂いに我慢できなくてな。

できれば焼き立てを1つ、売ってもらえないか?」


時間が時間故、少し警戒するように薄く扉を開いた彼女は、声の主が和也だと知るや、勢い良く扉を開けて、その場で涙ぐんだ。


「こんなに早く、もう一度お会いできるなんて。

・・私のような者に、いろいろとお心遣いを頂いて本当に有難うございます」


両手を口元にあて、感激で声を詰まらせながら、言葉を搾り出す彼女。


「自分をそんなに卑下するな。

君の作るパンは、本当に素晴らしいのだから。

売ってもらえるか?」


穏やかにそう応え、先の問いに対する返事を伺う和也。


「どうぞ、お入りになってください。

1つと言わず、幾らでも差し上げます。

・・あなたは私の大切な、本当に大切な”お客様”ですから」


自分を室内に招き入れようとする彼女に対し、和也は自身に浄化の魔法をかけてから応じる。

この時代に、そこまで衛生面に気を配る必要はないが、ここは彼女の仕事場であり、食べ物を製作する場所なのだ。

礼儀として、そうする必要性を感じた。


「今、パンのお供に、お茶のご用意を致しますね。

何がよろしいですか?」


「紅茶があればそれで。

でも、作業中なのではないか?

あまり時間を取らせるつもりはないが」


「・・・そんなことを仰らないでください。

今の私には、このかけがえのない時間の方が遥かに大事なのです。

もうすぐ、エリカ様とこの国をお発ちになるのでしょう?

次はいつお会いできるかわかりませんから、せめて、今のこの時間を大切にしたいのです。

パンは後でいくらでも作れますから。

・・こんなことを言ったら職人失格でしょうか?」


自分の言葉が恥ずかしいのか、俯きながらそう言って、上目使いに和也を見つめてくる。

あまり人付き合いがないようだし、話し相手が欲しいのかもしれないな。

そう思い、和也は彼女の勧めに応じようとするが、作業台の上に、彼女がそれまで頑張って捏ねていた生地を見つけ、また、竈の近くには、焼かれるのを待っている幾つものパンの型を目にし、少しお節介をやくことにする。


