エリカ編その27
セレーニア王宮内は静寂に包まれていた。
よりによって、最強種の1つと認識されている深緑竜の本気のブレスを、和也がまるで虫でも払うように片手でいなしたからだ。
流石に、和也が精霊王達を召喚した際は、居並ぶ重鎮達の中から、『何だあれは?』『見ているだけでもその力の凄まじさを感じるぞ』『只の人間にあのような者達が召喚可能なのか?』といった、驚愕とどよめきが起こったが、エリカが、『恐らく、世界を構成する6大精霊の、その王達でしょう』と呟いた後、皆一様にエリカの顔を見て、その顔が冗談を言っているものではない事を確かめてからは、各自の顔に浮かぶ表情こそ様々ではあったが、そこに現れているある種の諦めに似たようなものは共通していた。
即ち、最早、自分達には理解不能であると。
故に、その後、帝国の魔導砲が和也の直前で消滅しようと、7色の光の雨でエルクレール帝国の歩兵達を殲滅していこうと、ただ呆然と見ているだけであった。
皆が身動きもせず、天井のスクリーンを呆然と見つめる中、エリカだけは、とても誇らしげに、まるで、和也が戻ってきたらどんな事をしてあげようかとでも考えているような、魅惑的な笑みを浮かべていた。
「さて、一通り片付いたようだし、後始末をしておくか」
エルクレール帝国の歩兵達の中に、未だ立っている者がいない事を確認した和也は、先ず、まだ息のある、殺すまでには至らなかった者達を、まとめて帝国の城壁付近に転移させた。
自ら歩くには、身体的にも辛い上、帝国までは相当の距離がある。
途中にある、国境付近の砦でさえ無理だろうし、そこでは治療も儘ならないだろうとの判断からだ。
万を超える自国の負傷兵が、いきなり城壁付近の平原に姿を現した事に、門番を含め、見張りに付いていた兵達は腰を抜かす程驚いたが、それは和也が気にかける事ではない。
転移を見届け、負傷兵に1人の死者も出ていない事を確認すると、和也の意識は、眼下の平原で横たわる、数百の死者達に向けられた。
どれも皆、生前に人として許す事のできない行いをしてきた者達であるが、死んだ後まで辱めようとは思わない。
せめて遺体を処理し、その遺品は浄化した後、有効活用してやろう。
そう考えた和也は、未だに自分を称える歌を配下に歌わせている精霊王達に命じる。
「火よ、万物を滅し、浄化する炎よ、血に汚れた大地ともども全てを焼き払え」
和也の厳かな命令に、火の精霊王が右手を胸にあて、軽く頭を垂れて応えると、次の瞬間、曼荼羅の1つが輝き、上空にテニスボールくらいの火球が現れる。
それが、ゆっくりと落下していき、地表に辿り着いた瞬間、凄まじい熱量を伴って弾けた。
一瞬で、あらゆるものが消滅し、焼け焦げた大地だけが残された場所に向かって、和也は告げる。
「光よ、希望と幸福、転生の象徴よ、浄化されし魂を、世界を構成する魔素へと戻せ」
指名を受けた光の精霊王が、ドレスの裾を両手でつまみ、優雅にお辞儀する。
その曼荼羅が輝きを増し、焼け焦げた大地から、無数の小さな光の玉が浮かび上がって、ゆっくりと上空へと登って行くと、やがて空に溶け込んで消えていった。
「土よ、水よ、そして風よ、失われし命の息吹をこの大地に蘇らせよ」
各精霊王がそれぞれの仕種でその命に応え、曼荼羅の3つが同時に輝く。
それと時を同じくして、どす黒く炭化していた土が元の状態を取り戻し、そこから植物が見る見るうちに芽を出すと、それが有り得ない速度で成長していく。
作業の終わりを告げるかのように、その大地の上を一陣の爽やかな風が吹きぬけた時には、それまで以上に豊かな大地が、まるで、何事もなかったかのように広がっていた。
「こんなものだな」
結果に満足した和也は、自分を囲む精霊王達に労いの言葉をかける。
「お前達にも世話になった。
初めて人界で力を行使した故、今一つ力の加減が分からなくてな。
また何かあれば頼むとしよう」
そう言って、別れを告げようとした和也を、悲しげな声が呼び止める。
「お父様、私には何もお命じにならないのですか?
