アリア編、その35
「はい、それまで。
ここまでにしておきましょう」
男性に稽古をつけていたエメラルドが、そう声に出すと、向こう側で同様に実戦訓練をしていたメイと女性も、各々武器を下ろす。
「それにしても、本当に強くなりましたね。
人間限定でなら、もうかなりのものでしょう」
ここでの訓練に参加して約4か月になるエメラルドは、この夫婦の頑張りを高く評価すると共に、彼らの今の実力を冷静に分析し、賛辞を呈する。
「御剣様のお陰です。
この9か月、普通の人間が出来る何倍もの訓練を積ませていただき、更に皆様のご指導を得てきた事で、やっと納得のいくレベルまで仕上げる事が出来ました。
心から感謝致します」
男がそう言って頭を下げると、その妻である女性も口を開く。
「本当に、夢のような日々でした。
美味しい食事にふかふかのベット、最高の温泉。
訓練による負荷がなかったら、とても現実とは思えません」
「あれだけのメニューをこなしておいて、そんな事言える人の方が少ないわよ」
笑いながらそう口にするエメラルドの顔が、一瞬で引き締まる。
「お見えになったわ」
丁度その時、和也がダンジョン内に転移してくる。
「・・仕上がったようだな。
どうだった、ここでの生活は?」
首を垂れて控えるエメラルドの脇で、同じように頭を下げる二人に、和也はそう問いかける。
「楽園を漂う、蝶のようでした。
数多の蜜を自由に味わいながらも、この暮らしは、今のこの瞬間は、もしかしたら夢なのではないかと・・。
普通の人間では得られない、平民では手の届かない暮らしを満喫させていただきました」
久々に和也に会った男が、本当に嬉しそうな顔で、そう答える。
「あなた、それでは御剣様には遊んでいたように聞こえてしまうわよ?」
女性の方が微笑みながら付け加える。
「ルビーさんやエメラルドさんの胸をお借りし、メイさんとレム君に鍛えられたお陰で、御剣様のご厚意に恥じない仕上がりになったと自負しております。
これで、何とかご恩返しが出来そうです」
「二人共、満足出来たようで何よりだ。
自分は君達のような、努力を惜しまない者が好きなのだ。
そして、力を手にしても、傲慢になって人を見下すような事をしない、弱かった頃の己を忘れず、力なき者達の目線でものを見れる者達が。
ついでに言うと、互いの伴侶を、心から大事に出来る存在がな。
・・君達を援助したのはそういう理由だ。
だから何の見返りも求めない。
これからは、己の暮らしを大事にしていくが良い」
「・・有難うございます。
でもそれでは、私達の気が済みません。
妻が今隣に居るのも、身に余る力を得られたのも、全て御剣様のお陰。
何でも結構です。
私達に、ご恩返しをさせてはいただけませんか?」
男の隣で、その妻も頷いている。
「そこまで言うなら・・そうだな、この村に住まないか?
住む家はこちらで用意するし、ついでに仕事を頼みたい。
二人一組でダンジョンAの迎撃要員になって、ルビー達を補助して欲しい。
エメラルドには、そろそろ別の仕事を頼みたいのでな。
老いて体力が衰えてきたら、実習用の校庭で、子供達に剣術を教えて貰いたい。
仕事の日でも、暇な時は、何をして過ごしていても良い。
給料は、家と食事を提供する代わりに、二人で月に銀貨150枚。
週休2日で、休みの日には、キンダルまでの転移魔法陣を開こう。
それでどうだろうか?」
「それはご恩返しと言えるのでしょうか?
こちらとしては、願ってもないお話ですが・・」
二人で顔を見合わせた夫婦は、遠慮がちにそう尋ねてくる。
「君達がここで暮らしてくれれば、その内子供も生まれるだろう?