「暫くこの部屋の時間を止める。

自分達の行動に影響はないが、部屋の内部にあるものには時の経過が及ばない。

パン生地も、焼くのを待つだけのものにも、全て今この時と同じ状態がずっと保たれる。

もちろん、部屋に流れる時間そのものも停止するから、何時間過ごそうが、自分が魔法を解除するまで時が進まない。

市場に行く時間に遅れないようにな。

・・これで、少しゆっくりできる」


和也が魔法を行使すると、竈の炎が動きを止め、立ち昇る煙が固まった。

それでいて、自分達は自由に動くことができ、お湯を沸かすことさえできる。

一体、どれ程の魔法が行使されたのか想像もつかないが、彼女にとっては、そのようなことは些事にすぎない。

今の彼女にとって、和也と共に過ごす時間ほど大切なものはないのだから。


 誰かと一緒にお茶を飲むなんて、両親と別れて以来のことだ。

私がやっと一人前のパン職人になって、独り立ちできるようになると、両親はさっさと他の国に行ってしまった。

どんなに努力しても工房の職人のようには扱ってもらえず、いつまでも軽く見られていることに嫌気がさしたのだろう。

私も誘われたが、あの時はまだ、外の世界に出る勇気がなかった。

人に認めてもらえなくても、自分が納得できるものを作れればそれでいいとも思っていた。

・・それから約10年。

両親の残した家と屋台を引き継ぎ、店主として人前に出るようになって初めて、彼らの気持ちが少し分かるようになってきた。

決して自分を褒めて欲しいわけではない。

でも、精魂込めて作ったものだからこそ、お客さんの笑顔や感想が欲しかった。

『美味しかった』の一言でもあれば、どんなに励みになっただろう。

だが現実は、『値段が高い』とか、『無駄に品数が多くて迷う』なんていうような厳しいものばかりだった。

もともとエルフ族は食が細く、食べ物にはあまり拘らない性質だが、私は、彼らは人生の何分の1かを損していると思っている。

仕事に疲れた時、温かい飲み物と美味しいパンで過ごす休憩時間は私の大のお気に入りだ。

焼きたての芳醇なパンの香りが鼻腔をくすぐり、その美味しさが疲れた身体に染み渡るあの感覚が大好きだ。

そんなささやかな楽しみでもって、何とかモチベーションを保っていたけれど、いいかげん心が乾いてきたそんな時、彼に出会った。

真っ黒な身なりで、近隣では見かけない漆黒の髪と瞳。

周りから奇異の目で見られることに少し寂しげな印象を受けた。

いつもなら、こちらからお客さんに声をかけたりはしない。

でもあの時は、不思議とそうするのが当たり前のような感覚を受けた。

実際、頑張って声をかけてみたら、気のせいかもしれないけれど、少し嬉しそうに見えたもの。


・・その後の、彼からかけていただいた言葉の数々を、私は決して忘れない。

消えかけていた私の心の灯火ともしびを、今まで以上に燃え上がらせ、くすんで見えた周囲の景色が、色鮮やかに、私に話しかけてきたあの時のことを。


・・そして、あの光景。

光輝く白銀の鎧を身に纏い、尋常ではない存在に思える6人の精霊達を周囲に侍らせながら、天高く、エルクレールの兵士達を見下ろすお姿。

あまりの神々しさに、無意識に跪きそうになるのを懸命に堪えながら、彼の勇姿を1つも洩らさないように瞼に焼き付けた。


さらには、全てが終わった後の、私に対するあの贈り物。

市場で少し話しただけの、取るに足らない平民の私に、あんな素敵な看板を描いてくださった。

まるで私の娘が(もちろん、私はまだそんな歳ではないし、恋もしたことのない私に、娘などいるはずもないが)、私の焼いたパンを嬉しそうにどこかに届けているような、そんな思いを抱かせる、温かな絵。

作業場に積まれていた金貨は、暫く使うつもりはない。

いつか、彼のために役立てられる時が来るまで、大切に取っておこう。

彼のために焼くパンに、もうお金など取れないから。

・・やっぱり、職人失格かもしれないわね、フフッ。

静かな室内でお湯の沸いた音が、私の意識を呼び戻す。

彼に美味しいパンを食べてもらわなくては。


 「お待たせ致しました。

紅茶は少し蒸らす必要がございますが、先にパンをお召し上がりください。

パンはこちらでよろしいですか?」


先日、彼にいただいたアドバイスを基に、木の実や果実を練りこんだ新作をいくつか作ってみた。

彼を自分が使っている休憩用の小さなテーブルに案内しながら、その中の1つをお出ししてみる。


「有難う。

幾らだ?」


「あなた様からお金など頂けません」


「精魂込めて仕事をされた物には、それなりの・・」


「それでもです!」


和也のお決まりの台詞を、いつになく強い口調で遮る彼女。


「・・すみません。

でも、これは私にとって、とても大切なことなのです」


外見からは少し意外に感じる程の強い口調で自らの言葉を遮られ、あっけに取られたような和也に、謝罪する彼女。


「お金を頂いてしまっては、あなた様は私にとって、とても大切な御方とはいえ、お客さんの1人になってしまいます。

今の私には、それが耐えられないのです。

店主とお客という、形式的な関係ではなく、もっと別の、特別の関係が欲しい。

例えば、あなた様を敬う信者とか、恐れ多くも、友人としてとか。

・・・私なんかでは、その、・・贅沢過ぎる望みでしょうか?」


普段あまり人と話さず、相手が和也だということもあり、緊張で、がちがちになりながら、俯いてそう告げる彼女。


「だがそれでは、自分が大量に君のパンを欲しい時、貰うのを躊躇ってしまう。

それと、自分のことを、”なんか”なんて言ってはいけない。

それは、自分の可能性と努力を、諦めてしまった者が使う言葉だ。

前向きに仕事に励んでいる君には相応しくない」


どう解決しようか考えながら、出してくれたパンを2つに割って、そのうちの1つを自分が作ったこの店のロゴ入りの袋の上に置き、残りにかぶりつく和也。

甘い蜂蜜と香ばしい木の実、果物の酸味がそれぞれを邪魔することなく口内に溢れ、外側はカリっと、それでいて中はもっちりとしたパンは、噛むごとに味が増してゆく。

しかも、焼き立てを、その場で頬張れるのだ。

食べるという行為の喜びを、美味しいパンと共に噛み締めていると、彼女が自分を、正確にはパンの下に敷いている袋を凝視しているのに気が付いた。


「どうした?」


「あの、その袋は、あなた様がお作りになったものですか?」


「これか?

