アリア編、その17
「あの子達の様子はどうだ?」
自分の隣で横になっているエリカに、進捗状況を尋ねる和也。
「皆良い子ばかりですよ。
勉強熱心で努力家の子ばかりです。
マサオ君とアケミさんは、座学が好きで、もう初等の算術と歴史はマスターしてしまいました。
なので今はその分魔法の習得に多めに時間を割いています。
トオル君とタエさんの2人は逆に算術などが苦手ですが、ジョアンナさんが教える料理や裁縫、掃除なんかが上手で、効率よく作業するのが得意です。
給食は、ジョアンナさんを含め、皆で一緒に食べるんですよ?
子供達の食べるスピードは凄く速いです。
わたくしがパンを1つ食べる間に、2回は全部おかわりしてます」
楽しそうにクスクス笑うエリカ。
そんな彼女を、和也は嬉しそうに見つめた後、反対側に横になっているアリアの方を向き、言葉をかける。
「身体は馴染んできたか?」
「前よりは大分ね。
働いてた時間をそのまま訓練に充てられるし、貰った知識が、身体の動かし方や技を出すタイミングなんかを教えてくれるから、日々何かを得てる自信はあるわ。
それにここの食事、毎食良質の肉や魚、豆や海藻など、今まであまり口にできなかった物をふんだんに食べられるから、いい筋肉がついて、その上、身体が軽い。
前より食べてるのに、寧ろ身体が締まったわ」
「絵の方はどうだ?
必要なものがあれば、何時でも言ってくれ」
「有難う。
でも、そんなに早くは描けないわよ?
私の場合、人物画には、大体1枚で3か月くらいはかかるから」
「そんなにか?」
「描くモデルにもよるけど、お気に入りの絵には、私、何度も手を入れ直すから。
人物画で妥協はしたくないの。
その人の、その時代の姿を描き切りたいから」
「因みに、ヌードを描いたことはあるのか?」
「・・あるわよ、1~2回だけど。
でも完成しなかった。
だって、何度も襲われそうになって、逃げたから」
「女性にか?」
「そうよ、悪い?」
「いや、別に」
「アリアさん、可愛いですものね」
エリカが再度、クスクス笑う。
「笑い事じゃないですよ、エリカさん。
本当に怖かったんですから。
特に目つきが」
「まあ、フフフッ」
「エリカ、明日は自分も学校に顔を出す。
そろそろ仕事を与えるための訓練もしなければならないからな」
「はい、分かりました。
ご一緒に給食もいかがですか?」
「それは遠慮する。
ジョアンナと2人で行く所があるしな」
「まあ、昼間からですか?
彼女はその後お仕事もあるのですから、手加減してあげてくださいね?」
「一体何の話をしている?」
「彼女を可愛がるおつもりなのでしょう?」
「・・・」
「冗談です。
・・でも、もし本当にそうなさっても、彼女はきっと、あなたを拒みはしませんけどね」
「何故そんな事が言える?」
「だって、わたくしに、色々とあなたの事を尋ねてこられますよ?」
「雇い主だからだろう」
「フフッ、そういう事にしておきます」
「あなた、時々凄く子供よね」
「む、アリアのくせに生意気な」
「フン、何時までも焦らしてるからよ」
「誰を?」
「自分で考えなさいよ!
お休み」
向こうを向いて、寝に入るアリア。
『今のはあなたが悪いです』
エリカにも念話でそう言われ、向こうを向かれる。
その夜、和也は初めて、ベット内別居というものを経験するのであった。
「諸君、勉学は捗っているかね?」
翌日、和也は実習用ダンジョンに赴き、エリカの1時間目の授業を受け終えた子供達に声をかける。
「はい、御剣様、お陰様で楽しく学べております」
「毎日ここへ来るのが楽しみで仕方ないです」
「給食が美味し過ぎて、太ってしまいそうです」
「エリカ先生を見るだけで、その日1日が幸せです」
初めはここに来るのを渋っていたトオルやタエも、今ではすっかりここが大好きなようだ。
「明日から、お前達に新たな訓練を与える。
時間割は自分達で決めてもいいが、毎日グラウンドを15周しろ。
白い線に沿って走れば、1周が200mだから、全部で3㎞になる。
これは、お前達に与える仕事で必要になる体力作りだからサボるなよ。
ペース配分は各自で自由にしてよい。
最初はゆっくりでもいいから、徐々に体を慣らしていけ。
それと、1週間後に浄化の魔法の試験をやる。
まだできない者がいたら、それまでに何とかしろ」
「「はい」」
「うむ、いい返事だ。
頑張るお前達に、新たな褒美をやろう。
先ずは、ジョアンナ先生に、毎月髪を整えてもらえ。
子供と言えど、身だしなみは大事だ。
それから、今日から、帰るまでにここで風呂に入っていけ。
男湯と女湯を造っておくから、マラソンでかいた汗を流していくがいい。
中の備品は好きに使ってよい」
「お風呂に入れてもらえるのですか?」
アケミが凄く嬉しそうに言う。
「ああ、村にないのだろう?」
「はい、川まで行って入るか、桶に湯を入れて、身体を拭くくらいです」
「浄化でも、魔力が高ければ汚れは落ちるが、爽快感が今一つだ。
風呂はいいぞ。
心まで奇麗になる」
「有難うございます!
