アリア編、その30
「ここにお前の家を建ててやる。
新たな仕事を与えるまでは、このダンジョンで働いていてくれ」
あの後、一緒に彼女の家に赴き、必要な物を収納スペースに放り込むと、マライカンまで転移してきた。
家ごと運ぶかと尋ねたが、かなり老朽化していた上、あまり良い思い出が無いというので、取り壊してきた。
ただ、彼女の両親の墓だけは、周囲の土壌ごと持って来た。
新たに建てる家の側に、添えてやる積りでいる。
「ダンジョン?
魔物と戦えという事でしょうか?」
「いや、相手は人間だ。
詳しい事は彼女に聴いてくれ。
このダンジョンを任せている、自分の眷族の1人だ」
和也が視線を向けた先に、彼の気配を感じたルビーが転移してくる。
「お帰りなさいませ、ご主人様。
そちらの方は、新たなお仲間でしょうか?」
和也の隣に立つエメラルドの指に、リングが嵌められているのを目敏く気付いたルビーが、そう尋ねてくる。
「魔人のエメラルドだ。
お前と同じ立場でもある。
暫くはここを手伝わせるから、色々と教えてやってくれ。
・・最近、客の入りはどうだ?」
『同じ立場』という台詞に、彼女の眉が微妙に動くが、その表情に変化は見られない。
「Aはまだ月に1組か2組です。
その認知には、もう暫くの時間が必要かと。
その反面、Cが好調です。
多い時には月に30人程度の入りに。
もっとも、そのほとんどが、金貨1~2枚しか落とさない雑魚ですが・・」
「Bの2人はどうしてる?」
3か月の訓練を終え、延長を希望した彼らは、和也が課した試験に見事に合格し、もう半年の滞在を許されている。
「相変わらず真面目に訓練しております。
あの2人を見て、私は人間に対する認識を少し改めました」
「そうか」
満足げに頷く和也。
ユイとユエも、もう外で仕事に就かせても良いくらいにまで仕上がっている。
あとはマリーの判断次第だ。
「あの、ご主人様、できましたら少しだけお情けを・・」
考え事をしていた和也に、ルビーが遠慮がちに告げてくる。
「ああ、済まん。
こちらに来い」
嬉しそうに抱き付いてくるルビーに、口移しで精力を送り込んでやる。
「この間の褒美もまだだったな。
2日分の時間を与える。
好きな時に呼ぶが良い。
ゴーレムとメイにも、其々約束のものを送っておこう」
「有難うございます。
・・幸せですわ」
唇を放し、恍惚の表情を浮かべる彼女は、女性が見ても、ぞくりとくる程に艶めかしい。
「・・あの、私の事、忘れてません?」
エメラルドが遠慮がちに告げてくる。
「済まんな。
彼女には必要な事だから。
・・お前の家は、既に建ててある。
そこの魔法陣に載れば、瞬時にその家まで跳んでいける。
後は2人で相談して上手くやってくれ。
自分にはまだ用があるから」
『その内また顔を出す』と言い残して、和也が姿を消す。
残された2人は、恭しく頭を下げてそれを見送った後、お互いに見つめ合った。
「・・貴女もまだなのね。
フフッ、仲良くやれそう。
私はルビー、サキュバスよ。
宜しくね」
エメラルドを見て何かを悟った彼女は、嬉しそうに右手を差し出す。
「・・サキュバスが経験の有無を見分けるというのは、本当の事だったのね。
でも御免なさい。
そう遠くない内に、私も貴女と同じようになるわ。
私はあの方に、自身の全てを捧げると誓った僕。
その事に、例外は無いの」
ルビーの手を握った彼女が、当たり前のようにそう告げる。
2人が握り合う手に、徐々に力が加えられるが、眷族同士が互いを傷つけられない事は、そうなった後に本能的に分るので、どちらからともなく通常の握手に戻す。
「まあ良いわ。
独り占め出来る方ではないし、奥様方には元から敵わないしね」
ルビーが納得したように笑みを浮かべる。
「奥様?
