エリカ編その24
確実にエリカ王女を手に入れるべく、持てる戦力の大半をこの戦に投入した私は、3隻の魔導船の内の旗艦から、セレーニア王国を眺めていた。
相変わらず、人と自然とが見事に調和した美しい国である。
小国ながら、芸術面では我が国が見習う点も多く、できればこのようなかたちで手に入れたくはなかったが、エリカ王女のためなら致し方ない。
兵士達には、エリカ王女は必ず無傷で、それ以外はなるべく被害を抑えて占領せよと申し付けてあるが、ここ最近の有様を見ると、少し軍紀に乱れが出ているように思える。
大国になればなる程、国を維持するために兵数が必要になり、当然、数を増やせばその質は落ちていく。
命のやり取りをする戦場では、兵士達にかかるストレスも尋常ではないので、あまり厳しくは取り締まらないようにしてはいるが、それにも限度はある。
この国を占領した後、その状況を確認した上で、一度、軍紀を引き締めた方が良いかもしれない。
そんな考えに囚われていた私は、轟音と共に王宮から天に向かって伸びる光の柱に、その意識を呼び戻された。
「何だあれは?」
初めて見る現象に、ただそう口にすることしかできない私を、新たな衝撃が襲う。
光が治まった空間に、黄金色の魔方陣の上に立つ、1人の男を認めたからだ。
こちらを背にして立っているので、その顔や表情まではわからないが、身に着けている鎧や風にたなびくマントからして、相応の身分の者であろう。
あのような者、この国にいたであろうか?
密偵からは何も聞いておらぬが。
どうやら、魔の森から襲ってくる魔獣達や、つい先程、こちらの視界に入った深緑竜をどうにかするつもりのようだ。
すでに、魔導砲のエネルギーチャージは完了しているとはいえ、切り札ともいえる魔導砲を、セレーニア王国ではなく、深緑竜のために温存せねばならなくなった状況を苦々しく思って見ていると、あろうことか、その男は深緑竜のブレスをまるで虫けらでも払うかのように片手でいなした。
深緑竜・・・それは、我が帝国においても第一級に指定されている要注意魔獣である。
本気で放ったブレスの威力は、山一つを吹き飛ばす程だと伝えられ、我が帝国でさえ、決してこちらから手を出してはならない相手だと認識している。
私がその深緑竜を前にして比較的落ち着いていられるのも、こちらには3隻の魔導砲があることと、深緑竜の狙いはあくまでセレーニア王国であるということが大きい。
その深緑竜が、本気ではないにせよ、放ったブレスをだ。
信じられない思いで呆然としていると、再び深緑竜がブレスを放つ気配がした。
今度は本気らしく、その全身が魔力で輝いている。
とっさに、全船にブレスの進路上からの回避命令を出したが、その男は何ら行動を起こそうとはしなかった。
そして放たれたブレス、前回とは比較にならない程の威力を持ったそれは、・・・またしても、男が片手間に差し出した掌に払われた。
・・・あの男はやばい。
あれは人ではない。
唯の人間があのブレスを片手で防げるわけがない。
深緑竜よりもまずあの男をなんとかしなければ。
そんな、かつて感じたことのない程の恐怖で思考が混乱していた私に、男はさらなる追い討ちをかけた。
男の周囲に、まるで男を守護するかのように現れた6つの円。
不可思議な紋様でつながったそれらの中から、6人?の女性達が姿を現す。
人のようには見えない、魔力か何かで人型をなしている彼女らの1つが輝いたと思うと、竜を簡単に引き裂く程の風刃?や、魔獣達によって踏み荒らされた魔の森を、魔獣達の傷を癒しつつ、完全に復元するような治癒術?を行使した。
未だかつて、人体以外を復元するような魔法を見たことはない。
そんなことが可能になれば、戦術上、いや、施政上でも利益は計り知れない。
セレーニア王国がいくら魔法に秀でた国といえども、そんなことができるとは到底思えない。
つまり、全てはあの男の力だということだ。
やはり、この戦に勝つにはあの男をどうにかしなければ。
「全船、全砲門開け。
目標、セレーニア王宮上空で停止している正体不明の人物。
魔導砲出力最大。
カウントダウン開始。
・・・3、2、1、撃て!!」
3隻の魔導船から、たった1人の男目掛けて最大出力で放たれたそれは、キーネルの期待を裏切り、男に届く直前で、きれいに霧散してしまった。
「なんだと!!