私は不要な存在ですか?」
闇の精霊王が、今にも泣き出しそうな表情で、か細い声で言葉を紡ぎ出してきた。
「そんな訳があるか」
まるで、愛しい我が子を見つめる父親のごとき眼差しで闇の精霊王を見ながら、穏やかに、和也は言葉を口にする。
「お前達の誰一人が欠けても、我の創造した世界は成り立たない。
我が世界を創造し、最初に作り出した知的生命体もお前達だ。
お前達が我を父と呼んでくれるように、我にとってもお前達は娘のようなもの。
大切に思っているし、その成長を喜んでもいる。
今回は、お前の力を借りる事がなかったが、実は1つ考えている事がある。
時が来たら、その件でお前の力を借りたい。
お前にしかできない事だ。
頼めるか?」
「はい、勿論です。
ご期待に添えるよう、全力を尽くさせていただきます」
和也の言葉に心から安堵したのか、最初の頃のような澄ましたイメージが薄れているが、それもまた、和也には微笑ましかった。
「お父様、今回の働きに対してご褒美を頂けませんか?」
闇の精霊王との一連の遣り取りを聞いていた光の精霊王が、悪戯っぽく口にする。
「何か希望する物でもあるのか?」
精霊王が物を欲しがるのを意外に思いながらも、可愛い娘に物をねだられた父親のごとく、嬉しげに尋ねる和也。
「はい、ございます。
名前が欲しいのです。
わたくし達皆に1つずつの、それぞれを表す固有の呼び名が」
「・・・すまなかった。
我が子のように思いながら、親として最も基本的な事さえしていなかった。
じっくり考えて決めたい。
少し時間を貰えるか?」
「勿論です」
その場で安直に思い付いたものではなく、自分達を大切な存在として、あれこれ頭を悩ませてくれるという和也に対して、嬉しく思わないはずがない。
それは他の精霊王達も同様らしく、皆一様に微笑んでいた。
「では、そろそろ失礼致します。
またお呼びくださる事を心から願っております」
そう言って、光の精霊王が優雅なお辞儀と共に曼荼羅の奥に消え去ると、他の者達も、別れの挨拶を残して次々に消えていった。
全ての精霊王が去り、自分の周囲に展開していた曼荼羅を消し去った和也は、もう1つ、やるべき事を思い出し、上空からセレーニア王国のとある場所を探した。
目的の場所は直ぐに見つかり、その資材置き場兼作業所に、鉄や銅、銀などのインゴットを積み上げていく。
帝国の死した兵達を炎で消滅させた際、その者達が身に付けていた装備品や貴重品の類は、和也によって1度、原子レベルにまで分解され、浄化された後、再びインゴットの形で再生された。
お金を除き、その全てをミューズの店の資材置き場兼作業所に積み上げた和也は、店の前で一心に自分を見つめる彼女を尻目に、店の、本来なら看板のある場所に、魔力で文字を刻んでいった。
『才ある者よ、己の全てを懸けてその道を進め。
もがき、苦しんだその先に、汝の求めるものあり』
文字の横には、2羽の白鳥が羽を広げて向かい合い、その首で、ハートの形を作ってキスをしている絵柄があった。
恐らくは、店のロゴであろう。
自分の店が魔力の光を帯びている事に気付いたミューズが振り返り、その変化に驚いている間に、和也は更なる目的地へと目を向ける。
仕込み途中の、まだ陽の射し始めたばかりの作業場にある、大きな木製のテーブルの一角に、魔力で作った紙に走り書きをして、帝国兵から徴収し、浄化したお金を積んでいく。
『これからも時々、パンを貰っていく。
これはその前金だ。
余った分は、君の判断で使ってくれて良い』
金貨にして数十枚はあるであろう、そのお金の下に敷いてある紙には、そう書かれていた。
更に、和也の作業は続く。
作業場の壁と、市場にある、彼女の屋台の目に付く所に、小さなエルフの女の子が袋一杯のパンを抱えて、笑顔を浮かべながら、よたよた歩いている、そんな風に見えるロゴを刻む。
店主である彼女達に無断で描いて申し訳なかったかもしれないが、文字通り、名もない店への、せめてもの贐のつもりであった。
ミューズ同様、店の変化に気付いた彼女が、自分から視線を外したその隙に、和也は王宮に戻ろうとして、未だ自分を見つめる、強烈な視線に苦笑いする。
彼女は自分を知らないはずだが、どうやらその魔眼で、自分の放つ魔力の波動に気が付いたらしい。
あの場にその痕跡でも残っていたのかもしれない。
無視するには強すぎる視線に根負けして、家の前で自分を凝視する少女に対して振り向いた和也は、自分に何か言いたい事でもあるのだろうかと、少女の心を探ってみる。
そして、直ぐに後悔した。
あろう事か、少女は自分を神として崇めようとしていた。
この国には神を敬うという概念がなく、世界的に見ても未だそうした行為が一般的ではないこの時代に、この少女はそれをしようと思っている。
鋼のごとき意志でもって、そう決めてしまっている。
少女の眼を治した時は、人並みの幸せを願ってそうしたつもりだが、何処でどう間違えたのか、随分厳しい道を選んだものだ。
溜息をつく代わりに、今の自分にできる精一杯の事、これからの少女の行く道の道標になればと、少女の手元に1冊の書物を出現させる。
『ある男の呟きの書』
表紙にそう書いてある書物には、以下のような事が書かれてあった。
親の職業に囚われず、自分の就くべき職業を、その地位と能力に応じて自由に選択できる事。
どちらかといえば女性の立場が強いこの世界で、男女は本質的には平等であり、お互いに助け合うべきである事。
国はその義務として、国力に応じて、子供達に対して一定レベルの教育を施すべきである事。
国民は、その所得に応じて一定額を税として国に納める義務を有し、国は、その一部でもって国民のための福祉政策や環境整備を行う責務を有する事。
他にも幾つもの条文らしき文章が書かれていたが、少女にはまだその意味が難しいものが多く、真に理解するにはあと数年を要するであろう。
神を崇めるための宗教書というより、国を良く治めるための治世の書にも見えるが、和也としては、自分を褒め称える文言よりも、こちらの方を優先して欲しかった。
因みに、この書物はその後、時々淡く輝いて、中の記述が増える事があり、それは少女にとって、最大の喜びであり、楽しみでもあった。
自分の手元にいきなり書物が出現したことに驚き、少女がそちらに気を取られた隙に、今度こそ和也は王宮へと帰還する。
今更ではあるが、王宮に帰還した事が人々にばれないように、自分の姿を上空で一旦消滅させ、王宮の謁見の間で再構成する、熱の入れようであった。