ずっと、入ってみたかったんです」
「そうか。
温泉だから、楽しんで帰るがいい」
校舎脇に、男女共5~6人は1度に入れる広さの湯船と、その2倍の広さの洗い場を持つ浴場を造り、更衣室の壁に、風呂の入り方を記した紙を貼ると、和也はジョアンナを探しに校内に戻る。
食堂で、お茶を飲んでいた彼女を見つけ、声をかける。
「この後少し時間あるか?」
「御剣様、いらしてたんですか?
はい、大丈夫です。
子供達に教える時間はまだ先ですから」
椅子から立ち上がり、姿勢を正して嬉しそうに微笑んでくる。
「これから毎月、子供達の髪を整えてやってくれ。
少しむさ苦しいからな。
道具はこちらで用意しておく。
それと、今度ここに風呂を造ったから、気に入ったなら自由に使っていいぞ。
ちゃんと女湯もあるし、温泉の源泉かけ流しだから、何時でも奇麗に入れる」
「お風呂まで・・。
ここでの生活は、住むという事を除けば、下級貴族の暮らしより良いかもしれません。
高度な教育と、豪華な食事、広いお風呂での毎日の入浴、それに散髪まで。
そして仕事をすれば、都会でもそうは見つからない高額の報酬すら可能。
御剣様は、余程彼らを気に入られたご様子ですね」
「あいつらは、恵まれた世界に生まれた子達が失いつつあるものを持っている。
それに、何かを得るために、きちんと代償を払える者達だ。
努力という、貴重な代償をな。
自分は、そういう者達を手助けするのが好きなのかもしれん」
「・・もし私も、子供の頃に御剣様に出会えていたら、もう少し違う人生を歩めたかもしれませんね。
少し、彼らが羨ましいです」
彼女にしては珍しく、視線を下げ、少し寂しそうに言ってくる。
「君だってまだ十分若いだろう?
有能だし、これからまだ何でもできるじゃないか」
「フフフッ、有難うございます。
でも、もう19ですよ?
私は下級貴族の、しかも後継ぎではない女性でしたので、受けられた教育は初等まで。
その後は家を出て、今のお屋敷でメイドとしての技量を磨きながら、嫁ぎ先となる家を探しています。
私に残された可能性は、それ程多くはありません」
「君が嫁ぐ相手に求めるものは何だ?
家柄や金か?
それとも自身の気持ちか?」
和也がそれとなく、重要な質問を投げかける。
「勿論、私の気持ちです。
お金は使えば何時かは無くなる。
私が大切にしたいのは気持ち、日々心から溢れ出る愛情です。
お金は働けば稼げますが、自分がその人を愛する気持ちは、努力だけではどうにもなりません。
暮らしぶりはたとえ質素でも、私は、自分の心に嘘をつかないで済む人を求めます」
和也の眼をじっと見て、彼女はそう告げる。
コツコツコツ。
木造の床を鳴らし、窓際へと移動する和也。
ジョアンナに背を向けて、窓の外を見ながら静かに口を開く。
「君はベイグの家と、何年契約を結んでいるんだ?」
「え?
特に期限は設けておりません。
クビになるか、私が嫁ぐまでのどちらかを念頭に置いておりましたので」
「なら自分の下で働かないか?
