アリア編、その16
「お陰で、今回は凄く快適な旅ですね。
これは少ないですが、皆さんで・・」
村に着くと、依頼人がベニスに銀貨を4枚渡してくる。
「すまないな」
受け取ったベニスは礼を言い、名主の家に滞在する依頼人を残して、皆で宿屋に向かう。
取った部屋は2部屋。
ベニスと和也、ミーとケイの組み合わせだ。
部屋で装備を解くと、早速ベットに寝転がるベニスを尻目に、村の中を散歩することにした和也。
人口1500人くらいであろうか、小さな村にしては、家々の暮らしぶりは悪くない。
和也の眼には、村の入り口とは反対側の最奥に、木々で巧妙に隠された洞窟の入り口が見えるが、敢えて気付かない振りをする。
黒づくめの和也を初めて見る村人達は、一瞬警戒した表情を見せるが、ベニスの仲間だと知ると、直ぐに安心した表情に戻る。
村の規模にしては、鍛冶屋の店構えは中々のものだった。
食堂はあるが、風呂屋はない。
井戸も村全体で5~6個あるくらいで、村を通る川が、足りない分を補っているようだ。
道具屋で、道中に採取した薬草と薪を売り、宿まで戻る。
ベニスがぐっすり眠っていたので、自分も寝ることにした。
『食事の時間ですよ』とドアを叩くミーの声に起こされ、ベニスと2人して階下に降りて行く。
食堂では、焼き立てのパンと熱々のシチューが供され、シチューの具は、何かの肉と数種類の野菜で意外と豪華である。
今夜は宿での宿泊ということで、女性陣はアルコールも口にしている。
『あんたもどうだ?』と勧められたが、丁重にお断りする。
食べ終えて部屋に戻る際、ミーが店の者にお湯を頼んでいた。
「風呂の代わりだよ。
あんたもいるか?」
ベニスに聴かれたので、首を横に振る。
田舎の夜は早い。
部屋で少し寛いでいただけで、辺りはすっかり静かになる。
「風呂に行ってくる」
和也はベニスにそう告げると、訝る彼女を残し、1人で部屋を出る。
ろくに明かりもない夜道を、川べりまで歩く。
人家から離れ、木々で周囲が隠された場所まで来ると、丁度良い川の窪みを見つけて、その周囲を広げ、岩で堰き止める。
川底と中の水を浄化し、風呂に適した温度に温めた後、手ぬぐいを出して、その湯に浸かる和也。
川のせせらぎと、時折雲に隠れる月明りを背景に、1人、静かに湯を楽しむ。
するとそこに、聞き覚えのある、小さな足音がする。
「おいおい、こんな場所があるなら、あたいも誘ってくれよ」
自分の跡をつけて来たらしいベニスが、嬉しそうに寄って来て、和也の傍らで服を脱ぐ。
雲間から差す月明りが、彼女の裸身に陰影を施し、和也の隣に身を沈めるベニスを、妖しく照らし出す。
「混浴を許可した覚えはないが」
「固えこと言うなよ。
ここは寧ろ喜ぶとこだろ」
「何故だ?」
「何故って、・・あたいだってなあ、一応まだ若い女なんだよ。
それも、未だに胸と尻を凝視してくる男が多い、な。
それを堂々と、隠しもん無しに間近で見れるんだ、役得以外の何物でもないだろ?」
「女性の美しさは、その容姿だけでは完成しないと思う。
考え方、仕草、嗜好、表情、そして話し方。
そういったものが一体となって、その女性に固有の美を与える。
逆に、その何れかが容姿に見合わなければ、残念だが、本来よりも劣って見えることもある。
君は、そういった面ではどうなのだろうな?
美しさよりも寧ろ親しみ易さに大きく貢献している気がしてならないが」
「褒めてんのか遠回しに貶してんのかよく分からんな。
・・あんた、ほんとに変わってるよ。
普通、こういう状況なら、問答無用で襲ってくるぜ?