・・そうだが、まずかったか?」


「いえ、とても素敵です。

もしかして、まだ沢山お持ちなのですか?」


「いや、必要な時にその場で作っているので、予備という意味では他に持ってないが」


「あの、でしたら、これからはパンの代金の代わりにその袋を頂けませんか?」


「それはかまわないが、それでは君の作るパンに釣り合わないだろう?」


「そんなことはありません。

ぜひ、お願い致します」


和也は少し考える。

当人がそれでいいと言うならとも思うが、自分が貰う量のことも考慮する。

1度に何十、何百と貰おうとした時、果たしてそれで彼女は大丈夫なのだろうか?

自分のように無からパンを作れるわけではない。

小麦、木の実などの材料、パンを焼くための薪などを自分で用意せねばならないし、何より、彼女がかける情熱と労力に申し訳ない。

・・・そうだな、あれならいいだろう。


「この袋が欲しいなら、いつでも欲しいだけ差し出そう。

だが、それだけでは駄目だ。

今後、長きに渡り、数え切れないほどのパンを貰うかもしれない。

だから、君には【豊穣の庭】の権利を与えよう」


「【豊穣の庭】ですか?

それは、一体どのようなものでしょうか?」


「君が望む時、いつでも、どこでも、目の前に扉が現れる。

効果の程は、実際に入ってみればわかるだろう」


そう言うと、和也は自分で扉を出現させる。

いきなり目の前に、銀色に輝く両開きの扉が現れ、驚く彼女。

和也に扉を開くように言われ、恐る恐る開けてみると・・・。

言葉がなかった。

扉の向こうに、別の世界が広がっている。

何処までも澄んだ青い空。

薪に最適の木々の林の側を、小さな川が流れ、仕込みに欠かせない清く澄んだ水が流れている。

林と川を隔てた反対側には、豊かな土壌の畑が一面に広がり、様々な野菜や果物が、今が食べごろの実をつけていた。

どのくらいの広さがあるのだろう?

住宅街全部より広いかもしれない。

中に足を踏み入れ、畑の野菜や果物を見て回る。

どれも見るからに美味しそうで、少なくとも、この国の市場などではお目にかかれないものばかりだ。

我慢できずに、その1つをもいで口に運ぶ。


『美味しい!!』


何これ、野菜がこんなに美味しいなんて知らなかった。

今度は見知らぬ果物に手を出す。

甘酸っぱい味と香りが口一杯に広がる。

・・世の中には、私の知らない美味しいものが、まだ沢山あるのね。

食べ物の美味しさが、身体に染み渡っていく。

ああ、この瞬間、私は生きていると実感できるわ。

両親の作ってくれたパンを初めて食べた時、美味しくて、自然と笑顔になった。

美味しいパンを食べていた家族みんなが笑顔だった。

やっぱり、美味しいものには人を幸せにさせる力がある。

あの人が言っていた通り・・・。

そこまで考えて、彼女は、その当人を置き去りにしていたことに気付く。

振り向くと、扉の入り口で、自分を優しく見つめる彼と目があった。

慌てて駆け戻り、お詫びする。


「すみません、つい、夢中になってしまって。

・・何ですかこれ?

俗に言う、楽園というものでしょうか?」


「いや、単なる君専用の食料庫だ。

その時君が欲しいとイメージする食材が、扉を開ける度に現れる。

何度でも、尽きることなく。

薪が欲しいと望んで開ければ、作る品に最適の火力や香りを出す木材が、薪となって積まれているだろう。

今は自分が考えた食材になっているがな」


興奮で、いつもの控え目な彼女からは想像もできない程、言葉に力強さがあるのを嬉しく思いながら、そう告げる和也。


「そんなことって・・。

・・・あの、本当にこれをくださるのですか?

