エリカ編その22
不眠不休で戦の準備の指揮をとり、怜悧な美貌に隠し切れない疲労の色を浮かべた女王のもとにその知らせが届けられたのは、開戦までもう間も無くの、居並ぶ重臣達に今まさに激励の演説を始めようとしている時であった。
「申し上げます!」
本来なら、女王がこれから大切な演説をするのを遮って、一伝令にすぎない兵士が自分の報告をすることなど許されるものではない。
だが、叱りつけようとした者達も、その兵士の浮かべる必死の形相に何事かと、皆、口を閉ざした。
「魔の森から多数の魔獣が押し寄せて来ております。
さらに、上空に竜と思しき姿が確認されております。
もう間も無くブレスの射程に入るものと思われます」
「なんじゃと!」
周囲の動揺は女王の発したこの一言に集約された。
「深緑竜のブレスの直撃を受ければ、魔法師団の半分を犠牲にして張り直させた障壁もそんなには持たん。
よりによってこの大事な時に。
・・・エレナか。
あやつがそこまでこの国を恨んでおったとは・・・」
だが、後悔するのも考えるのも後。
今は一刻を争うのだ。
そう思った女王は、すぐに指示を出す。
「残りの魔法師団を全て裏門に展開させよ。
少しでも長く障壁を支えるのじゃ。
民を犠牲にしてはならん。
マリー将軍、弓兵の部隊を城壁に集結させよ。
襲ってくる魔獣を障壁に近づけるでない。
将軍自身は歩兵部隊を率いて正門付近に陣を張れ。
こちらから打って出る必要はない。
あくまで防戦に徹するのじゃ」
正直、ただでさえエルクレール帝国との兵力差は約150倍。
相手の最大兵力30万に対して、こちらは2千足らず。
魔法師団が全員そろっても勝てる見込みはほとんどない。
あちらには魔導砲すらあるのだ。
そこへさらに深緑竜と魔獣の群れの襲撃。
居並ぶ重臣達の表情にも諦めの色が濃くにじみ出ている。
それでも皆、泣き言一つ口に出さないのは、ひとえに王家への忠誠、エリカを守るためという強い決意があるからだ。
その中で一人だけ、他とは異なる感情を持つ者がいた。
マリー将軍である。
小さな国ゆえ、将軍は自分1人しかいないが、それでも軍を束ねるトップとしての自覚と誇りは人並み以上にあるつもりだ。
今回の戦は、まず勝ち目はないだろう。
自分も死ぬに違いない。
軍人として生きると決めた時から、死ぬ覚悟はできているつもりでいた。
だが、和也に出会ってから、ほんの少し未練が残り始めた。
軍人ではなく、1人の女性として、和也に接したい。
異性として、人並みの経験もしてみたい。
そう思うようになった。
エリカ様に対する遠慮はもちろんあるが、ほんの少しくらいならと考えてしまうのだ。
でもそれさえも、今となっては叶いそうもない。
せめて、・・・もう1度会いたかった。
そんな気持ちを断ち切るように、静かに瞼を閉じたマリー将軍の耳に、この非常時にありながら、規則正しい、穏やかな靴音が響いてくる。
その足音は、まるで悲壮な決意をみなぎらせた王宮全体に響きわたるようでいながら、聞く者の心に、奇妙な安らぎと安心感を与える不思議な音色であった。
だんだん近づいて来る足音は、玉座の裏にある、王家の居住空間へとつながる扉の前で止まり、やがてその扉がゆっくりと開かれる。
皆が一斉に振り向いたその視線の先に、相変わらず緊張感のない、だがそれでいて見る者の心に畏敬の念を抱かせずにはいられない和也の姿と、その背後で慎ましく控える、近隣諸国に戦を起こさせる程の美貌を壮絶なまでに増したエリカの姿があった。
暫しの沈黙の後、初めての恋をして、その姿に艶と華やかさを増した娘をいとおしげに見ながら、女王が口を開く。
「2人の時間を楽しんでもらえたかの?
知っての通り、この国は間も無くエルクレール帝国との戦に入る。
おまけに先程、深緑竜と多数の魔獣が押し寄せているとの報告があった。
せめて、そなた達2人だけでも逃がしてやりたいが、それも無理かもしれん。
これからが楽しい時だというのに・・・すまんの」
娘に対する、今できる精一杯の愛情を込めた女王の言葉に応えたのは、エリカではなく和也であった。
「僅かな滞在の間に、この国は自分に様々なことを経験させてくれた。
何より、エリカという、かけがえのない存在を与えてくれた。
自分は今、この国を、この世界を本当に愛しく思っている。
故に、自分の大切なものを守るため、我が力の一端を示そう。
皆は戦に出る必要はない。
エリカとの有意義な時間を与えてくれた礼だ。
ここで休んでいるがよい」
普段の和也とは大分話し方が異なるが、そのことに誰一人違和感を感じない。
今の和也が醸し出す圧倒的な強者の雰囲気、その身体から溢れ出す膨大な力の波動に、皆、口を利くことさえできない。
唯一、エリカだけが和也の前に進み出て、全幅の信頼を乗せた笑みで言葉をかける。
「この国の未来、そのお力に託します。
民の暮らしを、その夢と希望を、どうかお守りください」
エリカの言葉に、柔らかな笑みでもって応えた和也は、ゆっくりと謁見の間の中央に進み出る。
そして腰の剣を引き抜くと、その足元の床に軽く打ち付けた。
刹那、和也の足元に黄金色の魔方陣が浮かび上がる。
その魔方陣から、光の輪が分離し、ゆっくりと、足元から和也の姿を変えていく。
「物質変換!!!」
「信じられん、そんなことが本当に可能なのか?」
和也の視線から外れたことでその圧力から解放された周囲の者達が、変わりつつある和也の様を見て悲鳴にも似た声を洩らす。
その視線は、光輝く白銀の鎧を身に付け、純白のマントと、目元と鼻を覆う白銀の兜を付けた和也の姿に釘付けだ。
力の行使に服装など関係ないのだが、以前とある惑星で観たアニメに感化された和也は、自分も1度、変身というものをやってみたかったのだ。
姿を変えた和也が、徐に天井を見上げる。
すると、天井の一部が消失したように、朝焼けの空が顔を覗かせた。
「行ってくる」
自分をうっとりと見つめるエリカに一言告げて、和也は上空へと飛び立つ。
一連の出来事をただ呆然と眺めていた者達に、エリカがまるで悪戯をする前の子供のような笑みを浮かべながら声をかける。
「折角の和也様の勇姿、是非この国の民にも見ていただきましょう」
そう言うや否や、和也が飛び立って元に戻った天井に、ワイドスクリーンのような映像が浮かび上がる。
同じ頃、外の様子が騒がしいことに異変を感じて起き出してきた人々の頭上に、突如、国を囲むようにして同様の映像が現れる。
その映像には、今まさにブレスを吐こうとしている深緑竜に、不敵な笑いを浮かべながら対峙する和也の姿があった。
この後、長きに渡り人々の間で語り継がれ、やがては神話としてこの世界に根を下ろす物語が今、始まろうとしていた。