女がいいと言ってるんだし、歳の差考えたら、後腐れが無くて楽だろ?」
「いいと言ってたのか?」
「そりゃあな。
じゃなきゃ、幾らあたいでも、こんな夜更けに男と2人だけで風呂に入ったりしねえよ」
「それは光栄だが、自分は間に合っている」
「男は減るもんねえんだし、あたい、男は初めてだぜ?
やっといて損はねえと思うぜ?
ミーとケイも、どうせ今頃仲良くしてるしよ」
「・・・そんなにアリアが好きだったのか?」
「!!!」
「君があいつのことを、どう思っていたのかは、実は最初から分かっていた。
自分にはどうしようもないことだから、ずっと知らない振りをしていただけだ。
だが、たとえ間接的にでも、あいつと肌を合わせようとまでする君に、自分はこれ以上、知らない振りはできない。
・・自分は、行きずりの関係は持たない。
だから、君の想いに応えられない。
大変申し訳ないが・・」
「・・・だったらあたいは一体どうすればいいんだ。
アリアには手が届かない。
かといって、他に好きな女もいない。
アリアと関係を持つあんた以外の男に、身を任せるなんて絶対に嫌だ。
あたいだってまだ若い。
時には身体が火照って眠れない夜もある。
あんたはあたいにこのまま枯れて行けと言うのか?
この歳で、女の喜びを捨てろと?」
彼女と顔を合わせてはいないが、隣り合う身体から、その感情が痛い程に伝わってくる。
天上の月は、表向きは静かに湯に浸かっているように見える2人を、ただ黙って照らし出している。
「自分は君を抱くことはできない。
ただ、不満の解消だけならできるかもしれない。
それでも良ければ・・1度、試してみるか?」
「抱かずにか?
言っとくが、触るだけなら女同士の方が多分うまいぜ?
・・まあ、ここまで言っちまったんだ。
やってみてくれ」
ベニスが身体ごと、和也の正面に回って来る。
和也は、風呂の周囲に防音障壁を張り、湯から右腕を出して、その人差し指をベニスの額に触れさせる。
「ああっ!」
途端にベニスが全身を震わせ、激しく身悶える。
その身体から湯の飛沫が飛び散り、髪を振り乱す。
「本格的にいくぞ」
和也はベニスの全身の性感に魔力を送り、そこを強めに刺激してやる。
「っ~~っ~~!!」
右手を口に当て、左手で和也の肩を摑んで、懸命に快感に耐えるベニス。
ビクン、ビクンと身体が跳ねる度、湯が波のように揺れる。
時間にしてほんの2~3分。
だが、それが永遠のようにも感じられたベニスは、和也が指を放した瞬間、気を失って身体ごと凭れてきた。
和也はそれを支え、周囲に張った障壁を消して、岩に背を預ける。
そしてそのまま、暫く月を見ていた。
「・・あたい、気絶しちまったのか」
目覚めたベニスが、目を逸らしながら言ってくる。
「満足できたか?」
「ああ、最っ高に気持ち良かった。
・・アリアを1日で落とすだけある。
あんた、やっぱりおかしいよ」
身体を離し、和也の眼を見てくるベニスの瞳は、涙で潤んでいた。
「これじゃあ敵わないわけだ。
並外れた魔力だけじゃない。
恵まれた容姿に、ずば抜けた武力、裸の女を前にしても動じない精神力、そしてこの包容力。
勝てねえよ。
何一つ勝てねえ。
諦めるしかねえか。
最初から、あいつはあたいなんか、丸っきり眼中になかったしな」
川を囲った岩に背を凭せ掛け、天を仰ぎながら、静かに涙を流すベニス。
和也はそんな彼女を、ただ黙って見守っていた。
「なあ、・・これからも、時々さっきのをやってくれと言ったら、受けてくれるか?」
随分経ってから、湯で顔を洗って涙の跡を消した彼女は、和也に顔を向け、控え目にそう聴いてくる。