それは村の繁栄にも繋がり、ジョアンナの生家の税収も増える。
自分としては、非常に助かる」
「・・では、お言葉に甘えさせていただきます。
正直、ここの温泉と食事は、他ではそう味わう事の出来ないものですから、名残惜しかったのです。
何から何まで、本当に有難うございます」
「あの時、命懸けで妻の為に戦っていた君を、自分は好ましく思っている。
そしてその後の姿勢もな。
今後の詳しい事については、村の名主に伝えておくから、彼から聴いてくれ。
それからエメラルド、後で話がある。
・・メイも頑張っているようだな。
家に、あとでパンを届けておこう」
「有難う!
この間のパンも、凄く美味しかった!」
喜ぶメイに、笑顔を返した和也は、また何処へと転移していく。
頭を下げながら、それを見送る彼女ら。
エメラルドが夫婦二人に声をかける。
「良かったわね。
あなた達の頑張る姿を、ご主人様はいつもちゃんと見てるわ。
私の代わり、宜しくね?」
和也の言葉に感極まっていた二人は、涙を堪え、ただ黙って頭を下げるのだった。
「はいこれ、頼まれていた本。
各2冊ずつで良かったわよね?
もう高等学校用の教材が必要になるなんて、随分優秀なのね。
幾つの子達だったかしら?」
先日、エリカがマサオとアケミ用に欲しいと言ってきた、歴史と経済、政治、算術用の本を、ヴィクトリアから受け取る和也。
「確か4人共、今は13歳くらいだと思う。
まあ、学べる時間が他より長いせいもあるが、確かにあいつらは優秀だ。
何れは王都で、専門学校に通わせても良いと考えている。
・・ところで、これは新品のようだが、図書館から借りたものではないのか?」
「最初だから、学校で使用している教材を用意したわ。
図書館の本を複製するなら、これを終えてからにした方が効率良いから。
そうすれば、あと3冊くらいで済むわよ?」
「そうか。
忙しいのに、手間をかけて済まない。
幾らだった?」
「もう、こんな事で、あなたからお金なんて取らないわよ。
キスの1つでもしてくれれば、それで良いわ」
そう言って自分に抱き付く彼女に、望み通りの支払いをする。
「でも、4人なのに、2冊ずつで良かったの?」
「ああ。
トオルとタエは、都会の学校へは通わず、村に残って家の手伝いをする積りのようだな。
宿屋がかなり忙しくなったお陰で、親だけでは人手が足りないらしい」
「ミレニーが社交界で自慢しているものね。
あのシャンプーは、貴族なら誰でも欲しがるでしょうし」
「有紗に頼んで、この星専用に、木製の容器と紙の詰め替え品を特別に量産させた甲斐がある。
『料金の代わりに、2日間寝室から出して貰えなかったが、今後を考えれば安いものだ』」
「そういえば、もう直ぐね。
あなたの妻全員で集まるの。
・・わたくし、見劣りしないと良いけれど・・」
「珍しく自信なさ気だな。
・・自分は美術品の類を集めているのではない。
女性にとって、容姿は関心の高い分野かもしれないが、自分に必要なのは、決してそれだけではない。
独占欲の強い自分には、何より向けられる気持ちが重要だし、それに自分の妻は、最高の名花揃いだと自負している。
気楽に楽しんでくれると嬉しい」
「・・有難う」
はにかんで笑顔を向けてくる彼女に、夜の順番待ちの予約を入れられてから、その場を辞する。
ダンジョンに戻り、子供達の教室の机に受け取った本を積み上げ、今度はエメラルドの館へと転移する。
自分を待っていてくれた彼女に一言詫び、早速話始めた。
「お前に新たに任せたい仕事とは、破落戸や魔物の収集だ」
「はあ。
・・生きたままですか?」
意外な事を言われ、きょとんとする彼女。
「済まん、説明が足りなかったな。
・・実は、ある事情があって、今のダンジョンCに入れる魔物や罪人の数をかなり増やしたい。
自分が地道にやっても良いのだが、今後も何かと忙しい上、他の星での役割もある。
それに、あそこに容れるもの達は、誰でも良い、どれでも構わないという訳にはいかない。
人として許せぬ行いをした者、理性を失い、無差別に攻撃してくる魔物などに限られる。
故に、根気よく、ある程度継続して探す必要があるのだ。
その役を、お前に頼みたい」
「この大陸の地下迷宮でですか?」
「いや、この世界全体でだ」
「・・2つ程お尋ねしても宜しいですか?」
「ああ」
「先ず、私の顔は、既にエスタリアでは割れております。
あそこで狩りをすれば、直ぐにまた追手がかかるでしょう。
それを排除しても宜しいのであれば、問題ありませんが」
「お前にこの仕事を頼んでいる間は、幻影の魔法を掛けておくので心配はない。
その間は、自分達、お前の仲間以外には、全くの別人に見える。
自分が魔法を掛ける以上、真実の瞳など、如何なる判別魔法も効果がない」
「成る程。
では2つ目。
そのお仕事は、どのくらいの期間、どれ程の数が必要でしょうか?