あの方、ご結婚されているの!?」
エメラルドが驚いた声を出す。
「当然でしょ。
周りの女性が放っておくと思うの?」
「ははっ、それはそうか」
苦笑いする彼女に、ルビーは告げる。
「とりあえず貴女の家に行きましょ。
場所を確認しておきたいし、そこでここの事を説明するわ」
「ええ、お願い」
後に親友となる2人の付き合いは、こうして始まった。
「お姉様、一体どうなされたのですか?
今日は一段とご熱心ですのね」
王族専用の大浴場で、普段より時間をかけて身体を磨くヴィクトリアを見ながら、妹の1人がそう声をかけてくる。
「今日はわたくしにとって、とても大切な日になるの。
多分、この国にとっても・・」
「それはもしかして、昨晩お戻りにならなかった事と何かご関係が?」
「ええ。
・・貴女には、事前に知らせておくわ。
でもまだ他言無用よ。
・・わたくし、結婚するの」
可愛がっている妹達の1人であるこの少女に、そっと囁くように秘密を打ち明ける。
「!!!
・・どなたとですか?」
大きく目を見開き、緊張で掠れたような声を出して、そう尋ねてくる。
この姉様が男性に靡くなんて初めてだ。
「う~ん、それは説明するのが難しいわね。
色々と、秘密の多い人なのよ。
でもこれだけは言えるわ。
凄く優しくて、素敵な人。
ちょっと唐変木だけど、一度その懐に入れば、以後は何の不安や苦しみも無くなる。
その力強く逞しい腕で、魂ごと包んでくれるわ」
長く美しい髪を洗うため、両腕を上げている彼女の豊かな胸が、その指の動きに合わせてリズミカルに揺れる。
自分には足りないものに見惚れながら、少女は更に問いかける。
「王宮をお出になるのですか?」
ヴィクトリアの王位継承権は第2位だが、別に嫁に行けない訳ではない。
「いいえ、結婚した後も、わたくしだけここに住み続けるの。
会いたい時は、何時でも会えるから」
「お姉様の転移でですか?」
『この国の方なのね』、そう理解する妹。
「そうね。
でも、彼ならたった1度の転移で、この大陸中、何処でも好きな場所に行けるわよ?」
「!!!
・・その方、人間ですか?」
震える声でそう聴いてくる。
「わたくしが、ただ優しくて格好良いだけの人を好きになると思うの?
そんな人、他にも沢山いるでしょう?
それに、わたくしがここに残るのよ?
この国にとって、不利益となる相手ではない事は分るわよね?」
妹の質問に対して直接には答えず、それでいて、その心配を取り除くよう、言葉を選ぶヴィクトリア。
「お姉様がお幸せになれる、ご結婚なのですね?」
暗に、生贄や政略結婚の類ではないのですねと尋ねている。
「勿論よ。
それにね、これは皆には内緒だけど、わたくしのお相手は、貴女達をオルレイアの魔の手から助けて下さった方よ」
「!!!