手伝いではなく、正式な部下として。
暫くはここで寝泊まりし、子供達の教育をしながら、君自身もまた、学び直すといい。
そのための部屋は新たに造るし、君用の教材も、専門課程の物まで全て揃えよう。
ここは外より時間の流れが緩やかだ。
失ったと思われる分を、まだ十分に取り戻せる。
そして学び終えたら、自分の事務を手伝って欲しい。
外には自由に出られるから、空き時間には街を散策して、より広い範囲で結婚相手も探せるぞ」
「・・私などでよろしいのですか?
ベイグ家には、他にも良い家柄の、優秀なメイドがおりますよ?」
「君がいい」
「・・有難うございます。
宜しくお願い致します。
精一杯、心から、お仕え致しますから」
満面の笑顔でそう言ってくる。
「給料の額を聴かずに決めても大丈夫なのか?」
「大丈夫です。
貯金は割とございますから」
「・・そういう問題なのか?」
「はい。
お金の問題ではございませんので」
「何時から来れる?」
「そうですね、流石に直ぐにという訳には参りません。
仕事の引継ぎ等もございますから、年度が変わる時からでお願い致します」
「分かった。
ではそれまでは、今の生活を続けてくれ。
君の部屋と自習用の教材だけは先に用意しておくから、空き時間などに好きに使うといい」
「有難うございます」
「では、もう1つの用件に移る。
今からあいつらの親に、顔を見せに行く。
村を治める貴族の一員として、君も一緒に来てくれ」
「はい」
ジョアンナが和也の傍に近づいてくる。
その腰を抱き、和也は瞬時に王都のとある店に転移した。
「え?
ここ何処ですか?」
てっきり村に直行するものとばかり思っていたジョアンナは、いきなり目の前に現れた、洒落た店に驚く。
「領主の代わりとして行くのだから、メイドの格好ではおかしいだろう。
ここで服を買って行く」
「いらっしゃいませ」
店に入ると、品の良い婦人が挨拶してくる。
「彼女に、上から下まで一通りの服を揃えてやってくれ。
下着や靴もだ。
値段は考慮しなくていい」
「かしこまりました」
深くお辞儀して了承の意を伝えた婦人は、恐縮するジョアンナを促して、奥へと消えて行く。
壁に掲げられた、王室御用達の額縁を眺め、暫く待っていると、全身を黒で統一した、シックな衣装に身を包んだ彼女が戻って来る。
それまで身に着けていた服は、傍らの婦人が、袋に入れて持っている。
「良い服だ。
でも、全身真っ黒だな」
「御剣様とお揃いの色に致しました。
如何でしょうか?」
「君の雰囲気に非常に合っている。
自分は気に入った」
「嬉しいです」
「では、これを貰おう。
幾らだ?」
「有難うございます。
全部で金貨3枚でございます」
和也が婦人に支払いを済ませて店を出ると、ジョアンナが申し訳なさそうな顔で礼を告げてくる。
「有難うございます。
でも、よろしいのでしょうか?
私、こんな服を着たのは初めてです」
「良い男を探す際の勝負服としても活用してくれ」
「フフフッ、それならもう探す必要はございません」
「?
では今度こそ村に行こう」
再度彼女の腰に腕を回し、人から見えない場所で転移する。
次に視界に現れた場所は、辺鄙な村の入り口。
家々は粗末で見窄らしく、散在する畑くらいしか目に留まらない。
「ここで一体幾らくらいの税収になるのだ?」
「・・以前は月に銀貨50枚くらいでしたが、今はどうでしょうか?」
「銀貨50枚!?
君の家は幾つの村を治めている?」
「4つです。
全部でも月に金貨3枚になりません」
「使用人はいるのか?」
「・・代々仕えてくれる方が1人だけおります」
和也達が村に入って行くと、住人の1人が名主の家まで走り、知らせを聴いた男が慌ててこちらに駆けてくる。
「これはジョアンナ様。
突然のお越しでお出迎えもできませんで申し訳ありません。
本日はどういったご用件で?」
「今日は。
お久しぶりですね。
少し大事なお話があるので、家に入れてもらってもよろしいですか?」
「それはもう。
むさ苦しい所ですが、どうぞお越しください。
・・こちらの方は初めてお会いしますが、どなたですか?」
「私の現在の雇い主のお一人で、来年から、正式にお仕えすることになるお方です」
「ベイグ家をお出になるので?
