記念すべき最初の星にて、その10
母である女王が何か言うよりも早く、エリカは和也を連れ出し、彼のために用意した部屋の前まで来ると、扉を開け、中に入るよう促した。
中に入った和也が室内の様子を眺めていると、何故かエリカも部屋に入ってきて、扉を閉め、内側から封印魔法のようなものを掛けた。
訝る和也に微笑みかけると、エリカは部屋に備えてあったティーセットを用いて紅茶を淹れ、和也にテーブルに着くよう促す。
「あなたと2人きりでお話ししたかったのです。
ご迷惑でしたか?」
少し強引過ぎたかと不安になったエリカが、やや上目づかいに尋ねると、その破壊力抜群の表情に和也は言葉を発する事が出来ずに、ただ首を横に振るだけだった。
自分を見て、おどおどしている和也に安心したエリカは、紅茶の香りを楽しみながら、さりげなく尋ねる。
「別の世界からいらしたとお聴きしましたが、そこはどんな所なのですか?」
同じく紅茶の香りを堪能していた和也は、遠くを見るような、少し切ない表情で答えた。
「美しい所だが、まだ温かみのない、寂しい場所でもある」
「そこでどのような暮らしをなされてたのですか?」
「特に何もしていなかった。
ただ、待っていたのだ。
いつか自分の仲間が出来るのを」
何と無く、色々と観察していた事は言わない方が良いと思えたので、黙っていた。
「どなたもいらっしゃらなかったのですか?
まだお若く見えますが、ご両親はどうされたのですか?」
「親はいない」
「御免なさい」
俯いてしまったエリカを慰めるように、和也は優しく呟いた。
「気にしなくて良い。
初めからいないからな」
思いがけずに和也から優しい口調で声をかけられたエリカは、それ以上詮索する事なく話題を変えた。
「この世界へはどうやって来られたのですか?
転移魔法か何かでしょうか?」
「そのようなものだ」
この星と一体どれほど離れているかなど想像もつかないエリカは、それがどんなに非常識な事なのかも判らない。
「我が国の障壁を簡単に通過出来る事といい、あなたはどれ程の魔力をお持ちなのでしょうね?
本来、男性の方はあまり魔力をお持ちではないはずなのですが」
「自分はこの世界の人間ではないから、ここの理の外にいる」
「そんな事を仰ると、益々あなたに興味を持ってしまいますよ?」
和也にとっては願ったり叶ったりだが、ここで気の利いた台詞を言える程、彼の会話能力は高くはなかった。
エリカが質問を変えてくる。
「あなたの他に、この世界に来る事の出来る方はいますか?」
この国の王女として、国の防衛に関する事は是非確かめておかねばならなかった。
和也の国の皆が、彼のように善人だという保証はないのだ。
まさか和也1人しか存在しないなどとは、夢にも思っていない。
「その点は大丈夫だ。
自分1人しかいない」
和也にもエリカの言わんとしている事が解ったので、安心させるべく強調しておく。
懸念が1つ解消されて、エリカの表情に華が増す。
更に質問を変え、再度、和也本人の事に戻る。
「和也さんの理想の女性はどのような感じの方ですか?
やはり、同じ人間族の女性の方が、お好みなのでしょうか?」
エリカはそうではない事を祈りつつ、さりげなく確かめる。
「別に種族に拘る理由はないな」
まさかエリカ本人が良いとは言えず、遠回しな言い方しか出来ない。
「美しく、聡明で、自分の事だけを想ってくれる、そんな女性が良い。
ついでに胸が大きければ、なお良いかな」
後半は、少し声を落として付け加えた。
地球で見た、ビキニと呼ばれる衣装が酷く気に入り、それには断然、胸が大きい方が似合っていた。
和也のその言葉を聴いたエリカは、自分が彼の嫁に立候補する事を、もう迷いはしなかった。
これまで、エルフにしては大き過ぎる自分の胸を、良いと感じる事はなかった。
謁見の際も、相手の男性からあからさまではなくとも、ちらちらと視線が送られるのを感じていたし、何をするにも邪魔で、正直、胸の小さな他のエルフの娘達が羨ましかった。
だが、それら全てを、和也の一言で肯定出来た。
自分でも、思わず笑ってしまうくらいに。
いきなりエリカがクスクス笑い出したので、やはり最後の一言は言うべきではなかったかと後悔した和也に、エリカは席を立ち、静かに近づいて来る。
美しく繊細な掌が自分に向けられ、頬を張られると思った和也は、甘んじてそれを受けるべく、目を閉じる。
だが、痛みの代わりに自分の唇に訪れたその感覚は、自分が存在を認識し始めて以来初めての、甘く、柔らかく、温かい、えもいわれぬものだった。
何が起きたのかを確かめるべく目を開いた和也が見たものは、間近で、顔を赤く染めたエリカの眼差しであった。
エリカは、和也の頬に当てていた手をゆっくりと首へと回し、静かに身体を寄せてきて、その耳元に囁いた。
「わたくしの名は、エリカ.フォン.セレーニア。
あなたのお嫁さんに立候補します」
和也の、それまでモノクロだった心に、色彩が生まれた瞬間であった。
時は少し遡り、エリカ達が立ち去った後の応接室で、この国の女王と宰相は言葉を交わしていた。
「あなたには彼がどう映りましたか?」
「悪い人間でないのは判る。
エリカの話を聞く限り、能力も有るのだろう。
だが、それだけで何故あんなに、エリカが入れ込むのかが分らん。
今まで男に興味を示した事すらないのにだ」
「そうですね。
私もその事に関しては、不思議に思っています。
ただ、エリカは聡明で、人を見る眼もあります。
私達の気付かない何かがあるのかもしれません。
幸いにも、あの男はこの王宮に滞在します。
暫くは様子を見ましょう。
彼がエリカに相応しい男であれば、それはエリカにとっても喜ばしいこと。
でももしそうでないのなら、人知れず始末してしまえば良いだけのこと。
私としては、そのどちらでも良いのです」
そう言いながら、うっすらと微笑む妻の顔を、宰相は背筋が寒くなる思いで眺めていた。
この世界のエルフは、それほど耳が細長く尖っている訳ではなく、せいぜい人間のものより先が鋭いくらいです。