・・そうですか。
それなら安心できます。
おめでとうございます、お姉様。
心から祝福致します」
「有難う。
・・貴女にも、早く素敵な人が見つかると良いわね」
湯中りしたように赤く肌を染めた妹を尻目に、ヴィクトリアは、もう間もなくの逢瀬に、心をときめかせるのであった。
「・・身体は大丈夫か?」
己が抱き抱えていたヴィクトリアが意識を取り戻した事に気付いた和也が、労るように、彼女にそう声をかける。
顔を上げ、汗で張り付いた前髪を指先で掻き分けた彼女は、ゆっくりと、身体を擦り合わせるようにして、和也の唇に自身のそれを合わせていく。
先程までとは異なる、何かの確認のような口付けを終えると、彼女は静かに呟いた。
「まだ平気。
お願い、もう少し・・」
彼女の顔が、和也の視界を覆っていった。
「エリカさんの指輪は、私の物とは大分違いますよね。
ヴィクトリアさんのは私と同じ形状だし、何か特別なリングなのですか?」
今夜はエリカと2人だけで寝ているアリアは、隣で本を読んでいるエリカの指を見て、そう尋ねる。
本に栞を挟んだエリカは、当時を振り返り、嬉しそうに語る。
「あの時の旦那様には、わたくし以外を妻に迎える気がありませんでしたから、贈られた指輪も、異世界の結婚指輪を参考になさったようですね。
ですが、その後わたくしと色々お話をしまして、複数の妻を娶るようにお考えを変えられたので、それ以降は妻達を守り、戦う力をリングにお与えになったのです」
「その指輪には、何の機能もないのですか?」
「いいえ、3つありますよ。
空間障壁、物質変換、魔力の泉ですね。
前の2つはとても強力なので、それだけで事足りるのです」
「?
障壁機能なら私のバトルスーツにも付いてますが、それとは違うのでしょうか?」
「そうですね。
恐らく、大分異なります。
例えば、アリアさんのリングに刻まれた魔神の力を用いても、わたくしには効果がありません。
わたくしに危害を加える事が可能な存在は、唯一、旦那様だけなのです」
「!!!
・・この魔神の力が何だか分るのですか?」
「ええ。
向けられた者の好意、愛情等を、自在に操れるのですよね?
たとえ同性同士でも、身体を重ねて愛を語るまでに」
「お願いします!
他の方には黙っていて下さい。
凄く恥ずかしい力なので・・」
「あら、そうですか?
素晴らしいお力ではありませんか。
どなたからも嫌われずに済むなんて、凄い事だと思いますよ?
それに、恐らくですが、旦那様は眷族間の女性同士の恋愛には寛容です。
旦那様に抱かれるためには、男性は彼だけである事が必要不可欠ですが、女性は複数いたとしても、多分、問題にはなさいません。
以前、そういう類の書物を彼の書庫で見つけ、お尋ねした事がありますが、その時こう仰っていました。
『女性の身体は芸術でもある。・・美しければ、それで良いのではないかな。勿論、そこに愛情と嗜みは必要だと思うが』
アリアさんは女性にもお持てになるのですから、いっその事、ご自分の軍団でもお作りになられたら如何です?
女性兵士を統べる軍団長。
格好良いです!」
「エリカさん、本気で言ってます?
眼が笑ってますよ?」
「フフフッ、御免なさい。
でももし仮にそうしたとしても、旦那様は怒らないという事です」
エリカの眼が急に真面目になる。
「・・貴女には、その力を使わずとも、好意を向けてくる女性がいるでしょう?
旦那様の妻である以上、男性は決して許されませんが、女性であれば、その庇護下に置いても構わないという事です。
報われない思いを抱えた者に、絶望の内に、不幸になる選択を敢えて選ばせるくらいなら、貴女が囲ってあげた方が、皆が幸せになれる。
そういう考え方もあるのだと、知っておいて下さいね」
「・・はい」
その静かながらも妙に迫力のある視線に晒され、そう口にするのがやっとのアリア。
「勿論、貴女が嫌ではない場合のお話ですよ?」
そう告げた後、再び茶目っ気を取り戻したエリカが、アリアに微笑む。
「さて、難しいお話はこれくらいにして、昨晩の体験談をお聴き致しましょう。
・・如何でした?」
「内緒です!」
真っ赤になって、横を向くアリア。
エリカとじゃれ合うその心からは、己の力が恥ずかしいという負の思いが、いつの間にか無くなっていたのだった。
「男女の営みが、こんなに良いものだとは思わなかったわ」
意識の狭間を行ったり来たりしながら、夜明けまで和也を放さなかったヴィクトリア。
緩慢な動きでベットから身を起こし、サイドテーブルに置かれた水差しに手を伸ばす。
喉を鳴らすその下で、重力に逆らう豊かな胸が、彼女の動きに合わせて揺れ動く。
「これでは確かに、ある程度自己主張しないと、順番が回って来ないわね」
エリカに言われた言葉に納得したように、口元に笑みを浮かべる彼女。
「落ち着いたら風呂で汗を流そう。
今日はもう良いだろう?」
「・・今日は、ね。
その言い方なら、また直ぐにでも相手してくれそうね。
なら良いわ」
「・・お前は、自分の何処に惚れたんだ?」
不意に和也がそう聴いてくる。
「なあに?