・・それはそれは」
男が和也を興味深い視線でちらっと見るが、流石に凝視したりはしない。
「初めまして。
村の名主をしております、ヨシオと申します。
宜しくお願い致します」
丁寧に腰を折り、礼儀正しく挨拶してくる。
「御剣和也だ。
今日は話があってやって来た」
「かしこまりました。
家までご案内致します」
名主に先導され、村で2番目に立派な建物に到着する(1番は客を泊める宿屋)。
「どうぞ、お入りください」
中に通され、10畳くらいの居間へと案内される。
質素な作りだが、掃除はきちんとされていて、安物の家具ながらも、中々に味がある。
男は妻に何かを申し付けると、直ぐに戻って来て、和也達の向かいに腰を下ろす。
「お待たせ致しました。
ご用件をお聴き致します」
「先ず、先日から、そちらの娘を含めたこの村の4人の子供に、趣味で教育を施していることを伝えておく」
「は?
教育でございますか?
一体どちらで?」
「村の脇にある森に、新しくダンジョンを創った。
そこで教えている」
「私もアケミさん達を教えているんですよ?」
ジョアンナが口を挟んで、名主に、和也の言葉をより信じさせる効果を生む。
「お嬢様がですか!?
・・ですが、娘からは一言も報告を受けておりませんが・・」
「口止めしてあるからな。
非常に高度で、質の高い教育を与えているが、自分は誰にでもそれをするつもりはない。
だから、他言無用にしてある。
お前達の子供は、自分に認められたということだ」
「そういえば最近、娘の身なりがとても奇麗になりましたが、もしかして・・」
「そうだ。
風呂もない上、浄化も使えないというのでな」
「有難うございます。
親として、娘には少しでも良い暮らしをと考えてはおりますが、何分、何もない村で、ご領主様にも、ろくにお納めする物がないような村ですから・・」
ジョアンナの方を見て、申し訳なさそうに告げてくる。
「話を戻すが、このことは他の誰にも漏らすな。
もし話した場合は、教育を打ち切ることも有り得るぞ。
いいな?」
「はい、かしこまりました」
扉がノックされ、男の妻と思われる女性が茶を運んでくる。
木製のコップに淹れられたお茶と、木の容器に盛られた果物と木の実。
何もないながらも、精一杯のもてなしをしてくれる。
「時に、この村に土地は余っているか?」
「はい、村外れには、まだ広い場所が手つかずで放置されておりますが、岩だらけなので、耕作には向きません」
「宿があるそうだが、その辺りに家一軒分くらいの場所は空いているか?」
「そうですねえ、・・そのくらいなら。
もし足りなければ、無用な物を壊しますが・・何をなさりたいので?」
「岩場には、豚の飼育施設を造る。
地均しと、養豚場の建物はこちらで造るから、お前達には豚の飼育を頼みたい。
最初に入れる豚も、こちらで用意する。
世話の代金は払わんが、そこで出た利益は、村の自由にしてよい。
ベーコン等の保存食を上手く作れば、それを売ることで、結構な利益が出るはずだ」
「この村に援助してくださるので!?」
名主が驚いて和也を見る。
「ああ。
ジョアンナの親の領地だし、あいつらの村でもあるしな」
「有難うございます!
本当に助かります」
「不衛生な場所では長生きしない品種だから、しっかりと掃除をして、大切に育てることだ。
それから、宿の近くには風呂を造る。
宿があっても風呂が無ければ、客の喜びは減る。
少し大き目に造るから、客がいない時は、村人も利用するがいい。
入浴時の作法は、更衣室に貼っておく」
「風呂までお造りいただけるのですか!?」
「ああ。
その代わり、そこで得た利益で、ヘリ―家に納める税を少しでも増やせよ?」
「はい、それはもう。
今まで、とても我慢していただいてきたので、少しでも多く納められるよう努力致します」
和也は頷くと、お茶だけを頂いて席を立つ。
「ではその岩場まで案内してくれ」
喜んで和也を案内する名主の後ろで、ジョアンナは申し訳ない想いで一杯であった。
自分が和也にあんな事を言ったせいで、彼は今、非常に面倒な事ばかりしてくれている。
自分を正式に雇ってくれたばかりか、家が治める寒村にまで、手を差し伸べてくださっている。
和也に仕えることで、恐らく自分は老後の心配をせずに済むだろう。
自分が嫁ぎ先を探していたのは、老いてベイグ家で働けなくなった時、安心して身を寄せられる場所を得るためである。
勿論相手は選ぶが、もし見つからなかったらと、不安が襲ってくる時もあった。
和也に出会って以来、ジョアンナは嫁ぎ先を探す事を止め、その再会を心待ちにしていたが、思いもかけない幸運に導かれ、憧れの彼の下で、正式に働く機会を得た。
それだけでも十分なのに、実家の心配までしてくださる彼に、どうやってご恩返しをするか。
彼女の頭の中は、今はそれで一杯一杯であった。
「こちらでございます」
そうこうする内に、目的の場所まで辿り着く。
その場所を見た和也は、その広さに満足する。
4000坪くらいの広さがある。
貧しい村で、これだけの土地を遊ばせておくのはさぞ歯がゆかったであろう。
「十分な広さだ。
ここを借りよう」
「何時頃から建設を始めるご予定でしょうか?」
「?