「ああ、時々ならいいぞ」
「悪りいな、余計な柵こさえちまってよ」
「気にするな。
君との時間は、それ程悪くはない」
「あんた、いい男だな。
アリアにせよ、あの黒い姉ちゃんにせよ、いい女は、やっぱり男を見る目があんのかね」
大分遅くなったので、2人でそそくさと湯から出て、宿まで帰る。
受付の者は既にいないが、出る前に銀貨を1枚渡しておいたので、入り口に鍵はかかっていない。
内から鍵をかけ、部屋に戻って改めてベットに入る。
隣のベットで横になったベニスが、穏やかな声で言ってくる。
「朝になったらいつも通りに戻るからよ、今夜のことは、あんたの胸だけに終っておいてくれ」
「ああ」
それ以上はお互い何も口にせず、深い眠りに就いた。
朝食だと呼びに来たミーに起こされ、食事後に少し休憩した後、キンダルへの帰路に就く。
昨夜宣言した通り、起きてからのベニスは完全にいつも通りだった。
時々、くだらないジョークを飛ばしては、和也を苦笑させるところまで。
1日目の野宿でミーに、ベニスと2人だけで夜中に何処に出かけたのかを聴かれたが、逆に何故そんな遅くまで起きていたんだと突っ込むと、顔を赤くして黙った。
2日目の午後、キンダルまであと半日という所で、穏やかな時間は終わりを告げる。
和也がいきなり歩みを止めたので、訝ったベニスが尋ねてくる。
「どうした?」
「敵だ」
「何?
魔物か?」
「いや違う。
人間だな。
それも7人いる」
「!!」
ベニスが依頼人の下へ走り、事情を説明する。
何か心当たりでもあるのか、その女性は顔を青ざめさせ、怯えた。
ミーとケイにも事情を話し、固まって、対策を話し合う。
「ここからどれくらいだ?」
「1㎞先だ。
森の中に隠れている。
弓兵が2人、魔術師が1人、あとの4人が戦士だな」
「そんなことまで分かるのか?
相変わらず、出鱈目だな、あんた」
倍近い敵にも、こちらには和也がいるという安心感が皆にはある。
怯えているのは、その能力を良く知らない依頼人だけだ。
「多分、彼らは依頼人の荷物を狙っている。
馬車の中にある、紫水晶を」
「!!」
ベニスを除いた2人が、驚いて依頼人の顔を見る。
「・・知ってたのか」
ベニスが和也に苦笑しながら言ってくる。
「ああ」
紫水晶はビストー王国の特産品であり、その取引には、必ず国の許可がいる。
僅かな量でも、質の良い物が取れれば、村の1つや2つ、余裕で養えるだけの利益が出るため、納める税金も高額だ。
依頼人が毎月足繁く通っていたのは、それを秘密裏に買い取ることが目的であった。
当然、許可なくして取引すれば、その扱った量に応じて罰せられる。
荷が何かを知らない護衛まで罰せられることはないが、どうやらベニスは以前から知っていたらしい。
「それでどうする?
彼女を役人に突き出すか?」
非合法な取引だと勘付いている。
そう確信して聴いてくる。
「いや、それなら最初から引き受けたりしない。
彼女がしていることは、国の法からは外れているが、人の道としては正しい。
自分はそう判断する」
依頼人は、キンダルの町外れにある孤児院を、夫と共同経営していた。
あの村で買い取った紫水晶を売って得た利益の大半を、その孤児院の経営に充てている。
そして、依頼人はあの村の、ベニスはその孤児院の出身であった。
「・・あんたの頭の中は一体どうなってんだ?
全てお見通しって訳か。
・・でも、そう言ってくれて、嬉しいぜ」
ベニスが安心したように微笑む。
「君が散々迷惑をかけた場所のためだからな。
おねしょで汚したシーツの数以上の働きはしてやろう」
「何でそんな事まで知ってんだよ!?