・・・一体何が起きた?」
キーネルの発した、最初の叫び、そしてその後の驚愕の呟きは、魔導船の乗組員全員の声を代弁していた。
今まで、エルクレール帝国の覇道を確固たるものにしていた魔道砲。
それが、相手に傷を付けることさえできずに消え去ってしまったのだ。
暫く、艦内は無言の静寂に包まれた。
「馬鹿な人達。
この世界の魔素が、お父様を害するはずがないじゃない」
「それも、わたくし達がいる前でね。
本当に愚かね。
これだから人間は・・・」
「でも、ちょうどいいわ。
これだけの魔素が集まっていれば、お父様を称える歌が歌えるわ」
「歌?」
「そう、歌。
あなたたちは知らないでしょうけど、わたくしは魔素の一部になってお父様を陰ながら拝見していた時に、お父様がメロディーを奏でるのを聴いたことがあるの。
すばらしい音色だったわ。
でも、あの曲は今のお父様を称えるには少し寂しすぎるわ。
だから、わたくしが、この場に相応しい歌を歌わせてよ」
水の精霊王が得意げにそう口にした瞬間、周囲に拡散した水の魔素が、水の精霊の力を借りて歌いだす。
爽やかな、清く澄んだ歌声が、和也を中心に流れ始める。
「ずるいわ。
わたくしだって聴きたかったのに。
でもそれなら、他の魔素もその旋律を覚えているはずよね?
・・・我が光の精霊よ、魔素を助けてお父様を称える歌を歌いなさい。
朝日に輝き、この世を隈なく照らす、偉大なるお父様を称える歌を」
命令を聞いて喜びに震えた光の魔素が奏でる、明るく、かつ、聖なる歌声が、水の精霊のそれとハーモニーを成していく。
「負けていられないわね」
「もちろん、お父様を称えることで負けるわけにはいかない」
「他の仕事を全て擲ってでも、これに賭ける」
水と光の振る舞いを見ていた他の精霊王達も、闇はその音色に荘厳な響きを加える低音を、風は軽やかさとしなやかさ、火はサビの部分の高揚を、そして土は重低音のアルトでもって、流れる歌に彩りを加えていく。
やがて1つの歌として完成されたその曲は、魔の森の周辺とセレーニア王国全土を包み込み、森の生き物は暫しその活動を止めて歌に聞きほれ、木々や植物、湖などは、まるで己が存在を確かめるかのように、その身に浴びるのであった。
その日、いつもより少し早起きした少女は、街の様子がおかしいことに気が付いた。
自分の目が見えるようになって、すっかり仲が良くなった両親の姿も見えない。
枕元に畳んであった服を手早く着ると、少女は家の外に出た。
すると、両親を含めた大勢の人々が、それぞれの家の前で、上空に映し出されたある映像を凝視していた。
誰も一言も喋らない。
身じろぎもせず、呆けたようにその映像だけを眺めている。
自分もつられてその映像に目を向けて、・・・視線が釘付けになった。
光り輝く魔方陣の上に立ち、周囲に相当な力を持った精霊達を従える1人の男、何より、その男が放っている魔力の輝きに。
それは忘れもしない、あの日、捜し求めた人のもの。
今も自分の瞼に鮮明に焼き付いている、鮮やかな魔力の残滓と同じ波動。
こみ上げてくる感情に必死に耐えながら、少女もまた、その光景しか目に入らない1人になった。
作業場の、小さな窓から差し込む朝日にその顔を優しくなでられて、疲れきっていたその女性は、重い瞼をゆっくりと開いていく。
ミューズである。
あれから、あの人に贈る、自分の最高の品を作るべく、寝る間を惜しんでモチーフを探していた。