今やる」
和也が魔力を迸らせ、岩々を粉々に砕き、土を2m程掘り返して、あっという間に更地を造る。
建物を造る場所の土を固め、コンクリートで土台を造って、その上に、鉄筋コンクリートの施設を建てる。
土地と建物を完全に浄化した後、和也は、地球のとある場所から、ある病気の感染を恐れて集団で殺傷処分されそうだった豚の内、菌に感染していない400頭の豚を貰い受け、そこに転移させる。
その分の飼料も貰い受けたが、それには相応の料金を置いておいた。
念のため、それらにも一律に浄化を施してから、豚の遺伝子をこの世界に適合できるように改良し、養豚場で使われていたマニュアルや、肉屋が燻製肉を作る資料などをコピーして、この地の言語に直した数冊のファイルを手元に作る。
一連の作業が終わるまで、時間にして1~2分。
その間、あとの2人は、その様子を有り得ないものでも見るように、ただ呆然と眺めていた。
「次に行くぞ」
豚たちが逃げ出さないように施設の扉を閉め、ついでに周囲に柵を設けると、和也は未だ呆然としていた名主を急かし、宿の側まで案内させる。
丁度村人達が昼飯にと家へ入った時間で、周囲に人が見当たらないのをいいことに、和也はここでも特急で作業をこなす。
各20人くらいが入れる、温泉の男湯と女湯を造り、地下の水脈を弄るついでに、井戸も2つ新調してやった。
「これでいい。
後の管理は村に任せるが、折角の施設を無駄にするなよ?」
和也はまたしても呆然としてしまった名主の手に、数冊のファイルを押し付けると、同様の状態のジョアンナを連れて、村の外からさっさと転移した。
実習用ダンジョンの校舎、その食堂に戻って来る。
腰に回された腕を解かれても、ジョアンナはまだ少し目の焦点が合っていない。
「大丈夫か?」
和也が優しく声をかけると、はっとして振り向く。
「・・先程のは何ですか?
・・夢だったのでしょうか?」
確認するように自身の身なりを見て、メイド服ではない事に、徐々に意識をはっきりさせていく彼女。
「・・御剣様は、人ではないのでしょうか?」
悲し気に、和也を見てくる。
「自分が怖いか?」
「いいえ。
私が恐れているのは私自身。
人ではない貴方様に、一体何処までお仕えできるのか、それが怖い。
何時か、そのお側に居られなくなる日が来てしまうから・・」
「それは君に良い人が見つかれば同じだろう?」
「いいえ。
私はもう見つけましたから。
だから、その日だけはやって来ません」
「・・・」
「ご迷惑ですか?
私などが好意をお寄せしては。
・・エリカさんのような、美しい奥様がいらっしゃるあなたに、分不相応な望みなど致しません。
ただずっと、お側でお仕えしたい。
それだけです。
できることなら、この願いだけは、叶えられたら・・」
寂しそうに横を向く彼女の姿は、和也の中で、何時か人の暮らしを観察していた頃の、自分の表情と重なって見える。
「・・数年先、ここで様々な事を学んで自身の可能性を広げた後に、未だそう思う気持ちが強ければ、その時には、新たな道を示すこともできる。
今はまだ、強力な力に中てられて、自分を見失っている可能性もあるからな」
「本当ですか!?」
いきなり表情を戻した彼女に、和也は驚きながらも頷く。
「私が老いても、ずっとお側でお仕えしてもいいんですか?」
「自分はそんなことで人を拒まない。
君さえ良ければ、好きなだけ傍にいるといい。
言っただろう。
自分は、『君がいい』と」
「ああっ、・・・」
俯き、それ以上は言葉が出ないジョアンナ。
それから静かにすすり泣きを始めた彼女を、窓からの明るい日差しが、優しく照らし出していた。