それにそれはほんの小さい頃の話だ!」
2人の遣り取りに、依頼人を含め、他の者達にも笑みが戻る。
「さて、ここは全て自分が引き受けよう。
自分が先行するから、君達は後からゆっくりと来てくれ」
「おいおい、あたい達も少しは役に立つぜ?」
「いや、7人の者達は、皆が明確な殺意を持っている。
口封じを兼ねて、こちらを皆殺しにするつもりだ。
よってこちらも、それなりの対応をしなければならない。
君達は、依頼人をしっかりと守ってくれ。
ここは、今まで遊んでいた自分がやるべきだ」
そう言って、突然フッと姿を消す。
眼を真ん丸にして驚く依頼人に、ベニスは頭を掻きながら、苦笑して言った。
「すんません、今のは、他言無用で」
「そろそろ来る頃だ。
皆、準備はいいか?」
「おう、何時でもいいぜ」
「待ち草臥れたぜ。
それよりよ、殺す前に、楽しんでもいいんだよな?」
「好きにしろ」
「へへへ。
ベニスの奴、口はあんなだけど、体付きはたまんねえもんな」
「俺はあの大人しい奴がいい。
ああいうの、1度試してみたかったんだ」
口々に下品な言葉を言い合う者達を、魔術師の男は心底軽蔑したような目で見る。
依頼主からは、事が終えたら、こいつらも始末しろと言われている。
口の軽い奴らだから、生かしておいても危険なだけだ。
最後に残った者の止めだけを刺せばいい自分は、少し離れた場所から見物しようとして、いきなり目の前に現れた男に、度肝を抜かれる。
「お前らは、本当に愚かだ。
自分の前で、そんな事を考えていなければ、もしかしたらまだ生きていられたかもしれんのに」
両目を紅く輝かせた和也が、ゆっくりと男達にそう告げる。
「そこのお前、お前はもっと度し難い。
忠告してやるだけ無駄だったな」
以前、自分を襲ってきた破落戸の1人に呆れて言い放つ。
「お前、あの時の・・。
こいつはやばい、逃げ・・」
「もう遅い」
男の心臓が、魔力で瞬時に潰される。
「ぐはっ」
口から血を吐いて倒れる男。
「何だこいつ!
皆、1度にかか・・」
他の男も、言葉を言い終える前に、口から血を吐いて倒れる。
ヒュン。
自分目掛けて飛んでくる矢を、2本の指だけで抓み、その鏃を見て、さらに顔を顰める和也。
「くだらない事だけには、本当によく頭が回るな。
これで痺れさせて、彼女達を動けなくしようとした訳か・・」
矢を放った男に向けて、手首だけでその何倍ものスピードを出して投げ返す。
「ギャッ」
太股に刺さった矢が貫通し、男は痛みで倒れ伏し、ぴくぴく痙攣し始める。
ヒュン。
和也の後ろから、頭目掛けて飛んできた矢も、同様に投げ返し、それを受けた男は、地面に血のシミを作り始める。
「た、助けてくれ!