わたくしの口から直に言わせたいの?」
男女の睦言の類だと思っていた彼女に、和也はそれとは異なる表情を見せる。
「自分の妻になる者には、器という存在が居るのだそうだ。
その者の意思に関係なく、出会った瞬間から、強烈に惹かれると言っていた。
・・お前は、恐らく『器』ではないだろう。
マリー同様、純粋に自分に目を向けてくれた1人だと思う。
そんなお前の立場なら、女性は一体自分の何処を見て、気に入ってくれるのか教えてくれると思ってな(既に和也は、彼女の好意に疑いを抱いていない)」
「もしかして、貴方がわたくしを妻に迎える事に懐疑的でいたのは、そのせい?」
「器なら、ほぼ強制的に、自分の側から離れられないと聴く。
世界が自分の為だけに、創ってくれた存在だからな。
だが、お前達2人は違う。
自分に愛想を尽かせば、去って行く可能性もある。
お前を何度も試すような真似をしたのは、本当に申し訳なかった。
ただ、長い事独りでいたせいで、折角得た存在を、なるべくなら手放したくないだけなのだ。
手に入れる前なら、寂しい思いをしないで済むからな」
情けない事を口にしている自覚はあるのか、彼女の顔を見ず、虚空を眺めながらそう告げる。
「わたくしも、今まで異性に目を向けた事など無いから、自分の意見にどれだけ客観性があるかは分らないけど、そんな事、一々気にしなくても良いんじゃないかしら。
人が人を好きになるのって、決まった図式がある訳じゃない。
幼い頃からずっと見てきた。
何かの拍子にその人の隠れた魅力に気付いた。
容姿や声、匂いに惹かれる。
それこそ、運命だなんていう、思い込みすら理由になるわ。
どんなに誠実に生きても、人や動物に優しくても、相手にとってそれが琴線に触れるものでなければ、少なくともその人には意味がない。
個性と野蛮さをはき違えて理解したり、酷い時には相手と付き合いながら、その視線は自身のみに向けられていたりもするのよ?
わたくしは、一目見た時、貴方の容姿だけには好感を持った。
少しお話して、腹も立てたけど、その人柄も気に入った。
ある程度の時間を経て、積み重ねられた気持ちがいつの間にか、貴方だけに目を向けさせていたの。
以前も言ったけど、貴方の能力がその引き金になった事は否定出来ない。
でもそれは許して欲しいわ。
わたくしに限らず、人が誰かに興味を持つ時、相手の人柄以外に何かあったとしても、可笑しくはないでしょう?」
「そうだな。
それは自分にもある事だ」
「・・でも、本当にエリカさんの言った通りだったわ」
未だベットに横になり、宙を見据える和也に、ゆっくり覆い被さっていく彼女。
「今日はもうお終いではなかったのか?
・・あいつ、何と言っていた?」
「あと1回だけ・・」
少し冷えた身体に熱を貰うように、その身を押し当ててくる。
「『あの人に抱かれないと、真には理解出来ない言葉がある』
『旦那様に抱かれて初めて、納得出来る表現がある』
そう仰っていたわ」
震える唇が、和也のものを塞ぎにくる。
「何という言葉だったんだ?」
「・・教えない。
とても大切な言葉だから」
お互いに、それ以上話す事は無理であった。