パンの代金などではとても釣り合いが取れませんが」


「今後、どれだけ貰うか想像もつかないからな。

せめて、材料費だけは負担したい。

それに、何にどれだけの価値を付けるかはその者次第。

自分には、君の作るパンに、このくらいの価値はあるのだ」


・・嬉しい。

本当に、本当に、心から嬉しい。

自分を認めてくれる言葉を、一番かけて欲しい人から、直にかけてもらえた喜び。

駄目、もう我慢できない。

こんな素敵な贈り物を頂いた後でも、もう1度だけお尋ねしたい。


「私は、これから死ぬまでずっと、あなた様のためにパンを作り続けていきたいです。

できれば、あなた様のためだけに。

職人としては失格ですが、あなた様にだけ、他の人とは違う何か特別なことがしたいです。

・・私を、あなた様の信者の1人として、迎え入れてくださいませんか?」


先程の、高揚した気分から出た力強い言葉ではなく、拒絶されるかもしれない不安を抱えた弱々しい響き。

それでいて、その背後に並々ならぬ決意が透けて見える。


「・・・信仰とは、その者の内心の自由に関するもの。

自分にはそれをどうこう指図はできない。

それに、君とはそのような堅苦しい関係でいたくはない。

・・前にも言ったと思うが、美味しいものは人の心を豊かにし、疲れた者には一時ひとときの安らぎと、明日への活力さえも与えうる、素晴らしいものだ。

君の住むこの世界はまだ未熟で、世の中には、不安や苦しみ、悲しみが溢れ、人はその中で、何かにすがって懸命に生きている。

夢、希望、愛しい者達。

そしてもしその中に、美味しいものが加われば、それらはさらに輝きを増し、人に笑顔が増えるだろう。

大切な人にだけ特別に作る何か。

それは確かに必要だ。

だが、多くの人を笑顔にできる力のある君には、我のためだけではなく、この世界で歯を食いしばって生きている、弱き者、貧しき者にも手を差し伸べて欲しい。

精一杯努力して、明日への道を切り開いていく者達の、生き甲斐の1つとなって欲しい。

・・・これはあくまで我の願いであり、もちろん、君に強制できるものではない。

だから、君の望みを、我の願いと共に叶える道を用意しよう」


そう言って、和也がかざした右の掌に光が集まる。

やがてそれは小さな1つのリングとなって、和也の掌に納まった。


「このリングは我が眷族の証。

我と共に永劫の時を生き、我が居城への門を開く鍵。

君があと200年程、この世界のために働いてくれた後に、それでもまだ我のためにパンを作ってくれるという気持ちが残っているのなら、その時は喜んで君を眷族として迎え入れよう。