俺達はあんたには恨みは無いんだ。
見逃してくれたら、この事は誰にも言わない」
戦士の2人が懇願してくる。
「駄目だ。
お前達は以前、そう言って泣きながら助けを求めた者を、笑いながら殺しただろう?」
2人の心臓が、相次いで潰される。
『こいつ人間なのか!?』
急いで和也から距離を取った魔術師は、必死で使う魔法の魔力を溜めながら、そう考えていた。
そして、風の中級魔法、鎌鼬を完成させる。
音もなく忍び寄って来る風の刃。
死神の鎌程もある大きさのそれは、和也の手前でそよ風に変わる。
「なっ!」
「お前は少しは増しだな。
選択を間違えなければ、違う未来があっただろうに・・」
和也は右手を胸の辺りまで持ち上げ、掌を広げて赤い球体を創る。
「お前はここでは殺さん。
我がダンジョンで魔物や罪人と戦い、ダンジョン内の魔力を増幅させる役に立つがいい」
その所持金を没収し、男を球体の中に吸い込む。
その後同様に、所持金と武器を没収した男達の死体や身柄を、赤い球体に吸い込んで、遅れてやって来るベニス達を待つ。
程無く到着した彼女達は、地面に所々残る真新しい血だまりを見て、恐る恐る聴いてきた。
「もう終わったんですか?」
和也が他人を転移できることを知っているので、死体が無くても、皆不審に思ったりはしない。
「ああ。
ここからの道のりに、危険は存在しない。
悪いが自分は少し用事ができたので先に帰る」
「・・そうか」
何かを言いたげなベニスに、和也は耳打ちする。
「明日の夜、いつもの店で、1人で待っててくれ」
「!!」
和也はそれだけ言うと、さっさと姿を消した。
ビストー王国王宮内。
今日は早めに仕事を終え、先程入浴を済ませたばかりのヴィクトリアは、相変わらずのバスローブ姿で、入浴後の余熱を冷ましていた。
そのローブを脱ぎ、これから下着を身に着けようとしたところで、部屋に男が転移してくる。
「あ・・」
和也は『しまった』という顔をして、出直そうと再び転移しようとするが、やはり怒りの声に阻まれる。
「お待ちなさい!!」
ばつが悪そうに彼女の顔を見る和也を、ヴィクトリアは一睨みし、それから不意に表情を緩めた。
「貴方なら許します。
だから、いちいち逃げなくてもいいわ」
そう言うと、目の前で下着を身に着けながら、ローブを羽織る。
「それで、今回は何?」
ローブに隠れた銀色の髪をフワッとたくし上げながら、そう尋ねてくる。
外に出された長い髪から、シャンプーの良い香りが部屋に満ちる。
「・・君にお願いがある。
紫水晶の取引許可証を書いて欲しい。
それも、特別に、無税のやつを・・」
「貴方が取引するの?」
「いや、自分ではない」
「理由を話して」
和也は、相手の名前を伏せて、これまでの経緯を彼女に説明する。
「ふ~ん、相変わらず、慈善活動が好きね。
・・紫水晶は国の重要な財源の1つ。
只では『うん』と言えないわ」
「幾ら欲しい?」
「お金はいらないわ。
ただ、何時か、わたくしが貴方に1度だけする心からのお願いに、必ず『うん』と言ってくれさえすれば・・」
「それはまた、随分と大きく出たな。
頼み事が何だか分からない以上、迂闊には約束できないが」
「貴方なら簡単な事よ。
それに、決して非合法でも悪事でもないわ」
「・・人の命や運命を左右する事でないなら、約束してもいい」
「そこにわたくしは入れないでよ?
わたくしのお願いなんだから、当然に、わたくしの運命には係わるのだから」
「分かった」
「契約成立ね。
ちょっと待ってて。
直ぐに書いてあげる」
自分の執務用の机に向かった彼女は、羊皮紙に、取引許可の文言と、その花押を描き、そこに己の魔力を込める。
「はい。
これで大丈夫よ」
「助かる。
邪魔してすまなかったな」
「待って。
まだ領収証の代わりを貰ってないわよ」
直ぐに転移しようとした和也を、ヴィクトリアがそう言って引き留める。
「領収証?
何て書けばいいんだ?」
「こちらに来て」
和也が一歩踏み出したところを狙って、彼女が抱き付き、素早く唇を重ねてくる。
「わたくしの初めて。
・・いい、この約束からは絶対に逃がさないわよ?