仕事中は、ここに戻って来てはいけませんか?」
「期間はとりあえず30年。
数は多ければ多い程良い。
勿論、何時でもここに帰って来て良い。
良い仕事をするには、適度に休む事も必要だ。
その辺りは、お前の判断に任せる」
「あの、追加の質問で申し訳ありませんが、ダンジョンCはそんなに大きいのですか?
幾ら内部で殺し合うとはいっても、30年も収容し続ければ、相当な数になりますが。
向こうから勝手にやって来る者もいるのですし・・」
「まだ言ってなかったが、ダンジョンCは生きている。
最初に自分が与えた魔力とコアを基に、日々成長しているのだ」
「生きている?
ダンジョンがですか!?」
「明確な意思はないから、正確には作動していると言った方が無難だな。
機械の如く、ある一定の作業をひたすら繰り返しているのだ」
「参考までに、どんな事をしているのかお聴きしても宜しいですか?」
「ん、興味あるのか?
・・所持金のある者が入れば、死んだ後、その全額がルビーの館にある宝箱に入る。
一定以上の性能を有する防具や武器は、基本的には宝箱の中身となって、ダンジョン内の何処かに出現する。
それ以下は吸収され、構造の維持に使われるな。
人や魔物が死ぬと、1日程度で内部に吸収され、ダンジョンの養分となる。
そこで使用された魔法は内部の魔素を高め、それをコアが吸収しつつ、ダンジョン維持に必要な、様々な措置を取る。
例えば、ダンジョンに必要な高位の魔獣の餌が足りなくなれば、ゴブリン等低級の魔物を自動的に生み出し、その餌にさせるのだ。
自分もある程度定期的にコアに魔力を与えているから、今ではかなりの大きさ、広さになっているはずだ。
あそこの内部はお前達の居住区同様、異空間に繋がっているから、好きなだけ拡張出来るのが利点だな」
「・・そんなに大規模なものを、一体何に使用なさるので?
てっきりあそこは、罪人等の処分場だとばかり、思っておりましたが・・」
「今はまだ内緒だ。
この先どうなるか分らない、多分に不確定なものだから・・」
「・・とりあえず了解致しました。
あそこへ送る破落戸の判定基準は、私の主観で宜しいですか?」
「それだとかなり厳しそうだから、お前のリングに、そのための機能を追加しておこう」
和也が苦笑いする。
「今後、お前の眼には、送るべき人物が紅く見える。
その者は無条件で送れ。
紅く点滅している者は、一両日中にその罪を犯す。
その場合は、尾行等をして、実行に着手した瞬間に送れ。
被害者となる者の身の安全を十分に確保せよ。
送り方は簡単だ。
お前の意思で、その掌に赤い球体が生じるから、そこに吸い込めば良い」
「魔獣や魔物も、対象は赤く見えるのですか?」
「そうだ」
「・・あの、人の場合、女性もあのダンジョンに送って宜しいのですか?」
「ん、どういう意味だ?」
「女性の場合、他にも使い道がありますが・・。
重罪を犯した者でも、容姿が良ければ、奴隷として娼館等に高く売れますし、命を失うくらいなら、その方が良いと願う者も居るのではと・・」
「・・自分は、仮令罪人と雖も、女性に対してそのような行為を強制したくはない。
仮令罪人でも、余程の事がない限り、最後くらいは戦って死ぬ権利を与えたい。
それに、お前の眼に赤く映る存在は、相当の事をした(する)者達だ。
同じ罪を犯しても、そこに正当な理由や酌量の余地があれば、赤くは映らんのだ。
だから、迷わず送れ」
「分りました。
出過ぎた事を申しました。
お許し下さい」
「気にするな。
意図をきちんと説明しない、自分が悪いのだから」
俯いてしまった彼女に、優しくそう声をかける。
「・・あとは報酬の面くらいだな。
何か希望するものはあるか?」
「出来ましたら、ルビーと同じものを」
「・・それで報酬になるのか?