それでどうだろうか?」


「私をあなた様の僕にしてくださるのですか?」


「僕ではなく、我が星の住人、仲間としてな」


「・・・あと200年、これまで通りパンを作るだけでよろしいのですか?」


「それでもいいが、折角なら様々な料理や菓子なども手がけてみてはどうだろう。

そのためのレシピはこちらで用意するし、君の独創性を試してみるのもよい。

暑い夏には果物の瑞々しさが喉を潤し、寒い冬には手間隙かけた煮込み料理が身体をしんから温める。

親しき友との語らいや、気心知れた者との集まりでは、お茶と共に食べる甘い菓子類が、会話をさらに弾ませてくれるだろう。

食の世界は奥深く、様々な可能性と喜びに満ちている。

人には叶わぬ長き生を謳歌するのであれば、1つのことを極めたその先に広がる、新たな世界を旅し続けることもまた、選択の1つではないかと思う」


「200年・・あなた様を知る前の私なら、何てことのない年月だったでしょう。

ですが今は、その期間が果てしない時の彼方に感じられます。

けれど、その時間が私の、あなた様を思う心の証明になるというのなら、励んでみせます。

1人でも多くの方に、私のパンを食べていただけるように。

たとえ僅かでも、何かを感じていただけるように。

ですから、時が来たら、必ず迎えに来てくださいね」


「このリングは君の意志で発動する。

君がこの世界で、もうやり残したことがないと思えた時、リングに思いを込めれば、君の前に光り輝く扉が現れる。

それ以外では、君の生命を脅かすような状況に陥った時にも、同様の現象が起こる。

我の我が儘で徒に君を待たせるようなことはしない。

もし耐えられなくなったなら、いつでも好きな時に来るがよい」


彼女の不安を打ち消すための言葉をかけながら、その右手を取り、薬指にリングをはめる和也。


「そういえば、まだ名前も聞いてなかったな。

我は御剣和也。

君の名を、教えてもらえるか?」


「アンリと申します。

・・御剣様、私のご主人様」


至近距離から和也に見つめられ、白い素肌をほんのり朱色に染めてそう答えるアンリ。

最後におかしなことを言われたような気がしたが、気にせず言葉を付け加える。


「我がこれまで見てきた料理、スイーツのレシピを数百冊の本にして、このリングの中に入れておく。

リングに手を添え読みたいジャンルを念じれば、いつでも取り出せるし、逆に、収納もできる」


「スイーツとは何ですか?」


「こことは異なるとある世界で、君の様なうら若い女性を虜にしている、甘い菓子類の総称だ」


「御剣様もお好きなのですか?」


「・・君に授けたレシピは皆、これまで我が様々な世界で見てきたものの中で、自分でも食べてみたいと思えたものばかりだ」


アンリから少し視線を逸らし、気まずげにそう伝える和也。


『つまり、私に作って欲しいということですよね?』


「嬉しいです。

一生懸命練習しますね!」


満面の笑顔でそう告げてくるアンリを照れくさそうに見つめながら、自身が彼女のパンを分け与えた者達に思いを馳せる和也であった。



 ここで、彼女のその後についても少し触れておこう。

天性の才能に加え、和也という心の支えと、【豊穣の庭】という物的援助を得たアンリは、僅か数年で近隣諸国に名を馳せることになる。

そのきっかけの1つは、セレーニア王宮が、他国の王族や貴族を接待した際に、その会食や晩餐の席で、アンリの作ったパンやスイーツを出したことではあるが、何よりもその名を世に知らしめたのは、とある不思議な現象によるものであった。


 何時の頃からか、市場のアンリの屋台の前で、突然、何かに撃ち抜かれたかのように足を止める者が出た。

身なりも職種も様々なその者達には、1つだけ共通点があった。

まず、和也が描いた屋台の絵柄をまじまじと見て、次に、恐る恐る目当てのパンを注文すると、震える手を懸命に抑えながらその場でパンを齧る。

そして、暫く噛み締めた後、皆一様に静かな涙を流すのである。

活気溢れる市場の屋台街のその場所だけが、まるで時が止まったかのように静寂に満ち、旅人が流す涙を際立たせる。

そう、彼らは皆、和也によって救われた者達である。

本当に辛かった時、生死の境を彷徨った時、心からの願いが叶った時。

神による奇跡のその傍らに、数枚の金貨と共に控え目に置かれていた数個のパン。

溢れる涙と共に、がむしゃらに頬張ったそのパンの味を、忘れた者は1人もいなかった。

何処の誰が作ったとも知れない、決して華美な装飾など施されてもいない、一見何の変哲もない只のパン。

だが、噛み締める度に口の中に広がる旨み、その味と共に浮かんでくる様々な記憶や思い出、喜び、悲しみ、愛おしさ。

それら全てがパンの味を際立たせる。

神の恩寵を感じさせる。

それへと至るたった1つの手掛かりは、パンが包まれていた包装紙に描かれた、可愛らしいロゴの絵柄のみ。

かの者達は、その袋を大切に折りたたみ、肌身離さず持ち歩いていたのだ。

そんな彼らを見て、アンリもまた、目頭が熱くなる。


 自分の作ったパンの感想が欲しい。

そう思っていたことが、遠い昔のように感じられる。

私が真に欲しかったのは、そんなことではないと今ならわかる。

連綿と続く人々の営みの中で、決して出しゃばらず、ただ控え目に、その記憶や思い出に私のパンが寄り添えればいい。

それはどこか信仰にも似ている。

御剣様を想い、ただひたすらに生地を捏ねる。

それが他の人の幸せに繋がるというのなら、他に何も望むものはない。

私は今、とても充実しています。


『あなたが私に学んで欲しかったことは、求めていた道は、そういうことなのですよね、”和也様”?』



余談ではあるが、アンリの屋台で時々、一瞬で全てのパンが消えることがある。

偶然その場に居合わせた者達は、自分達がパンを買えないことを気にもせず、何処かの世界で違った意味で使われる、とある言葉を叫んだ。

神の奇跡を間近で見れた幸運と、この瞬間にも何処かで誰かが救われていることを意味して、誰が最初に言ったのかは定かでないが、彼らはこう叫んだ。


「GOD BLESS YOU !」


和也が誰かを直に助けた時に授けるパンの包装紙と、アンリの店用に渡すことを約束した物では、その絵柄が少し異なります。

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