必ずお願いを聴いてもらうからね」
暫くして、熱い吐息と共に唇を放した彼女が、和也の眼を覗き込むようにして、そう念を押してくる。
「・・分かった」
和也はその迫力に押され、良く分からないまま、そう告げるしかできなかった。
深夜の静寂に包まれた、とある商人の屋敷。
ここは、ベニス達に刺客を放った男の屋敷である。
その売却先の情報を通して、密かにあの村の秘密を探っていたここの当主は、何とか自分が彼女に代わって独占的に取引できないかを模索していたが、秘密裏に村と交渉を持った際にも、いい返事は貰えなかった。
村の名主の親族である今の取引相手に取って代わる事は不可能で、然りとて無許可の取引を役人にばらせば、その後釜を狙っても、今度は自分の儲けがかなり減る。
あの村から産出される紫水晶は中々の高品質で、少量しか採れないとはいえ、諦めるには惜しい。
悩んだ挙句、強硬手段に出ることにした男。
お抱えの魔術師が上手くやれば、証拠も残らない。
明日の朝には戻るだろう彼の報告を待って、当主の男は、愛人との睦事もせず、その日はさっさと眠りに就いていた。
そんな男の屋敷の金庫から、和也はその全て、金貨500枚を持ち去る。
さらに、商人ギルドに預けてあった男の預金、同じく金貨500枚も、全部自分の収納スペースに転移させる。
あの破落戸共の会話を聞いた和也は、男を始末しようとも考えたが、結局、無一文にして、その後の人生を惨めに送らせることを選んだ。
男の経営する店からも、金目の物は既に没収してある。
今後、売掛の代金を請求される男の様子が目に浮かぶ。
自業自得だと切り捨てて、和也は静かに姿を消した。
「待たせたな」
翌日の夜、女主人の冷ややかな眼差しを遣り過ごし、ベニスの待つ個室へと入る和也。
「それはいいが、あれから何してたんだ?
ミーとケイも寂しがってたぞ」
「色々やることがあってな。
そちらは大丈夫だったか?」
「ああ。
依頼人も、あの後落ち着いていたし、ちゃんとあんたが信用できる奴だと説明しといた。
で、今日の用件は何だ?」
「君の依頼人、育ての親に、これを貰って来た」
和也はそう言って、テーブルの上に、ヴィクトリアに書いてもらった許可証を広げる。
その日付も、ちゃんと依頼人の彼女が村と取引を始めた当初になっている。
「・・あんた、どうやってこれを?
しかも無税になってるぜ?」
「君が黒い姉ちゃんと呼ぶ彼女、その本人に書いてもらった」
「・・マジかよ。
あの姉ちゃんがそうなのか?
あんた、女運良過ぎだろ」
「それからこれを、君達3人に。
こちらはあの依頼人の女性に」
ベニスの前に、2つの小袋を置く。
「君達用のは、襲ってきた7人から徴収したものだ。
全部で金貨8枚くらいある。
依頼人から、既に前金を渡されていたらしいな。
それから、君の依頼人に渡す方には、自分が、襲撃を依頼した当人からせしめてきた金の一部、金貨100枚が入っている。
命を狙われた慰謝料として、渡してやってくれ。
これだけあれば、少しは孤児院も楽になるだろう?」
「・・あんた、わざわざそっちの方にまで手を出してくれたのか?」
「ああ。
元を絶たねば、また起きるかもしれないからな。
奴にはもう、何もする力は残っていない。
安心していいぞ」
「有難う。
本当に助かる。
あの人には、苦労かけっぱなしだったから、少しでも恩返しがしたいんだ。
それだけあれば、10年は心配ない。
院の子供達も、腹一杯飯を食える」
「アリアの件では、君にも辛い思いをさせた。
たとえそれが、どうしようもない事であってもな。
だからこれは、只の自己満足に過ぎん。
礼を言われる程ではない」
和也はそう言って、徐に席を立つ。
「ではな。
機会があれば、また会おう。
例の件も、我慢できなくなったら、遠慮なく言うがいい」
「ああ、必ず!」
静かに涙を流し続けるベニスを残して、和也は1人、エリカ達の待つ家へと帰るのであった。