自分を相手にしても、子供は作れないぞ?」
「承知致しております。
私が死なない以上、種族が途絶える訳ではありませんし、その、もう私の相手には、ご主人様以外に考えられませんので・・」
「・・分った。
ただ、それだけを報酬には出来ん。
それでは自分が、仕方なくお前の相手をするようにも取れる。
実際、そんな事はないのだからな。
他にも何か考えておく」
「有難うございます。
そう仰っていただけて、幸せです」
「話は以上だ。
済まないが、今日はこれからまだ用事がある。
より詳しい話は、明日またしよう」
「はい」
「ではな」
転移する和也を見送り、エメラルドは、もう直ぐ目を覚ますであろうルビーに向けて独りごつ。
「これでやっと、貴女に並べるわね。
もう今までみたいに自慢させないわよ?
フフフッ」
「起きたようだな」
もう直ぐ日が陰る時分、寝室の壁際の椅子に座る和也が、そう声をかける。
「今回も随分と寝てしまいましたわね。
・・折角のご褒美の時間だというのに、我ながら情けないですわ」
ベットから半身を起こし、豊かな胸の上を滑り落ちる毛布を払い除けながら、そう呟くルビー。
「まだ仕方ないだろう。
その内、もっと短くて済むようになるはずだ。
それとも、もう少し加減した方が良いか?」
「それは嫌です。
私にとっては、至福の時間なのですから。
・・あの二人も、今日で卒業でしたわね?
今後はどうすると言ってました?」
「恩返しがしたいと言うので、あの村に住まわせ、エメラルドの代わりをさせる事にした」
「彼女に新しい仕事をお与えになるのですか?」
「ああ。
お前にも言っておくが、ダンジョンCは、日々その魔力で成長を遂げている。
あそこは、本格的なダンジョンにする積りだ。
なので、より多くの罪人や魔物を、彼女に集めて貰う」
「・・報酬には何を望まれました?」
「・・お前と同じものだ」
「やっぱり」
想像出来たのか、苦笑いしている。
「今はまだ食欲の方が勝ってますけど、その内メイも、そう望むのではないでしょうか?」
「メイには手を出す積りはない。
仮令、彼女がそう望んだとしてもな。
・・母親の魂を宿した木に誓ったのだ。
保護者として、ずっと見守っていくと」
「・・そうですか」
母親の件を知っているルビーが、その瞳に悲しみの色を纏わせる。
自身の母親も、古の魔術師達によって、似たような目に遭っているのだ。
「ご主人様、まだ今日という日は終わりではありませんよね?
・・私にもっと、真の愛情を分け与えて下さいませんか?
彼らのような醜い欲望ではない、その美しいお心で、私を満たして下さい」
ベットから立ち上がり、和也に向かってゆっくり歩いてくる。
眷族化した事で、その翼を自由に消す事が出来るようになった今の彼女は、眠る時にはいつも消しているせいで、その見かけは人とほとんど変わらない。
弟に甘える姉のような仕種で、和也をそっと包み込むのであった。