あの人は、自分から優しさをもらったと言っていた。
でも本当は、自分こそが、久しく忘れていた人の温もりをもらったのだ。
2つのギルドに同時に入ろうとした途端、それまで親しかった仲間達は皆、自分に背を向けた。
自分の作品を取り扱ってくれていた商人にまで、無視された。
自分の作品を、自身が納得のいく人に売りたくて、その人の笑顔が見たくてした行動が、皮肉なことに、自分からその機会を奪ってしまうところだった。
あの人がくれたものは、それだけではない。
法外な価値を有する素材、その評価額を聞いても眉一つ動かさなかった、彼自身の信念に対する誇り。
私に才能があると言ってくれたその言葉を、確かなものとして受け入れられる彼の行動。
その全てが、今の私を支えてくれる。
眠気覚ましに紅茶でも飲もうとして、外の異変に気が付いた。
静か過ぎる。
いえ、何か歌声のようなものが聞こえる。
今まで耳にしたことのない、荘厳で、かつ心沸き立つような、何かを称える歌声。
本来なら、未だ見つからないモチーフ探しを再開するところだが、この時はなぜか、外の状況を確かめなければならないような胸騒ぎがして、入り口の扉に手を掛けた。
・・・そこで私が目にしたもの、その光景を、私は生涯決して忘れることはないだろう。
人には見えないその男性が、なぜか私にはあの人と重なって見えた。
俗に言う、神とでも表現すればよいのだろうか。
しかし、その言葉さえ、陳腐に思えてしまう程のインパクト。
探し求めていたモチーフが、私の永い人生の全てを賭けて取り組むべき課題が、決定した瞬間であった。
パン屋の朝は早い。
まだ薄暗い内に起き出して、前日に仕込んでおいた様々な生地と格闘する。
あの人に頂いた、心温まる言葉を胸に、最近は新商品の開発にも力を入れ始めた。
私の作ったパンが、いつかきっと人に笑顔をもたらす時がやって来る。
まだ実感はないけれど、そう言ってくれたあの人が、また買いに来てくれることを信じて、私はただひたすらに努力するのみ。
だって、私が誰よりも見たい笑顔は、あの人のものだから。
あの人のことを考えるだけで自然に笑みがこぼれる私が、竈に使う薪を取りに外へ出て目にしたもの、何と表現したらよいかわからないその光景を、私の命尽きるその時まで、決して忘れることはないだろう。
頬をなでていくそよ風が、あの人だと教えてくれたような気がした。
深緑竜の件に一区切りつけた和也に向かって放たれた魔導砲。
被弾する直前で周囲に拡散する色とりどりの魔素を眺めながら、和也はその意識をエルクレール帝国の魔導船に向ける。
切り札を使って何の効果も得られないことにショックを受けているのか、その後の動きはない。
視点を地上の軍隊に切り替える。
空中戦における味方の動揺をよそに、数万の軍勢が、ゆっくりとこちらに向かって移動してきていた。
まだこちらとは距離がある上、集団で移動してくる敵ほど殲滅しやすいものはないが、誰彼かまわず皆殺しにするのは自分の流儀ではない。
「あれを使うか」
和也の呟きに敏感に反応した精霊王達が、そのただならぬ雰囲気に居住まいを正す。
「人相手に我が力を使うのは無理がある。
少しおまえ達の力を借りるぞ」
そう告げるや否や、和也を取り巻く魔法陣と曼荼羅の輝きが一層強くなる。
「ジャッジメント」
今、人類史上初めての、神による審判が下されようとしていた。




